第8話:ファーストキス
だが彼女はひるむことなく赤い刀で骸骨の爪を受け止めた。直後に体勢を低くして骸骨を思い切り薙ぐ。
骸骨は声は上げないが骨を何本かばら撒きながら後ろへ飛ばされる。しかしその赤い不気味な眼光はさらに鋭く光り、
「!!」
骸骨が口を開いたかと思うと、そこから針のような小骨が幾つも飛び出した。
それらは一直線に朔夜に向かう。
俺の身体は無意識に飛び出そうとしていたが
(駄目だ! 間に合わない!)
頭はそれを理解していた。
しかし
「緋衣!」
彼女がそう叫ぶと、それに呼応するかのように彼女の後ろに控えていたあの白い髪の女が即座に前に出る。
すると女の首や腕に絡みつくように巻かれていた白い毛皮が蛇のように動いて小骨を払いのけた。
そして女は不敵な笑みをたたえて
「燃えな」
そう呟いたかと思うと、2人と骸骨の周りが紅蓮の炎に包まれた。
(火!? 朔夜は平気なのか!?)
俺が慌てて近づこうとしたら
「駄目だ英輔、君が行ったら焼死するぞ」
と、下のほうから冷静に警告する男の声がした。
「え?」
俺は驚いて手の中にある虫かごを見る。中には変わらず赤い蛾が浮いている。
(……さっきの、こいつが喋ったのか?)
俺がオカマ男の口調に違和感を覚えている間に、赤い炎は段々と小さくなって、消えていった。
そこに残っていたのは、焼けて黒く焦げた地面と、どうやら無傷らしい朔夜。そして彼女を守るように直っている、巨大な白い鼠だった。
「ぅあ……」
俺の身長の2倍はあるかと思われるほどの大鼠に呆気を取られて、俺はつい変な声を出していた。
「緋衣は火鼠の化身なのよ。図体でかくて怖いでしょ?」
と、元の口調でからかうように虫かごの中のオカマ男は言った。
どうやら緋衣とはあの白い女の名前らしい。
「……逃げられたか。どうも逃げ足が速いな」
朔夜はそう苦々しく言って刀を鞘に納めた。
「私の炎から逃げるなんて……」
どこか悔しげに、巨大鼠はそう呟きつつ紺色の空を見上げてから
「でも憐ちゃんは私が守るからね!」
そう言う頃には元の女の姿に戻っていて、また朔夜に抱きついていた。
「あつ! ちょ、緋衣! まだ熱いんだからあんまりくっつくなよ!」
と朔夜はもがいているが
「いーやー! 1秒たりとも放さないーー! 今回だって火砕のアホを先に呼んでるし、それにあのぼけっとしてる男は誰なのー!? 憐ちゃんは私のものなんだからー!」
と、白い女は朔夜にしがみつきながらそんなことを叫んでいた。
「…………」
俺がその様子をじっと見ていると
「緋衣はあれだけ女臭いのに男嫌いでね。……ていうかワタシがアホだなんて失礼しちゃうわ! それに英輔クンはぼけっとなんかしてないわよ!」
と、虫かごの中のオカマ男が説明とかを入れてくれた。
ただ、俺は思った。
(……あいつの連れてる妖怪、普通なのはいないのか……?)
朔夜と緋衣という女が賑やかに戯れている間に、俺は地に倒れたままの佐伯が気になって駆け寄った。
(……こいつ、ほんとに大丈夫なのか?)
少し心配になって彼の顔を覗き込むと、確かに顔は蒼白だが、息はちゃんとしているようだし、本当に気を失っているだけのようだ。
俺はほっとしつつ
(……しかし朔夜のやつ、女のくせにどんだけ力強いんだよ……男子を1発でKOさせるなんて……)
と呆れていると
「…………ん」
佐伯の手がぴくりと動いた。
「あ……」
俺はどうしようか迷って、朔夜を呼ぼうとしたのだが
「……東条……くん?」
その前に佐伯が俺を認識してしまったようだ。
「あ、え、と……」
俺が慌てていると、佐伯はぼうっとしながらも
「……これは夢かな……なんだかとても素敵な夢だ……」
と、夢見心地のように呟いて、
「!?」
そのまま、俺の唇に吸い付いた。
……その時間はさして長くなかった。
顔を離した佐伯は、寝ぼけて起きた後のように再びぱたりと地に伏した。
……ただその後の沈黙と視線が、死ぬほど長く、痛く感じられた。
そして
「……ぎ、ギィヤアアアアアアアアアアア!! ふ、不潔! フケツーーーー!!!」
下のほうでオカマ男が叫ぶ声が聞こえた。
「……何、さっきの。ビジュアル的に許せない」
後ろであの鼠女の声がする。
「…………おい、英輔。……大丈夫か?」
そして朔夜の、どこか遠慮がちな声がする。
俺は、
「…………」
応答できないくらいに硬直していた。
死後硬直かもしれないと、本気で思った。
俺は膝を抱えて部屋の隅にうずくまっていた。
とりあえず今は宿直室にいる。
あの後佐伯をどうするかということで、朔夜が
「火砕、お前こいつを駅前の交番まで運んでやれよ」
とオカマ男に言ったのだが
「いやーよ! ワタシ機嫌悪いんだからっ! なんでワタシがそんな男を運ばなきゃいけないなわけ? 緋衣に頼めばいいじゃない!」
と突っぱねた。それに対して
「はあ!? 誰に向かってそんなこと言ってんのよこの火取虫! 役にも立たないであっさり捕まったくせに! ていうか私が男背負って歩くと思ってんの!? ばーか!」
と鼠女は子供みたいに思い切り舌を出して抗議した。
どうも、2人は仲が悪いらしい。
「……じゃあどうすんだよ。……英輔に頼むしかなくなるじゃん」
と朔夜が言ったのだが、俺が口を出す前に
「ちょっと待ちなさい! 英輔クンにそんな危険なことはさせられないわ! ていうかさせない! ワタシが行くわ!」
と、オカマ男が率先して佐伯を負ぶった。
すると彼の金髪は徐々に黒く染まり、服も派手な赤い民族衣装から、黒を基調としたカジュアルなものに変化した。あれなら街を歩いてもおかしく見られないだろう。
「お。じゃあ頼んだぞ」
「せいぜいへばんないようにね、アンタ体力ないんだから」
と、女2人は手を振って彼を送り出した。
俺も少しばかりあのオカマ男に感謝したが……。
アレのショックは全く抜けなかった。
「おーい英輔ぇ、いつまでそんな隅っこでいじいじしてんだよー。ほら、火砕の奴が晩飯も買ってきてくれたんだぞー」
と後ろから朔夜の声がする。
独特の油の匂いからしてまたマッグのハンバーガーだろう。
しかしそれを嗅いでも食欲は全く起こらなかった。
「英輔クーン、こっち来て一緒に食べましょうよ〜」
とオカマ男の声がする。
「ていうか火砕、アンタさっさと刀ん中に戻りなさいよ! 役目は済んだでしょー!?」
鼠女がそんなことを言った。
「な!? それはアナタだって同じでしょ!? いつまでも憐にひっついて、暑苦しいわね!」
「……いや、どっちももう戻っていいんだけど……。明日しんどくなるじゃん、私が」
と、朔夜がそう漏らしているが、2人は聞かぬ振りをしているらしい。
「でもほんと、ずっとそんなとこでいじいじされてても鬱陶しいのよねー。いいじゃない、相手が男なら数に入らないでしょ? そういう趣味じゃない限り」
と、最後のあたりはどうやらオカマ男を意識したように鼠女がそんなことを言った。
「む、アナタだって人のこと言えないでしょ! でもそうよ、あんなの気にすることないわよー、何だったらワタシが本当のキッスを教えてあ・げ・る」
オカマ男のその発言を聞いて、俺の肩が無意識にビクッと震えた。
「火砕、それ逆効果みたいだぞ」
朔夜が俺の気持ちを代弁する。
「いやん、英輔クンってば照れてるだけよぅ」
オカマ男は全く分かっていない。
「どこがよ、アホ。アンタの目は節穴どころか蜂の巣なわけ?」
そう言う鼠女は目はいいらしい。
「んっまー!! またアホって言ったわね!? アホって言うほうがアホなのよ、このアホ鼠!!」
「んなっ!? 仮にも先輩に向かってアホとは何よアホとは!! 身分わきまえな、このモス男!」
なんだか小学生のような喧嘩が始まった。
ていうか今日はどうしてこんなに賑やかでやかましいんだ。
本当なら、今週は家で1人、のんびりしてるはずだったのに。
あいつに付き合わされるようになって、変な化け物とは関わることになるし、挙句の果てには男にファーストキスを奪われるし。
……そう、あれは、俺にとってのファーストキスだった。
(……くっそー)
不甲斐無いが、実際、涙が出そうなほど悔しかった。
だって、やっぱり最初くらいはもっと普通の、なんていうか、好きな女の子としたかったっていうか。
……実際、自分がここまで純情だとは思っていなかった。
「おい英輔」
朔夜が背後に近づいてきたのが分かった。
「もういいだろ? キスなんて減るもんじゃないんだからさー」
と、彼女は外でも言っていたことを口にした。
俺はどうもそれが気に入らなくて振り返った。
「あのな! 減るとか減らないとかそういうもんじゃないっつってんだろ!? お前には分からねえよ! ああ、もう嫌だ! なんだって俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ! 初めてのがあんなのとかもう最悪だ! もうこんなのとは関わりたくない!! 俺は帰るぞ!!」
自分でも何を言ってるのかよく分からないまま、とりあえず八つ当たりみたいな不満を朔夜に投げつけて、俺は立ち上がった。
そのまま鞄を抱えて出口に向かう。
「おい英輔……」
朔夜が後ろから追ってきたようだが、俺は振り向かない。今日ばかりは流石に機嫌が悪かった。
が、
「……英輔!」
朔夜の手が俺の左肩を掴む。
それが予想以上の力強さで、俺の身体は斜めを向かざるを得なかった。
そして
「!」
唇に、何かが当たる。
それは、本当に『当てただけ』という感触しかなかったが、紛れもなく、彼女の唇だった。
わけが分からなさ過ぎて、一瞬意識が飛びそうになったが
「――っ!?」
我に帰って、俺は慌てて顔を離す。
その時、一瞬だけ見えた彼女の表情は、『減るもんじゃない』とか言っていたとは思えないほど、頬を染めながら目を伏せる、『女の子』のものだった。
そして、俺の腕にしがみついていた彼女の手もぱっと離れた。
「「ギイヤアアアアアアア!!」」
後ろのほうでまた賑やかな叫びが聞こえる。
今度は2人分だ。
「ちょっとォォォ!? 憐ちゃん何やってんのーーーー!? そこの馬鹿男! 私の憐ちゃんから早く離れなさいよォ!!」
「そりゃあこっちの台詞よ!! 憐!! アナタまで英輔クンに何するのぉーー!!」
と血相を変えて2人とも飛び出してくる。
「うわぁ!?」
俺は鼠女のあまりの恐ろしい形相に後ずさろうとしたがすぐ後ろはドアで、背中がぶつかるだけだった。
「あーもう、2人とも戻れ! 頼むから!」
朔夜がそう言って右手をかざすと、2人の動きがぴたりと止まる。そして周りが赤い光に包まれて
「「うわーん、強制送還なんてひどいーーー!」」
2人してそんな風に喚きながら、赤い刀のほうへと吸収されていった。
静まり返る宿直室。
あの2人がいないだけで、随分と違うものだ。
俺は放心状態で、動けないまま
「……な、んだよ、今の」
と、かろうじて彼女に尋ねていた。
彼女は俺に背中を向けたまま
「……さっきの、私のファーストキス。だから、これでおあいこだ」
そう言って、マッグの袋があるところへ彼女は駆けていった。
そして座って
「ほら、早く食べようぜ。冷めたら不味いだろ?」
何事もなかったかのように、彼女は俺にそう言った。
「…………」
本当に、彼女は何事もなかったように振舞うので俺は毒気を抜かれたような気分になり
「……ああ」
結局、彼女と一緒に晩飯を食べた。
今回のテーマ。
『えぇー!? それはないよ!』
ここで巻き返しを図れるかそれともひかれるかはさておきここまで読んでくださっている方々、ありがとうございます(泣)! そして応援痛み入りました(涙)。私も頑張って本作品を盛り上げていこうと思いますのでよろしければどうぞ次回もよろしくお願いします。




