魔力操作
食堂はいつもと違う空気に包まれていた。
違和感の正体は誰もが理解している。
受付近くの席に一人だけで座っている少女に、視線は隠した皆の注意が向いていた。この街に馴染まない異風な出で立ちは勿論、身に纏う空気がたった一人の放つ物ながら際立って食堂の日常を忘れさせる。
どうして、そこまで少女を異端視するのか。
その原因は首に下げた銀板にある。
素鉄と呼ばれる貴重な金属を材料とした認識票であり、それを与えられるのは冒険者の等級でも上位者のみだ。
板面に刻まれるのは一級の文字。
骨の大刀に褐色肌の若い一級冒険者という外見から、その正体についても冒険者たちは既に理解に及んでいた。
階級一つだけで実力に大きな隔たりがある。
支部長は、人格面や能力的に一級以上だった者が引退後になれる形が多いので、特別な地位でもない。
特級こそ冒険者における英雄だが、審査基準を突破することが困難な上に、そうなると国家戦力と同等の怪物となるので扱いも苦労させられるので滅多に現れないし、認められない。
これらの理由により特級も例外。
実質、一級が冒険者の最上位階級とされた。
その中でも僅か半月で特級冒険者に昇格した『天敵のジブリール』の驍名で隠れはしたが、傑物とされる幾人かの冒険者の存在として挙げられる名前にその少女はいる。
シェーナ・グレッヘム。
若干十二歳で冒険者登録し、破竹の勢いで依頼数をクリアして三年で一級へと登り詰めた天才である。
「お待たせしました。シェーナさん」
「別に待ってないよ」
「準備できたので、行きましょうか」
食堂で孤高の構えを決めているシェーナへと、支度を終えたミカドが歩み寄る。
確かに、シェーナの待機時間は短い。
準備と言っても、元から着ていた紺の割烹着姿に荷物を背負っただけだったからだ。あまりの軽装に、見ていたシェーナも顔を曇らせる。
一級冒険者の護衛がいるとはいえ、気を抜きすぎではないか。
「貴方、もう少し警戒したら?」
「下働きなので、物を揃えるのも一苦労なんです」
「繁盛してるように見えるけど」
「も、貰える仕事が少ないので」
「大丈夫なの?」
「僕が全面的に悪いので、仕方ないですよ」
ミカドが苦笑しながら答える。
調理ができない以上、接客や掃除などに仕事が限る。
そうなると普通の給金より減額されるのは仕方のないことだった。
働いた分だけの対価がある。
この食堂で働く時に店長が付けた条件である。
ミカドのみならず、従業員たちを取り締まる原則であり、給金は店長の裁量で決められるがこれに不満が出ないのは偏に彼の人間性あっての事だ。
ミカドにも不満は無い。
私物を持つほどに足る程に働けている自覚も無いのは当然だった。
「……ごめんなさい、気を悪くさせたね」
「いえ、気にしてませんよ」
「それじゃあ、宜しくね。ミカド君、だっけ」
「はい。よろしくお願いします」
ミカドは柔和な笑みで彼女に対応しつつも、周囲の異変を機敏に感じ取っていた。
現れた外部の一級冒険者。
それだけでも注目されるのに加えて、昨晩の出来事があってかミカドに対しても距離を置きながら人の意識が集まっている。
ミカドにとってあまり良い傾向ではない。
朝から嘲笑と軽蔑の的にならない事は改善と言えるが、必要以上に避けられては食堂の空気を悪くしてしまう。
「ねえ、ミカド君」
「はい?」
「みんなが君を見てるようだけど」
「気の所為ですよ。多分シェーナさんが凄いから見てるんじゃないですか?」
「はっ?」
「えっ?」
シェーナが顔を顰め、その反応にミカドも小首を傾げる。
「凄いって、どこが?」
「一級冒険者ですよ、凄くないですか?」
「……君、正気?」
「はい。……えと、もしかして失礼でしたか」
怪訝な顔のシェーナは、暫くミカドを探るような目でじっと見つめた後にため息をつく。
まだ出会って間もないが、物腰が柔らかくミカドに対しても最低限の敬意を払っている。端然とした立ち居振る舞いと、その体に入れた紋様が彼女をどこか神聖なものであるかのように仕立て上げている。
だが、そんなミカドの所感がシェーナには理解不能なようだった。
「知らないなら無理もないか」
「何をですか?」
「いいよ。ほら、行こう」
出口へ向かうシェーナに付いていく。
護衛依頼を請け負った一級冒険者。
街で恐れられる店長が現役時代に到達した階級から、苦労が多く行き着く者も少ないと合って歴戦の戦士とあり相応に歳を重ねているとミカドは思い込んでいた。
食堂で見かける二級も三十代からが多い。
この数ヶ月で冒険者が昇格する機会を度々見かけるが、その時の困難さは理解している。
一級とはそれ程に高い壁なのだ。
だが、現実を見れば本人はうら若き少女。
予想は大きく裏切られた訳である。
「あれが一級か、俺たちより若ぇぞ」
「グレッヘムって言ってただろ、なら仕方ないだろ」
「大陸最強の戦闘部族なら仕方無ぇよな」
囁かれた声を耳に拾ってミカドは周囲を見回す。
シェーナが歓迎されていないのは明白だが、空気は珍客としてではなく、忌避感を匂わせる声色だった。
「どうかした?」
「いえ、別に」
ミカドは頭を振ってシェーナに付いていく。
協会支部の外側では、既に用意された馬車が待機していた。
店長がいつも利用している物であり、目的の村と街を往復するので同行させて貰うのだ。贔屓にしている店長からの話とあり、御者の男は現れた二人に対して降車するや笑顔を向けた。
「アウドだ、今回は宜しくな」
「食堂の下働きをしています、ミカドです。こちらこそ宜しくお願いします」
「護衛のシェーナ、よろしく」
三者三様の自己紹介をして、早速ミカド達は馬車に乗り込んだ。
目的の村までは往復で三刻となる。
悠長にしていれば、あちらで一泊する事になるかもしれないが、ミカドの持ち合わせでは外泊用の端金すら捻出できない。
なるべく、金銭面は自己負担、自己責任で収めて他人に極力迷惑をかけない生き方を心がけている。
今回の契約更新の手続きも、日帰りで完遂したい。
荷台の上で一人だけ物悲しい覚悟を決めているミカドは、ふと車体の外の景色に驚いて目を瞬かせる。
いつの間にか街を脱し、長閑な田園風景を脇に眺める街道を進んでいた。
「もう考え事は終わった?」
「え、考え事してるって分かるんですか?」
「そんな険しい顔してたらね」
「あはは……店外にまで及ぶなんて仕事を任されるのは滅多に無いですし、店長代理とあって緊張しちゃってて」
「ふうん」
シェーナは感心したように微かに目を見開く。
「じゃあ、私と同じだ」
「シェーナさんも緊張してるんですか?」
「うん。厳密にはさ、私はまだ二級冒険者なんだよ」
「え?」
シェーナは自身の認識票を指で弾く。
「これは一級昇格の監査だよ」
「監査って」
「この護衛任務を完了したら、私は晴れて一級として認定される。だから、厳密にはまだ二級なわけ」
「な、なるほど」
首元できらりと光るそれは新品の様に綺麗なので、ミカドはまだ一級冒険者になって間もなく、経験が浅いから謙遜して二級冒険者と自らを卑下したのだと思っていた。
だが、シェーナの緊張感は新たな階級への不安ではない。
昇格の為の任務だからこそ、緊張感を持って臨んでいるのだ。
ミカドの様な不安ではなく、どちらかと言えば戦意に近い心意気だ。
「何だか羨ましいです」
「羨ましい?」
「僕も一級とか冒険者階級の様な感じではなくても、シェーナさんみたいに皆に凄いって認められるくらいになりたい」
「……私はそんな凄くないよ」
シェーナはやや暗い顔でそれを否定した。
「でも一級は、事実上の最上位だからそこに辿り着けるのは凄いんじゃ」
「グレッヘムって知ってる?」
「す、すみません……世間知らずなもので、存じ上げておりません」
「別に恥じる事はないよ。
私の実家、グレッヘムは大陸南部の森に暮らす部族で……最強の部族って言われてるの」
「最強の部族」
言葉の響きだけでミカドは度肝を抜かれた。
「単身で筋力が人間の通常五倍は出るくらいで、しかも皆が武芸に優れている上に組織力もあるから、なまじ他の軍隊にも劣らないの」
「…………」
「私はその中でも特に強いって持て囃されてね、誰と戦っても退屈だから腕試しに無理矢理グレッヘムを出て冒険者になったの」
腕試しに故郷を出る事自体は、珍しくもない。
ただ、部族など古くからの他にない因習や信仰によって結束が固い場所は、外部からの影響を厭うて出入を拒む傾向が強い。
グレッヘムの内情までもがそれに該当するかはミカドも知らないが、仮にそうなのだとしても恐らくシェーナは自らの実力で一族を黙らせたに違いない。
そうでなくては、部族最強のシェーナが外へ出る事を良しとしない筈だ。
「冒険者を初めて数年経つけど、それで一級に上がれる人は少ないからって協会でも褒められる」
「良いこと、ですよね」
「うん。……でもさ、グレッヘムだから当然って言うのが世間の評価で、あまり個人からは認められないんだ」
「充分、凄いのに」
「それに仕事をしていく内、初めて敵わないって分かちゃった人を目の当たりにしたんだ……あれくらいじゃないと皆は認めないのかも」
流れる景色は、街道を外れて山中に入ろうとしている。
シェーナは目を瞑って、その時の事を思い出した。
街一つを壊滅させた巨大な不死身の魔獣が出現し、その討伐の為に数十人の冒険者や傭兵が出動する事になったのだ。
シェーナもその一員として、災厄の前線に立って戦った。
最初は魔獣の強さにどうにか食らいついていたが、不死身の化け物に体力の限界など無く、次第に戦況は悪化し、とうとう誰も動けないほど疲弊する状態となった。
一人ずつ、捕食されたり、雑巾のように絞られたり、股から裂いて溢れた血を飲んだり……魔獣は人殺しを愉しみながら全員を追い詰めていく。
シェーナも絶望に打ち拉がれ、誰もが絶望を覚悟していた時だった。
――不死身?……殺し甲斐があるじゃん。
絶望的な戦局の最中、そんな呑気な事を呟く一人。
遅れて増援に現れたのは、認識票も無ければ依頼もされていない、ただの旅人の少女だった。シェーナより若く小柄なのに、大胆不敵に笑って魔獣へと歩んでいく。
この後の出来事は、当事者たちにとって忘れられない思い出となった。
必死に止める声を無視した少女が魔獣と一晩中に亘る死闘を演じ、最後は不死身の魔獣の肉体を小さな肉片になるまで細切れにして火で葬ったのである。
後にその少女は数月で特級冒険者となった。
シェーナとしては苦戦を経験した事もなく、不死身の魔獣との戦いで初めて絶望し、折れた。
最強の部族の中でも突出した存在としての自負。
誰よりも優れていると傲っていた。
それが根本から叩き折られた日という苦い記憶としてシェーナの心に刻まれている。
「ああいうのがいるから、私なんて凄くないんだよ」
「…………」
「初めて挫折を知って、だからこそあそこまで追いつきたいなって思わされた。昔は出来て当然、って思ってた事を目指してる」
「追いつきたい、ですか」
「ええ」
「……たとえ、並び立つ事が出来なかったとしても?」
ミカドは視線を逸らして失笑混じりに尋ねた。
幼い頃、ミカドも剣聖を目指していた。
魔力が目覚めなくとも、剣術だけで曽祖父に追い縋ろうとしたのだ。
曽祖父が魔力に覚醒したのは十七歳である。
彼についての偉業が語られると、専らその魔力による奇跡が最初に挙げられるが、それまでは剣だけで生きていた。
魔力無しの齢十二歳にヌスパルム百年戦争と呼ばれる大戦での『五百人斬り』、『城門裂き』は今でも傭兵界隈では伝説として語られている。
ミカドもそれだけの技を手にしたくて努力した。
だが、夢が叶うことは無かった。
料理人を志してはいた。
だが、憧れた形はそれだけでなく、いつだって自分を愛し、守ってくれる強い背中にも羨望があったのだ。
曽祖父は圧倒的に強過ぎた。
追い付く事は叶わないと、諦めざるを得なかった。
そんな辛酸を舐めた経験が、シェーナへの問いの声に意図せず自嘲的な色を含ませている原因である。
「うん」
「え…………?」
「結果は知らない。――でも今は、そう出来るんだって自分を信じてる」
「…………」
「あの時に折れても立ち直れたなら、まだ私は強くなれると思うから」
それでも、シェーナは笑顔になって答えた。
自分を信じる――その言葉に、ミカドは言い表せない驚愕を覚えて目を開く。
ミカドは挫折して、その道を捨てた。
シェーナの様に奮い立ち、再挑戦する気力も無かった。
自分に可能性は無いと断定し、他の道に傾注する事で己を誤魔化す。料理人への夢も嘘では無いが、剣聖への憧憬は否定できないほど大きい。
だって――。
『誇れる自分になりな』
あんな事を言ってくれる人に、果たして憧れずにいられるだろうか。
諦めても、もう一度立ち上がる。
自分のなりたいようになる。
簡単なようで、ミカドには難しくて出来なかった。
「……やっぱり、シェーナさんは凄いですよ」
「いや、だから」
「僕は諦めたけど、シェーナさんは立ち直ったじゃないですか。他の誰が、世間が何て言っても僕は尊敬します」
「……君、かわいい顔して意外と頑固だよね」
シェーナが呆れながらも笑って呟く。
彼女はミカドから視線を外して、御者アウドの方へと振り向いた。
「おおい、冒険者様!」
「分かってる」
「じゃあ、頼むぞマジで」
二本の剣を手にし、シェーナが荷台を飛び降りた。
ミカドは意味が分からず、ただ見送る。
切り立った崖に挟まれた薄暗い道の上の先は、三角形に区切られた景色が覗いていた。生い茂る草花と木々が進行方向の道脇を彩っている。
一台分が通れる隙間を、馬車が通過していく。
崖の間を抜けて開けた場所に出た瞬間、ミカドはシェーナが飛び出した理由を察知した。
「魔獣……」
道を遮るように巨大な猪が立っていた。
ただ、その佇まいは尋常な四足獣とは異なる気配をさせている。
逆だった紫の毛と、眉間に発達したもう一つの目はミカドの知る猪とは違う。何より、太く長く伸びた牙は先端が鋭い。
姿勢は四足獣ながら、目線の高さがミカド達と同じ。
外見だけでもシェーナの背丈以上はある。
「で、でかい……!?」
ミカドとしては魔獣を目にする事自体は初めてではない。剣爵領地から出発し、街に辿り着くまでの移動の途上で何種類か見かけた。
だが、眼前の猪の体格はそれらを軽く凌駕している。
視線を向けられただけで、体の震えが止まらない。
馬に怯えた様子は無く、これ以上の前進を拒もうとしているのは人間の体だけだった。
魔獣は本能的に、人間のみを狙う。
基本的に人を捕食するが、その根幹は『人を攻撃する概念』である。
種類によっては、『人間の肉体』、『人の作った物』、『血縁』、『国』…………文明そのものなどを優先的に破壊する魔獣もいる。
果たして、目の前の魔獣はどれに属する物か。
どちらにせよ、ミカド達を見た魔獣が襲いかかって来ない道理は無い。
シェーナは臆する事なく馬車の先を歩く。
魔獣との距離を悠々と、落ち着いた足取りで詰めていった。
「シェーナさん!」
「二人は下がってて」
道の脇へと外れるシェーナへと、魔獣が体の向きを変える。この中で、最も脅威となる相手を正確に認識していた。
シェーナは魔獣から視線を外さない。
交わす視線の鋭さは、どちらも相手に油断を許さない殺意の表れだった。
「来なよ、クソ猪」
『ンァアアアアア゛!!』
魔獣が咆哮を上げる。
その声は猪の鳴き声というよりは人に似ていて、開かれた口は生え揃った臼歯や犬歯が見えた。
外見の特徴を捉える度に、嫌悪感で体が震える。
巨大な蹄で地面を叩いて魔獣が飛び出す。
シェーナは猪の眉間へと飛び上がり、剣を突き立てる。
突進する巨体とすれ違うようにに魔獣の上を滑っていく。臀部まで裂いた瞬間に剣を引き抜いて地面に着地した。
傷口から血を噴き出しながら、方向転換した魔獣が再突進する。巨体に似合わない機敏な動きに、ミカドとアウドはげっと顔を顰めた。
向けられた正面から、傷は深いが全く怯んでいない。
だが、それよりも速くシェーナは自ら接近した。
向きを変えたばかりの魔獣の足下に潜り込んだ。地面を滑走して四本の足へと鮮やかに一撃ずつ入れていく。
傷口は深く、広く抉られており、脚部の重要な筋の殆どを損傷させていた。
魔獣は体の支えを失い、地面に頭から突っ伏す。
噴き出す血で紫の体毛は黒く染まっていた。
シェーナはふー、と息を吐いて剣の血を払う。
「これで動けないし、その内に失血死するでしょ」
「………」
「な、流れるようにあの巨獣を」
十秒にも満たない交わりだった。
鮮やかに魔獣を退治して見せたシェーナの動きは舞踏の様に洗練されており、見ているミカド達は魔獣への恐怖や呼吸すらも忘れて見入っていた。
血臭がする酸鼻な光景でも、ミカド達に拒絶反応をもたらさないほどに鮮烈な戦いぶりである。
死体を見下ろした後、シェーナは馬車の荷台へと戻った。
「つ、強い」
「あれはニ級冒険者が分隊で討伐する魔獣エグレデナ。群れを成さず、基本的に単独で行動してるから次とか警戒はしなくていい……んだけど、この辺りで目撃されるような魔獣じゃないんだよね」
「……?」
魔獣を討伐したのにシェーナの表情は晴れない。
障害物が無くなり、アウドは安心して馬車を進めて行く。
死体の横を通り過ぎるミカドは一度だけ魔獣に振り返った。
「見間違え、かな」
ミカドは違和感を覚えながら、前に向き直る。
一瞬、ほんの一瞬だけ魔獣の体から黒い何かが煙のように立ち昇っていたような、と思いながら。
昼過ぎの時間帯には、契約更新の手続きが完了した。
ミカドは取引先の農家の主人に礼を言って、待機しているシェーナの下へと急ぐ。
シェーナは農道から畑仕事に勤しむ人たちの姿を眺めていた。
「終わりました」
「お疲れ様」
「後はこれで無事に帰れたら、僕もシェーナさんも仕事達成ですね」
「そうだね」
「帰ったらシェーナさんはどうするんですか?」
「え?」
ミカドに尋ねられてシェーナは目を瞬かせる。
「暫くはあの街で冒険者業をするかな。あそこ、意外と仕事の種類が豊富だし」
「……あの、実は相談があって」
「相談?」
小首を傾げるシェーナに、ミカドは意を決して胸裏の物を吐露する。
「僕に戦い方を教えて下さい」
「……君、食堂の下働きでしょ?冒険者になりたいの?」
突然の嘆願に、シェーナは困惑よりも疑問が先立って怪訝な顔をしていた。
見るからに人畜無害な少年だ。
何より食堂の仕事に従事している人間が戦いの術理を学んだからといって活用する途は無い。冒険者になる為の下働きならばとも考えたが、その考えにミカドが頭を振って否定する。
「元々は騎士の家の出なんですけど、半ば勘当されたんです」
「…………」
「立派な料理人が夢だけど、憧れていた人のように剣が使えるようになりたくて、でも諦めて……」
「それが何で今さら剣を?」
「シェーナさんの話を聞いて、僕も頑張ろうって思ったんです。憧れの人が最後に、『自分に誇れる自分になれ』と言ってくれたから。
たとえ傲慢でも料理人も、あの人のように強い剣の腕も、両方手に入れたいなって」
「……結構わがままだね」
「あはは」
シェーナのように、自分を信じる事のできる人間になりたい。
諦めて可能性を捨てるよりも辛い道のりであったとしても、ミカドにはそちらの方が自分にとって誇らしい事だと思えた。
剣に対して、諦めた後悔がある。
過去として、ずっと引きずって行くには苦い体験だった。
克服し、胸を張って夢に挑みたい。
料理人の夢と剣の理想、二つの両立は至難である。
それでも。
「やらずに後悔するのは、きっと誇れる自分を遠ざける事だから」
ミカドの言葉に、シェーナが苦笑する。
自身が与えた影響を目にして、面映い気持ちになっていた。
「良いけど、結構な我流だよ」
「一応、剣術の流派を一つだけ習っていて。型は学んでるんですけど、大丈夫ですかね」
「それは問題ないと思うよ。寧ろ他の流派を知れば磨ける物もあるしね」
「なるほど」
ミカドは承諾された事に安堵しながら、不安要素についてシェーナに尋ねていく。
幼少期に曽祖父から剣を教わっており、彼もまた我流である。彼の弟子がそれを一つの型にして伝えた剣術も習ったが、中途半端なので他の物を学ぶ時に差し障りが出る不安を抱いたのだ。
一つを極めた者は、他事においても自分なりに解釈し、己に合った方法を見出す。
だが、ミカドにはそれが無い。
だから、未だに魔力の扱いも生活に支障が出るほど未熟なのだ。
「あともう一つあって」
「ん?」
「……実は、魔素量が多くて。魔力が最近目覚めたんですが、そのせいで力の制御が難しいんです」
「もしかして、常時身体強化が発動しちゃってる感じ?」
「はい。包丁で食材を俎板ごと切ったりとか、最初なんて器を握り潰しちゃって」
「あー、それは難儀だね」
「だから、戦い方を覚えれば自然と咄嗟の状況でも力加減できるようになるんじゃないかと思って」
「魔力を止めれば、身体強化も終わって普通に生活できると思うけど」
「止め方が分からない……」
「そこからか」
シェーナは同情してミカドの肩を優しく叩く。
「任せて。それも兼ねた訓練にするから」
「ありがとうございます」
ミカドが屈託のない笑顔を浮かべると、シェーナもそれを見て笑みをこぼした。
帰れば、互いに初仕事を終えた者同士となる。
奇妙な友情が芽生えた事を自覚しつつ、シェーナは目の前の少年の先行きに期待した。
「でも不思議だね」
「え?」
「本来、魔力は意識しないと操作できない物だし。特に身体強化なんてその最たる例だよ」
「ううん」
ミカドは領地を出た頃、懐に文が入れられている事に気付いた。
曽祖父の物である。
内容は、ミカドの体についてが主だった。
文によれば。
元来、人間の体を血液の様に魔素が巡っている。魔素の動きそのものが魔力なので、いわば人間は生きながら魔力に満ちているのだ。
運動能力、自然治癒力もそうだが身体機能にも魔力は密接に関わる。
ミカドの魔力は、強すぎる故に体の防衛機能が意図的に抑制し、生きる上で支障が出ない弱さで調整されていた。
それが魔力を引き出さんとした結果、碌な操作もしていないただ漏らし状態となり、それが常に行われている状態となってしまった。
一度壊れた抑制機能が戻る事はない。
これからは、無意識で行っていた事を意識的にしなくてはならなくなった。
魔力操作を覚えれば、身体強化状態の解除にも繋がる。
「そういう事情だったのか」
「なので、凄く困り果ててます」
「魔法とかは、特に魔力操作の最も身近な例だし……私じゃなくて魔法使いを紹介しようか?」
「そ、それが……僕は魔法の適正が皆無だと」
「でも、それは魔力を使えなかった時の結果でしょ?」
「いえ、体を調べた結果です」
厳密に言えば、剣聖の家系は魔法が使えない。
曽祖父は元より、祖母や母にも才は無かった。
代わりに、対魔法使いの戦術が豊かで曽祖父は戦場で魔法使い相手にも警戒された戦歴がある。
「困難な道が更に困難に」
「なので、体を動かして加減なんかを覚えていくしか無いというか」
「じゃあ……これ振ってみて」
シェーナが足下から一本の枝切れを渡す。
受け取ったミカドは、緊張した面持ちでそれを振った。
へろり、と……そんな情けない勢いで。
虫が留まりそうな加減は、親身に問題解決に協力すると言った手前のシェーナでさえ顔を顰めるほどだった。
「真面目にやって」
「いえ、これ以上の速度を出そうとすると腕が壊れます」
「そんなに?」
「体の内側で爆発する感覚がするんです」
ミカドは小さく嘆息した。
この体質の所為で私生活が窮屈になっている。
相手の体に触れることすら危うい始末だ。
軽く肩を叩こうとしただけで、相手の体が壊れる可能性がある。最近は食器を運べるようになったが、人に触れる時は殊更に慎重になってしまう。
食器は壊れても問題ない。
替わりがあるし、直せる場合もある。
ただし、人体は取り返しがつかない可能性があった。
「仕方ないね、地道にやろう」
「お願いします」
「いいよ。ミカド君の事、気に入ったし」
シェーナは呆れ笑いのまま遠くを見る。
その先では、人影がこちらに向かって来ていた。
「魔力操作の感覚だけど」
「はい?」
「私は体から流れる水を想像してるよ」
「水……」
「体を巡る水を、強化したい部分に集中させて……その部分だけ速く流し、包む」
「いつもは何処にそれを利用してるんですか?」
「普段は剣かな、硬い魔獣の毛皮や装甲を切り裂けるように」
「なるほど……水、か」
「身体強化と一口に言うけど、細分化すれば脚の筋肉の瞬発力だとか体の耐久力の底上げ、思考速度の上昇もある」
「うう、急に複雑になってきた」
「弱音は吐かない」
シェーナの注意にミカドは気を引き締める。
弱音を吐くには、まだ初歩的な段階だ……ここで躓いてはいられない。
「ミカド君に必要なのは、魔力の流れを知覚する事かな。その次に、強化部位の選択と強弱だ」
「部位の選択と……強弱?」
「強化にも加減がある。
体が壊れない程度の強化、ってね。力が強すぎると逆効果なのは、ミカド君が重々承知してるでしょ?」
「は、はい」
「じゃ、少しやってみよう………目を瞑って水を意識して」
ミカドは言われて、目を瞑る。
体の中へと意識を向けた。
体を巡る、流れる。
そこから水を着想したシェーナの言葉通り、ミカドは体に流れる水を想像した。
普段から身体強化が常時発動している。
ならば、全身に常に水が奔流していると考えなくてはならない。
流速を緩やかに、量を少なく絞っていく。
「枝、振ってみな」
「は、はい」
勇気を出して、ミカドは先刻より強く振った。
まだ多少は躊躇が感じられるが、その速度はシェーナからも明らかに抑制から解放された感覚が目に見えて分かる。
「いいね、その調子だよ」
「お、おお!」
「なに喜んでるの、まだ触りの部分だよ」
「すみません」
「これを繰り返して、君の恐怖意識の解消と、私が良しと言える程度に枝を振れるまでは同じ練習を繰り返そうね」
「はい!」
ふと、ミカドはそこで接近する人影に気づいた。
「アウドさんが、来たね……じゃあ、馬車の上で続けよっか」
「昼食、取らなくて大丈夫なんですか?」
「……いや、夜になる前には森を抜けたいから」
「え?」
シェーナの柔らかい表情が一変し、険しい眼差しを山の方へと投げる。
「魔獣は人の敵だけど、どうして普段から街を襲ったりしないと思う?」
「それは……殺されるから?」
「そう。基本的に獣と同じで、警備や自分にとっての脅威を認知できるから、余程飢えてない限りは襲って来ない」
「…………」
「ただ人手の手薄な所ほど狙われやすい。山中を行く馬車一台なんて尚更ね……夜なんて特に逃げにくいから」
シェーナの危惧にミカドは納得する。
一級冒険者という実力者といえど、極力危険は避けたいのだろう。
例え、常識外の強さでも人間。
不測の事態は、誰であっても恐ろしい。
「おう、二人ともここにいたか」
「アウドさん、用事は?」
「完了だ。んで、これからどうするよ?」
「直ぐにここを発ちましょう。馬の休憩は済んだだろうし、このまま街へ戻れば一安心です」
「だな」
アウドも賛成し、早速この農村を発つ事になる。
ミカドは木の枝を握ったまま、馬車へと向かう二人の後ろに付いて行った。
来た道を辿るように街へと馬車は戻る。
荷台の上でミカドは枝切れを振っていた。
隣に座るシェーナは、ミカドの様子を見守りながら車外の気配に気を配っている。シェーナにとっての優先事項はあくまでも任務であり、この護衛が完了されれば晴れて一級冒険者に認定されるのだ。
「街に戻ったらお祝いしますか?」
「祝う?何を?」
「シェーナさんの昇級祝いです。僕じゃ祝うっていう程の事は出来ないですけど、店長に言って割引とか」
「細やかだけど、気持ちは嬉しいよ」
二人で到着後の事を話題に談笑していると、アウドが笑って振り返る。
「ならオレも護衛された身だからな、何か奢らせてくれよ」
「いえ、悪いですよ」
「オレもな、まだ独立して間もないんだよ。その前から店長には世話になっててな、あの人は自分が引退した後に一級冒険者が欠けちまった街の状態をいつも心配してた」
「え?」
「だから、ここに来てくれたアンタには感謝してんだよ。アンタが良ければ、暫く街にいてくれたら嬉しいんだが」
「……あの街で仕事をするつもりだから、願っても無いですよ」
シェーナの言葉にアウドが安堵の息を漏らす。
「っしゃ、街に帰ったら一杯やるぞ!」
「僕はお酒ダメなので」
「私も少ししか」
「なんだよ、一級冒険者も大した事無いな!がはははは!」
森の中にアウドの笑い声が響く。
まだ昼を過ぎたばかりの木漏れ日が差す木々の間に伸びた山道にら穏やかな空気が流れていた。
ミカドも手を止めて、頭上を振り仰ぐ。
帰ってから始まる戦闘の稽古も、魔力操作による力加減が出来てからとなるだろう。
まだ道程は長いが、以前の生活に戻れる活路が見え始めていた。
シェーナの様に、外部の人間でも無い限りは魔力について教えてくれるほど優しい人間もいなかった。店長については、魔力無しで一級冒険者になったので頼れない。
「僕も頑張らないと」
独り言を呟いたミカドは、再び枝を振る。
その様子を見ていたシェーナは苦笑し――直後、馬車の右側から急接近する音を聞き咎めて立ち上がった。
木々を薙ぎ倒して馬車へと直進する気配に、明らかに異常だと察してアウドへと振り向く。
「アウドさん、急いで!」
「どうした、嬢ちゃん!?」
「多分前のとは別のエグレデナが馬車を狙ってる!」
「嘘だろ」
アウドの顔から血の気が引いていく。
物を売った後で幾らか荷台が軽くなったとはいえ、逃げられる程の速力は出せない。
「流石に逃げ切れねぇぞ!」
「いや、あの崖の場所まで行けば何とかなる」
「あの細道か!?」
魔獣エグレデナと相対する前に通った、崖に挟まれたあの道を避難先に提案するナーシェに、アウドは表情で難色を示す。
崖までは確かにあと少し――だが、そこまで相手と競走で勝てる自信が無い!
「ここら一帯に生息してない北側の魔獣なのに、それが二体もいるなんて……」
敵が突っ込んでいる現状で足を止めることはできない。最悪はシェーナ一人が荷台を飛び降りて迎撃する必要がある。
ただ、無防備な馬車を先に行かせる事も懸念した。
「ッ、うわ、マジかよ!?」
「え……?」
進行方向を見たアウドが悲鳴を上げる。
馬車が急停車し、二人は荷台に倒れた。
慌てて起き上がった二人がアウドの視線の先を目で追うと、行く手では複数のエグレデナが道を閉鎖していた。
側面から迫る足音は未だ止まらない。
シェーナは舌打ちして、荷台を飛び降りた。
「やるしかない」
「ど、どうする」
「私が進行方向のエグレデナを撹乱する。その隙に、馬車で細道まで逃げて」
「無茶だ!」
「ある程度撒いたら、私も逃げるから。二人の命が最優先。……やるよ!」
シェーナが剣を手に構え、森の中へと走っていった。
その姿が見えなくなって間もなく、木々の向こう側で地面が揺れるほどの轟音が響く。驚くミカドとアウドの前方では、エグレデナ達もそちらを気にしていた。
そして――その頭上にシェーナの影が舞う。
双剣を手にした状態で旋回し、直下にいた一体の胴体を寸断した。その威力は太く硬いエグレデナの巨体を斬るのみならず、地面に深々と太刀筋を刻む程である。
噴き出した血の雨の中、シェーナは汚れる事も厭わずに次へと斬りかかった。
突進を開始する前に、足元で素早く動き回りながら足を斬りつける。
切られたエグレデナ達は、道を開けるように左右へと傾いて倒れていった。
一人の所業とは思えない光景に、ミカドもアウドもここが危険地帯だという事を忘れて見惚れる。
「あと二匹――!」
シェーナは残る二体の撃滅にかかる。
その脳内で、目的は既に撹乱から全滅へと移行していた。存外エグレデナを討伐しやすかった事、自己評価を低く見積もった故の計算を上方修正した末の結論だった。
これで敵を倒せば、心置きなく安心してこの窮地を脱せる。
「え?」
その時だった。
足下の地面が盛り上がり、地中から巨大な猪の顔が飛び出す。
眼前のエグレデナの巨躯が幼体に見える程の大きさだった。露わになった頭部だけでも、それらの全体に相当する。
下からの奇襲に対応できず、シェーナの体が空へと突き上げられた。
高く空を舞い、馬車の傍へと落ちる。
一瞬の出来事に二人は理解できず、隣に落ちたシェーナの体を呆然と見つめた。
「は?」
起き上がったシェーナが苦しげに前を見据える。
頭のみだった巨大な猪が、地中を這い出てその全容を現す。
エグレデナの数倍ある体は、赤い体毛以外は彼らと同じ特徴だった。
シェーナがその威容に目を見開く。
「希少種か……!」
「希少種って、突然変異体か……何でそんな強力なヤツまで」
魔獣における変異体――希少種。
その討伐難易度は、通常種の数倍に及ぶ。中には個体戦力が低下する代わりに、より厄介な能力を発現している場合が多いからだ。勿論、単純に個体戦力が強化されている例もある。
「ぐ……北にいる魔獣エグレデナがここにいるのと、群っていう時点で違和感はあったけど……」
まさか、希少種が率いているとは予想だにしていなかった。
希少種の発生自体は極小と呼べる確率である。
同じ種の希少種が再び確認されるのは、最低でも百年単位だ。
「二人とも、よく聞いて」
「!?」
「私があの二体を討伐したら、希少種を連れて遠くに移動する。後は分かるよね?」
「あの希少種は明らかにヤベェって。嬢ちゃん一人で対処できんのか!?」
「あのエグレデナの数倍程度なら、造作も無い。さっきみたいな奇襲さえ受けなければ」
シェーナは気丈に笑って見せる。
ミカドはそれだけで察してしまった。
さっきは万全の状態だった、それでエグレデナ数体を軽々と討伐している。そのままならば、単純計算で数倍の戦力である希少種でも相手に出来ただろう。
だが、先刻の足下からの一撃でシェーナは傷を負っている。
果たして思惑と同じような結果になるかは疑問を抱かせる状態だった。
「アウドさん、ミカド君を頼むよ!」
「嬢ちゃん!?」
シェーナは残る三体に向かって駆け出す。
「ちっ、仕方ない……隙を見てこっちも出るぞ!」
「でも、シェーナさんが……」
「甘ったれんな!悠長な事を言ってたら最悪は全滅だぞ、オレらがちんたらしてたら嬢ちゃんも危険になるんだ!」
「ッ…………」
「嬢ちゃんには悪いが、道が開けなきゃ村に戻るしか無い。……村には、希少種に対策できるほどの戦力は期待出来ないから問題の先送りにはなっちまうが」
アウドに叱咤されてミカドは考えを改める。
この状況ではふたりとも足手まといだ。
シェーナが戦いやすく、または逃げやすくなるには二人がこの場を離れる事である。
最善は、隙を見て細道まで逃れるか、街へと逃げ込む事だ。
村へと戻っても、希少種の脅威に晒され続ける事となる。
魔獣は人里を警戒して無闇に襲わないのは、自らの戦力を本能的に弁えての事だ。だが、希少種がいるとなれば話は別である。
村に逃げ込んでも、いつかは襲って来るだろう。
群を率いるなら尚更だ。
「荷台に掴まって準備してろ」
ミカドは荷台の端にしがみついて準備態勢に入りつつ、シェーナの戦いを見守る。
シェーナは問題なく二体を処理していた。
ただ、残る希少種に苦戦している。
「くそっ」
『えはああああアアア!!』
エグレデナ程度の巨体ならば、俊敏な動きと小回りの利く小柄さが有利に戦況を運んでくれる。
現に、シェーナもその戦法で何体も倒すことができた。
だが、それを遥かに上回る希少種は体を巡らせたり、些細な動作だけでも通常のエグレデナの数倍の影響力があり、足を動かすだけで地面が揺れ、頭を振るだけで風が起きる。
加えて――。
「はあ――ッ!」
裂帛の気合と共に振るわれたシェーナの剣が体毛に弾かれる。
エグレデナの胴体を切断した剣を以てしても、文字通りに刃が立たない。
明らかに二級が分隊で挑んでも勝てる相手ではない。
恐らく一級、或いはそれ以上の戦力でしか討伐不可能だ。
一級に認められる程度の自分が、単身で倒せる範疇か疑わしい。
「く……こんな時に面倒な相手だな――!?」
『きゃぅぅうウ!!』
嬌声を上げて希少種が頭を振る。
その動作だけで発生した強風に吹かれて、シェーナは直近にあった木の幹へと叩きつけられた。
背中を強打した痛みに肺が絞られ、一瞬の呼吸困難に陥る。
そこへ間髪入れずに、希少種が突進を開始していた。
「かはっ!………くそ」
シェーナは飛び退き、その過去位置を希少種が通過していく。
木々が踏み倒され、森の一部がたった瞬きの間に切り開かれた。
漸く立ち止まった希少種が体の向きを変え、シェーナと視線を合わせる。
……このままでは勝てない。
危機を察知し、シェーナは呼吸を整える。
構えた剣と体に意識を注ぎ、魔力による強化を更に強めた。
今までは硬い毛皮を斬る為に腕力と耐久力を底上げしていたが、今回はそこへと脚力の瞬発力の上昇を加える。
切断とまでいかずとも深傷を負わせられるし、四足獣、それも猪ならば足を一本傷つけただけで突進出来なくなるだろう。
「行くぞ、クソ猪!!」
シェーナが跳躍する。
その姿が霞んだと希少種が認識した一瞬の後、その片足が宙を飛んでいた。巨体が傾き、地面を盛大に揺らして倒れる。
その傍では、一本だけ破損した双剣を手にした彼女が振り抜いた姿勢のまま止まっていた。
「ふぅぅぅ…………!」
深く息を吐くシェーナ。
剣を引き戻し、刃についた血を足下に払い捨てる。
「す、すげぇ!」
思わずアウドが称賛の声を上げる中、ミカドは絶句していた。
シェーナの姿は、物語に書かれる英雄のように豪快で、勇ましく、そして何よりも強い。その背中が曽祖父の物と重なって見えた。
振り向いた彼女と視線が合って、はっと我に返ったミカドは胸を撫で下ろそうとして。
「………?」
馬車が揺れている。
馬は怯えていない、騒いだアウドの所為でもない。
これは――地面そのものが震動していた。
「アウドさん、地面が何か――」
「あ?」
その時だった。
忠告と同時に、車体の下の地面に亀裂が走る。
地下から空へと突き上げんとする何かが荷台を貫き、ミカドとアウドを弾き飛ばした。
粉砕された馬車の破片を周囲に撒き散らしながら現れた巨大な影にシェーナが瞠目する。
「希少種…………!」
「二体目だと……んなバカな!?」
「二人とも逃げて!」
理不尽に地面を転がりながらアウドが叫ぶ。
ミカドは受け身を取れたが、その場から動けずにいた。
シェーナが二人を守るべく走り出す。
「なッ!?」
突然、希少種が地面から飛び上がった。
ミカド達の頭上を飛び越え、驚くシェーナの下へ。
そのまま地面を前足の蹄で叩くように着地し、その衝撃でシェーナが吹き飛ばされた。遠くにいるミカドとアウドの五臓六腑が痺れて目が回りそうな威力は、至近距離で受けた彼女にとって体の中を直接殴られたかのような攻撃だった。
血を吐いて、シェーナが地面を転がる。
宙に舞う剣を邪魔だとばかりに希少種が鼻で叩き上げた。剣は空を飛んで、ミカドの足下へと落ちる。
「お、おい……嬢ちゃん!?」
アウドが呼びかけるが、シェーナは動かない。
一撃で失神させられたのだ。
頼みの綱の一級冒険者が倒れた状況に、二人は動けない。
『ア―――』
希少種が大きく開いた口を倒れるシェーナへと近付けた。
――捕食、される。
それを見たミカドが咄嗟に足元にあった石を拾って投げつける。
すると、希少種が悲鳴を上げてミカドへと振り返った。
力加減を意識せず投じた石は握り込んだ時点で粉々だったが、硬い体毛を貫通して皮膚に至るほどの威力を有する散弾と化していた。
「ば、バカ、こっち向いたじゃねえか!?」
「でも、あと少しでシェーナさんが食べられてました!」
「オレらが注意を引いても仕方無いだろうが」
希少種と、ミカドの視線が合う。
ぞっと、背筋が凍りついた。
初めて本物の死を予感した。
これまで痛めつけられた事もある。執拗な敵意に晒された経験をした。陰険な罠に陥れられた体験もした。
酷い過去だが、それらを以てしても明確な『死』を感じたのは一度もない。
道を阻む巨大なエグレデナの希少種は三つある眼球でミカドを注視する。
獰猛な敵意の熱は、人間を丸呑みできる巨大な口の奥から吐息となって吐き出された。生え揃った牙が威嚇する様に打ち合わされる。
尋常な精神なら、その音だけで忌避感に逃げ出すか、許容量を超えた恐怖にその場で失神するだけだろう。
更には逃げようと背を向けた瞬間に捕食される。
絶体絶命の危機である。
だが、現実はそれだけでは許してはくれない。
希少種の傍には気絶したシェーナがいる。
体中に怪我をしており、一刻も速い処置を施さなくてはならない。
阻む様に立つ怪物の姿が、その焦燥感を加速させる。
聞いただけで崩れ落ちそうになる展開だった。
「僕が、引き付けます」
「は、はぁ!?」
アウドが正気を疑ってミカドを睨む。
それを無視してミカドは、足下に転がった剣に視線を落とした。
剣身にべっとりと付着したのは、数多くの敵を仕留めた証となる血糊だ。それ以外にも、倒れたシェーナの果敢な戦果として道脇はエグレデナの死体が積み重なっている。
彼女は勇猛で、途轍もなく強かった。
ミカドを守る為の献身は、だがあと一歩の所で道を断たれた。
その努力を無駄にしたくない。
全滅なんて、御免被りたい。
これからなのだ、ミカドも、シェーナも――。
その道がここで絶えて良いはずがないのだ。
「…………」
目の前の怪物はほぼ無傷だ。
シェーナの奮戦も虚しく、硬い体毛で大概の攻撃を防ぐ。。
この場で背を向けて逃げても無事で済む未来は見えない。
死ぬか、応戦か。
その二択が、ミカドに迫られていた。
足下に落ちる剣へと手を伸ばす。
柄に触れるのは、実に半年振りとなる。
素人に毛の生えた程度の実力しかなかったミカドが、鍛錬を欠いた長い空白を作ればその腕は素人以下だ。
滑稽で未熟な剣筋を晒す事になる。
それでも、生き残りたくば。
「戦るしか、無いんだ」
「お、おい」
「アウドさんは、シェーナさんを保護して細道に避難していて下さい」
ミカドはちら、と肩越しに背後のアウドを見る。
それから、森の中に向かって走った。
「こ、こっちだクソ?猪!!」
情けないながらも張り上げた挑発の声と、逃げる獲物の背中を希少種が追いかけた。
必死に走るミカドは背後から近付く地震の源に、思わず泣きそうになる。
戦うと決めたのなら、やり抜かなければならない。
囮となり、魔獣を二人から遠ざける。
「うわぁっ!?」
希少種が鼻を振り上げた衝撃で、へし折られた木々や岩が飛散する。
地面に伏せたミカドの頭上を過ぎていく。
全て飛び散った後に安全と分かって直ぐに立ち上がったミカドは、背後で鳴る地響きに振り返る。
――と。
『ぶほぉおおおおお!!』
「う!?」
樹間を裂いて現れた希少種の鼻先がすぐそこまで迫っていた。
ミカドは反射的に胸前で腕を交差させて身構える。
――ごんッ。
ミカドの体を巨大な岩塊が打つ。
雷でも炸裂したかのような衝撃に、華奢な体は意図も容易く吹き飛んでいった。宙を舞い、遠くへと飛んでいく影を希少種が遅れて追う。
空を飛行する感覚に揺蕩いながら、ミカドは落下中にふと空へと伸ばされた腕を見る。
折れていない。
それどころか、痛みも殆ど無かった。手は問題なくシェーナの剣を握っている。
あれだけの質量による突進を受ければ、人の体など簡単に折れるか砕ける。
無意識なのか。
体を守るべく、魔力が発動したのかもしれない。
地面を跳ね転がったミカドは、すぐに起き上がった。
碌に受け身も取っていないのに、地面に叩きつけられた衝撃も痛痒が無いほど軽減されている。
今――ミカドの体は、魔力によって耐久力が明らかに向上していた。
これなら、魔獣の攻撃にも耐えられる。
「ッ…………!」
『ぶふぅぅううう!!』
安堵と期待。
それを希少種の荒い鼻息が掻き消す。
体の耐久力が上がった――だから何だというのか。
それだけでは勝てない。
「………水を、流す」
希少種から、目を離さない。
半身を後ろへ引き、腰を落とす。
顔の高さまで掲げた剣の切っ先は相手に定め、緩んだ緊張感と共に肺の奥にある空気を一度すべて吐き出した。
心の波が、静まっていく。
精神統一を完了した事で、耳朶を打つのは己の心音と呼吸のみ。
安定した姿勢と、冷静な精神、鋭い得物。
戦う上での身体面は、整っていた。
だが、それだけでは足りない。
後は、怪物を前に窮地に陥った心を奮い起たせる原動力が必要だ。
ミカドは記憶の中でそれを探る。
――思い出せ、窮地にこそ何を要するか。
思考は、ほんの一瞬……解答は、抵抗感も無くすっと胸の内から現れた。
「『大切なモノを想え』、だ」
大好きな曽祖父が、師として授けた心構え。
絶命の危地にて力を絞り出す、魔法の言葉だ。
覚悟を決め、神経を研ぎ澄ます。
すると、呼応したように体を包む不思議な力を感じ取れるようになった。
これは、アザミとの決闘以来の感覚。
理不尽を一振りで薙ぎ払ってみせた、ミカドの中に眠る魔力の存在感だ。
感情に呼応し、その種類によっては効果を変える剣聖の魔力がミカドの戦意によって、身体能力を向上させる。
ただし以前のように、ただ力を持て余して振り回すだけでは一撃で体を無駄にしてしまう。剣もであり、相手に一矢報いるだけではどうせ死ぬ。
魔力で体の耐久力の強化も維持しなくてはならない。
体を巡る魔力を、剣にまで伝える。
剣を体の一部として認め、繋がった掌から柄へ、さらに切っ先まで水のように流れていく。
その想像と現実が合致した瞬間、ミカドは己の内側から漸く目の前の怪物へと意識の向きを戻した。
「行くよ、曾祖父ちゃん――!」
『ゴァアアアアア!!!!』
希少種が咆哮を上げて突進を開始する。
ミカドも前へと地面を蹴り、相手の鼻先に袈裟斬りを放った。
激突した剣先と牙が火花を散らす。
衝撃はミカドの全身を叩き、体を後ろへ押し戻そうとする。肩からもぎ取れそうな強さに身悶えしながら、歯を食い縛ってか細い剣で牙を圧す。
「ッ―――!」
『ガァオ!?』
一瞬の拮抗の後、希少種の顔が横へと逸れた。
剣と鎬を削った牙は折れ、勢いそのままにミカドの隣を通過して木に激突する。
正面衝突をいなした反動で、ミカドの手はまだ突進の威力で痺れていた。
それでも――凌いだ!
一撃目を乗り越えた事実を飲み込み、自信へと変えて構え直す。
背後では、既に方向転換した希少種が自分を睨んでいる。
剣で払われた牙は、折れて地面を転がっていた。
――この剣なら、あの体毛も……。
幾ら相手の攻撃を躱したとしても、それでは埒が開かない。
ミカドでは逃げ切れないので、最初から選択肢は倒す事のみ。
倒し方は――シェーナが、示してくれた。
「あ………!」
びしり、と不吉な音がした。
手元に視線を落とすと、剣に亀裂が入っている。
まだ未熟な魔力操作では、剣の強化も中途半端。
ミカドの力に耐えきれず、悲鳴を上げているのだ。
この状態からも、できて残り一撃。
「…………お互い最後にしよう、来い!」
『ぶぁおおおおおおおお!!』
希少種が突進して来る。
ミカドは足を畳み、撥条のように一気に上へと跳躍した。
どん、と地面から体が急速に離れる。
予想以上の高度に上昇して慌てたが、ミカドは眼下の景色を見てはっとする。
標的を見失った希少種が急停止し、周囲を見回していた。
「今なら、やれる!」
ミカドは宙で体を横に倒したまま、剣を振りかぶる。
あの時のシェーナと同じように。
「これで――終わってくれぇえええええ!!」
落下運動を利用しながら回転し、ミカドは自らを回る凶器へと変えて希少種を頭上から強襲した。
強化された身体能力を、増幅していく回転力に加えることで風を巻き、次第に唸り声のような音を立てる。
音に反応して、希少種が頭上を見上げようとした。
その瞬間。
ミカドの剣が体毛を切り裂き、皮膚へと到達する。
刃の勢いは留まる所を知らず、胴体を両断した。
地面に叩きつけられて「あう!」と情けなく声を上げるミカドの横では、傷口から噴火と見紛うような勢威で血が飛び出す。
二つに分かれた希少種の体が静かに左右に分かれ、ミカドを避けるように倒れた。
「う、臭い………!」
不快な手応えと臭いに、ミカドは込み上げる嘔気を堪える。
起き上がって手元を見れば、砕けた剣があった。
「後で、シェーナさんに謝らないと」
ミカドは立ち上がって、その場をよろよろと歩き去った。
体に巡る魔力を、シェーナの指導通り緩やかに、少なくしていく想像で操作していく。道の途中で石を拾い、ただ握るだけの作業を繰り返して力加減を調節すると砕けはするが、以前のように細かく粉砕するまではいかず、身体強化の解除がわずかながら可能になっている事に気づく。
「いや、喜んでる場合じゃないな」
ミカドはうろ覚えながらも、細道へと辿り着いて辺りに人影を探す。
すると、崖の影に隠れているアウドを発見し、傍まで駆け寄った。
「アウドさん、ご無事で」
「オマエが大丈夫かあああああ!?」
「これは返り血です、吐きそうです」
「余計に何があった」
血塗れの割烹着姿のミカドに、アウドは嫌々ながら手巾を貸す。
ミカドがそれで顔の血を拭ってから、シェーナの様子へと視線を落とした。出血している部分には布で止血処置が施され、折れた左腕には矯正用の木が宛てがわれている。
応急処置は完了した、が――。
ミカドはうん、と唸った。
「馬車、壊れちゃいましたね」
「こっから移動するしかないだろ」
「村に、ですか」
「いや、しかしあそこには医者がいない。街へと運んで、ちゃんとした手当てが無いと嬢ちゃんもまずいだろ」
「…………」
「…………」
「…………担いでいきますか」
「…………だな」
二人はその苦労を承知しながら、眠るシェーナを二人で協力して運んで街へ戻る事にした。
夕刻、ミカド達は街に命からがら到着した。
アウドとミカドは、冒険者協会へとシェーナを二人で担いで行き、その姿を店長に驚かれた。
特に血塗れのミカドについては、出迎えた看板娘が泡を吹いて卒倒した程の惨状である。
「ったく、心配させやがって」
「め、面目ない」
食堂のバックヤードで、ミカドは店長と茶を飲んでいた。
隣では、既に治療を受けて意識を取り戻したシェーナが座っている。
「ありがとな、シェーナ一級冒険者殿」
「い、いえ……むしろ、私が不甲斐ないばかりに彼が危ない目に遭いました」
肋骨一本と、左腕の骨折という重傷だが、数日も回復魔法による治療を行えば快癒すると診断されており、アウドとミカドの証言もあって一級冒険者として協会から正式に承認された。
晴れて昇格を達成したシェーナだが、その表情は晴れない。
「いや、アンタのお蔭で皆が生きてる」
「そうですよ、本当に助かったんですから」
ミカドと店長の謝意に、シェーナは苦笑した。
「もっと強くならないと」
「あ、シェーナさん。鍛錬についてなんですけど、怪我が治ってからまたお願いしても……」
「ちゃんと面倒見るって約束したでしょ。ミカド君が包丁握れるまで、ね」
シェーナの言葉に、ミカドは安堵する。
希少種との戦いの後、魔力操作について感覚を掴んだミカドだが、まだまだ技術は未熟であり、気を抜くと直ぐ物を壊してしまう。
厨房に立つには早い。
それでも、確実に進歩はしていた。
これからシェーナの指導を受ければ、直にこの力を正確に扱えるようになるだろう。咄嗟の状況でも、触れる人や物を壊さないようになる…………はず。
「シェーナさんのお蔭で魔力操作できたんです」
「そうなの?」
「はい、あの後に生き残れたのも指導の賜物というか」
「へえ」
「でも、まだまだ未熟なので……これからも宜しくお願いします」
「うん、こちらこそ」
ミカドとシェーナの会話が終わるのを見計らってか、店長が腰を上げて二人へと声をかける。
「ミカド、今日はもう良いぞ」
「はい、ありがとうございます」
店長に一礼して、ミカドはシェーナへと振り向いた。
「それじゃあ、シェーナさん」
「ん?」
「食堂でアウドさんが待ってるので、昇格祝いしましょう!」
「え、本当にやるの?」
「はい!」
ミカドはシェーナの右手を引いて、食堂へと導いた。
バックヤード入口の近くにあった席に腰掛けていたアウドが、二人に気付いて手を振る。
シェーナと共に卓に着いたミカドは、その日の晩餐を大いに楽しんだ。