第7話:危機
背の高い木が植えられているせいか、体育館裏はどこか陰鬱で、増して今は日も暮れているので真っ暗だった。
俺が駆けつけたとき、手前に朔夜の後姿が見えた。
刀を抜いている。
……とうことはやっぱりケモノ関係だったんだろうか。
「朔夜!」
俺が声を掛けると、彼女はちらっとこっちを見て
「……遅いぞ英輔! 何やってたんだよ馬鹿!」
と、罵倒した。
俺は半分むっとしつつ半分仕方ないかな、とも思いながら彼女の傍らに構える。
すると、前方にいたのは眼鏡をかけた男子生徒だった。
彼は虫かごのようなものを右手に持っていて、その中にあの赤い蛾の姿があった。そして目を凝らすと、彼の後ろにはあの化け物のオーラのようなものが立ち昇っているのが見えた。
(……あれ? えーと、どこかで見たような……)
その生徒の顔に見覚えがあった俺は必死に記憶を辿る。
それを遮るように、彼は声を発した。
「……やっぱり来ちゃったんだ、東条君……」
それはとても自然な発音で、しかも俺は自分の名前を呼ばれたことに驚く。
「な、なあ、操られてる人間って喋れるもんなのか?」
傍らの朔夜に尋ねると
「……暗示が弱いと見た。あいつは多分、半分くらいは自分の意思で動いてる」
と、彼女は妙なことを言った。
(自分の意思で……? ってことはやっぱり……)
俺の予感は外れてなかったってことだろうか。
「……この蛾を返して欲しかったら、僕の言うことを聞いたほうがいいよ。この蛾を握りつぶされるのも、僕を傷つけるのも本望じゃないだろう?」
と、眼鏡の男子生徒は言う。
「イーヤー! こんな趣味じゃない男に握りつぶされて圧死なんてしたくないわ!! たーすーけーてーーーー!!」
と、虫かごからピーピー喚く声が聞こえる。
どうもその虫かごはただの虫かごではないようで、あの蛾は男の姿に戻れないらしい。
「……火砕、お前……」
朔夜は呆れた顔で溜め息をつく。
その気持ちは俺も分からないでもない。
「……うるさい虫だ。さあ、とりあえず刀を置けよ。それから君はゆっくり10歩後ろに下がれ」
そう言われて、朔夜はしぶしぶ刀を地面に置いた。
それから言われたとおりに10歩下がろうとしたので、俺も後ろに下がろうとすると
「ちょっと待って! 東条君はそのままで」
と、なぜか慌てたように眼鏡の生徒は言った。
「……は? なんで……?」
俺は戸惑う。
朔夜は
「英輔、任せたぞ」
と、軽く言って後ろに下がっていく。
「え、おい、ちょ!?」
そうしている間に、眼鏡の男子はこちらに近づいてきた。
(えー!? なんだよ一体!? ていうか誰だっけあいつ! 絶対どっかで……)
俺が必死に考えていると、
「こうやって話をするのは2度目だよね、東条君……」
そいつは親しげに話しかけてきた。
「……?」
俺が返答に困っていると
「……もしかして覚えてない? 僕だよ、ほら、オリエンテーション合宿のときに保健室で会った佐伯だよ」
と、彼は言ってきた。
そう言われて俺はやっと思い出す。いや、実際名前なんて覚えてもいなかったのだが、会ったことは覚えている。
「あ、ああ!」
オリエンテーション合宿――それは高校入学したての頃にあった1泊2日の合宿で、クラスの親睦を深めることや高校生活のなんたるかを教わることを目的とした行事だった。
その時確かくじ引きで、俺は保健係になってしまったのだが、保健室のベッドを整えたりしているときに、確かこいつと会った気がする。
「そう、あの時はありがとう。君がくれた絆創膏はまだ大事に持ってるよ」
と、彼は胸に手を当てて、しんみりとそう言った。
(…………?)
俺は、なんだか、嫌な予感がした。
「あれ以来、僕はずっと君のことを見てきたのに、東条君ってば全然僕に気が付かないんだもの。でもま、そういう鈍いところがまた可愛いんだけどね……」
佐伯は心なしか頬を染めつつそんなことを言った。
(ちょっと待てーーーー!! なんだそれは!? こいつ、朔夜が目当てじゃなかったのかーーーー!?)
俺の顔はかなり引きつっているだろうに、構わず佐伯は続ける。
「でも、ここ数日、君の行動がどうも変だなって思ってたら、今朝は朔夜さんが君の家から一緒に出てくるし……一体どういうこと!?」
と、すぐそこまで迫ってきた。
「え!? どういうことって言われても!?」
俺は自然と後ずさっていた。
(つーか俺の家まで知ってるのかよ! しかも見張ってたのかこいつ!?)
「……まさか、付き合ってなんかない、よね……?」
佐伯は上目遣いにそんなことを言ってくる。
(ていうか男にそんな顔されても嬉しくねえ!!)
俺は正直なところを心の中で叫んでいた。
すると
「おーい、佐伯とやらー。別に私はそいつとどうってこともない関係だから気にする必要はないぞー。迫るなら迫れー」
と、野次のように後ろから朔夜の声が飛んできた。
「ちょ!? お前なんつーことを!!」
俺が朔夜のほうを振り返ろうとすると、佐伯の手が俺の腕を掴んで阻んだ。
(ひい!?)
「……東条君は、朔夜さんのことが好きなの……?」
佐伯がそんなことを尋ねてきた。俺は何も考えず反射的にぶんぶんと首を横に振っていた。
すると佐伯は満足そうに頷いて
「ねえ、じゃあ僕とキスしてくれる? そしたらこの蛾は返してあげてもいいよ」
と言った。
(……は、い!?)
俺は固まった。
「んなッ!? 卑っ怯すぎるわよそこの眼鏡!! 英輔クンはワタシの獲物なのにぃーー!!」
と、かごの中からオカマ男の声がする。
ていうか慰めにもなってない。
「うるさいな、ほんと。ちょっと黙っててよ」
佐伯は少々乱暴に虫かごを地面に叩きつけた。
「ぎゃん!」
哀れなオカマ男の叫びが聞こえる。
でもそれに構っている余裕は俺にはなかった。
「おい朔夜っ! こいつほんとにあの化け物に暗示掛けられてるのかっ!? 自分の欲望のままに動いてるようにしか見えないぞ!!」
俺は泣きかけの声で叫んだ。
「んー、だから暗示が弱いんだってー。今は多分佐伯の意思90パーセントってところかなー」
と、あいつは暢気に返答した。
「あ! ということはお前がそいつとキスしてやったら火砕を返してくれる確率も90パーセントだぞ! いいじゃん英輔、やっちゃえよ! 減るもんじゃないんだしさ!」
と、元気に彼女は付け加えた。
(そーいう問題じゃねえだろーー!?)
「イヤー! 減るって! 何かが減るのよ馬鹿! 憐、早く止めに来なさいよーーーッ!!」
足元でオカマ男の声が聞こえる。今回の言葉は少し胸にしみた。
しかし、もうすぐそこに佐伯の魔の手は迫っていた。
佐伯の手が俺の頬に触れる。
(ひぃっ!)
……俺は、もう駄目かと思った。
すると
「英輔! 足元に漢字の二を書け!!」
後ろから、そんな朔夜の声がした。
俺は何がなんだか分からないまま、がむしゃらに足を動かして指示に従った。
そして彼女は叫んだ。
「――三炎の二、来い!!」
途端、足元から熱風が吹き上げた。
「!?」
同時に、赤い光が足元から発せられる。
よくよく見ると足元に置かれていたあの妖刀が光っていた。
それから目の前に『何か』が跳ねるように現れて
「うわっ!?」
結果的に俺は尻餅を、佐伯も反対側に尻餅をついていた。
「――……ムサっ!!」
(……は?)
俺はその言葉の意味が一瞬分からなかった。
俺の目の前に現れたのは、女だった。
白いセミロングの髪、肩にかかる白いファー。
目立つのは側頭部から生えている白い耳だ。形からしてどうも、鼠のそれらしい。
しかしそれ以上に目立つのは、大人の艶やかさを持つその長い肢体だ。それこそ、見ているのが恥ずかしくて思わず目を逸らしたくなるものだった。
が。
「ちょっと憐ちゃん!? 何でよりにもよってこんなムサい男共の狭間に私を呼ぶのよーー!? うわあん」
と、半泣きの声でその女は朔夜のほうに駆けて行く。
(……ムサい……?)
少なからず俺はショックを受けていた。
「だって仕方なかったんだよー。火砕は捕まってるし刀は英輔の足元にあったから……っと」
律儀に説明していた朔夜にその白い女は抱きついていた。
「くーっ、久しぶりだわ、この感触〜。最近憐ちゃんってばなかなか呼んでくれなかったから寂しかったのよーう」
と、犬か何かにするみたいに頬ずりまではじめる始末。
(……今度はなんだよあれ……)
俺が呆れていると、前で倒れていた佐伯がむくりと起き上がる。
「!!」
俺はとっさに虫かごを持って後ろに下がる。
「やーん、英輔クンやっさしー♪ ワタシを助けてくれるのねん!」
虫かごから変な声がするが俺は無視する。
明らかに、佐伯の様子がさっきまでとは違っていたのだ。
「…………」
さっきまであれほど饒舌だった佐伯は喋らない。
心なしか後ろのオーラも強いものになっていた。
「……!」
俺が及び腰になっていると、朔夜が足元にあった刀を手に取って前に出た。
「ちょ、待て! あいつを切るのか!?」
俺はずっと心配だったことを尋ねていた。
「馬鹿。私だってこれでも一応まっとうな人間だぞ? 人殺しなんてしない」
と、朔夜は本当に機嫌が悪そうに言った。
それでも俺はその事実に少し安心した。
「でも、じゃあどうするんだ?」
俺が尋ねると、朔夜は
「こう、するんだよ!」
思い切り、刀の柄で佐伯の腹を突いた。
というより、殴った、に近かった。
「ぅ!」
佐伯はうめき声を上げてその場に崩れる。
すると、佐伯の口から白い気体が漏れ始めた。
「下がれ、英輔!」
朔夜がそう指示するので俺は言われた通りに下がった。
すると、白い気体が形を成していき、倒れた佐伯の前に白い骸骨が現れた。
その眼窩の奥には不気味な赤い光が宿っている。
「……よくもまあここまで形を変えるもんだな」
と、朔夜は感心したように言った。
すると間髪いれずにその骸骨は朔夜のほうに飛び掛ってきた。
「!」
朔夜はバックステップでなんとかかわしたが、あの骸骨の動きは、一昨日の巨人の鈍さとは比べ物にならないほど速かった。
さらに、かわされても即座に身を立て直してそいつは朔夜に襲い掛かる。
骸骨の指先は奇妙なほどに鋭利で、あんな爪に引っ掛けられたらひとたまりもないだろう。
そんな危ないものが、彼女に迫っていた。
「危ない!!」
俺は身を乗り出して叫んでいた。
……色々すみませんでしたー(泣)
あ、いえ、別にそういうのが特段好きってわけでもないんですよ? ただちょっと前の連載がかなり型にはまったラブストーリーだったものですから今回はちょっと外れてみてもいいかなーとか思ったわけで……。
新キャラ登場でしたが、ちなみに三炎の三とか二とかの番号は点呼するときの番号みたいなもので(笑)、古株順に一〜三となっています。つまり火砕が一番下っ端ですね。
さて、なんだか変なキャラいっぱいで読者様のひきとかかなり気になりますがどうぞこの作品は変な話だと割り切って生温かく見ていただければ幸いです。
どうぞ次回もよろしくお願いします(切に)。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます!