第1183頁 茜色の夕日の下で
ウォルロ・マリンの盆地、ササヤマには特別な竹が生えている。
ササヤマの土が竹の成長にマッチしているのか、ここ以外の土地では生えてこない不思議な竹だ。
この竹を加工して作られるのが、フランの先祖が愛用していた[巻物]だ。
しかし巻物加工の職人はおろか、その巻物を使う人もめっきり減ってしまった。
巻物の使用には相当な熟練度が必要なのも、使用人口を減少させている一因だろう。
だが、先祖が愛し、必死に守ってきた竹を今更手放すわけにもいかない。
「カグヤッ! お前はまた屋敷を抜け出して木登りなど……! お前はこのササヤマを治める姫となるのだ。遊びよりも勉強をしろ!」
三人が十四歳になった頃。
カグヤの母が早逝して以降、彼女はその後継として[貴族]としての立ち振る舞いを強いられた。
この土地を治める者がいないと困るのはそうだが、カグヤはまだ子供だ。
それに幼い頃からずっと野山を駆け回ってきたカグヤにとって、ずっと屋敷で勉強と礼儀作法を学べと言われることがどれだけ苦痛なことか。
「今日もカグヤは勉強かあ」
「どうするっスか? またカグヤを連れ出しても、今度もカグヤが怒られるだけっスよ」
「うーん……」
カグヤが遊べないとなると、二人もなんだか興が乗らない。
今までずっと三人で遊んできたのに、二人だけになると弾む会話も弾まない。
いつもの川の端に座りながら、イザヨイとフランは雑草を引き抜く。
「イザヨイはこの先、どうするんスか。このままずっと遊んでるってわけにもいかないっスよ」
ウォルロ・マリンの成人は十八歳だが、世間体としては十五歳を超えれば立派な大人だ。
今よりある程度自由になれる反面、その自由を消費する時間がなくなる。
実際、フランの知り合いの子供たちは家業の手伝いをしたり、港都リュウグウへ出稼ぎに行ったり、いろいろ大変そうだ。
「俺は侍になる。そのために毎日鍛えてるんだ」
「あはは、変わんないっスね。子供の頃からずっと侍になるって言ってる」
「当たり前だ、俺から侍を取り上げたら何が残るんだってくらい、俺は侍しか見てないぞ。最近拾ったこの黒い刀も、鍛えたらきっと強くなる……」
そうやって刀を見るイザヨイの瞳はキラキラしていて、勉強漬けのカグヤと対照的であるとフランは感じた。
それがどうも寂しくて、胸が苦しい。
「そうだ、最近噂の二刀流の鬼人の剣士! そいつと戦ってみたいな」
「ええ、でも鬼人は危ない種族って聞いたことあるっスよ」
「でもあの鬼人の剣士、人間の剣士と仲良しって聞いたぞ。道場でもずっと一緒らしい」
「へえ、鬼人と仲良くできるなんて、相当の変わり者っスね」
鬼人。
人間よりも筋力と精神力が強く、五感が鋭い希少な種族だ。
しかし鬼と付いているだけあって、頭からはつのを生やしている者もいる。
鬼は邪悪な存在だと言われることが多いため、鬼人に対する迫害も時たま起きている。
「ああ、名前はなんだったか……未成年でもダントツに強くて、力をつけたら人類最強になれるかもって」
「へえ、そりゃすごい。アタシたちと同い年くらいっスよね?」
「持ってる刀も強いらしいぜ、名前は聖具:海神刀! かっこいいよなあ」
「名前かい」
「名前だけじゃないぞ。なんと剣が水を排出して、敵を切ったり押し流したりできるんだ」
「へえ……もし本当にそんな侍がいるなら、きっと人類最強になるっスね、きっと」
あまりにも楽しそうにイザヨイが語るから、フランはこの先の言葉を言いにくくなっていた。
勇気を出して、息を吸って声にする。
「私は……ちょっと遠い国に行ってみようと思う。そこでいろんなものを見て、知らない人と出会って、何年か修行して……」
「でもまだ子供だろ? 家族みんなで向こうに引っ越すのか」
「へそくりはちゃんと貯めてるっスよ。このために何匹も魔物を倒したんスから」
「へそくりってことは、親に許可なくか……そしたら親は悲しむだろうな」
「大丈夫大丈夫。まあ何年かは向こうにいると思うスけど、時々帰ってくるから! それに親が悲しんでたら、イザヨイが説明してくれるはずっス」
「誰かが行動すること前提の計画を立てるんじゃねえよ……仕方ねえな、分かったよ。それがお前のやりたいことなら俺は止めない。どのみちカグヤが遊べないなら、俺たち二人だけで遊んだって意味ないしな」
イザヨイは立ち上がり、カグヤの屋敷の方をチラと見る。
茜色の夕日が山の向こうへ沈んでいく。
その空の下で、イザヨイとフランは何も言わず握手をして、その場を去っていった。




