表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/21

さつじんじけん

 ◆◆◆










 館内の静寂を切り裂くようにして若い女性の悲鳴が響いたのは、それから二時間も経たないうちのことだった。

「な、なんだ!」

「うぐ……、何事なのです!? こんな夜中に」

 気付けば、ベッドと床の上でスー、スーとそれぞれ寝息をたてていた兄妹は反射的に身を起こす。

 同じく飛び起きたのであろう他の宿泊客たちのドタドタとあわてて廊下を走る音までもが上階から聞こえてくる始末。

「ていうか、五月蝿いのです! やつら説教してやらねばなりません!」

 そんな憤慨の混じった言葉を吐き捨てるのと同時に、クレアはパジャマからむき出しになった白い足で覆いかぶさっている布団を思い切り蹴り上げた。

「説教っていうよりも……、明らかに様子がおかしかったぞ。何か事件があったんじゃないか!?」

「ふむ……。やつらのところへ向かったほうがいいでしょうかね」

「だろうね」

「……」

 クレアは一瞬だけ考えたが、すぐに。

「仕方ありませんね。悲鳴は上からでしたよね?」

「ああ、さっきの悲鳴はおそらく三階からのものだ」

「では三階に向かいましょう! もし、これだけ大騒ぎしておいて何事もない情事の発覚とかだったら、わたしが全員ぬっころしてやります!」

「ふ、その時は黙認、加担させてもらうか」

「なんだかんだといって、殺人ではないことを祈りますが」

「同じくだよ」

 そんな会話を交わした後に、二人は身支度を軽く整える(クレアは着替える)と、大慌てで部屋を飛び出した。

 部屋番号3―2号室にたどり着く頃。

「…………」

 その部屋の前は、ショックで殆ど言葉を失った宿泊客たちでごった返していた。

 どうやら最悪の予感が当たってしまったらしい。

 そう、すでにその部屋を割り当てられた男、いや、正確には自分で割り当てた男は。

 ……死んでいた。

 永久機関と違って、もはや二度と動くことのなくなった、カネルス・アンダーソンの死体。

 直前に、もがいたとみられる痕跡。

 カーペットに染みた血液。

 開いた瞳孔。

 髭で覆われた被害者の口もとは熟したトマトのように赤く染まっていた。

「……嘘だろ、オーナー」

「な、なんてこった」

「悪夢だとしか」

 恐怖に顔を歪める宿泊客たち。

 ウィルも最初はショックを受けて言葉なく立ち尽くしたが、小康状態になるのに他の人々ほど時間は掛からなかった。

「オーナー……。どうして……。どうしてっ! ううう……」

 当然ながら少女は声にならない声でそう言った。

 第一発見者のアカリだ。

 彼女の目からは大粒の涙がこぼれ始める。

「だ、大丈夫か!?」

 数人が、彼女を心配して思わず声を掛けた。

「ごめんなさい」

 俯いた状態のアカリはすぐに指で涙を拭ったが、小さな肩は未だに激しく上下している。

 確かに十代の少女にはショックがあまりに大きすぎる光景だろう。おまけに、被害者は彼女の恩人ときているからなおさらだ。

「本当に死んでるみたいですね」

 ちなみにウィルの隣にいるクレアは、遠目から被害者の死体を見てもそれほどは動じていない。まぁ、彼女も生で人の他殺体を見るのは初めてのはずなのだが、いつもウィルのアシスタントをしているために免疫があるのだろう……。

「ふぅむ。ちょっと拝見」

 しばらくして、ようやく小康状態になった宿泊客の一人が死体に近づいて上からまじまじと覗き込む。

 その男、貴族の一人であるウィスキーは、震える右手で豊かな口髭を触りながら感想を述べた。

「これは……、殺人ですね。というよりも、この状況で自殺はないだろう。れっきとした毒殺。それも内部犯による犯行と見た」

 ウィスキーの言葉を聞いた人々は一様に顔を見合わせた。

「みたいですね……。使った毒物までは分からないですが、恐らく、先ほどの夜食に毒が盛られていたんでしょう。ちなみに、私も食べてしまいました。あぁ、殺人者がこの中にいたのですね。私は運がよかったとしか思えません」

 レモネードは緊張の抜けきれない口調で言う。

「ふむ……」

 彼らの会話を耳にしつつ、室内に足を踏み入れたウィルは、一通りあたりを見回す。

 テーブルにはタバコの吸殻の入った灰皿、そして先ほどの夜食の皿。

 皿の上の串は無くなっていたが、冷たくなったオーナーのそばに、食べかけのフランクフルトと一緒になって落ちているのがすぐに発見できた。

 部屋の構造は兄妹のところと大きな違いはないようだ。恐らく他の宿泊客たちの部屋も同様の構造だと考えられる。

 ただし、室温はやたらと高く設定されている(それどころか冷房機さえ、全く稼動していない)ようだ。

 オーナーはああ見えて冷え性だったのかもしれない。

 肥満体型の人間は基本的に低温を好むという俗説はあながち常識ではないのだろう。

 それにしても湿気が多く、ウィルたちの部屋に比べれば随分と蒸し暑いという印象だ。

「第一発見者はアカリさんでしたよね?」

 他の宿泊客たちが部屋に入るのと入れ替わりで戻ってきたウィルはすぐに訊いた。

 彼の振った言葉に、「はい」と彼女は頷く。

「わたしが部屋にコーヒーとお菓子を持っていったときには、オーナーは、既に激しく吐血して息絶えていました」

「オーナーに持病などは?」

「以前、セントラルシティの健康診断を受けた際は、健康そのものといった感じでした。多少肥満で、アルコールを控えるようには言われてありましたが」

「なるほど」

 ウィルは顎に手を当て、しばらく考え込む。

 だが、答えがすぐに見えてくることはない。

 ここは地道に聞き取りを重ねるしかないのだろう。

 皆が息を呑む静けさの中、外の雨音に混じって時折、カラスの鳴き声が聞こえてくる。まるで、この殺人事件を象徴するかのように不気味な声色。

 加えて、冷房機の近くにはカラスの羽が一枚落ちていた。

 恐らく、外部から空気を取り入れる際、風で吹き上げられたものだろう。

「ちなみに彼はアルコールには強かったのですか?」

「いえ。そういうことはありません」

 アカリは首を横に振った。まだ平静とは言えないが、彼女なりに少しは落ち着いてきたようだ。

「ありがとうございます」

「ふ、ウィル・ホーカーさんともあろう方がまどろっこしいですね。それとも良き推理小説家も、決して名探偵にあらずということでしょうか」

 と、次いで被害者の部屋から戻ってきた小柄なメロンソーダがウィルの聞き取りに口を挟む。

「む?」

 どうやら、ここまでの不揃いとも思えるパーツで彼女は答えを導き出したようだった。

「私には犯人があらかた予想できました」

 豪語する彼女の口調は妙な自信で溢れている。

 だが、ウィルはこういう時の人間心理およびに早計な推測の類がおよそ信頼できる代物ではないことをよく知っている。

 こういう時、人は緊張と不安によってかなりの確率で早まった推測をたて疑心暗鬼に陥ってしまうのだ。そして最悪、冷静さを欠く解釈が周りの人間にも伝染し集団ヒステリーを引き起こす。

「そうですか。ちなみにあなたの予想は?」

 ウィルがさり気なく言うと、人々の眼差しはメロンソーダに向けられる。

「良いですか、このフランクフルトに毒が混入されていたとみるのが、どう見ても常識的ではないですか? そして、その支給にオーナーと共に携わっていたのは」

 メロンソーダは躊躇いもなくその人物を指差した。

「メイドのアカリです」

「え、そ、そんな。わたしは違います」

 当のアカリはすぐさまそれを否定するが、疑惑の視線は彼女に集まっていた。

「「や、やはり」」

 宿泊客の何人かが、恐ろしいものを見るかのように後ずさりをする。

 それに乗じるようにメロンソーダはますます疑いの口調を強めた。

「……はい。ずばり言わせてもらいます。この娘がオーナーを殺した可能性があるということです」

 だが、ウィルはいたって冷静に彼女を制する。

「待ってくれメロンソーダさん、目の前で人が死んで動揺するのは分かるが、早合点はよくありません。まずは落ち着いてください。話はそれからだ」

「む? 私は十分に落ち着いています」

「そうですか、とてもそうは見えません。いいですか、皆さん? 先ほどの状況を冷静に思い出してみましょう。我々は、アカリさんがテーブルの上に置いたフランクフルトを殆ど無造作に取って、あるいは亡くなったオーナー本人に直接、渡されてその後、部屋に持って帰って食べた。その間アカリさんはフランクフルトには一切手をつけず、最後に残ったフランクフルトのみを僕の記憶では持ち帰っていた。ですから、その推理ではアカリさんが意図的にオーナーを毒殺することはできません。不可能だと反論します」

「ふ、私の意見がこともあろうにウィルさんに否定されるとは悲しいですね……。で、では、これならばどうです? 彼女は無差別に人を殺して快楽を得る事を目的としたのではないですか? そう、これだったら事前に毒を仕込んでおいてランダムにはなりますが、オーナーを殺すことも可能なはず」

「すみません。メロンソーダさん。僕はそれもないと思うな。これは、個人的な意見になってしまうが、この閉鎖的な状況下で、ランダムな快楽殺人を行うのはあまりにもリスクが高すぎるでしょう。下手したら命にかかわる反撃に遭いますよ。内部犯だとしたら特にね。無意味だし危険すぎます。それでは、無理矢理アカリさんを犯人に仕立てあげているようにしか見えません。ここは、少し落ち着いて考えてみましょう」

「…………くっ」

 ウィルの意見に、それまで自信満々だったメロンソーダも、ぐうの音も出ない様子で黙り込む。

「ふふ。おにーさま。さすがなのです。ここで疑心暗鬼に陥れば全体の推理に大きな支障をきたすのは自明ですからね。それが良いでしょう」

 この様子を見ていたクレアは微笑してつぶやく。そして兄に続いて被害者の部屋を調べ始めた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ