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片翼のドラゴンは大地を駆ける

作者: 猫じゃらし


 ゆりかごのようにゆらゆら揺れる。

 子供の高い声が、ぼくらの言語とは違う言葉をしゃべっている。


「早く生まれておいで」


 その意味はわからないけれど、ぼくはもぞもぞと動き出した。

 心地よかったはずの空間が突然窮屈になってしまったから。


 こん、と鼻先に固いものが当たった。

 ぼくはそれを無我夢中で鼻先でつついた。この小さな空間から出なくちゃいけなかった。

 そのうちに、ぴしり、と手応えがあった。鼻先に感じていた固さが脆くなり、僕はぐりぐりと鼻先をこすりつけた。


 ぴしぴしと、空間が壊れていく。

 真っ先に飛び出した鼻先は冷たい空気に触れ、ぼくは驚いたけれど、ぐりぐりと壊しながら頭を出した。今度は眩しかった。

 とっさに目をつぶる。すると、高い声は「生まれた!」と叫んだ。


 ゆっくりとまぶたを開けば、ぼくの世界に広がったのは、期待に満ちた少年の笑顔だった。





 ◆





「……もったいねぇなぁ。まだ若いドラゴンなんだろ? 翼がなくなったくらいで……」

「ばか、口を慎め。皇太子殿下のドラゴンだぞ」


 男の声が二つ、石造りの中で反響する。

 ぼくは体を横たえ目を開けることもせず、掃除をしにきたその二人の話を流れ込んでくるままに聞いていた。


「でもよぉ。こんなに漆黒で見た目もいいのに、鱗や牙の使えるもんまで取る気はないんだろ」

「仕方ないだろ。皇太子殿下のドラゴンなんだ。このドラゴンを使おうものなら、それがすべて“下賜”になるんだぞ」

「下賜すりゃいいじゃんよ。……いや、俺が言いたいのはそういうことじゃねぇんだよ」


 一つの声が言い淀む。

 話が途切れたことに薄く目を開いて見れば、男は不満げな調子で眉間に皺を寄せていた。


「飛べなくなったからって安楽死はなぁ、ってことなんだよ」

「だから、口を慎めって言ってんだ」


 ばしっと容赦なく、もう一人の男が背を叩いた。


「だいたい、皇太子殿下はそのことについてはまだ何も仰られていない。ドラゴンの里から手紙も届いたそうだしな」


 ドラゴンの里。

 ぼくはそれを聞いて、薄く開いていた両目をぱちりと開いた。

 二人の男はそれに気づかずに、掃除道具をすべて持って背を向けた。


「また新しいドラゴンを献上するって?」

「いや、それがな。筆跡からするとどうやら子供のようで、このドラゴンを……」


 ガチャン……。

 重たい鉄製の扉が閉まり、足音も話し声も遮られた。

 掃除を終えた男達は出て行ってしまった。



 ――ドラゴンの里だって?



 ぼくは横たえた体を起こした。

 じくり、と痛みが背中から広がってくる。折れた翼は皇太子を乗せた飛行中に、野生のドラゴンと出会し襲撃を受けて失った。

 よくぞ皇太子を護ったという賞賛はあれど、飛べなくなったぼくはどうやらもうお払い箱らしい。

 ここしばらくは閉鎖的なこの独房で、治療を受けながら生き(ながら)えさせられていた。


 皇太子が指示を下せば、ぼくの命はあっという間に吹き消えることだろう。



 ――なら、もういいよね。



 人間によって造られた建造物は、どれだけ頑丈にしたってドラゴンの力に敵うことはない。

 丁寧に積み上げられた石造りだろうと鉄製の扉だろうと、ぼくが尾を振ればそれはたちまちに壊れてしまう。

 大きな音を立てて崩れ落ちた瓦礫の中から這い出したぼくは、眼裏に記憶した懐かしい風景を思い出した。


 駆けつけてくる衛兵の制止などぼくには届かない。


 ぼくは羽ばたこうとして、飛べなくなったことを痛みで思い出した。残った片翼が虚しくばさりと音を立て、反動でよろけた。

 仕方なく城門まで歩き始めると、集まった衛兵達が武器を構えてぼくを取り囲む。

 攻撃をしてこないのは、ぼくがまだ皇太子のドラゴンだからだろう。


 じりじりと距離を取りながらもぼくが動けば衛兵の輪も動く。

 だから、ぼくは気にせずに城門を目指した。



「オブシディアン! 何をしている!」



 掛けられた声と共に、衛兵達に緊張の空気が走った。輪が一方向だけひらける。

 その先に立つのは、いつもは冷静沈着を崩さない威厳者である。

 皇太子の姿を、ぼくはじっと見据えた。


「騒ぎを起こすなど、お前らしくもない。何があった?」


 皇太子は急ぎ足でぼくに近寄ってきた。

 不意に出された手を追って、ぼくは視界の端に垂れる手綱を見つけた。

 取られまいとぼくは後ずさった。


「……オブシディアン?」


 驚いた表情で見上げる皇太子の視線に、ぼくは気まずく目を逸らした。

 それでも、ぼくはもう皇太子に手綱を握らせる気はなかった。


「…………そうか」


 つぶやいた皇太子は、やれやれ、というように眉を下げて笑顔を見せた。


「お前との付き合いも短くはない。お前が、私を騎手として認めていたわけじゃないのはわかっていた」


 今度はぼくが驚いて皇太子を見た。

 皇太子は後ろに指示を出すと、手紙の入った筒を持ってこさせた。


「お前が()()()認めた者が、お前によく言い聞かせていたのだな。忠実な良いドラゴンだった」


 皇太子はぼくに手を伸ばす。

 びく、と反応したけれど、伸ばされた手は手綱を通り過ぎた。

 「屈んでくれ」と言われ、ぼくは姿勢を低くした。


「この鞍は付けたままでいい。きっと役に立つ」


 ぼくの背に乗せられた皇太子の鞍に、筒が結びつけられた。

 皇太子はぼくの鱗をそっと撫でる。これまでに、共に空を飛んだ時と同じように。


 そして、惜しむように離れた。


「行け、オブシディアン。お前が求める者の所へ」

 

 皇太子が手を払うと、取り囲んでいた衛兵達が城門への道をあけた。

 ぼくは皇太子の瞳をしばらく見つめて、やがて走り出した。




 ◆




 ドラゴンの里は国が唯一認めた、人為によるドラゴンの繁殖地だ。

 その里で生まれたドラゴンは人の手によって育てられるため野生のドラゴンのような気性の荒さはなく、国の騎士団に売り出すことを商売としていた。


 もちろんぼくもドラゴンの里で生まれ、ひとつの売り物としてその家の少年と共に育った。


 少年はニケという名前だった。

 聞き馴染んだ高い声はぼくを呼び、よく笑った。

 ぼくよりも年上なはずなのにその体は小さくて、なのにぼくよりしっかり大地を踏みしめていて。

 かと思えば、坂道や転がる石ころには足を取られてすぐに転んだ。

 ニケのやわな肌はその度に傷をこさえていたけれど、ニケは涙を我慢してニッと笑うのだった。


 ドラゴンの里は、ドラゴンが育つための雄大な自然が広がっている。

 建物が密集して並んだ王都とは真逆の拓けた土地。見渡す限りの原っぱや森、静かな湖に、飛べども届くことはない大空。

 ニケと自然の中を駆け回った。あの頃のぼくはまだ子供で、飛ぶことも未熟で。

 日が昇ってから暮れるまで、草や砂、泥にまみれて、ニケと駆け回った。ニケを背に乗せて駆け回った。

 最高に幸せな時間を過ごしていた。


 ぼくがニケを追い越して大きくなった頃、ニケのお父さんが「とても大事な話だ」とぼくらに話して聞かせた。

 その内容はぼくには理解ができなかったけれど、ニケは驚いて喜んだ。「すごいよ!」とぼくを褒めた。

 褒められたことが嬉しくてぼくも喜んだ。ニケは誇らしそうだった。

 里のみんなもぼくを褒めた。ぼくの珍しい漆黒の鱗を褒めた。

 それから、ニケもみんなも、ぼくへの扱いがすごく慎重になった。

 ニケは今まで通りに遊んでくれなくなった。


 ぼくはそれが悲しくて、どうしてかわからなくて、無理矢理ニケを背に乗せようとした。

 笑って許してくれると思っていた。そのまま駆け出せば、前と同じように一緒に遊べると思っていた。

 けれどニケはすごく抵抗して、そして叫んだ。



「お前はもう、皇太子様のドラゴンなんだ!」



 ニケとはそれっきり、心が遠くなったままでぼくは王都へと献上された。





 大地を駆けながら、ぼくは思い出していた。


 あの頃と同じでぼくは四つ足で駆けていた。

 翼があればひとっ飛びしてしまう自然の造形がぼくの行く手を阻んだ。

 川や湖、ぬかるんだ森、足場のない谷。

 ぼくは何度も転げては体を打ちつけ、それでも傷ひとつ付かない鱗は泥にまみれた。

 賞賛された漆黒の鱗はもうどこにも見えない。

 片翼を失い、皇太子のドラゴンでもなくなった。ただの泥にまみれたドラゴンだ。



 ――ニケはまた、ぼくの名前を呼んでくれるだろうか。



 駆け続けて、駆け続けて。

 見覚えのある景色が視界に入れば、たちまちにその姿を探してしまう。


 ニケのお父さんが『マッド()』とぼくに名付けたから、ニケはぼくを愛称で呼んでいた。

 オブシディアンなんて仰々しい名前はぼくには似合わない。

 あの愛称を呼ぶのは、ニケだけだったんだ。



「マディー!!」



 ぼくを見つけて駆け寄ってくる少年は、もうぼくの中の小さなニケじゃなかった。

 大きくなった。石ころにつまずいて転ぶような幼さはなくなっていた。

 砂埃でベタついたぼくの手綱を掴み「お前っ、なんでここに……」とぼくの目を見て言うから、あの日感じた心の遠さなんて一気になくなってしまった。


 ぼくはニケの服をぱくりと咥えると、ぼくの背に乗せた。いくら大きく成長していても、ぼくにはやっぱり小さかった。


「マディー、何っ……これ皇太子様の鞍じゃないのか!? 筒が……うわ、ちょ、走るなマディー!」


 「止まれー!」とか「手紙読ませろっ」と騒ぐニケは何度も「マディー」と呼んだ。

 ぼくはそれが嬉しくて、あの頃のように戻れた気がして、疲労なんか忘れて走り慣れた自然の中を駆けた。

 背にニケが乗っているのが嬉しい。鞍や手綱なんか気にせず、ぼくの首にしがみついてくる腕が嬉しい。


 「マディー!」とニケの声は怒っていたけれど、そのうちに風を全身で受けて笑い声に変わった。

 ニケの手から離れた手紙が、ひらりと風に流されていった。




 ◆




 『漆黒のドラゴンに選ばれた少年へ


 ドラゴンの生を預かり、騎士に志願する旨の手紙しかと受け取った。

 片翼となったドラゴンは大地を駆けて君を求めるだろう。

 そのドラゴンが君の元へやってきたなら、ドラゴンは飛べずともその力を発揮できる証明となる。


 君のドラゴンを育てよ。

 飛ばず、地を駆ける戦士に育てよ。

 騎士として、ドラゴンと共に王都に戻る日を待つ』






挿絵(By みてみん)

秋の桜子さまよりバナー★




挿絵(By みてみん)

アホリアSSさまより影絵★




挿絵(By みてみん)

風音紫杏さまより皇太子★




みなさま、ありがとうございます(*´꒳`*)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 現代ものが上手なのに、ハイファンまでこんなに素敵に書けるんだ。なんて恐ろしい子……! というのが、作者名を知った時の正直な感想です。お伝えするのが遅くなりました。 「マディー」と呼ぶところ…
[良い点] 皇太子殿下は、本当はオブシディアンを どうしようと考えていたのでしょうか? 急に暴れ出した所に駆けつけたというのに 既に手紙が準備出来ていたと言う事は もしかして、皇太子殿下は今まで オ…
[一言] 面白かったです 面白くて、「おおお!!」となりジャンルを確認しに行きました そして、「そうかドラゴンだもんな」という謎の納得 そんな私の謎行動はさておき面白かったです!
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