少年と二匹の物
二匹のオスとメスの犬は、飼い主である少年が目に入る度にそのかわいらしい尾を振り、興奮を隠すことなくかまってとアピールをする。犬達は主人である少年が大好きだ。この家に、少年にもらわれた日から彼の優しさに触れ、悲しみに触れ、怒りに触れた。どんな時の少年も、犬達は大好きだった。
その少年は、僕たちが来てからというものたくさん遊んでくれた。毎日のように、おひさまが空から消えるまですっと一緒にというわけではないけど、外に出てくる度に撫でてくれる。けれど少年は、僕たちがやってきた日から何度目かの桜が咲く季節に黄色の帽子をかぶって、肩から何か袋のようなものをかけ、どこかに行くようになった。それでも少年はお出かけから帰ってくると僕たちをかわいがってくれた。
それから何度目かの桜が咲く季節に、少年は黄色の帽子をかぶり、彼の体には少し大きいカバンを背負ってまたどこかへ行くようになった。すると少年は彼のお友達を家に招き、遊ぶようになって、お友達と一緒に僕たちを撫でてくれることもあった。でも僕たちには、友達と遊んでいる時の少年の瞳が僕たちといる時よりも輝いて見えていた。
少年との時間が、時が経つにつれて少なくなっていることを二匹は感じていた。二匹は桜の咲く季節が嫌いになっていた。
それからまた何度目かの桜が咲く季節が訪れ、黒のカバンが少年の体に丁度いい大きさになってきたころ、少年は少し大きな黒い服を着て、白いヘルメットをかぶり、黄色く光るタスキを肩から掛け、二輪の乗り物に乗ってどこかに行くようになった。その頃から少年は、帰ってきても外に出てきてくれることは減り、加えて家に猫が住み着くようになって、彼は僕たちよりも猫をかわいがるようになってしまった。僕たちは暇になる一方だった。
それから三度目だろうか、あの季節が訪れた。少年は被り物や、黄色く光るものを身に着けることなく銀色のそれに乗ってどこかへ行くようになった。帰りも遅くなった。少年はいつも片手に彼の手のひらほどの大きさの長方形の何かを持ち運ぶようになっていて、外にいる時も、乗り物に乗るときもそれを覗き込み、眺め、ある時はそれを耳に当て何か話し込んでいた。少年が僕たちと遊んでくれることはもうほとんどない。と同時に、僕たちが少年の視界に入っていても、少年の中に僕たちは存在していないことに気づいていた。きっと少年はあの長方形の何かをかわいがっているのだ。あの「何か」は少年を魅了している。それは僕たちにはもうできない。もう、できないのだ。
寒い季節が来た。少年は未だあの「何か」の虜だ。それでも僕たちは少年が家から外に出てきた時のアピールはやめなかった。だってアピールを続ければ少年は僕たちがこの場所に来た時のように遊んでくれるはずで、僕たちの存在を認識してくれる、そのはずだ。犬達はそう信じるしかなかった。ただ、少年に少しでも意識されるだけでも良かった。少年からしたら「犬」という存在はあの二匹を含めたくさんいるが、犬達はそうではない。鎖につながれ、外の世界を知ることはない。散歩の時に家の周りを歩くその範囲の外は何も知らない。犬達にとって主人は少年で、唯一無二の存在だから。
寒い季節が訪れるのはこの家に来てから何度目だろうか。犬達には終わりが近づいていた。この世界とも、大好きな少年とも。永遠の眠りにつく前、犬達は思い返していた。彼らがこの家に、少年のもとに来た日を、そして少年と過ごしてきたおひさまのようにキラキラした日々を。おひさまはいずれ沈む、それでも、何度沈んでも少年の心の中に再び昇ることを、存在し続けることを願い、彼ら二匹の犬は静かに永遠の眠りについた。
夕暮れ時、木々の間からポツポツとこぼれる日差しが主を失った二つの住処を照らす。少年はその二つの抜け殻を見て、自分が飼っていた二匹のオスとメスの犬を久しぶりに思い出した。振り返れば、その二匹は自分を見つけるたびに、しっぽを振り、遊んでといわんばかりの太陽のようにキラキラした眼差しを向けてきた。そんな思い出を懐かしんでいた時、自分は自分にとっていい思い出だけ、それだけを思い返していた。
その夜、少年がシャワーを浴びていた時にまたあの二匹を思い出す。その二匹の最後の時に、またそれまでに彼らに対して何をしていたか、何をしてあげられたか、そんなことを考えていた。と同時に、とてつもない罪悪感と後悔とが彼を襲う。彼は思い出したのだ。自分にとって都合の悪い思い出を。少年は二匹の最後に何もしてあげられなかった。ましてや、愛情すらも注げなかった、と思う。喜びにある時は散歩に連れ、怒りにある時は金属バットを掲げ怯えさせ、悲しみにある時はその自分の小さな体を彼らの住処に収め、そばにいてもらっていた。それ以外の時で彼の中に存在する二匹は、ただの日常の一部であり、視界には入るが入っていない道端の雑草のような、その程度のものだった。そんなことを考えると目の辺りがじわりと重くなる、熱くなる。シャワーの音が消え、自分の鼻をすする音だけがやけに聞こえてきて、そして出番を待っていた涙がやってくる、はずだった。
少年は知っていた、彼が本当に悲しいと感じ、その感情が正常に働くときだけ涙が訪れることを。
彼の涙は正直者だ。彼が悲しいと感じる時、涙は当然のように姿を現す。だが、例えばアニメの感動のシーンで、自分の中で「偽の悲しみ」の感情を心の戸棚の一つから取り出してシーンの展開に沿ってそれを使おうとしても、目の辺りが重くなり、熱くはなるが涙はその姿を見せようとはしない。そのことを少年は知っていたし、理解しているつもりだった。
少年は知らない。自分の中の「涙」に関しての本物と偽り物の存在、その二つの存在が自分を苦しめることを。
少年は、自分の涙が現れないことに気づき自分に失望する。今回の涙は、二匹の犬への悲しみは、後悔は、本物のはずだった。なのに涙は出てこない、溢れてきてくれない。どうしてどうしてどうしてどうして…。
少年は勘違いをしていた。自分の中の本物と偽り物の涙は、感情は、本物の時またはもう片方の時にそのどちらであるかを自覚できると。つまり、今回の二匹への涙、感情は本物のはずだった。なのに、それなのに涙は出なかった。そんな自分の無自覚の冷酷さに再び失望する。
「そうか、自分はただ自分が人間らしくあって、悲しみを持つ優しい人間でいたいという欲望のために彼らの存在を、死を、知らないうちに利用してしまっていたのか。」
少年は落ち込んだ。自分を哀れんだ。結局いつものように偽り物を戸棚から引っ張り出してきただけだったのだと、そう思った。思ったが、今は亡き二匹への感情が嘘であることは絶対に認めたくなかった。だってそれを認めてしまえば…。その先は考えなかった。考えたくなかった。
少年は決意する。この悲しみの気持ちを絶対に忘れてはならないと。彼ら二匹への感情が嘘ではなかったことを、誰でもない自分自身に証明するために。
結局、少年が二匹を、二匹への感情を思い出すことは、確かめることは、日に日に無くなっていった。少年が一人暮らしを始めその間に二つの抜け殻が撤去されると、存在すらも花火のように彼の頭からは消えた。二匹への思いは花火のように綺麗に、大きく存在し、そして何もなかったように消えた。彼の偽り物は最後まで偽り物でしかなかったのだ。二匹の存在も、それすらも彼の感情の自己満足、自己完結に使われる「物」でしかなかったのだった。
そして少年はまた、対象を飼い猫に変え、悲しみを覚える。今は形が無く、飼い主の心からも消えてしまったあの二匹と同じように。
この物語の中で登場する「少年」は作者である私です。読んでくださった皆さんは少年をどう思いましたか?少年への感想=私のこれまでの在り方への感想でもあると思っています。正直、良い意見があるとは思っていません。ここに掲載する前一人の友人に見せたところ、「この心のない少年はお前か」と言われてしまいました(笑)。ただ、何か意見をもらって前に少しでも進むことができるきっかけになればと思います。そしてこの作品は私にとって初めての作品で、技術も何もない文章ですが温かい目で見てもらえたら幸いです。私の後悔がいま犬や猫、その他生き物と暮らしている方、そうでない方にも何かプラスに働いてくれればいいな、と思います。