塩を我が手に
我はフェンリル、名はまだ無い。
元の世界でトラックに撥ねられ、この世界に転生したのは3000年も昔のこと。
よりにもよって人型ではなく、獣の姿だった時には途轍もない絶望感に苛まれたが、100年も過ぎれば気にならなくなった。
3000年過ぎた今でも人型への未練は多少はあるが、大抵のことには慣れたものだ。
そんなことよりも、今は考えなければならないことがある。
「塩が無くなってしまった。」
そう、塩が無くなってしまったのだ。
今や野生の獣ではあるものの、元は飽食の時代を生きた若者だったのだ。
文字通り、血の滴る生肉も食えなくは無いが、やはり焼いた肉に塩を振って食いたいのだ。
幾ら親兄弟姉妹に白い目を向けられようと焼いた肉が食いたいのだ。
これまでに使っていた塩は、海の近くに行った時に海水から作った自家製だ。
とはいえ、現在住処にしているこの森は海からはかなり遠く、我の脚でも数ヶ月はかかる。
1〜2日なら兎も角、数ヶ月も塩の無い生活は今となってはかなり辛い。
「確か、近くに大きな街があったな・・・。」
2〜30年前の話だが、あれ程の規模の街ならばまだある筈だ。
多少の騒ぎにはなるだろうが、、、
「背に腹はかえられんか・・・。」
こうと決まればいくしかない!
「買い物に行くぞ!」
居着いていた森を出て東に真っ直ぐと向かうと、次第に城壁が見えてきた。
「そろそろ街道に出るか。」
城壁を飛び越えることは出来るが、それをやってしまうとかなりの確率で衛兵や騎士団との戦闘になってしまう。
ならばと逆の発想だ。
堂々と街道を歩き、門の列に並び、衛兵に訳を話せば騒ぎもそれ程大きくはならないのだ。
とは言え、所詮は「それ程」である。
我がフェンリルかどうかは関係無く、こんな馬車ほどの大きさの魔物が街に入ろうとすれば多かれ少なかれ騒ぎにはなるのだ。
「やはり、アレも装備するとしよう。」
何処からともなく一枚の板を取り出し、それに付いている紐に首を通した。
これぞ、買い物用装備その一、看板だ。
内容としては「私はフェンリルです。買い物に来ました。無闇に暴れません。」の三つである。
自己紹介、目的、安全アピールを端的に相手に伝えることが出来る自信作だ。
3000年も生きていれば、ヒトの文字を覚える機会くらいあるものだ。
準備をしながら歩いていると、遂に城門がハッキリ見える位置に来た。
「うむ。あまり混んではいなさそうだな。」
森を出てきたのが昼過ぎだったので心配だったが、これならば、日が沈む迄には街に入れそうだ。
あまり無いことだが、国の首都や貿易などをしている港町だと2〜3日待ちぼうけをくらい、入れなかったりするのだ。
「とは言え、あまりゆっくりもしていられないな。早速、列に並ぶとしよう。」
列へ近づくと割り入ったりせずに行儀良く最後尾に並ぶ。
周りからはこの状況はどう見えているのだろうか?
傍から見れば、本来、凶悪であるはずの魔物が何故か大人しく列に並んでいるという訳の分からない光景であるに違いない。
まぁ、我としては街にさえ入ることが出来れば良い訳で、極論、今回の目的の塩さえ手に入れば関係は無いのだが。
そんなことを考えながら、ふと視線を目の前に向けると、荷馬車が見える。
どうやら前の荷馬車はは家族連れらしく、子供の姿が見える。
見えると言うか、見られている。
人族の子だろう、魔物が襲って来ないのが不思議なのか、それとも我の様に大きな魔物を見るのが初めてなのかこちらを興味深そうに見詰めている。
気の弱そうな子だが、中々に肝が据わっている。
ふむ、街に入れる迄時間があることだし、暇潰しには丁度良いだろう。
「人族の子よ、そんなに我を見詰めてどうしたのだ?」
話し掛けられるとは思わなかったのだろう、目を真ん丸に見開いて驚いている様だ。
それもそうだろう、言葉を理解する魔物はそれなりに居るが、実際に言葉を話す魔物などそうそう居るものでは無い。
「・・・狼さんは、お話できるの?」
「うむ。我は永きを生きた強い魔物なのでな、お主らの言葉も話せるぞ。」
遠慮がちな問いかけに、自信を持って然も当然の様に答えてやる。
「・・・狼さんは、ボクたちを食べない?」
「フハハハハハッ!うむ。確かに気になるだろう。しかし、それを聞いてくるとは、やはり肝が据わっている。」
突然、笑い出したからか少し怯えさせてしまったが、中々面白い子だ。
普通は、連想させないよう他に目を向けさせようとにするものだが、子供ということもあるのだろう、躊躇なく聞いてきたな。
「人族の子よ、安心するが良い。お主らは我にとっては食い出が無いのでな、食らおうとは思わんよ。それに、どうせ飯を食うならオーク共の方が旨いからな。お主もオーク肉は好きだろう?」
「うん。たまにしか食べれないけど、ボクもオークのお肉だいすき。」
「うむ!そうだろう、そうだろう!奴らの肉は柔らかく脂ものっていて味が良い。上位個体ともなれば更に旨いのだぞ。」
200年程前に食べたオークキング、、、奴はかなり旨かった。
たまに見つけるジェネラルも旨いが、キングは中々、居ないからな。
「すごいね!あのね、今日はボクもオークのお肉が食べれるの!今日泊まりに行くところでね、オークのシチューが食べれるんだよ!」
「シチューか!それも旨そうだな。普段は焼いてばかりで煮込みなど食う機会は早々にあるものでも無いからなぁ。」
この身体になってからというもの、辛うじて肉を焼いたりは出来るが、煮込み料理は大分難しい。
一応鍋は持っているもののあまり使ってはいない。
たまに、魚を獲った時に野草と一緒に塩煮にすることがあるくらいで料理と言えるものではない。
故に、手の込んだ料理を食べられるなら食べたい!
「よし、人族の子よ。手を出せ。」
そう言って、人族の子に手を出させると、その手に[亜空庫]から取り出したモノを乗せる。
「狼さん、これ何?」
「鈴だ。」
「鈴?音ならないよ?」
人族の子が言うとおり、幾ら振っても一般的な鈴の音は鳴らない。
「大丈夫だ。我の耳にはその鈴の音が聞こえているのでな。」
この鈴は特別な鈴で、幾ら振ろうともまともな音は鳴らない。
と言うよりも、音は鳴っているが人族の耳には聴こえないのだ。
鈴が特別なら音も特別、我の様な獣系の魔物や一部の獣族でなければ聴こえない音なのだ。
元の世界での犬笛と似た様な物だと考えれば分かり易い。
「その鈴は目印だ。シチューを食わせる宿に着いたら鳴らしてくれ。その後も時々鳴らしてくれればその宿に我も行くのでな。」
「うん!分かったよ!」
「うむ。頼んだぞ。」
その後もたわいも無い話しをしていたが、気が付けば城門は目の前に。
人族の子が乗った荷馬車は既に街の中へと進んでいった。
さあ、街の中へといざ行かん!
塩とシチューが我を待っている!