ティーハウス・メイドと招待客
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「誰かいらっしゃいますか?」
そんな挨拶を添えて屋敷の中に入ると、吊るされたシャンデリアに、壁に掛けられた絵画という予想よりもはるかに豪華な内装が雨に濡れた二人を出迎えた。
「中は化け物屋敷じゃないんだな。ホッとしたよ。僕は」
「わたしは中もボロのほうが好みでしたが……」
「それはたぶん、国中でも一部の廃墟マニアとおまえだけだから安心しろ」
「ううっ」
「にしても、豪華だな。この内装は」
「ですわね」
素晴らしい内装に兄妹が少しの間、目を奪われていると。
「あっ、おかえりなさいませご主人様、お嬢様」
いつの間にか二人の前には、薄手のエプロンドレスに身を包んだ可愛らしい少女が姿を見せていた。
淡雪のような肌にサラサラとした肩までの黒髪が美しく、くりりとした夜色の丸い瞳が印象的な娘である。
幽霊や幻覚などではなく、当然ながら生身の人間。どうやらここで働くティーハウス・メイドらしい。
「やぁ、どうも。ここってティーハウスで……あってますよね? 今は営業中なのでしょうか?」
急な来訪ということもあって、ウィルは申し訳なさそうに頬を掻いて尋ねた。
だが、やはりというか、突然すぎる来客を受けたメイドはバツが悪そうな表情を浮かべている。
「すみません、ご主人さま、表の営業看板を偶然にもしまい忘れてしまっておりました。しかし、今日はご予約の団体さまがおられまして一般のお客様は受け付けておりません。どうかお引き取りくださいませ。本当に申し訳ないことは承知なのですが…………」
しかし、それもこの兄妹には意味をなさなかった。
特に義妹の前では。
「ダメですよ、メイド! 表に営業中の看板が一度でも出た以上、ちゃんとしたサービスを提供してくださいっ! そもそもサービスの語源はサーブです。元をたどれば奉仕という意味の言葉につながっているはずです! だから当然――」
メイドの言葉を遮ったクレアはいつものごとく独自の理論でまくしたてる。
「うっ……」
「じぃーっ、ですの」
そして、最終的には猫のように大きな双眸でじーっと相手を睨みつける。こりゃ完全に圧力をかけているな、と鈍感なウィルですら確信する始末だ。
もはや、彼女のそれは人に物を頼む態度ではなくなっていた。
このままでは埒が明かないと考えた兄は、義妹とは違う視点で別の作戦に切り替えることに。
それはというと。
「お、お願いです。僕たちは薄暗い森の中、細い脚ですでに三時間以上さ迷い歩いたんです。もし、ここで休息を取らなかったら翌朝には、森の狼の腹の中でしょうね。ええ、間違いない。やつらは腹を空かせています。だから、どうか! どうかご慈悲を!」
スプーンひとさじ分だけお話を盛って、同情を誘うというスタンダードな作戦。……のはずだったが、すぐに義妹からの訂正が入る。
「おにーさま。この森に野生の狼は生息していません」
「おまえ……。余計なことを」
「だって誤りは誤りです」
「くぅうう。こういう時はいいんだよ!」
「だめですよ。いくら、おにーさまの内面が腐ってるからといっても嘘はだめです」
「お、おいぃっ。バカヤロ」
「は、はぁ。でも確かに。お二人とも、ずぶ濡れですね。少なくとも森の中でお迷いになったというのは事実なのでしょう」
「え、ええ。事実も事実です。なんなら、いますぐこの靴を脱いで、タコが出来た僕の足の裏をお見せしても構いません。減るものではありませんから」
「いえ。結構です。……分かりました。わたしもこう見えてクリスチャン、慈愛の心は持ち合わせています。では、特別にお客様方も案内させていただけるようにオーナーと団体のお客様に掛け合ってみましょう。でも特別なんですよ? オーケーが出るかは分かりませんので事前にご了承くださいませね」
「あ、ありがとうございます!」
少しばかり話を盛ってしまったものの、ウィルはなんとかメイドの良心に訴えることに成功したようだ。
「やりますわね、おにーさま。まぐれ技とはいえ、その強情っぷり見直しましたの」
「ははは。プロの小説家にはこれくらい造作のないことだよ。強情は余計だろうが」
珍しく義妹から賞賛されたウィルの表情は急に得意げなものになる。
だがクレアはもちろん、
「いえ、さすがは尊敬するおにーさまです。やり方はわたし以下で最低でしたけれど」
「う……、最後の一文は聞かなかったことにしようかね」
釘を刺すことを忘れなかった。
それから待つこと数分。
「オーケーだそうです。お入りくださいませ。ご主人さま、お嬢さま」
戻ってきたメイドから迎え入れられた二人は広いホールに通された。
やはりそこも豪華な内装になっており、シャンデリアに照らし出された室内には、モダンなカフェテーブルが所々配置されている。
そして、それぞれの席には複数名の男女が座っており、クレアとウィルの入場をじっと見つめていた。
「………」
一瞬、二人はたじろいだものの、客たちが予想したよりも温かい表情で迎えてくれているようなので胸を撫で下ろす。
おそらく、クリスチャンのメイドが上手いこと彼らに根回しをしておいてくれたのだろう。
「ごきげんよう」
表向きは彼らに笑みを返しつつも、クレアは傍らのウィルに小さな声でこぼした。
「……こいつら外見から判断するに、二十代から四十代までの育ちのいい貴族階級ですわね。人数にして六名。でも、いったいどうしてこんなところに」
「……ふむ。森で狩猟でもやっていたと見るのが妥当か」
ウィルも一応は貴族たちに笑顔を返すが、その目はあまり笑っていない。
クレアの言った通り、一見したところでは、二十代から四十代くらいに見える貴族の男女、六名がティーカップを片手にくつろいでいる。
ここが深い森の奥、木々に囲まれた人気のない場所であることを考えると不思議な光景ではある。
ウィルとクレアがそれぞれ近くの席に腰をおろすと、今度は白髪で丸眼鏡を掛けた恰幅のいい、オーナーらしき男性が二人のそばに姿を見せていた。
「おやおや。これはまた珍しいお客さんが来られましたな。この深い森。道にでも迷われましたか?」
兄妹をまじまじと見つめた後、男はヤニだらけの歯を見せて笑った。
「……え、ええ」
少しの間を置いた後、ウィルは男に向けて薄い笑顔をつくる。
一方でクレアは、
「当然ですの。というか、迷いすぎましたわ。おかげで、まだ頭痛薬も飲めていません」
いつものように淡端とした口調で応えた。どうやら取り繕うのに疲れてきたらしい。
それを聞いた男は一瞬だけ、レンズの向こうで目を大きくしたが、
「はっ、ははは。旅人くんの妹さんかな。面白い子ですな。それに美人だ」
すぐに平静な笑顔で場を取り持たせた。
「あ、すみません。こいつに関しては、僕の教育不足で」
「むっ、わたしはおにーさまよりも、教養ならありますわ」
兄の言葉に、ひくっと頬を引きつらせるクレア。
対するオーナーは。
「いやいや。妹さんのように元気があるのは素晴らしいことだよ。ただし、教養だけがあってもいかんぞ。教養ばかりでなく、より優れた英知と作法を身に着けなければね。さもないと、王国中から忌み嫌われて追放された、あの、呪われの永久契約姫たちのように永遠に世界放浪をするはめになりますぞ。なんて冗談がこの地方にはあるのだよ。はははははははは」
「いま…………殿方。なんと?」
男の言葉を聞いたクレアの表情が一瞬にして厳しいものに変わる。
「おい、クレア」
が、ウィルがフォローを入れる必要はなかった。
空気を濁したことを察した彼自身により、すぐに話題が切り替えられたのだ。
「申し訳ない。呪われしガラクタ。エターナル連中の名など口にする価値もなかったですな。失礼した。ところで、そう、ちょうどよかった。というのも、これから我々はそれぞれが自己紹介をしようと考えていましてね。よかったらきみたちも参加してくれたまえ。旅の人」
この突然の誘いを受けて、ウィルは例の一団のほうを一瞥したのち、
「ええ。もちろん構いませんよ。僕らもその中に入れていただけるのは光栄です」
軽く微笑み礼をする。
クレアも自己紹介にはしぶしぶながら同意したようである。
「……や、やってあげるから、冷たいお水くらい出しなさいな」
彼女は無理やり自制するかのごとく、ふぁぁ、と手であくびをしながら言い放った。義妹のこのように一見、自由奔放な様子は、猫科の動物を連想させる、と傍らのウィルは思った。
だが、彼は知っている。
一口に猫科動物といっても、それこそ子猫から虎までを指す言葉だ。そして自分というものを完全に忘れたクレアに関しては…………だということを。