妄想
◆◆◆
「2―3号室。ここか」
「ですね」
ウィルが鍵を差し込み、分厚いドアを開けるなり、
「お先なのですっ!」
クレアは部屋の中央にあった大きなベッドに飛び込んだ。その顔はいつの間にか至福に満ちたものに変わっている。
「ふかふかベッドはわたしが一番のりです! この土地は占領しました! なはは」
窓こそひとつしか存在しないが、外部から新鮮な空気を取り込んで冷却し、室温を下げることが可能な冷房機を有し必要最低限の備品が揃った、その部屋の広さは予想以上のもの……だが、ベッドに関しては現在クレアが寝転がっているそれひとつしかない。
「え、てことは。僕はどこで寝るんだよ」
クレアに次いで其処に足を踏み入れたウィルは、そんな設備に感動する間もなく、かなり困惑した様子で義妹に尋ねる。
それに対して、義妹から戻ってきた返事は、
「もちろん床ですよ。華奢で、か弱いわたしと違って、元、王国リヴォルバー愛好会準会員のおにーさまはワイルドだから問題ありませんっ! それかフラミンゴのように立ち寝というのも一興かと」
「なっ……」
義妹から突きつけられた身勝手すぎる提案に、さすがのウィルも、ぴくりと頬を引きつらせる。
しかし、まぁ、兄妹の日常はいつもこのような力関係なのでいまさら驚くようなことでもないといえばないのだが……、それにしてもベッド派のウィルとしてはつらい選択肢である。
だが、当のクレアはそれを意に介す様子はない。
なんというマイペースで、ドエスでお嬢さま気質な義妹を持ったのだろうとウィルはいまさらながらに思い、そしていまさらながらに今回の旅を後悔した。
とは言うものの、唯一無二の義妹より愛らしい人物など彼の中には未だに存在しないのも事実であり、兄のほうが義妹より、あらゆる意味で立場が弱いことも事実なので、仕方なしに承諾するほかない。
「マクラと敷布団とシーツくらいは予備のものがクローゼットにあるはずです。おにーさまにはそれで十分です」
「ふ、相変わらずドエスだなクレア……。いつか、いつか僕はおまえを越えてやるぞ……。そしてこの歪んだ、兄妹(義理)間のパワーバランスを必ず元に……」
青年の口からそんな皮肉めいた言葉が小さく漏れそうになる頃には。
「ん、何か言いました?」
やはり、クレアから、じとーっとした、それでいておそろしく鋭い視線が注がれたので、ウィルは素早く彼女に背を向けそそくさとクローゼット漁りを開始した。
そうこうするうちに。
「えい、ドーンなのですっ」
その背中めがけて、大きなクッションが投げつけられたのは言うまでもない。
クレアならではのやんちゃなおふざけだ。
以前から、彼女は子供じみたいたずらを意外と好む傾向がある。
「…………」
しかし、今日のウィルはいつものように豪快なリアクションはとらない。それどころか、完全に義妹をスルーしていた。
「むっ」
反応のない兄を見て、彼女の眉根がぴくりと動く。
「ふ……」
この時、青年は心の底で小さく笑っていた。
そう、これはウィルなりの下克上だ。
ウィルはしばらくだんまりを決め込むことで、生意気なクレアにちょっとした仕返しをするつもりでいたのだ。
おそらく、このまま彼が無視を決め込めば、
「おにーさま。いつもいたずらしてごめんなさいぃっ。クレアはおにーさまがいないと何もできないです。ふえ」
そんな言葉と共に、彼女はいずれ謝罪して兄のほうへと泣きついてくることだろう。
クレアは気が強い娘だ。
けれど、無視されることには弱い。
この行為は、クレアの天下で崩れた兄妹間のパワーバランスを元に戻すのに、良いきっかけとなるはず。
……そのように考えた上で、ウィルはスルーを決めた。
数分が経過。
「うううー、つまんないのですっ」
一向に、兄から構ってもらえないクレアは頬を膨らます。
「…………」
これに味を占めた青年は、やはり沈黙。
ベッドの上からじーっという視線。
沈黙。
ベッドの上からじーっという視線。
沈黙。
ベッドの上からじーっという視線。
沈黙。
ベッドの上からじーっという視線。
沈黙。
(以下略)
しかし、この時点で、さすがのクレアも兄の作戦に気付いてきたようだ。
「ほう、そういうやり方なのですか。いいでしょう、ならば、こちらからも」
彼女は得意な笑みを浮かべると、自分の着ているクラシカルドレスに目をやった。
「ん」
泣きつくまでは完全に無視する予定だったが、ベッドにいる義妹の様子が変だということに、ウィルは気がつく。
自分の後ろで、ベッドの上で。
一体、義妹は何をしている。
気になる。
気になってしまう……。
いや、気にしてはこちらの負けだ。
だが一体、やつはどんな手でくるのか。
次第に募る、ウィルの好奇心。
仕方がない。
青年は気付かれないようにそっと義妹の方を盗み見る。
同時に、彼の全身を衝撃が駆け抜けていった。
なんと、クレアはドレスのボタンをゆっくりとはずし始めているではないか。
しかも、次にはそれを脱いでしまって。
あげく、下着とニーソだけの姿になって。
「なっ! なっ! おまえなにをっ……」
下着(+ニーソ)姿のクレアから目を離せない青年の顔は、みるみるうちに赤く染まっていく。
「くっ、色仕掛けできやがったか。やられた!」
だが、彼もこのまま、あっさりと誘惑に負けるわけにはいかない。
この状態ではまずいと、なんとかクローゼット方面に向き直る。
そして、平静を取り戻そうとしたが、……難しい。
「僕の心は無だ。アーメン、アーメン、アーメン。ぐぬ」
煩悩を絶つために、そんな言葉すら唱えてみたが効果は未知数。
さて、それを知ってか知らずか、クレアはベッドを降りると、彼の背後にひたり、ひたりと歩を近づけてきた。
いま、青年の後ろで義妹はおそらく下着とニーソだけのあられもない姿を晒しているのだろう。
「…………わっ」
彼女の細い手がウィルの肩に触れる。
おまけに打算的な猫なで声を使い、彼女が耳元でささやいたならば、
「肩を揉んでさしあげますね。おにーさまへの日頃の感謝とご奉仕です」
さすがの彼も音をあげた。
「……わああああああああああああああ、やめろおおおおおお」
「やったー。反応してくれた。わたしの勝ちなのですー」
「はいはい、負けましたよ」
ウィルは完全に降伏すると、彼女のほうを振り向く。
すると、青年の期待とは裏腹に、クレアはパジャマ姿だった。
どうやら、先ほどのあれは単に寝巻に着替えていただけらしい。
兄の男心と早合点を利用した、クレアの巧みな作戦勝ちである。
「……く、焦ってバカな妄想しちまったじゃねーか」
結局、今宵の戦い(?)も、軍配は義妹に上がる形で幕を閉じた。