0,病室から初めまして
「退屈だ」
そう言ったところで、特にやることもない。高校の宿題は一週間分終わっているため考える必要も無し、学習要項から逆算してやれば、卒業に必要なだけの成績は既に確保出来ていることが分かる。
何よりこの状況で学校に来いなどと言われても、自分に出来る事など苦笑くらいなものだろう。
「藤沢秋人さん、朝食のお時間ですよ」
白い天井、腹までかけられたシーツ、味の薄い病院食を持ってくる穏やかな表情の看護婦に、左の手足に包帯を巻き付けられたまま軽く会釈を返す。
「今日はお夕飯が少し豪華らしいですよ〜」
穏やかなまま、看護婦がベッドに備え付きのテーブルを引き出し、病院食を並べる。
皿に盛られたジャムとパン、それにスープとサラダ、いつもの朝食が並べられる間、やる事もないのでふざけて話しかけてみる。
「ステーキとか食べさせて貰えるなら院長にキスくらい出来るんですけどねえ」
「あらそっちのご趣味が?」
「ご冗談」
その時の事はあまりにも唐突過ぎて薄ぼんやりとしか覚えていないが、後から聞くとどうやら俺は横から自転車に衝突して電柱にぶつかり気絶したらしい、その自転車が急いでいた事、お互いに十字路に対して些か不注意であったこと等が重なり病院にいる、今で二週間目だ。
頭の包帯はすぐに取れたし、命にはなんの影響も無いが、もう二〜三ヶ月は拘束されるそうだ。
これでも似た例の中では相当良い方ということなので、次からは左右の確認は深く意識して過ごそうと思う。
撥ねた自転車の主は治療費も全て負担したいと言って来ているそうで、かなり運が良い方だろう、お陰で個室だ。
「今日は午後から暑くなるそうですし、ほんとお給料増えないかなあ」
「多分そういう事は患者の前では言わない方が良いんだと思いますよ」
ちなみにここの院長は60過ぎのおじさんである、自分には男色の気も年上趣味もない、同世代の女の子が良い。
それから二、三他愛のないを雑談をすると、看護婦は1時間程で食器を下げに来るとだけ告げて扉の向こうに去って行った。
食事自体は片手でも案外問題ない、皿を持ち上げる事が出来ないのは確かに不便だが、利き腕が無事な事は不幸中の幸いだった、自宅の食事と違って病院食が切ったり千切ったりだのと両手を使わないと食べられない物が出て来ないのも大きい。
「別に不味くは無い、というか美味い方なんだがなあ」
病院食という言葉に脅しに似た印象を持っている人間からすると、思っていたほど悪くは無い、というか普通に美味しいのだが、どうにもジャンクフード(ハンバーガー)が恋しくなってしまう。
「スナックもあんまり味気ないしなあ」
愚痴を吐きながらのんびりと食事を取った後、食器を一纏めにして傍に除けると、カバンからタブレットを取り出し、退屈しのぎ(ネットサーフィン)。
「さてそろそろ……お、出てるなあ」
前に事前予約したゲームがリリースされている。
タイトル<Next Life>
ジャンルはVRMMORPG、自分のような病室で過ごす人間にも優しい、自身がそこにいる感覚を味わえるゲーム。
テスターのレビューやゲーム説明を見るに、スチームパンクと王道勇者物が混ざったようなシナリオのオープンワールド制ゲームらしい。
自分の趣向に突き刺さったため即予約したものだ。
右手の指が画面を飛び交い、ユーザーIDなど幾つかの情報を入力する。
ゲームのダウンロードを示すゲージが緑で埋まると、簡単な初期設定を入力する画面が表示されるが、大抵はゲーム内で幾らでも変更出来るのでスキップする。
その後幾つかの操作を終えると、タブレットをカバンに戻し、ヘッドギアを頭に付ける。
頭に装着して寝ていると自身が設定した睡眠誘導の音楽やらアロマやらが穏やかな眠りを与え、ピッピッピッという機械音の後に目を開けば一面に広がる大草原。
まあ草原とは言っても、草に目を近付けてじっくりと観察してやれば僅かにポリゴンが見えなくも無いのだが。
見る限り今回の新作は精度が良い
<測量士>にとっては大変だろうが、利用者的には大当たりだ。
目の前には何本ものパイプのようなものが飛び出した石碑がそびえ立っており、恐らく初期設定か序盤のチュートリアルなどが書かれているのだろう。
一旦は無視して少し自分で動いてみる。
まずは身体操作、VRヘッドギアに身体情報は入力されているが、それと今の身体にあまり差があってはいけない。
見た所プレーンな初期設定の身体でインしているようなので、細かい事は石碑に従っていく事になるんだろうが、初期設定で狂っている物が後々簡単に修正出来るわけもないので少し時間をかけて確かめていく。
とは言っても背伸びや軽いジャンプ等のちょっとした準備運動で感覚を確かめ、凡そ問題が無さそうだと分かった時点で終わる簡単なチェックだ。
「さて、メニューはどんな感じかな」
ただその言葉を脳裏に浮かべる、それだけでブラウザであればマウスやキーで行なっていた様々な操作が出来る<思考操作>を使ってメニューを呼び出す。
今回のメニュー画面は<ウィンドウ型>パソコンと同じ感覚で分かりやすい操作だ、ジェスチャーの操作も合わせて出来るため使いやすい。
だが少しばかり特殊なようで、即座に開くのではなく空から鉄パイプで作られた四角い枠のような物が足元に落ちてきたかと思えば、そこに半透明の画面が映っている。
「初めて見るやり方だな、戻すのは……」
戻れと念じると、画面は空へと飛んで行った。
VRによって格段に向上したUIはそれでも一択となることは無く、ゲームに合わせて様々なパターンを持ち合わせており、それを見るのも案外楽しいものだ。
ふうと一息つくと、いよいよ石碑へと向かって行く。
石碑に書かれている内容を見るに種族や職業を決定し攻略していく典型的なRPG方式らしい。
石碑には歯車が付いており、それを回して行く事で項目を選択していくようだ。
一つ目の歯車を引き出すと先程のメニュー画面のような形で石碑に<種族名>という文字が現れる。
「何々……人間、エルフ……おっゴブリンとかいるのか……ゾンビとか街に入るのにペナルティありそうだなあ」
正直想像以上に種族の種類が多い、ざっと見て50はありそうだ。
説明文を探すがどこに触れても種族の説明などは出て来ない辺り、開発側に硬派な人間でもいるのかもしれない。
「まあ人間でいいか」
ゾンビや妖精、吸血鬼なんてのもあったが初見のゲームで奇をてらった選択はあとが怖い。どうせヘッドギアの情報を少し変えるだけでキャラの作り直しは出来るのだから最初は安定した物でいいだろう。
決定は歯車を押し込む事で出来るらしい、押し込むと同時に次の項目の歯車がせり出し、種族枠の歯車を引っ張るとせり出した歯車は元の場所に収まっていった。
次は職業、これは下に進んでいった所<蒸気戦士>という項目があったため即決。
絶大なロマンを感じる、仕方ないだろう。
次はステータスかなと思った所割り振りなどは出ず、名前入力の画面が表示された。
そういえばメニューにもそういった画面は見受けられなかったし、もしかするとステータス無双などはさせないシステムなのかもしれない。
だとすればそれなりにコアユーザー向けゲームだ、大好物である。
<アキヒト>
キーボードは表示されたがその前に歯車を弄り続けて面倒になって来ていたので思考操作で入力を済ませる。
操作を終えると石碑のパイプから大量の蒸気が噴出し、石碑が真ん中から二つに分かれていく。
「おおっ……」
感動して眺めていると、動きが止まり、下へと続く階段が姿を現す。
「チュートリアルダンジョンか、それとも地下世界か……」
どちらにしても行く事には変わりがないのだが、当たっているとなんとなく嬉しいという理由から予想を付ける。
この世界はスチームパンク、つまり蒸気機関が異常に発達した近未来を舞台にしている、だが見渡す限りでは地上にはそういった蒸気の噴出や煙は見受けられない、世界が一つになっているオープンワールド制なのでそれは確かに判断基準にしても良いが此処は初期エリア、ここだけが別という説もある。
「チュートリアルダンジョンで初心者に戦闘の勉強をさせたあと出口から座標移動で冒険開始、はよく見る流れではあるが……」
基本的な進行不可にならない為のお勉強を新規にやらせつつ、洞窟からの脱出という開放感で最初期のモチベーションを確保する、そういった点でこの手法はそれなりに優れており事実自分も何度か見た。
そこまで考えた所でだが、と考える
果たしてその判断をするだろうか。
メニューを呼び出して確認するがやはりステータスの画面は無い、正確には状態と書かれた欄に<アキヒト>正常、とだけ書かれているのを発見した。
恐らくこのゲームはリアル寄りの思考で作られている、ステータス無双などさせる気はなく、あってもせいぜい装備でバフがかかる程度だろう、今見たがスキルの欄すら無い。
右も左も分からない者を何も教えず放り出す、つまり死んで覚えさせる可能性は充分にある。
「初手地下世界、もしくはワープ、何にせよチュートリアル的行動は街で勝手にやらすと見た」
そう結論付けた俺は、堂々と階段を降りることにした。
自分のアバターの外見はヘッドギア内に保存されているデータを直接変更するのがメジャーな世界です。
その内書きますが基本的に大抵の人はVRでショッピング(私達が想像する一般的なショッピングからアバター用データの購入まで色々)なども行うのでその辺は統一されてます。