5.それは最強に至る少女の物語
部屋の扉が開く気配。入ってきたのは蔵人だろう。
「おい、どうした。大丈夫か?」
額に手を当てたまま動かない俺に向かって、蔵人が声をかけてくる。
「……ああ……」
俺はまだ殆ど自由の効かない腕を強引に動かして、額から手を退かし、蔵人に視線を向けて応える。
「悪りぃ、蔵人。一つ約束を破っちまった」
まずは謝罪の言葉を述べる。
しかし、それだけでは何をしたのか通じなかったようで蔵人は眉根を寄せる反応のみであった。
「ゲーム内でお前に立ち入るなと言われた森の最奥部に入っちまった」
俺が言葉を続けると「ったく、お前は……」と呆れた声が返ってきた。
「あれは何なんだ?」
単刀直入に訊く。が、蔵人は「何のことだ」と首を傾げる。
話がかみ合っていない。
「森の最奥部は何に使われているんだ?」
言葉を変えて再度問いかける。
「ふむ。森の最奥部はこの病院で最も重篤な患者が居る場所だが、そこで何かあったのか?
下手をすれば体を動かすことも出来ず、言葉すらしゃべれない患者が居るくらいだと思うのだがな。
もしそこへ足を踏み込んだとしても、京士郎にとってみたら何も面白くない場所だろう。こっちとしては重篤患者を刺激してほしくないというのが本心なのだがな。
誰かと出会ったりしたのか?」
蔵人が訝しげに聞いてくる。その反応を見るに、本当に疑問を抱いている様だ。
「何かを隠してる、ってワケじゃなさそうだな。ならば蔵人も知らない事実なのかも知れないな」
自分にも言い聞かせる様に俺は呟く。そして、目を瞑り一度ゆっくりと息を吐くと、先程体験した内容を伝える。
その話を聞いて蔵人は「そんな事が」とだけ呟き黙考する。
「確かに技術者が人工知能のフィードバックや調整を行う為にエネミーには【知識共有】のスキルを持たせていると聞くが、一般の人間、しかも重症患者エリアの人間がそんなことが出来るとは思えない」
蔵人が分析し導き出した内容を口にする。
「お前が見たのは銀髪の少女だったと言ったな」
「ああ……」
「ならば、一人だけ心当たりがある」
蔵人の言葉に、俺は視線を向ける。
俺のその反応に蔵人は言葉を続ける。
「この病院には私が赴任する遥か前からずっと寝たきりで入院している少女がいる。
その少女は先天性の難病を患い立つことすら出来ない少女だ。その子はその病気の影響で髪の色素が抜け、真っ白な髪になっていて、たしかゲーム内のアバターも同じく白い髪にしたと言っていた。
そんな少女に人工知能へ知識を与える様な真似が出来るとは思えない。
そもそも私がこの病院へ赴任したのはその少女がいるからだ。この私でも救えるか分からない難病を患った少女だぞ」
その言葉に衝撃を受ける。
精気の感じられない、超常な存在のように感じられたのはそんな事情があったのか。だが、気になるのが――
「まさか蔵人がそこまで言う病気とはな。てっきりいつも見たいに『私に治せない患者はいない』と言うと思ったが」
「そう言ってくれるな。
そもそも、その病気は特効薬も有効な治療法も確立していない『不治の病』だ。
いや、正確には不治の病だったと言うのが正しいか。
去年の学会でその病についての論文が発表された。その論文では難病は『不治の病』ではなく、理論上は『治る病気』だというものだった。
まだ動物検証までしかされていないその理論が、実際に人に対しても有用であるのか、それを検証する為に私は実際の患者が居るこの病院に赴任したのだ」
渋面を作りながら蔵人が言葉を紡ぐ。
「で、どうなんだ。その少女の病気は治りそうなのか?」
俺の問いに蔵人はすぐには答えない。
「……うむ、何とも言えないな。学会の理論の通りの結果は出ているが手術で治るかの確証を得るまでは至っていない」
「蔵人。一つ頼みたい事がある」
「珍しいな、何だ?」
「その難病の少女。お前が治せると確証を得たならば、救ってやってくれないか」
その願いに、蔵人が驚きの表情を浮かべた。
「何を驚いている?」
その反応が癇に障ったので睨みつけてやる。
「おいおい、そんな目で見るな。そりゃそうだろ。何人もの人間を壊してきた孤高の格闘王が、一人の難病少女を救いたいなんて、柄じゃないこと言ったなら驚きもする」
「どんな目で俺を見てたんだ。
なぁ、蔵人。お前は『心が震えた』という経験をした事があるか?」
俺の問いの意味が伝わらなかったのか、蔵人からの答えが返ってこない。
「俺はある。
とんでもない才能に出会った時に俺は心が震える感覚を覚える。
お前に初めて会った時も、生涯のライバルと認めた『漆黒の巨人』と初めて対戦した時も心が震えた。
だが、あの少女を見た時にそれをも上回る『震え』を感じたんだ。
これは根拠もない俺のただの直感だが、あの少女はとんでもない才能を持っている」
あの森であの純白の少女を初めて見た時のことを思い出す。
「なるほどな……
京士郎の直感ならば賭けてみたくなるな。
それに世界初の手術成功となれば私の名声も上がるしな」
「ふん。そういう方がお前らしいな」
俺と蔵人は互いに視線を合わせ、笑みを見せる。
「ったく、分かったよ。話はそれで終いか?」
「ああ」
「そうか。それでは私は職務に戻るぞ」
「すまん。色々、負担をかけるな」
「今更だな。敢えて一言付け加えるとしたら「任せておけ」だ」
蔵人はその言葉を残して部屋を出て行った。
こうして一人の男の言葉で少女の運命は廻りだす。
★
ガラガラガラ……
移動式ベッドの車輪が回る音が響く。
そこに横たわるのはこれから手術を受ける患者。
「真雪。絶対元気になれるからな!」
「神様。お願いします」
付き添いの両親が涙ながらにそれを見送る。
患者の少女は必死に両親を安心させようと口角を上げている。
全身の筋肉が衰退しまるでミイラのような少女。眼窩は窪み、頬が痩け、髪の色素も抜け落ちた少女。
その少女を一目見ようと手術室への連絡通路に待機していた俺は我が目を疑う。
これがあの時の少女なのか。
想定していたよりも酷い状態を目にして言葉を失う。
なにをする事もなく移動式ベッドが前を通り過ぎる。
通り過ぎる瞬間、少女と目が合う。
――ゾクリ――
またしても心が震えた。
やはりあの少女だ。そう確信しつつ手術室へ入っていく少女を見送る。
少女は手術室に消え、手術中のランプが点灯する。
少女の両親は祈る様に手術室の近くの椅子に座り丸くなる。
「間違いなくあの少女だ。頼んだぞ、蔵人……」
俺はそう言葉を残して、電動車椅子を操作してその場を後にした。
★
少女の手術は成功した。
これからは食べた分だけ血肉となり、鍛えた分だけ身体が強くなるだろう、と蔵人が語った。
難病を克服した少女は、しかし現状は衰弱しきった身体のため歩くことすらできない状態で、しばらくはリハビリ生活となるらしい。
健康だった頃を知っている俺と違い、生まれてから今まで立ったことすらない少女は仮想現実の世界でまずは初歩的な体の動かし方を覚える所から始める様だ。
俺はゲームにダイブすると、少女がリハビリを行なっている森の最奥へ様子を見に行こうとしたが、最奥に近づくと動物達が殺気を放って威嚇する。
前の様に向こうからバトル申請してくる様な異常事態は起きないが、中々近づくことはできなかった。
そこで、ふと思い出した。エネミー討伐時に面白いアイテムを手に入れていた事を。
俺はアイテムストレージから『くまくまスーツ』を選択し、装備する。
『くまくまスーツ』は「見た目」が変わり、表示される「プレイヤー名」を変更できる着ぐるみ装備であった。
「この格好ならば動物も威嚇してこないだろう」
熊の格好になった姿でうんうんと頷く。表示名は適当に『bear』とした。
案の定、着ぐるみ姿になった俺は動物から威嚇されることなく、森の最奥へ歩み入ることが出来た。
陽だまりに照らされた開けた場所に、歩こうとしては転ぶ少女の姿があった。頭では歩き方は分かっている様だが、圧倒的に筋力が足りていない。
「いきなり歩こうとしても、筋力が無ければ無理だぞ」
俺は少女に歩み寄って声をかける。
「熊さんが、喋った?」
銀髪の少女はこちらを見ると、目を丸くして驚いている様だった。
そうか。この子は俺を喋る動物だと思っているんだな。まぁ、それでもいいがな。
「良かったら、俺が筋肉の付け方を教えてやろうか?」
口角を上げて笑って見せながら言葉をかける。
「うん。あの、お願い、できますか?」
少女は恐る恐る訊いてくる。
「ああ、いいだろう。
筋トレの仕方、体の動かし方から、格闘技まで全て教えてやる」
「はい。……でも、格闘技って?」
「ここは格闘ゲームの世界だからな。強さも必要だろ?
まぁまずは普通に歩ける様になるところからだ。
これからお前は俺の弟子だ。俺のことは師匠と呼べ」
不敵に笑って見せると、少女は口を引き結んでから「はい! 師匠」と答えた。
こうして俺はひとりの少女に身体の動かし方を教えることとなった。
この時の俺はまだ知る由はなかった。
この少女が並々ならぬ努力で、すぐに歩ける様になる事を――
まるでスポンジが水を吸収するかの様に、格闘技を覚えていく事を――
そして、1年後には自分を倒すまでの実力を身につけて、最強の格闘家へと上り詰めていく事を――
そうこれは最強の男が不慮の事故から復活する物語であるのと同時に、1人の病弱な少女が最強へと上り詰める物語なのである。
短編はここで終幕です。
もし続きが気になる方は、続編となる本編の方も読んでいただけるとと思います。
▼以下が本編の情報です▼
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Brave Battle Online〜病弱で虚弱な私でも、仮想空間では最強を目指せるようです〜