第6話:手紙
朝7時。普通の登校にしては早すぎるが、俺は朔夜と共に学校へ向かっていた。
あのまま家にいたら身が持たなかったのだ。
「ちぇー、つまんないなー。英輔の部屋、グラビア雑誌の1つもないだもん」
いつの間にか昼間の口調になっている彼女はそんなことを朝っぱらからさらりと言いやがる。
「あのな、この世の男全ての部屋にそういうもんがあると思うなよ。すごい偏見だ」
俺は言った。自分と、世の中の健全(?)な青少年のために。
「そうなの? 高志の部屋にもあったもんだからそういうものなんだと思ってた」
ぶっ。
「だから、そういうことは言うもんじゃないの! もうちょっとお父さんのこと大事にしてやれ、色々!」
俺は少しばかりあの変態オヤジに同情した。
「これでも親孝行はしてるほうだもん。ご飯だって食べられるときは一緒に食べてるし、肩叩きだってたまにはしてあげてるもん」
と彼女は拗ねたように言った。
どうも、そんな表情とかは特に女の子らしくて。
(……調子狂うなあ……)
夜とのギャップに、俺はまだ慣れていなかった。
……とか考えていると、いつの間にか朔夜の足が止まっていた。
「どうした? なんか忘れもんか?」
俺はそう声を掛けたが、彼女は後ろを振り返って、まだ人通りの少ない通学路を少しばかり眺めてから
「……ううん、なんでもない」
そう言って、また歩き出した。
「?」
よく分からないが、特段気にすることもなく、俺もまた歩き出した。
とりあえず教室には誰もいなくて、俺はほっとしつつ席に着いた後、そのまま机に突っ伏した。
結局、昨日もほとんど寝ていないし、今朝も仮眠を取ろうとしたのに朔夜が家の中をちょろちょろするもんだからおちおち出来なかったのだ。
「あれ? 英輔寝ちゃうの?」
隣で朔夜がそんなことを言う。
(まったくこいつは……)
俺はがばっと身を起こしてから
「昨日全然眠れてないんだから今くらい寝かせてくれ!」
そう言って、また机に倒れこんだ。
すると
「まだ誰も来てないしつまんないなー。いいや、私も眠気覚ましにコーヒーでも買って来よーっと」
と彼女は言って、教室を出たようだった。
(……俺の分も買ってきてほしい……)
そんな言葉を発する前に、俺の身体は眠りに入ったようだった。
しばらくすると、足音がして、あいつが帰ってきたことが分かった。が、あえて俺は身を起こさなかったのだが……
首筋に冷たいものを置かれて俺は跳ね起きた。
「ッ! 何すんだお前!」
驚き半分迷惑半分で俺は少々怒り気味に叫んだが
「あ、怒った怒ったー。英輔って結構怖がり? すっごいビクッてなってたよ」
と朔夜は無邪気に笑いながら俺の机に缶コーヒーを1つ置いた。
「?」
(……これは、俺にくれるってことなのか?)
俺は判断に困っていたが、あいつはあいつで缶コーヒーを持っているので恐らくそうなのだろう。
というより、俺はあることに気が付いた。
「なあ、何だよそれ」
彼女は左手に缶コーヒー、右手に白い封筒を持っていたのだ。
「ん? これ? さっき私が自販機の前でどれ買おうか悩んでる間に後ろに置かれてたんだ」
と言って彼女は封を開けようとしていた。
「……それって……ら、ラブレター……とかか?」
自分で言っててむずむずした。
案の定朔夜は可笑しそうに笑って
「はははっ、まっさかこの時代にラブレターはないよ! メールのほうが手っ取り早いもん! 英輔頭古っ!」
と言う。あまりに小馬鹿にされたような言い草だったので
「なんだよ! お前のメルアド知らない奴もいるだろ! つーか普通は知らねえだろ!」
と俺は反論した。
「まあそうだけどね。でもこれは……果たし状かな」
と、彼女は手紙を開いてそう言った。
「は? 果たし状?」
彼女が妙なことを言うので俺はその手紙を覗き込んだ。
そこには
『大事なものを返して欲しくば19時に体育館裏に来られたし』
という手書きの文字が書いてあった。
「……おい、これって……」
俺は息を呑む。朔夜もいつの間にかどこか緊張感を帯びた顔になっていて
「……火砕の奴、ヘマしたな。帰ってこないからまさかとは思ってたんだが……」
口調も夜のものになっていた。
「ちょっと待てよ、あのオカマ男、捕まったのか? 誰に?」
俺はそこに疑問を持つ。
だって、敵はあの化け物みたいな生物だ。人質を取るような器用さとか、頭とかがあるのだろうか。そもそもこの手紙だって誰が書いたのか。
「たまにいるんだよ。人間そのものを操るケモノっていうのが。今回のはどうも厄介だと思ったらまさかその手で来るとはなー」
と朔夜はくしゃりと手紙を丸めた。
「え、ちょ、人間を操る? 誰かが操られてるってことか?」
俺は話に付いていけなくて頭が混乱してきた。
「ああ、稀なケースだけど。それもあんまり完璧じゃない暗示なんだけどな。多分操られてるのはこの学校の生徒だろうけど、今頃はまた普通に普通の生活をしてるはずだ。操られてるなんて微塵も感じないで」
と朔夜は言う。
「な……ていうか危なすぎるだろあのクラゲ! 何だってんだよ!」
俺が少々取り乱すと、朔夜はどこか冷ややかにこう尋ねてきた。
「英輔、何のために私が刀2本持ってると思ってんだ?」
「……え?」
俺はその質問の意図がよく分からなくて聞き返す。
「ケモノ切るだけなら火光だけで十分ってことだよ」
と、朔夜は机の横に掛けているまるで楽器入れのような縦長の鞄をぽん、と叩く。あの中にはあの日本刀が入っているのだろう。
「あ……」
それで俺は気付く。
確かに、言ってみれば霊体みたいな存在のケモノを相手にするなら物理的なものを切るための刀のほうは必要ないはずだ。
それでも彼女はそれを持っている。
ということは。
「ケモノ以外のものを切らなきゃいけない時もあるってこと」
と、コーヒーの栓を開けながら彼女は言った。
「…………」
それは、どういうことなのか。
俺は怖くて訊けなかった。
だから、怖くなったのかもしれない。
俺は6時半頃部活を終えても、朔夜がいるはずの宿直室に行こうという気がなかなか起こらなかった。
あいつが人間に刃物を向けるところとか、見たら色々トラウマになりそうだったからだ。
(……どうするかな……)
そうこう悩んでいるうちに、ヒロに付き合って結局だらだらと部室に居座っていた。
他にもいつも部活終了後、ここで特段意味もなく喋り続ける賑やかな部員が何人かいたし、時間は潰せた。
「あ、そーいえばこれ、部室前に落ちてたんだよ」
と同じ1年の男子が、部員が持ち込んだ漫画や雑誌などで散乱している大机の上に鍵を置いた。
「あ、それ俺のだ」
俺は手を伸ばして鍵を取る。
2日前、あの化け物に出くわしたとき落とした部室の合鍵だ。
「東条のだったのか。駄目だぞ、そういうもん堂々と部室の前に落としてたら」
と、そいつは笑う。
するとなぜか話の話題が俺関係のことになってきて
「東条ってしっかりしてそうでたまにぼーっとしてるもんな」
ととある先輩が言った。
「いやいや、それでもこいつ結構やり手なんスよ?」
と、今度は隣に座っていたヒロが俺の肩をぽんぽん叩いた。
「は?」
俺は全く何が『やり手』なのか分からなかったのだが
「なんだなんだ、とぼけるつもりか? 聞いたんだけどさ、お前今朝教室で憐ちゃんと2人きりだったんだろ? しかもお揃いの缶コーヒー持ってたって? 羨ましいなあ!」
と、ヒロはからかうように、それでも本当に羨ましそうに言った。
(……む、誰から聞いたんだよそんなこと)
結局ここでもあいつの話が出るのかと俺は頭を抱えたくなった。
「憐ちゃんって……もしかして鷹の方から来たっていう転校生のことか? 同じクラスなのか、2人とも」
と、先輩まで話に乗ってくる。
(他学年にまであいつのことは知れ渡っていたのか。ある意味恐ろしいな……)
俺がそう思っていると
「ええ、そうなんスよ。こいつなんか席も隣で……お前結構色んなとこで羨ましがられてるんだぞ、肝に銘じとけよ!」
とヒロは言う。
(…………羨ましがられる……?)
それで俺はふと、思い至った。
今朝朔夜に届いたあの手紙、あの文字はやはり男子のものだと思う。
文面にあったのは『大事なものを返して欲しくば』。
それって、俺達はすぐにあのオカマ男のことだと思ったけど、実は違うってこともあるんじゃないだろうか。
例えば、あいつをおびき出すための出まかせとか。
『大事なもの』って書けば、なんか気になるし。
俺は時計を見る。
時刻は7時過ぎ。もう、朔夜は体育館裏に行っている頃だろう。
「…………」
俺は一瞬迷ったが
「……俺、そろそろ帰ります。じゃあな、ヒロ」
そう言って席を立ち、急いで暗い外に出た。
「え? なんだ? いきなり」
後ろでヒロがそんなひょうきんな声を出していたが、俺は振り返らなかった。
自分でもよく分からない。
もし俺の予想が当たったとしても、俺が行ったらややこしいことになるかもしれない。
俺の予想が外れてたら、俺は見たくないものを見るかもしれない。
どっちにしろ、俺が行っても仕方ないんじゃないかとか、頭では分かっているんだけど。
やっぱり行かなきゃいけないという気になってしまう。
『お前は今から私の『目』だ。目なんだから私から離れるな、逃げるな、勝手に動くな。これは命令だ』
あの言葉は一種の呪いか何かだったんだろうか。
なんていうか、もう既に、あいつからは離れられないようになってしまっているというか。
(〜〜ああ、もう! 今朝のコーヒー代、返せばよかった!)
俺はあいつに作ってしまった借りを後悔しながら、体育館裏へと走っていた。
明日で9月も終わりですね・・・。10月に入ると更新が少し遅くなると思うのですが出来るだけ週1更新は心がけたいと思います。
それではここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
次回もお付き合いいただければ幸いです。