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魔力覚醒



 夜の食堂は問題事(トラブル)と遭遇しやすい。

 まだ飯屋に勤め始めて日の浅いミカドにも、それが分かっていた。特に、酒に酔う客は理性を失って横暴な要求をしてくることもあるし、暴力に走ることもある。

 その際の対処法は、決まって店長に知らせることだ。

 だが、今回は店長の留守に起こってしまった。


「あの店員呼べよ」

「あの、当店ではそういった商売をしてないので」

「良いから呼べっつってんだろ!」


 椅子の上にその巨体を座らせていた男が、目の前の机を蹴り倒す。

 卓上の料理が床に散乱し、落ちた皿は次々と割れた。

 大男に応対する少年は、困惑した笑みを浮かべる。

 この男の要求は、ここで少年と共に働いている看板娘(かんばんむすめ)に自身の晩酌をさせることだった。以前から注文のときも執拗に彼女を勧誘したり、臀部(でんぶ)に手を這わせたりと店長に悟られないよう迷惑行為を働いていた。


「し、しかし」

「良いだろ、あのクソ店長もいねぇんだからよ」

「なおさらダメというか」

「ああ!?」


 大男が威圧するように声を張る。

 少年はどうしたものかと眉を情けなく下げる。

 店長はこの街一番の腕の立つ冒険者だった。

 冒険者とは、人に仇を為す怪物『魔獣(まじゅう)』の討伐と、その魔獣を生成する特殊な異空間を孕んだ洞窟とされる『胎窟(たいくつ)』の調査を専門とする職業だ。

 ここでは、冒険者が集う組合『冒険者協会(ギルド)』の数ある一つの支部で冒険者に仕事を斡旋(あっせん)する場であり、店長は引退後に支部に併設する形で飯屋を開いて営業している。

 この大男を含め、多くの冒険者はここで食事をしているが、店長の前で事を荒立(あらだ)てたりしない。

 何故なら怖いから。

 でも、今日ばかりは食材などを都合して貰っている場所との契約更新のために出向いていて不在だ。

 だから、いつもより食堂の治安(ちあん)が悪い。


「指名などによる個人接待は提供していないので、晩酌の相手はできかねます」

「本人呼べよ、オマエじゃ埒が開かない」

「えーと」


 その本人に嫌がられたから、とは言えない。

 少年はここの従業員で、看板娘の彼女から大男の相手を頼まれていた。

 いわば都合の良い盾だ。

 抑止力のない食堂で威張(いば)る男、それを厭うて少年に押し付けた看板娘。

 何とも地獄である。

 周囲もそれを良しとしており、少年と男の様子を笑って見ている。


「やめとけって、ミカド」

「貧弱なおまえじゃ怪我(ケガ)するだけだ、大人しく従っとけよ」

「腕力だけじゃなくて、おつむもダメなのかー?」


 どっと食堂に笑い声が湧く。

 少年ミカドは、味方のいない現状に小さく嘆いた。

 黒髪に黒い瞳、いかにも東洋(ひがし)の出身と分かる名と容姿をした彼は以前から食堂では嘲笑の的である。冒険者たちに(からか)われても愛想笑いを返したり、理不尽なことを言われれば心底から困ったような顔をする。

 やり返さない、やり返す力もない。

 紺色の割烹着(かっぽうぎ)を着た体は着衣の上からでも細いと分かる。

 力仕事は本人も苦手だと自己申告しており、店長からも苦笑されていた。

 そんなミカドの印象は、扱いやすい弱者だった。

 だから、大男は自身の願望が通りやすい相手だと思って(よい)の勢いに任せてさらに強気に出る。


「じゃあ、少し時間がかかりますが僕がお相手します」

「男は要らねえんだよ」

「じゃあ、諦めてもらう他にありません」

「何でオレが諦めなきゃなんねぇんだよ」

「繰り返し申し上げますが、当店では個人的に店員が接待――」

「さっさとあの小娘を出せってんだよ!!」


 ぶち、と切れる音がする。

 堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒が切れた大男の拳がミカドの頬に突き刺さる。

 凄まじい威力に床を跳ね転がり、遠くのカウンター席に激突した。

 倒れた椅子の下で、ミカドが鈍い痛みに呻く。

 びくりびくりと痙攣(けいれん)している彼に、一部は憐憫の視線を投げかける。

 この大男、態度もそうだが冒険者としては実力も高い。

 素手で巨大な魔獣を絞め殺した逸話すらある。

 街では店長以外に怖いもの知らずなのだ。

 その膂力で殴られた人物は、どんな者だろうと無事では済まない。ミカドほどの細く、吹けば倒れそうな体なら死んでいてもおかしくはない。

 笑い声が消え、空気が冷える。

 さすがに静観していた冒険者たちも大男の力に肝が冷え、ようやくミカドの心配を始める。


「さーて」


 そんな雰囲気を無視して大男は赤ら顔で立ち上がり、ふらふらと遠くで注文を取る看板娘の方へと歩いていった。周囲の冒険者たちは、事の趨勢を最後まで楽しむつもりで静観している。

 大男に気づいた看板娘の少女は、その威容に固まって動けなくなった。


「お、逃げねえのか…………いい子だなぁ」

「ひ、わ、私は相手をしないって…………!」

「おうおう、もっとかわいい声聞かせろよ」


 大男が看板娘へと手を伸ばす。

 顔よりも大きい掌が近付く光景に恐怖し、彼女は目を(つぶ)った。



「いい加減にして下さい」


 ただ、その手が少女に届くことはなかった。

 横から伸びた別の腕、それも大男の物に比べれば貧弱でか細い手が割り込んで制止する。

 大男は額に青筋を浮かべて横に視線を移すと、さきほど殴り飛ばした少年が立っていた。

 がしり、と大男の手首を五指で捕まえる。


「何だよ、引っ込んでろよ」

「彼女が怯えています、やめて下さい」

「今だけだっての。その内、オレの力に惚れ込んで自分で尻尾振ってくるからよ。何たって街一番の冒険者『狼炎(ろうえん)』のゼビルス様なんだぜ!?…………何なら、そうだ」


 大男ゼビルスがミカドの耳元に口を寄せて囁く。


「オレが楽しんだ後、オマエにも分けてやるから」


 その言葉を吐いたゼビルスは呵々大笑した。


「…………そうですか」

「なははははははは、だから良いだろ?この小娘で楽しんで―――もぅッ!?」


 調子づく笑い声が、手首を折る勢いでかかった途轍もない力によって途切れる。

 ゼビルスは苦痛に(うめ)いて腕に視線を落とす。

 ミカドの指は、手首に回りきっていない。

 だが、その指が皮膚を食い破らんというほどにめり込み、さらに強く手首を圧迫する。貧相な腕では発揮(はっき)できるはずのない握力、細身の少年が引き出せる力ではない。

 骨の軋む音は他の人間にも聞こえるほど大きくなっていく。


「料金は結構ですので、どうぞお引取り下さい」

「な、何調子乗ってんだテメェ!!」


 ミカドがゼビルスの手を放す。

 解放されたゼビルスは、怒りで更に顔を真っ赤にさせて拳を振りかぶった。

 風が唸るほどの腕力を束ねて、突き出そうとする。

 それよりも速く、大男の内懐(うちぶところ)へと踏み込んだミカドの体が回り、振り出される足が鋭く閃いた。


「ごはァ!?」


 ずどん、と重く鈍い音が広い食堂一帯に(とどろ)いた。

 ミカドの放った回し蹴りの直撃したゼビルスの巨体は直線を描いて飛び、食堂の外へと扉を破壊して出ていった。

 そこかしこの床や机を、男の吐いた血が斑に汚す。

 一瞬の出来事だった。

 呆気に取られた冒険者たちの視線は壊れた扉へ注がれる。

 静まり返った食堂で、あっと一つの声が上がる。


「す、すみません!ついカッとなって」


 慌て出すミカドに全員は戦慄した。

 今までさんざ舐めてきた少年が、街一番の冒険者を店外まで蹴り飛ばす化け物だったことに、未だ理解が追いつかない。

 先程までの別人のような空気が嘘と思うほど、平時の穏やかな少年の姿がそこにある。


「ごめん、僕はあの人の手当てをしてくるから!」


 皆と同様に驚愕で固まっている看板娘に一言断って、ミカドは外に弾き出したゼビルスの方へと駆ける。

 周囲からの視線を受けながら、己の蛮行(ばんこう)を省みて深く恥じ入る。

 たった一つ――――また、やっちまった…………と。






 ※  ※  ※




 それは街に来る数月前のことだ。


 十五歳になった春である。

 準備が整ったのは昼過ぎだった。

 ミカドは姿見の鏡に映る自身の姿を確認する。

 ここ数年は整えることすらしなかったせいで、今日は特別にと幾ら撫でつけても惰性(だせい)を隠すことはできず、毛先は自由きままにツンツンと跳ね回っている。

 着衣も服に着られている感が満身から溢れ出ていた。

 鏡を見るまでは少しだけ見違えた自分を夢想(むそう)していたが、期待はあえなく霧散してしまった。

 もう調(ととの)える猶予もない。

 急がなければ。

 肩を落とし、荷物を抱えて自室を出る。

 斜光が差し込んだ屋敷の通路を歩くと、掃除をしていた使用人たちがちらちらとミカドを盗み見る。荷物を持ち、歩きやすい服装…………明らかに旅装と見えるそれに、皆が密かに納得して頷いた。


「いつかはそうだと思った」

「やはり追放されるんだな、あの厄介者」

「弟は剣才も学もあるというのに、情けないものだ」


 声は小さいが、聞こえるかもしれないことへの配慮がない。

 いや、聞こえるように隣をすれ違った瞬間に言うのだから寧ろ露骨ではある。

 普段からそうだが、使用人にとても嫌われていた。

 使用人だけでなく、親にも迂遠な形で嫌悪を示されており、弟が本邸で過ごしているのにも関わらず、この別邸(べってい)でミカド一人が生活させられているのがその証明だ。

 ただ、ミカドにとっては悲しくなかった。

 それこそ、当然の待遇だと弁えている。

 自他共認める落ちこぼれ――この家では『なまくら』と呼ばれている存在なのだから。


「ミカド様っ!」


 玄関では赤袴の少女が立ち塞がっている。

 天窓から差す光の下、美しい顔立ちがミカドの姿をその赤い瞳で認めるや悲しそうに歪む。

 ミカドが階段の上から手を振ると、彼女は玄関扉の前で両腕を左右に伸ばす。

 革の長靴(ちょうか)を履いた足も広げて通行止めの構えだった。

 意外な行動から呆気に取られながらも、ミカドはその前まで進んだ。


「見送り?カゴメはやっぱり優しいね」

「だめです、行かせません!」

「え、いやいや、当主様に言われたことだし」

「どうせ建前を使った勘当です!」


 少女カゴメは悲痛な声でミカドに叫ぶ。

 玄関広間に響き渡る声は、使用人たちにも聞こえているだろう。

 彼らはミカドの言う『当主様』に雇われており、カゴメもまたその一人だ。これは当主様への反感に受け取られ、密告されたならただの解雇だけでは済まない。

 つまり、聞かれるだけで一大事な失言だった。

 ミカドは青褪(あおざ)めてカゴメの口を手で押さえる。


「駄目だよ、軽率なことは言っちゃ」

「むぐぐ…………!」

「これは決まってたことだし」

「…………」

「僕は、ほら…………代々受け継ぐはずの特別な力も無いし、剣の才能も無いから。いつか一族に相応しく無いって、追放を受けるんだろうなって思ってた」


 口が塞がれたカゴメは涙目で訴えた。

 ミカドは困り果てて苦笑する。

 彼女の言う通り、(てい)のいい理由を付けられはするが事実上の勘当となるだろう。

 当主様――母親から愛されたことが無いミカドとしては、悲しくはあるがカゴメほど感情的になれなかった。

 むしろ、当然のことだと受け入れる。

 ただ、カゴメはそうもいかない。

 陰湿な冷遇を受けるミカドに親しくしてくれる数少ない人間であり、主従関係はありながらも幼少から共に過ごしてきた兄妹のような仲だった。

 常日頃からミカドへの冷遇に、ミカド本人よりもカゴメの方が強い反感を抱いていた。

 だから、諦観したミカドの態度が(なお)のこと納得できない。

 カゴメの目から涙が溢れ、隠すように彼女は俯いた。

 垂れた白い髪に隠れた顔か一粒、落ちる。

 ミカドは手を下ろして微笑んだ。


「僕を想って言ってくれてるんだよね」

「……………」

「嬉しいよ、本当に」


 でも、とミカドは言葉を紡ぐ。


「僕が望んだことでもあるから良いんだよ」

「ミカド様は、悪くないのに」

「良いも悪いもない、仕方ないんだ」

「ミカド様は紛れもなく剣聖の血を引いております!そのお優しい人柄は、紛れもなく剣聖のように高潔(こうけつ)で、奴隷だった私を救って下さった!!」


 ミカドはその言葉に沈黙する。

 ミカドの家系は、三代前にある偉業を成し遂げた。

 大陸を灼き、人を食らい、星を落とす規格外の怪物である『三大魔獣』をその剣で倒した伝説の剣士の血筋。

 世界連盟――別名『レギューム総括部』によって、『剣爵(けんしゃく)』という新たな爵位と特別な領地を与えられ、どんな権利や力にも左右されない確固たる地位を得た。

 何より、血筋は特別な力を宿している。

 だが、ミカドにはそれが無い。


 その時点で母には落伍者と見放されたのだろう。

 現に、使用人や剣爵を守護する近衛団からすら蔑視される始末である。

 ほとんど孤独に等しい生活を送ったミカドは、料理に興味を示し、別邸の食堂を借りて自身で食材の調理を行っていたほどに熱中した。

 家ではカゴメと同じく、ミカドの夢を後押しする曽祖父の言葉で当主様は動き、ミカドに一般人として身分を偽り、市井にて料理修行に励むことを許した。

 …………という建前で、家から追放するのである。


「僕に高潔な精神なんて無いよ」

「そんなことありません、密輸船にいた奴隷(どれい)の私を引き抜いて助け出してくれたではありませんか!」

「君を助けたことも、寂しくて友達が欲しかっただけなんだ」

「それでも、剣聖様がいるときは何もせず、彼の目が無くなったのを見計らってからミカド様を貶めるような連中に比べたら」

「ごめん、もう行くよ」


 まだ何か言おうとするカゴメの隣を過ぎて玄関扉の取手に手をかける。

 これ以上の発言はカゴメの立場自体を(おとし)めることになる。

 ミカドは開ける前に彼女に振り返った。


「元気でね、カゴメ」

「そんな、待って!」


 止めようとするカゴメから逃げるように扉を開けて外に出たミカドは、別邸前に広がる光景に驚いて足を止める。


「やあ、兄上」

「アザミ?」


 玄関前に組まれるのは剣爵近衛団の隊列であり、その先頭に立っているのはミカドの双子の弟であるアザミだった。

 剣聖由来の銀髪をした美貌で立つ姿は、それこそ一枚の絵のようであり、愉悦(ゆえつ)で染まった紺碧の瞳でミカドを映している。

 

 昂然と胸を張る弟の姿にミカドは小首を傾げた。


「見送りに来てやったぞ…………盛大にな」


 アザミは不敵な笑顔になり、その腰の剣に手を伸ばした。

 その動作を見てカゴメがミカドの前へと躍り出る。

 身構える彼女と、警戒する理由が分からないミカドの二人を見てますますアザミは笑みを深める。

 過剰反応(かじょうはんのう)か、適切な厳戒の姿勢か。

 その答えを示すように、アザミは手を止めず鞘を払って抜き身の切っ先をミカドへと(かざ)す。


「相変わらず女頼りか、兄上」

「恥ずかしながら、カゴメは僕よりよっぽど強いからね」

「自分では戦えないものな?……情けない」


 アザミに同調した近衛団の中でくつくつと笑う声がする。

 カゴメが忌々しげに彼らを睨み、(あわせ)の懐に手を入れた。

 そこから何かを取り出そうとして、背後からミカドがその肩を掴んで止める。彼女が普段から懐中(ふところ)に呑んでいる物を心得ていた者としては、是が非でもここで人目に晒すのは危険に思われたのだ。

 アザミは剣爵次期当主である。

 その相手に刃を向ければカゴメの進退は苦しくなるだろう。

 肩越しにミカドへと不満げな眼差しを送るカゴメを諌めて、ミカドは前へと進み出た。


「それで、見送りって」

「ああ。これから追放される落伍者(らくごもの)といえど、剣爵家の人間を何もせず見送ること、これまで共に過ごした『家族』に対して冷たいではないか」

「そ、そうかな?」


 共に過ごしたとはいうが、必要時以外は本邸と別邸で分かれて生活するので実感が無い。

 小首を傾げそうになるが、ミカドはアザミなりの温情だと思って納得することにした。


「カゴメもそう思うだろ?」

「ミカド様も旅の前にお疲れになってしまうでしょうから、言葉だけでも充分な労いになるかと」

「相変わらず(かた)いな、もう少し親しげに話してくれて良いんだぞ?君は美人だから、兄上がいなくなった後はこっちで優しくしてやるぞ」

「お戯れを。私の主はミカド様だけですので」

「ソイツがいなくなるんだって」

「ならば私も共にここを去――」

「待った」


 ミカドは何度目かの制止を入れる。

 不服そうなカゴメの視線を躱してアザミへと向き直った。


「でも、わざわざ悪いよ」

「いや、そんなに手の込んだことはできない。せめてもの手向けに、決闘ぐらいしかできない」

「決闘?」

「そうだ。我々は剣聖の家系、なら見送りに剣を交えてこれからの旅路を祝うのは当然というもの」

「そんな慣習あったっけ…………」

「追放者なんて前例が無いから、無理もない」


 皮肉を交えてアザミが言葉を返す。

 一々チクチクとくる言葉を選ぶ辺り、悪意しかない。

 ミカドは兄弟仲が良くないことは知っていたが、ここまで劣悪であるとなれば流石に悲しくもなる。

 何より、決闘を選んだのは(まぎ)れもなく見せしめだ。

 アザミの剣才は凄まじく、ミカドを軽く超えている。

 戦えば、恐らく完膚(かんぷ)なきまでに叩き潰されるだろう。背後に揃えた近衛団を立会人として、衆目の面前でその敗北した姿を晒すつもりなのだ。


 その意図を察したカゴメが今度こそ動き出そうとする。

 ミカドの護衛も兼ねた身ともあり、戦闘技術を仕込まれた彼女は下手な騎士よりも手強(てごわ)い。過去にミカドを害するつもりで現れたチンピラ紛いの冒険者三人を素手で撃退したことがある。

 それでもアザミには敵わないどころか、ミカドのみで済むはずの被害がさらに拡大するだけだ。

 だが、決闘を断ることもできない。

 相手がこれからのミカドの道行(みちゆき)を祝うつもりで決闘を提案したのだから、拒否するのは当然無礼である。一人の人間として市井に生きることになるミカドからすれば自殺行為だ。

 国の王族や貴い血筋相手は尚更だが、剣爵相手に非礼を働くなど言語道断。


「でも、僕は剣を持ってないし」

「剣を」


 アザミが後ろに指示すると、一人の兵士が鞘ぐるみの剣を差し出す。

 受け取ったアザミは、それをミカドへと放り投げた。

 慌てて受け取り、ミカドは顔を(しか)める。


「本当にやるのか?」

「ああ」

「…………」


 ミカドは手元の剣に視線を落とす。

 敗北は必至、だが勝利に飢えるほどの向上心も反骨心も無いミカドからすれば、負けるだけで大人しく送り出してくれるのだ。

 実際に、これで関わるのも最後になる。


「分かった、やるよ」

「ミカド様!」

「カゴメ、君は屋敷に戻っておくんだ。これ以上は君にも矛先が向きかねないし、僕は大丈夫だから」

「ッ……」


 ミカドは剣を手に玄関のステップを下りていく。

 二人で別邸の庭の適当な場所に移動し、そこは二人を円になって囲うように近衛団が隊列を崩して即席(そくせき)の闘技場となった。

 鋭い視線が全方位から殺到する。

 穏やかな昼の陽気を険悪な空気が圧倒して緊張感を催した。

 鞘から長剣を抜いて、ミカドも構える。


「アザミ?」

「何だ兄上」

「やるんじゃかいの?」


 数歩分の距離を置いて、ミカドとアザミは正対したがアザミは構える素振(そぶ)りが無い。

 それどころか、剣を鞘に納めてしまった。

 彼はにやにやと薄笑いを浮かべて周囲を見回す。


「彼らは観戦者ではなく、兄上を慕う剣爵近衛団として一人ひとりが相手をしたいと言っている」

「えっ……」

「俺とは最後になるさ」


 アザミが一歩退き、代わりに近衛団の一人が前に出る。

 想定外のことにミカドは固まってしまう。

 アザミ一人から受ける屈辱で完結すると踏んでいた心構えが無為(むい)に終わると知って途方に暮れる。


 そんなミカドの胸中の動揺も構わず、アザミの合図に従って別れの儀式は始まった。

 剣を振りかぶってくる兵士の一撃に慌てて、慌てて自分の剣を掲げて防御する。――が、非力なミカドは呆気なく衝撃で後ろへと体ごと弾かれた。

 重く、手元を(さいな)む痺れ。

 気持ちも何も追いつかず、ただミカドは混乱に沈んでいく。

 体と心はちぐはぐで、それはすぐ足元に現れて蹈鞴(たたら)を踏んだ。踏ん張ることもできず、地面に転がる。

 起き上がろうと上げた顔の前に、相手の剣の切っ先が待っていた。


「まず一人」

「……」

「次の者」

「はは、ミカド様……御覚悟(おかくご)


 ミカドがふらふらと立ち上がるや、次の対戦者が差し出されて再開される。

 一撃、ニ撃と受けるも心身の整わないミカドはまたも無様に倒された。笑い声が湧き、次々と対戦者を()てがわれては同じ結果を繰り返す。休憩は破損した剣に代わる得物を新たに与えられるときだけだが、それも一呼吸の間である。

 見守るアザミの瞳は愉悦一色だ。

 ミカドはひたすら地獄を味わい、それでも最後と自分に言い聞かせて挫けそうになる心を奮い()たせる。


「はは、さすが『なまくら』だ」

「剣の受け方もここまで下手とは」

「これで剣聖の血か。……まあ銀色の髪も目も継いでいないようだから、外見で素質無しなのは分かりきってたけど」

「当主様も可哀想に」


 四十以上の打ち込みを受けて、ミカドの足腰は限界を迎えていた。

 地面に突き立てた剣に縋り、辛うじて体を支えている。

 剣の柄頭に乗せた額は熱く火照っていた。

 手元の痺れだけでなく、目眩すらし始めていた。

 歓送の儀式は、アザミの目論見通り拷問となっている。体力は大分削られてしまい、周囲の歓声すらくぐもって聞こえた。

 情けなくても良い、次の一撃で眠ってしまおう――そんな弱気な声が脳裏で囁かれる。


 そして、疲弊したミカドの状態に頃合(ころあい)を見計らったかのごとく。


「兄上もこれ以上は無理か、ではせめて最後に弟として」

「ッ……!」


 謀の通りに事が進んだことで満悦(まんえつ)の笑みを浮かべたアザミが剣を抜き放ってミカドの前に立つ。

 よりにもよって、最悪の時に最悪の相手である。

 ミカドは剣の柄頭から顔だけを上げた。


「情けない。本当に無様だな、無能者」

「……その、通りだけど」

「生まれながら剣爵の証である銀の髪も瞳も無いどころか魔力が感じられず、さらに剣の才能も無い。まったく、領地でよくのうのうと生きてこれたね。その厚顔(こうがん)っぷりが凄く羨ましい」

「そんなつもりは無い」

「生きてるだけで恥曝(はじさら)しなのに、最初は人形のように無感情で命令以外に何もできないカゴメを洗脳した挙げ句、俺の目の前で睦まじそうな態度をわざと取らせたり」

「ん、は?」

「さらには、曾祖父様(ひいじいさま)までッ…………!」

「曾祖父ちゃんが、何?」

「ッ、気安く曾祖父様を呼ぶな追放者!!」


 アザミが地面を蹴って飛び出す。

 横薙ぎに振るわれた一撃に、慌ててミカドは縦に構えた剣で受け止める。甲高い金属音を鳴らし、交差点で爆ぜたその威力が剣の柄から全身へと伝播(でんぱ)する。

 衝撃は重く鈍いのに、太刀筋(たちすじ)は鋭く正確だ。

 才能に胡座をかかず、努力で裏打ちした技量が()せる剣撃。

 悲鳴を飲むミカドへ、間髪入れず鍔迫(つばぜ)り合いのようだった状態で下からミカドの剣を掬うように振り上げられる。

 流れるような動作だった。

 拮抗もせず弾かれたミカドの体が明らかな膂力の差を証明する。


「では、貴様が持てなかった魔力で終わらせてやろう」

「え!?」


 アザミの全身が銀色の微光を帯びた。

 そのまま剣を再び振るうと、急いで防御したミカドの体が先刻(さっき)の倍以上ある威力を受けて後方に吹き飛んだ。

 一瞬、何事か理解できなかった。

 剣は中程で折れ、体のあちこちを激しく強打しながらミカドは吹き飛んでいく。

 あれが――剣聖の魔力。


 そも、魔力とはこの世に存在する『魔素(まそ)』という物が群を成して流れたときに起こる力である。目的の結果を作るために、普段なら尋常な物理法則や資材に(とら)われてしまうが、この魔力を消費するだけで全てが解決してしまう。

 この世界に存在する万能(ばんのう)の資源、それが魔力だ。

 魔素の流れ方、流れる量、流れる速さで効果も影響力も規模も異なる。

 これを用いて魔法と呼ばれる技術や、魔法使いという職業が存在している。

 その中で、剣聖の魔力は最も異端(いたん)とされた。

 効果は『限界を超える』こと。

 例えば、普段なら出せない速度も出せるようになったり、剣では斬れない硬い物を『斬れないという限界』を超える効果を得ることで切断できる。

 剣聖はこれによって、『人質を取った相手だけを斬る』という不可能な芸当を可能にしたり、『死病を殺す』ことも成し遂げ、さらに人が触れられない魂や概念上の物にすら干渉(かんしょう)した。

 その魔力を受け継ぐ一族でも、流石にそこまで出来た者は未だいないが、たとえ初歩的な部分であっても凄まじい力である。


 本来ならミカドを吹き飛ばすほどは無いアザミの膂力が跳ね上がったのも、その魔力の恩恵(ギフト)だ。


「うぐッ」

「もう立てないか?」

「…………」

「立てよ」


 倒れたミカドが起き上がるまでアザミは待つ。

 自分を見上げるミカドと視線が合うと、その顔を不快げに歪める。


「その目だ」

「……?」

「ここまでやられて、何も思わないのか」

「何を?」

「俺を憎んだり、妬んだりしないのかと聞いてるんだ」

「そんなの、僕が悪いだけなんだから他人に何かを想うことが無いよ」

「――そういうところだ」


 何故?――とそんな風にミカドは疑問を呈する。

 ただ、その解答が正確にアザミの求めていた物か定かでは無いが、目を大きく見開いた彼が剣を高く(かか)げる。

 ミカドは立ち上がるのも間に合わず、地面に背をつけたまま大上段から振り下ろされるアザミの攻撃を受け止めた。

 鼻先で火花が散る。

 辛うじて首は繋がっていた。

 アザミの気迫は、もはや歓送(かんそう)の儀式で済んでいない。

 紛れもなく殺す勢いだった。


「一度も俺の前で他人を恨む素振りすら見せなかったところが気持ち悪かった。不当な扱いをされても許容し、罵詈雑言(ばりぞうごん)を受けても気味の悪い愛想笑いばかりだ!」

「…………」

「本当に気持ち悪いよ、何なら感情的になれるんだ貴様は」

「え?」


 アザミが剣を引く。

 それから何かを考えるように頭上の虚空を睨む。

 やがて、ふと屋敷に視線を()めてにやりと笑った。気になってミカドがその眼差しの先を見ると、そこでは唇を噛んでミカドたちのいる庭園を屋敷の窓から見るカゴメの姿がある。

 ミカドは玄関にて、アザミたちの悪意の矛先になるので見るなとカゴメに言い含めたつもりだった。


「貴様が領地を出た後、あれは(めかけ)にする」

「…………………は?」

「まあ、扱いは奴隷と同じように……こういうのにうるさい曽祖父様やお祖母様も先は短いしな。見目麗しい女且つ立場も弱いとなれば、用途など限られる」

「――――」

「良いだろ?

 だって、貴様は追放者だから。もう彼女も貴様の物ではない」


 アザミの告げる未来図を、ミカドは反射的に想像してしまった。

 辱められるカゴメと、兄妹のように過ごしてきた日々が脳裏に去来する。人道的な扱いはされない、ただ只管道具然として欲望の捌け口に使われ、塵芥(ちりあくた)のように捨てられるだけ。

 カゴメが、その扱いを受ける?



「…………アザミ」

「ん?何――――ひっ!?」



 アザミが足元へと視線を戻す。

 本来なら、そこには無様に疲弊しきった兄の醜態(しゅうたい)が転がっているはずだった。

 なのに。

 そこには以前と異なる物があった。

 表情が抜け落ちたことで不気味さを(かも)し出す兄の相貌だった。アザミと戦う前から目の焦点など合っていなかったのだが、今では底の無い暗闇のような瞳が真っ直ぐアザミを射竦(いすく)める。

 ゆらり、と体を揺らしてミカドが立ち上がった。

 これまでの疲労は何処へやら。

 一切の挙動にも違和感を放ち、アザミのみならず周囲の近衛団すら後退している。


「アザミ。……僕が勝ったら、条件を聞いて貰っていい?」

「ッ………は、はぁ?兄上が俺に勝つ?何夢見て」

「聞け」

「あ、はい」


 ミカドが剣を構え直した。

 そこに素人に毛が生えた程度の技量が立ち居姿から滲む兄の面影は無い。

 別の生き物が、誕生していた。


「僕をどれだけ謗ろうと、辱めようが構わない……でも勝てば、カゴメに手は出すな」

「な、カゴメはもう貴様の物じゃ」

「首を縦に振れよ、それ以外は許さない。それとも二戦やる?」

「はい?」

「まず、僕が一勝すれば二戦目で僕が提示した条件を飲むと誓うこと。二勝目でカゴメについての事を誓って貰う」

「に、二戦?」

「どうする?一戦?二戦?」

「い、一戦でいい」

「じゃあ、構えろ」


 別人のようなミカドに、アザミはただ首を縦に振るしかなかった。

 余裕は全く無い、蛇に睨まれた(カエル)の如く恐怖で思考が働かなかった。


 対して、この時のミカドは極度の激昂状態だった。

 怒りで体の痛みも倦怠感(けんたいかん)も痺れも薄れ、ただ四肢に力が(みなぎ)っている。あれだけ打ちのめされた後なのに、負ける気が全くしなかった。

 否、ミカドにとってそんな体の調子は些末(さまつ)なこと。

 ただ脳裏に描かれた悲惨なカゴメの未来と、その中で私欲を満たすアザミの悦びを想像して、体を()く怒りの火が際限なく激しさを増して燃え上がる。

 目の前のモノは弟ではない。

 敵だ、大切な人を脅かす悪魔だ。


「思い上がるなよ、『なまくら』!」


 調子を取り戻したアザミの挑発も、聞き馴染んだ蔑称(べっしょう)も耳に入らない。

 飛び出した相手の動きがよく見える。

 今なら空中で静止しているも同然に見えるアザミの背後へ、歩いて回り込めるという確信があるほどの体感速度だった。

 振り下ろされた剣は、ゆっくりとミカドの頭へと迫る。

 ようやく相手を敵として認識したミカドは、前に敵意を込めた足を一歩踏み出す。

 どん、と踏み込んだ地面が陥没(かんぼつ)した。

 揺れる大地に、次々と剣爵近衛団の者たちは転倒する。

 そして。


「はああッ!!!!」


 ミカドの剣が渾身の力で振るわれた。

 狙い澄ました一撃だったが、剣先はアザミの服を裂いて腹部を晒し出す程度だった――(すなわ)ち空振りである。

 力を持て余した無様な一撃だった。

 実際に剣に振り回されたが故の、実戦では致命的な空振りだ。

 アザミの剣閃(けんせん)のように正確さは勿論、剣筋に鋭さも無い。


 だが――ミカドの剣を視認できる者は、庭園で観戦する皆一同の目に留まることはなかった。

 それどころか、目視(もくし)すらできなかった。

 剣爵近衛団の中には、戦闘経験を積んだ猛者たちがいる。当然、それなりに速い攻撃も鍛え上げられた五感と(かん)で捉えられる。

 その歴戦の感覚ですら、捉えられない剣だったのだ。


「う――――わああああああ!!!?」


 一瞬、腹部に岩をぶつけられたかのような衝撃でアザミが呻く。

 だが、その後に突風が庭園に吹いてアザミを空へと投げ飛ばす。それどころか、剣爵近衛団の数名、庭園に立つ木、屋敷の屋根の一部ごと遠くの畑まで運んだ。


 暴風が過ぎて、庭園が静かになる。

 およそ剣を振っただけではない被害に、その場に留まれた近衛団の兵士たちや窓から見るカゴメすら唖然とした。

 そして。


「―――――え?」


 剣を振った本人、ミカドですら事態を理解できずにいた。


「何、が……?」


 暴風に揉まれた眼前の景色を眺めるしか出来ない。

 前景は(くわ)で掘り返したように地面が捲れて土砂が頭上から降り注いでいた。何事もない後ろでは、近衛団の者たちがミカドのように目を点にして状況を見ている。

 ミカドは自身の剣を見下ろした。

 主人に看取(みと)られるのを待っていたかのように、視線を受けた剣身に亀裂が入って千千(ちぢ)に砕ける。剣柄を握る手からは、蒸気とは異なる不思議な色の滲む煙が立ち上がっていた。

 見て取れる異常はそれだけではない。

 爪の間から血が滲み、痙攣する腕の皮膚(ハダ)は火傷を負っていた。

 ――これは、魔力なのか?

 剣で切り裂いた先を飲み込んだ暴力の正体が魔力であることは容易に察せられる。常人の腕力、それも一振りだけで能う効果の範疇を逸していたのは一目瞭然だった。

 だからこそ、尚更に理解に時間を要した。

 ――まさか、(ミカド)がやったのか?

 己の事ながら確信が持てない。


 一瞬前、確かに力が漲った感覚があった。

 アザミの動作が緩慢になり、視界に映る一切の物の動作が捉えられるほど意識が鮮明になった。

 そして、一撃でアザミを吹き飛ばせる確信。

 今はそれらが夢の様に思えて半信半疑(はんしんはんぎ)の状態だが、それでも自分がやったのでなければ説明が付かないし、だからこそ魔力無しの筈の自分がやったという事が素直に納得をさせてくれない。

 初めての感覚だった。

 これが、幾ら求めても応じなかった自分の魔力だと知っても恨みどころか驚き以外の何も無い。

 振るった手元からは手応えが薄れつつある。

 こういった物は反復練習をしないと確実に獲得できない技術だが、もう二度と起きない偶然の奇跡になるかもしれないという危惧すら湧かない。


 放心状態のミカドを引き戻したのは、痛み始めた右手だった。


「う゛、ぐぅ……!」


 ミカドは右腕を押さえてその場に膝を()く。

 震える手は、剣を握っている感覚すら無いのに皮膚の表面から未だにジリジリと焼かれるような痛みがあった。

 次第に皮膚から筋肉へと激痛の範囲が広がっていくが、止める術の無いミカドは苦悶するしかなかった。


「ミカド様!」

「カゴ、メ?」


 静観していたカゴメが上階の窓から庭園へ飛び降りた。

 軽々と羽のように着地し、ミカドの傍へと駆け寄るや痛みの原因である腕を()る。

 ただの火傷ではないその症状を確認したカゴメは、赤い瞳を微かに疑問の色で曇らせる。


「これは、魔力障害の一つ……ですね」

「魔力障害って」

「魔法を使うときなどに人は魔素を放出するのですが、人体には許容量があります。それを上回る出量(しゅつりょう)、出力で発すれば肉体が壊れるのは自明の理」

「僕の体が壊れてる、ってこと?」

「かもしれません。……すぐに治癒(なお)します」


 カゴメが患部へと手をかざす。

 すると、その掌から溢れた緑色の燐光がミカドの腕へと注がれて火傷を癒やしていく。

 ミカドはそれがすぐ魔法だと察した。

 よく怪我をするミカドを慮り、自力で彼女が習得した努力の結晶である。

 カゴメ曰く、治癒の魔法にはニ種類ある。

 一つは、魔力によって欠損や破壊された組織の再編(さいへん)や交換、構築を行うこと。これは多大な労力と魔素の消費が尋常ではなく、腕の立つ魔法使いでなくては出来ない。

 二つ目は、自然治癒力の向上だ。

 人体には血と共に魔素が全身を巡る、即ち魔力が体中を満たしている。ただ怪我など壊れた部位はその魔力(ながれ)に障害を来している場合があるので、外部から魔力を流して体内の魔力を合流させ、壊れた部位へと導くことで治癒を(うなが)す。


 今ミカドの腕に施されているのは二つ目だ。

 一瞬にして苛烈な放出で傷ついた腕の魔力が乱れている状態なら、普段の状態へとゆっくり戻していけば治るという。

 カゴメの適切な判断と、治癒魔法の使い方にミカドは感服した。


「ミカド様、腕の感覚は」

「す、少しだけ戻ってきたかな」


 ミカドは剣の柄を握る指を開く。

 まだ完全に五指を開ききることは出来ないが、着実に感覚は正常に戻りつつあった。

 安堵に胸を撫で下ろし、カゴメに礼を言おうとして。




「――これは何事ですか」


 その場に楚々(そそ)と響く一つの声に凍りついた。

 白銀の髪を靡かせた麗人が別邸の庭へと踏み込んで来る。その貴影を目にした者が、慌てて敬礼の構えを取った。

 隣に剣爵近衛団の団長を伴ったその女性は、ミカドの前で立ち止まる。


「ミカド、ここで何をしているの?」

「……」

「出立もせず、ここで彼らと無駄に戯れていたの?その程度の気構えで、料理を志すだなんて宣っていたんじゃないでしょう?」

「す、すみません……当主様」


 ミカドが震えた声で謝罪した。

 彼女こそ、剣聖の血を継ぐ剣爵家の三代目当主ヒオリ。

 ミカドとアザミの母であり、剣聖の孫娘たるその人だった。

 顔を上げる事が出来ない――たとえ相手が母であろうと、放たれる威圧感に体が縛られる。自分を見下ろす青い瞳がどんな感情を宿しているか、想像するのが怖かった。

 頭上から呆れを多分に含んだため息が聞こえた後、興味を()くしたように歩き出した。


「被害に遭った者たちの救助に向かいなさい。屋敷と庭の修繕はその後で良いわ」

「当主様!ミカド様に何か無いのですか!?」

「カゴメ!」


 ミカドに背を向けて去ろうとするヒオリへ、カゴメが紛糾する。

 振り返った冷たい相貌にも、彼女は臆さず叫んだ。


「近衛団の者やアザミ様は、静かに旅立とうとしたミカド様を足止めするだけに飽き足らず、痛めつける意図で別れの儀と称した集団による虐待を行いました!

 この被害も、それに抗おうとしたミカド様の魔力が暴走しての事……その誘因となった彼等に対してもそうですが、傷付いたミカド様にも他に何か――」

「言いたいことはそれだけ?」

「…………………えっ?」

「ミカド、直ぐに発ちなさい……もう用件は済んだのだから」


 ヒオリの冷たい声に、カゴメも固まった。

 当主様の、その状況も既知の上での対応だと言わんばかりの態度に目を、耳を疑ったのである。

 暫く無言で見つめ合う二人の間に作られた沈黙を、隣で見ていた団長が一歩前に出て当主様の足下に跪く。


「当主様、ミカド様の状態や屋敷などを見ても出立の日を改めるべきと」

「…………」

「斯様な事態を招いたのは、日頃から近衛団の管理を十全に行えていなかった私の不徳の致すところ、処分は受けます故どうか」


 団長を一瞥したヒオリが、再びミカドを見る。


「では明日に改めなさい。同じ事態を避ける為に他の者には見送りを禁じます、団長は後で書斎へ」

「はっ」


 ヒオリが背を向けて去っていく。

 ミカドはそれを見送った後、糸が切れたようにその場に倒れて眠った。






 翌日。

 吹き飛んだ別邸の屋根や庭園の惨状は勿論、アザミは半日後に意識を取り戻した。幸い大きな怪我は無く、後遺症も無し。

 それでも被害は甚大である。

 だが、ミカドに罰は無かった。

 本来の出立の日を一日遅らせて、改めて出発する事と、その見送りを禁ずる指令についてはカゴメも例外ではなく、外出を禁じられている。

 ミカドは自分の足音だけが響く別邸の玄関扉を開けて外に出た。


「えっ?」

「よう」


 玄関口には老年の男が立っていた。

 銀髪銀瞳の長身を壁に(もた)れさせている。

 見送りが無く、人もいない道を寂しく歩いていくと思い込んでいたミカドは、意外な人物の姿に絶句してしまう。

 対する老人は小さく手を挙げて笑った。

 そこにいるのは、今は本邸で隠居生活を楽しんでいるはずの曾祖父(そうそふ)、つまり剣聖本人である。

 真っ直ぐに伸びた背筋は、服越しにも齢八十を超えるのに日々鍛錬を怠らない兵士にも劣らない筋肉があると分かる。

 曽祖父はミカドへと歩み寄り、逞しい腕を肩に回す。


「昨日は派手にやったらしいな」

「ひ、曾祖父ちゃん!?」

「驚いたぞ。ずっと見送りの為に領地の出入口で待ってたってのに姿を現さんし、帰ってみたらミカドが別邸を無茶苦茶にしたとか何とか」

「ずっと待ってたの!?」

「ひ孫の門出(かどで)だぞ、当たり前だろ」

「ご、ごめんね」

「いや、俺も事情を聞いた後に近衛団の連中は一人ずつ木剣で殴ったら怒られたしな」


 愉快そうに曽祖父が肩を竦める。

 この家庭内ではミカドの数少ない味方の一人である彼は、昨日領地の出入口でひたすらミカドが現れるのを待っていた。

 だが、夕刻になっても現れず、仕方なく(きびす)を返して家に戻れば荒れ果てた別邸に驚愕させられたのだという。

 事情を使用人に聞いた結果、アザミを中心とした近衛団の悪辣な見送りの儀を知って、一人ずつ折檻する暴挙(ぼうきょ)に出たことで当主様から叱られ、部屋で謹慎処分を受けた。

 …………はずなのだが。


「本邸の自室にいるはずじゃ」

「良いんだよ、後で幾らでも罰は受ける」

「……ありがとう、僕のために怒ってくれて」


 ミカドは嬉しくなって頬を緩ませる。

 いけないことではある。

 だが、ミカドが受けた仕打ちに怒ってくれたのは、それこそカゴメを除いて彼だけなのだ。家族の中で自分を愛してくれる数少ない人が起こした行動は、どのようなものであっても嬉しかった。

 ミカドは万感の思いを込めて感謝する。

 しかし、曽祖父が小首を傾げた。


「いや、違うぞ」

「え?」

「アイツらがミカドを足止めした所為で俺は半日以上も時間を無駄にされたんだからな、その腹癒(はらい)せだ」

「…………」

「ミカドが自分で連中を吹き飛ばしたのを聞いた時点で、そういう鬱憤は晴れちまったよ」

「さ、さいですか」


 ミカドはがっくりと肩を落とす。

 曽祖父らしいといえばらしい話だ。


「しかし、魔力に目覚めたんだってな?」

「うん、何でかわからないけど」


 ミカドは自身の掌を見下ろす。

 双子の弟との決闘で魔力が覚醒した。

 その影響か、身体能力が向上して力加減が出来なくなってしまったのである。握った物が折れたり、軽く蹴った石が飛ぶ前に砕け散った。

 今まで全く目覚めなかったのに。


「僕は魔力が無いと思ってたよ」

「いや、ずっとあったぞ」

「え」

「ただ、ミカドの体の問題で伏せてた」

「僕の体の?」

「おまえさん、保有魔素量が莫大……平均的な魔法使いの数千人分だ。だが、体が成長しきらん状態で魔力を使うとどんな大惨事になるか分からなかったんだよ」


 告げられた内容に唖然とする。

 ミカドは、尋常ならざる魔素量を抱える人間として生まれた。

 だが、多過ぎる魔素故に制御(コントロール)が困難とされた。

 周囲の判断もあったが、ミカドの肉体も無意識に体の破壊を阻止すべく魔力を意識しない仕組みになっていた。

 例えるなら。

 海中で目を瞑って沈んでいた状態である。

 剣聖の魔力は『感情』によって励起(れいき)される特性があり、双子の弟との戦闘で起きた激しい情動に感応した体が魔力と結びついた。

 そして、昨日の大惨事に繋がった。


「…………当主様も、知ってたの?」

「知ってる」

「どうして」


 ミカドが問うと、曽祖父が苦笑する。

 当主様は――母は、魔力に目覚めてはいた。

 しかし、体内の魔素が乏しい所為(せい)で僅かな魔力しか練れないことで幼少期は苦悩し、知略に優れた自身の才能で現在は当主を務めている。

 ミカドの魔力については安全を危惧しての判断だった。

 その反面、そこには嫉妬(しっと)も含まれている。

 自分には無かった物に恵まれた息子。

 そのミカドを厭わしく思わなかったわけではなく、複雑な関係で十数年を過ごすことになったのである。


「虫のいい話かもしれんが」

「…………」

「あの娘を責めんでやってくれな」

「うん、僕も当主様……母さんを恨んだことなんて一度も無いよ」

「やれやれ」


 ミカドの頭に曽祖父の手が乗せられた。

 ごつごつとした掌が乱暴に髪を搔き乱すように動く。

 でも、不快ではなかった。 


「すまんな。

 世間じゃ魔獣と相討ちになった死人の扱いだ。発言力は無えわ、気付くのも遅いわの耄碌(もうろく)しまくってる」

「いや、そんなことないよ」

「ミカドに構うと嫉妬するアザミもまた可愛いんだが、ミカドに被害が出てちゃ爺の悪ふざけにしかなっとらんよな……はぁ」


 昔から曽祖父は変わらない。

 世には人界を救った大英雄と(うた)われている。

 弱きを助け強きを挫く、聖人のような精神の持ち主であり、悪は必ず裁く――という世間の評価とは、真逆の本性をしていた。

 頑固一徹、自分勝手、自由人。

 それが彼をよく知る者が受けた印象だ。

 世間で剣聖は死んだことになっている。

 領地には、彼を讃える墓碑(ぼひ)が造られて毎年だが人が参列し、華を添えていくほど世界に周知されていた。

 だが、実情は異なる。

 曽祖父は元傭兵だった。

 その過程で三大魔獣と戦になり、相討(あいう)ちになった後に蘇生され、有名人と騒がれるのが嫌になった彼は都合が良いと死人扱いを良しとした。

 それからは、本来なら剣爵の地位を受けるはずだったのを代わりに引き受けた曾祖母(そうそぼ)の尻に敷かれる日々を送り、ミカドまで血を繋いだ。

 現状、剣爵家内で曽祖父に発言力は皆無。

 できるのは情に訴えることのみである。

 以前からミカドの待遇には異を唱えていたが、当主様もまた彼にとっては可愛い孫娘、十数年以上も板挟(いたばさ)みの生活を送っていた。

 それがミカドには申し訳なかった。

 だが、この様子を見る限り曽祖父は微塵も気負っていない。


「だから、せめて見送りは欠かさんよ」

「……ありがとう」

「この状況じゃ、勘当は正解だろうな」

「え?」

「おまえさんは剣爵だとか、責任だとか感じずに夢を追って欲しいし」

「……うん」

「どうした?」


 曽祖父の姿勢は変わらない。

 やりたいことは、ひたすらやれ。

 曽祖父がミカドの夢を笑わず、推し進めたからこそ今がある。一度も折れず、旅に出て本格的に修行しようと意気込むほど料理を好きになれたのは彼のお蔭だ。

 感謝してもしきれない。

 それでも、罪悪感が残った。

 ミカドのせいで受けた沢山の気苦労がある。

 何より、長男が剣才も無く魔力も受け継がなかったから現状が完成しており、曽祖父を苦しませた要因になっていた。


「僕に剣の才能があれば」

「そんな物要らんだろ」

「いや、でも」

「俺の剣の腕が多少は達者だっただけだぞ。孤児で生きる為に傭兵になって、仕事を剣でこなしてただけの人間に倣わんで良い。てか、振る必要が無いなら剣なんて誰が持つか」

「多少って、世界救ったじゃん」

「あのな。

 ミカドの曾祖母ちゃんや仲間を守る為に戦った相手が、偶然にも世界を滅ぼす魔獣だっただけ。戦ったら勝手に人類が救われてただけだっての、他なんざ知るか」

「え、えー……」


 どこまでも世間の評価を裏切る曽祖父の在り方に、思わず顔が引き攣る。

 ミカドに石を投げる子供がいたときも、その子供を湖に投げて鼻で笑う性格だ。根っからの善人どころか、本人は善悪で飯が食えるかという持論(じろん)の持ち主である。


 それでも――ミカドはそんな曽祖父に憧れた。

 剣士になりたかったわけではない。

 ただ、曽祖父のような強い人間を目指し、彼と同じ剣を目指した時期がある。

 それが叶うことは無かったが。


「僕、曾祖父ちゃんみたいになりたかった」

「…………」

「『なまくら』にしかなれなかった」

「ミカド」


 唐突に曽祖父がミカドを抱きしめる。

 大きな体に包まれて、何事か一瞬理解できなかった。

 ミカドは驚いてバタバタと手を振る。


「いいか、心して聞け」

「は、はい」

「人間はな、たとえロクでなしだろうと世界に一人しかいない。たとえ、どうやったって唯一で、ソイツの歩む人生はソイツにしか作れない」

「その人しか、作れない?」

「そうだ。

 ミカドも、この世で唯一なんだよ。

 だから、生きてるだけでミカドにしか生きられない人生を生きてることになる。似たような経緯(いきさつ)、似たような結果は世間にゴロゴロ転がってるが、ミカドだけにしか作れない物なんだよ」


 ミカドの人生はミカドにしか作れない。

 幾ら真似ようと、結果が同じであろうと決して同一ではない。

 曽祖父の真剣な声色が耳に流れ込む。


「だから、誇れ」

「えっ」

「ミカドが慕ってくれる俺にさえ出来ないことを、おまえさんはやってるんだよ。人の為に怒ったりできる、優しいヤツだ。

 そんなのは『なまくら』じゃねえ」

「…………」

「俺よりも立派な『名剣』だろうが」


 にかっ、と曽祖父が笑う。

 その言葉に、ミカドは胸に強い痛みを覚えた。

 湧き上がった熱が込み上げて目元に集まる。

 涙が溢れる――反射的に力を入れて(こら)えたミカドの様子に気付いた曽祖父が、赤子をあやすように頭を優しく撫でた。


「泣きたきゃ泣け」

「ッ……」

「おまえさんは、人の為に怒ったり笑ったりするばっかだ。自分の為に泣いていい、怒っていいんだよ」

「ぅぅ…………!」

「そら、役に立たん爺の胸はこういう時こそ使うもんだぞ。門出の前に余計な物は全部吐き出しときな」


 曽祖父の優しさに、ミカドの中で感情が決壊する。

 自分の事なら別にいい。

 他人がそれで良いのなら、良しとしよう。

 そんな風に受け流して生きてきたが、鬱積は確実にミカドの中に溜まっていた。じくじくと胸を蝕み、その都度に無視してきた。

 自分が思った以上に溜め込んでいたのだと、ミカドはこの時に自覚した。



「ゔああああああああ―――!!」



 ミカドの慟哭が、開かれた玄関扉から別邸の中にまで響き渡る。

 それを気に留める余裕もミカドには無い。


「ミカドなら大丈夫だ」

「ひぐっ、ふぐ、ううッ…………!」

「満足するまでやってこい。

 最高の腕前になろうが、中途半端な職人だろうが、大陸最悪の料理人になろうが……ミカドの誇れる道を進みな」

「う゛ん…………!」

「一息付いたら、俺に一品作ってくれな」


 ミカドと体を離して、曽祖父は顔を覗き込む。


「頑張れよ」

「曾祖父ちゃんも、それまで死なないで」

天命(じゅみょう)に逆らえってか、無茶言うな。まあ、物は試しようだな」


 ミカドの涙を曽祖父の無骨な指が拭う。

 ふと、ミカドは曽祖父があまり約束を守らないことを思い出した。

 生前の曾祖母は、その性質でかなり苦労したと聞いている。


「ミカド、元気でな」

「うん」

「しばらく魔力(ちから)に振り回されるだろうが、そこは慣れてくしかない。制御が不完全じゃ、触れる物を傷つけかねんし…………大切なモノも守れねえ」

「…………」

「そこで、一つ爺から助言だ」


 ミカドを銀の瞳が真っ直ぐ見つめる。

 いつもこうだった。

 曽祖父の瞳は、まるで曇りの無い(みが)いた剣のように人を映す鏡になる。泣き腫らした顔は、昨日の鏡で見た自分よりもすっきりした面構えだった。


「大切なモノを想え」

「……それだけ?」

「重要だぞ、何せ俺は曾祖母ちゃんを想ってたから魔獣に勝てたしな。抜き身の剣みたいな俺を受け止める『(さや)』のような人だった」

「受け止める、鞘」

「今はいなくても、いつかミカドにも見つかる」

「自信無いよ」

「世界なんざ意外と狭いからな、すぐ見つかるって」


 今、ミカドも剥き出しの剣のような状態である。

 魔力が暴走して体が壊れるかもしれない。

 或いは、その影響で人を傷付けるかもしれない。

 いつかそんな自分を受け止めてくれる人に会えるだろうか、と不安も抱きつつ清々とした心持ちでミカドは曽祖父を見た。



「行ってきます」

「達者でやれよ」


 ミカドは曽祖父に一礼して、出立した。

 見送る視線は背中を押すようで、だが心強くさえ感じる。追放者としてではなく、晴れやかな門出の日と祝ってくれる家族の存在に、ミカドは夢への一歩目を踏み出した。












 ※  ※  ※




 そんな日から数カ月後。


 食堂からゼビルスを撃退した翌日、ミカドは食材の仕込みを行っている最中の厨房で店長と話していた。

 言わずもがな、内容は昨晩のことに限る。

 店の扉を破壊した事と、横柄(おうへい)な態度で看板娘にすら悪質な行為を働いていたゼビルスといえど客に乱暴な対応をした件について真っ先に謝罪した。

 あの後、失神(しっしん)したゼビルスは仲間たちが宿まで連れて行ったが、店内はミカドに対して過剰に怯える雰囲気になっており、食堂が居た堪れない状況になってしまった。

 冒険者に快い食事と時間を。

 それを目的としている店の意向に反したとして、ミカドは罪悪感を抱いていた。


「そんな落ち込むな、ミカド」

「すみません」

「魔力の所為で力仕事は出来ないが、おまえはよく働くし、おまえがいるから一部じゃ働きやすいっていう従業員もいるしな」

「僕が、いるから?」

「冒険者ってのは、力がありゃ誰でもやれる仕事だ。だから、職に困った無頼漢(ぶらいかん)がなる傾向が強くてな」


 だから客にも気性が荒かったり、粗相の多い人物が大半を占める。

 冒険者で人格者と呼べるのは、およそ高位の者だけだ。昨晩のゼビルスもそれなりに位のあるのだが、腕っ節のみで成り上がったがため性格は伴わず、その所為で本来はそこからもう一つ上がる筈の階級も万年現状維持を食らっている。


「だから、店に来る連中は軒並み強面(コワモテ)か乱暴者。おまえみたいに優しいヤツは心の安定剤になる、らしい」

「は、はあ?」

「とにかく、そう落ち込むな」


 店長の励ましにミカドは取り敢えず頷く。

 だが、このままではいけない。

 店で働くようになって数ヶ月が経つが、未だに厨房での仕事ができていない。魔力の影響で力加減が出来ず、この前は購入したばかりの包丁を握り潰し、俎板(まないた)を叩き切ってしまった。

 まだ何も進歩していない状態である。

 魔力の制御も出来ないから、ゼビルスも傷付けた。

 あれから食器は持てるようにはなったが、少し力むとすぐ暴発する。調理に手が付けられない事こそ痛恨の極みですらあった。

 このままではいけない。 


「曾祖父ちゃん。 僕、頑張るよ」


 ミカドは拳を握って決意を固めた。



「そういえばミカド」

「はい」

「今日はおまえに頼みたい仕事があるんだよ」

「頼みたい仕事、ですか?」

「最近契約した農場に渡す物があるんだが、よかったらおまえが持っていってくれるか」

「何処に農場はあるんですか」

「少し街から離れた田舎なんだが。兼ねて護衛依頼も出して、一級冒険者が引き受けてくれることになった」

「一級ですかッ!?」


 ミカドは思わず大きな声が出た。

 驚いた厨房の人たちに謝罪して、改めて依頼を受けた一級冒険者について考える。


 冒険者には階級がある。

 実力は勿論、貢献度や人格の評価などによって等級が変わるのだ。

 主に冒険者協会の支部長を除けば、四級から特級まで設けられた冒険者の位の中では極めて優秀な人材である。

 ゼビルスは二級だったが、一級の審査基準(しんさきじゅん)にある人格面に該当しなかった為に彼は二級止まり。

 つまり、彼よりは人格的にも安心感のあり、実力の高い人物が同行することになる。


「この街で一級冒険者って」

「昔の俺がそうだったが、引退後にこの街に一級が現れた記録は無いな」

「へえ」

「況してや、特級なんてのは夢のまた夢だ。大陸でも、そうそう現れたりしねぇ」

「でも、噂では最近現れたって」

「『天敵のジブリール』だろ?――アレは規格外だろ」

「たしか、僕とそう歳が変わらない女の子ですよね」

「イカれてるだろ、十五で胎窟最深部なんて魔境(まきょう)まで踏破するなんてよ。十層の仕事でも一級案件だし、例にある特級でも五十層が限界だ」

「胎窟って何層あるんでしょうね」

「事実上は百層以上らしい。

 数百年前に『冒険王キルトラ』が初の胎窟踏破を成し遂げて以来の快挙だ」


 胎窟は世界に無数(むすう)にある。

 魔獣の発生源として、謎多き胎窟の最奥まで調査することが冒険者の真の本懐とされた。

 だが、記録にある冒険王キルトラや天敵のジブリールは、『凄い強い魔獣と胎窟の核があり、持ち帰ることは不可能だ』とされる。

 なお、胎窟は一つひとつで性質が異なる。

 冒険者の仕事が絶えないのも、その果てしなさに起因している。


「一級冒険者か、緊張しますね」

「俺みたいなのだと思えばいい」

「あはは、結構ざっくりした感じですね」

「どういう意味だ」

「仕事します」


 ミカドは追及から逃げるように厨房を後にする。

 店内の食卓を布巾(ふきん)で丁寧に拭いていく。

 ただでさえ調理が出来ず、仕事が少ないミカドにとっては働かせて貰うだけで十分以上の報酬である。他の店ならこうもいかず、直ぐに解雇(かいこ)されていただろう。

 店長の人柄に感謝しなくてはならない。

 まだ冒険者協会も開業前とあり、食堂には協会の職員の姿が時折ちらつく程度だ。

 ほとんど無人だが、厨房の音で静かな場所は無い。


「よし、この席で最後――」

「貴方、ここの従業員?」

「おわぁッ!!!?」


 最後の一席を拭き終えて達成感に浸っていたミカドへ、不意打ちのように声がかけられる。

 無人だと思い込んでいたミカドは驚きのあまりその場から飛び退き、早鐘を打つ胸を押さえて声のした方を見る。

 優雅に腰掛けた少女と視線が交わる。

 この街の冒険者ならば憶えているミカドの記憶にもない顔だった。


「失礼な反応ね、ずっといたんだけど」

「す、すみません」

「私ってそんな影薄い?」

「いえ、僕が集中してただけで……」

「ずっと見てたわ、良い働きっぷり」

「え、あ、ありがとうございます?」


 ミカドは小首を傾げる。

 開業前の協会にいるのだから、冒険者ではなく職員なのだろう。

 だが、それにしては装いが異風だった。

 やや目線に困る革製の薄着よりも、露出した褐色肌に描かれた白い紋様がミカドは気になった。髪と同色の瞳の下にもある。

 横には、骨で作られたと思しき二本の剣が置かれていた。

 明らかに職員の風采ではない。


「あの、僕は食堂で働いているミカドです。貴女は、どちら様ですか?」

「私?」


 少女が自身の首から下げたプレートをミカドに見せる。

 板面に刻まれた文字からは、『一級冒険者』と読み取れた。


「護衛依頼を受けてきた、シェーナよ」


 ミカドはその自己紹介に愕然として固まる。

 まさか。


「まさか、貴女が農場までの警護をしてくれるっていう……」

「そ。――よろしくね」









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