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推理

《第二章》


























 壁に掛けられたアンティークの時計がカチカチと静寂な空間に音を刻んでいた。

 客達の耳がその音に随分と慣れ始めた頃。

「ふむ、私にはようやくある推測が浮かびましたよ」

 それまで沈黙していたウィスキーが長い口髭を触りながら、何か閃いたように言った。

「ちなみに、言っておくと私はウィルさんと同じく犯人はアカリ氏ではないという仮定をしています」

「え、本当ですか。……よ、よかったです」

 突然、彼にそう告げられたアカリは安堵して胸を撫で下ろす。

 先ほどまで容疑者候補とされていたのが嘘のような対応だ。

 が、それもつかの間。

 髭の男、ウィスキーは疑わしげな視線をクレアに向けた。

「クレアさん。お疲れのところ申し訳ないがね。質問をさせてくれないか」

 今度は、自分が疑惑の標的にされていることを察したクレアは、男を無表情な瞳で睨み返すと「なんですか?」、と感情を押し殺した声で訊く。

「いや、あなたはオーナーたちに支給されたフランクフルトをちゃんと食べたのか、それが私には気になりましてね?」

「いえ、わたしはあれは苦手なので速攻ゴミ箱行きでした。あははは」

「ははは。……ですよね。きっちりと確認しましたから。さて、それが事実とくれば本当に笑いごとで済みましょうかね?」

「んむ、何か言いたそうですね?」

 先ほどに続いて、険悪なムードがその場を包み始める。

 どうやら、探偵きどりなウィスキーは、本気でクレアを容疑者だと思い込んでいるらしい。

 それにしても厄介なことになった、この状況を見てウィルは渋面をつくる。

「いや、あなたという人は毒入りのフランクフルトを都合よく、ゴミ箱に捨てたんですよね? この行動自体、すでに死人が出ている以上は疑われても何らおかしくない。ご自分でそうは思いませんか?」

「いいえ。全然。だって、わたしはフランクフルトなんて元から大嫌いですからね。しかも日ごろから頭痛薬と特定の食料および飲料しか飲まない人ですし。ちなみに証人は隣にいる、おにーさまです。わたしが疑われるなんて論外もいいところですよ。ねー、おにーさまっ?」

 クレアは淡端とした口調でそれだけ言うと、ウィルに無邪気な微笑を見せた。どうやら、自分の無実は兄がすぐに晴らしてくれると信じているようだ。

 けれどウィルにとっては、さらなるプレッシャーである。

 しかも彼女がいつもながらの挑発的対応をとったことにより、男の中でのクレアに対する疑いの感情はさらに強まっているに違いない。

 この不利な状況から義妹の疑いを晴らし、無実を証明するのはかなり骨が折れそうだ。

「はぁ……」

 やはりウィルは、小さくため息を漏らす。

 と、ウィスキーは長い口髭を触りながら、唐突に周囲に目配せした。

「いいですか!? 皆さん。後にゴミ箱や室内をくまなく探せば、どのみち分かることです。いまから私がある質問をします。その質問にはくれぐれも正直に手をあげてくださるようにお願いします」

 一方的に、男の口から放たれた言葉。

(こいつ、まさか……)

 先ほどに続いて、再び窮地の瞬間が訪れていた。

 ウィルの額に滲み出すのは、冷たい汗。

「この中で支給されたフランクフルトの夜食を食べた方のみ、正直な挙手をお願いいたします」

 予期しないシナリオ、最悪である。

「はぁ……」

 クレアもまた、嘆息している。

 それも無理はない。

「うぐ……」

 義妹を差し置いて手を挙げざる得ない状況に、ウィルは困惑の表情を浮かべる。

 こうしてメイドと宿泊客たちは自らの無実を文字通りその手で証明することになった。

 クレア、ただ一人を除いた状態で。

「はぅ。ついてないですね」

 運の悪いことに、彼女以外は全員が問題の夜食を食べていたらしい。

「これで追い詰められましたね。クレアさん」

 ウィスキーの顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。

「…………」

 いつの間にか、周囲の男たちは忌々しげにクレアを睨んでいる。

「ちょっと待ってくれ!」

 ウィルは窮地の義妹をなんとか救おうとするが。

 間髪いれずに宿泊客たちから飛んでくる罵声。

「オーナー殺しの犯人はこの娘だったのか!」


「危うく我々も殺されるところだったな」


「怪しいとは思っていました」


「白状しろ!」

 これを動かぬ証拠と見た貴族たちは、忘我した。

 こうなれば、彼らを制止するすべはない。

 大切なクレアを救いたい気持ちはある。

 なのに。

 なのに、何故、聡明な頭で考えられない。

 どうして推理が進まない。

 理由は簡単だ。

 決定的な鍵が足りていない。

 いったい犯人は……。

 いったい犯人は、どうやってあの特殊な『殺人装置』を作動させたんだ。

 考えろ。

 畜生。

 せっかく喉まで答えが出かかっているというのに。

 僕は……。

「くそ」

 宿泊客たちから犯人と疑われ罵倒されるクレアの姿に心を痛めてしまったウィルは、半ば推理を諦める。

 彼が顔を伏せかけた時。

 ウィルはクレアから、じーっと無言の視線が注がれるのを感じた。

「!」

 青年が目をやれば。

 その先には、やはり義妹のひどく儚げな、濡れたようなスカイブルーの瞳がある。

 すまな……い。クレア。

 クレア。

 いや。

 ……違う。

 これは。

 まさ、か。

 そして、ウィルはようやく気がつく。

 彼女の唇が小さく開き、何か大切なメッセージを伝えようとしていることに。

 しかも。

 どこかさり気なさ過ぎて。

 どこか天邪鬼で。

 どこか分かりにくい、彼女なりの言葉と表現を用いて。


「おにーさま。今夜は確かに苦労クロウが多いですわね」


 耳を澄まさなければ、掻き消されそうなほどに静かな声だった。

 けれど。

 けれど、彼女は確かにそう言った。

 今夜は苦労が多い、と。

 そう、クロウ……が。

 カラスが。

 そういえば、被害者の部屋に入った時も。

 カラスたちの鳴き声が。

 そして、あの部屋は確かに普通じゃなかった。

 ……暑すぎたのだ。






「……っ!」











 傍からすれば、何の意味も持たないセリフ。

 だが、その言葉を聴いた瞬間、ウィルの脳内には衝撃が走っていた。

 まさしく、身に覚えのある感覚だ。

 推理の歯車がぎっちりと噛み合った感覚。

 確信的な現象はウィルの中で確かに起こって、瞬く間に通り過ぎる。

 決定的な推理の鍵は、いまようやく手に入ったらしい。

 思わず、青年は、

「クレアらしいな」

 そんな言葉とともに微笑した。

 あまりに複雑怪奇。

 それでいてあまりに明快な義妹のメッセージにより、毒殺の謎は…………解決をみた。

「感謝する」

 どうやら、ウィルとクレアはそれぞれ事件の真相にたどり着いたようだ。

 青年は唇を僅かに緩ませ、そして堂々とした口調で宿泊客たちに言い放った。

「やはり、僕たち兄妹は推理小説が好きなようです。小説の中で人を殺しても、実際に人は殺さないあたりね」

「…………」

「事件の真相が分かりましたよ」


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