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どんでん返し


 ◆◆◆










「危機一髪だったな」

「……ええ」

「途中でおまえが動かなくなったときはダメかと思ったよ」

「ごめんなさい」

 兄妹が、光が差し込む隙間に身体をねじ入れ、脱出してから、わずか数分後。

 タイミングを見計らったかのように、森の洋館『メルヒェン』は、轟音をたてて崩壊していった。

 それは、ウィルとクレアには、まるで事件を通じて犠牲になった者たちの悲痛な叫びのようにすら聞こえた。

「事件は解決すれど。……悲しいな」

「はい」

 涼風が通り過ぎ、足元の落ち葉が舞い上げられる。

 朝の光は何事もなかったかのように兄と妹を明るく照らしている。

「……でも、よかったです」

「ん?」

「おにーさまに大きな怪我などがないのなら」

「そりゃどうも。かすり傷は負ったけどね」

「えっ! 見せてください」

 不安げな表情でクレアは、すっと青年の傍に身をよせる。

「いや、大丈夫だって」

「ダメです! かすり傷でも、時と場合によって命にかかわります」

「いや。かかわらないだろ」

「いいから、お見せくださいな」

「わーったよ」

 ウィルは仕方なしにシャツの腕をまくった。

 そこには、廃材を避ける時に出来た大きな打撲痕があった。

 かすり傷といっていたわりには、やや深刻に見える。

「じーっ」

 クレアはそれに顔を近づけると、まるで猫のようにじっと凝視している。

「なにしてるんだ、おまえ」

 ペロペロ。

「え?」

 ペロペロ。

「えーーーーっ」

 ウィルが再び何か言おうとした時、すでにクレアは、兄の腕を、桃色の舌でペロペロと舐めはじめていた。

「バ、バカ。おまえ!」

 ウィルの傷跡が徐々に熱くなるのが分かる。

「列車に戻りましょう。ここにいると悲しいのです」

 やがて、クレアはあっさりとそう言うと小さな背を向けてしまった。

「……ああ」

 ウィルは、一応は返事をしながらも、ふぅっと嘆息して、ひときわ鼓動が激しくなった心臓を押さえた。

「なんてことだ」

 と言いつつも。この時、ウィルは永久契約姫エターナルという、不思議な存在に改めて、強い魅力を感じていた。

 ……クレアの舌に触れたウィルの打撲は、初めから何も無かったかのごとく完治していたのだ。

 どうやらエターナルの体液は、ある程度の治癒、ヒーリング能力までも備えているようだ。

「……やはり素晴らしいな。エターナルは」

 ウィルは感動して言ったつもりだったが、

「おにーさまっ!」

 即座に、クレアから叱咤が飛ぶ。

 余談になるが、『エターナル』という呼称を軽々しく使われるのを、クレアは嫌う。

 それは、彼女いわく都市部では未だに忌避される名称だからなのだという。

 そういった意味で考えるとすれば、彼女たちはアカリの言うように、未だにある種の呪縛に捕らわれているのだろう。

 なお、セントラルに住む人間の中には、エターナルへの迫害や忌避は、彼女たちが優れた能力を持つ代償だと正当化している者もいる。

 だが、クレアと行動を共にするウィルは決して、それを心よくは思わない。

 いや、むしろ、こういった偏見こそが明らかに、前時代的なものだ……と、青年は物心がついた時からずっと思っている。

 天は、人の下に英知の悲しき姫たちを……、本当に配置するのか。

 いや、彼女たちは、ある種、普通の人間以上に人間らしい一面を持っている。なのに、どうして人々はそこに目をやらないのか。

 青年には、それが悔やまれた。

 だが、いつかはこのような偏見に、終止符が打たれなければならない。

 もし、その日がやって来ないとしたら。

 それこそ自分が先駆者となってでも、その日を創る。

 ウィルは心のどこかで、そんな覚悟を決めていた。

 クレアの前で口には出さないけれど。

「…………」

 それ以降、ウィルとクレアは横に並んで、黙々と獣道を歩いてゆく。

 森を進むにつれて漂ってくる木の香りはどこか懐かしく。

 差し込んでくる、木漏れ日も、やはり懐かしい。

 静寂。

 小鳥のさえずり。

 静寂。

 小鳥のさえずり。

 静寂。

 そんな森を、ひたすらに歩く。

 昨晩、降った雨のせいで、まだ柔らかい土の上。

 新たな靴跡が、一歩、また一歩と形成されていった。

 再び、小鳥が心地よい鳴き声を響かせ始めた頃。

 兄妹の歩みが止まる。

「到着です」

 クレアが、瑞々しい唇を開き、沈黙を破った。

「ああ」と、ウィルが頷く。

 二人の前には、あの時の列車があった。

 未だに停止したままである。

 救助の人間はまだ誰も来ていない。

 おそらくここがセントラルシティから随分と離れた僻地のためだろう。おまけに森は広大で迷いやすい。

 道中で二人が殆ど迷わずに、まっすぐこの場所までたどり着けたのは、幸運だったといえる。

「乗り込みます? まだ動きはしませんが、コンパートメントで、昼寝と読書くらいならできそうですよ」

 クレアの言葉に、ウィルは「そうだね」と返事をした。

 だが、その表情はどこか険しい。

「どうしました、おにーさま? 随分と難しい顔されていますけれど」

 クレアが気になったので、そっと尋ねると、ウィルは。

「いや、どうにも腑に落ちない点があってね」

「腑に落ちない点……?」

「ああ。それは昨晩の事件に関してのことだ。歩きながら色々と考えていたんだよ。そしたら、事件のことも思い出して。で、そのうちのひとつが、ちょっと自分の中で引っかかっちゃってね」

「なるほど。しかし、事件はもはや終わりましたよね。一体、いまさら何が引っかかると言うのです?」

「閉鎖空間。つまり、クローズドサークルさ」

「クローズドサークル?」

「ああ。オーナーが殺された件についての推理は何ら問題はなかったと自負している。けれど、オーナーが殺害された後に、作られたクローズドサークルについては唯一といっていいくらいに引っかかっているんだ」

「ふむ。電話線や車が破壊された件ですよね。まぁ、面倒なことしたとは思いますけれどね」

「いや、どう考えても、腑に落ちない」

「それはどうして?」

「アカリさんにはあのような閉鎖的な状況を作るメリットはなかったって、思うからさ」

「と、いいますと?」

「だって彼女はオーナーを殺害した時点ですでに目的を達成していただろ。だから、もはや自分を疑っていない他の宿泊客まで巻き添えにする必要はなかったはずだ。いや、むしろそちらの方がリスクが高いよ」

「……確かに」

「それに、あの夜の彼女の行動にも、それらしいところは見当たらなかったように思えるんだ」

「言われてみれば、そうですね」

「結論を言わせてもらうと、僕の推理はあるところに辿りついてしまったんだが、クレアは興味あるかい?」

「かなり興味ありますね」

「ふむ。じゃあ、僕がたどり着いた結論を教えよう。……クローズドサークルを作ったのはアカリさんではないよ」

「本当ですの!?」

「ああ。閉鎖空間を作り出した犯人は別にいる」

「すると、宿泊客の誰かが……」

「いや、彼らにもそれをする理由はないはず。ついでに僕らでもない。となると、だいたい分かるだろ?」

「まさか……」

「そう。外部の人間だ。もっとも、そいつが誰かというところまでは特定ができていないんだけれど」

「……ほむ」

「険しい顔つきだった理由はこれだよ。悪いな、残念ながら、これは犯人の特定ができていない以上は、オチのつかない話だ」

 ウィルが言い終えた時。

「ご名答ですな」

 背後から男の声がした。

「な!」

 一瞬の出来事。

 兄妹は、即座に振り向くと身構える。

 すると、どこからともなく、旅人のような格好をした、壮年の男が二人の前に、姿を見せていた。

 豊かな口髭が特徴的な、その男は乱雑に生えた草の葉を払いながら、歩いてきた後、二人に向かって軽く一礼すると、

「この節はどうも。お騒がせしました」

 そう言って笑った。

「あなたは!」

「……ドーベルマンに追いかけられていた、同乗の旅人さん。どうしてここに!」

 ウィルとクレアは、思わず声を大きくする。

 男の顔に二人は見覚えがある。

 いま停止している列車が森に入る直前まで、乗客はウィルとクレアだけではなく、実はもう一人存在していた。

 その人物こそ、この男だったのだ。

 しかし、途中に立ち寄った休憩所で彼はドーベルマンに襲われて、どこかに姿を消したはずだった。

 それが、まさかこんなところで再会することになるとは。

 ウィルとクレアは想像さえしない。

「昨晩の、クローズドサークルはあなたの仕業ですか?」

 ウィルはやや緊張した面持ちで旅人に尋ねる。

 すると、彼はすんなりと認めた。

「そうです。あれをやったのは私です。なかなか苦労しましたが」

「どうして、わざわざそんなことをやったのですか!?」

 今度は、クレアが強い口調で彼に訊いた。

「そりゃあ、まぁ……。王の命令でしたからね」

 やはり、男は物怖じせずに答える。

「王の命令……だって?」

 ウィルの眉根が動いた。

「そうです。実は、私は、オーナー、つまり、身分を隠したオルフィレウスⅠ世どのに命じられて、反王室系の団体に所属している疑惑がある貴族たちを殲滅しに、セントラルシティから派遣されていた人間なのです」

「なにっ……」

「つまりは、旅人を装った刺客だったわけです。……が、すでに反王室系団体の貴族たちは死に、オルフィレウスⅠ世どのも、この世からいなくなった。だから、もはや、その命令は意味をなさない。すでに解除されたといってよいでしょう」

「やはり事実は小説より奇妙ですね。信じがたいのです」

 これを聞いたクレアは長い髪の先端を指先でくるりと遊ばせながら、苦笑する。

「確かに。信じられない」

 同意するように、ウィルも頷く。

 旅人は「でも本当の話なんですよ」と、頭を掻いて笑った。

 そして、兄妹に提案した。

「そうだ。お二人。もし、セントラルシティに戻られる予定でしたら、もう一度、私と帰路ご一緒しませんか? ……というのも、ちょうど馬車を手配しておりますので、よかったらどうでしょう?」

「そりゃあ、僕としてはありがたい話だが。……クレアはどうだい?」

「願ったり叶ったりです。乗せてもらいましょう。おにーさま! これ以上、救助の阿呆どもを待っているつもりは、少なくとも、わたしにはありません!」

「では、決まりですね」

 男は指を咥えると口笛を吹く。

 三人のそばに一台の馬車がやって来ていた。



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