第4話:お父さんと電話
俺が街に降りて夕飯を買って戻った頃には、職員室の明かりは消えていて、宿直室に明かりが灯っていた。
「コーラの氷が溶けて味が薄くなってる。ポテトもへにゃってるし」
……朔夜はそう言って眉をひそめつつ、ハンバーガーの包みを解いた。
「人をパシリに使っといて文句言うなよな」
俺はちょっとばかり正論を言ったつもりだ。
しかしこいつには通用しなかった。
「英輔、お前坂ゆっくり上ってきただろ」
「あの坂を走って上って来いとでも言うのかお前は!」
「ああ。男だろー、それくらいトレーニングしろよ」
とか理不尽なことを言いつつ、彼女は傍らに置かれた2つの銀色の小さな袋に目をやる。例のセットのおまけだ。
「2つ? 英輔もパッピーセット? ガキくさいって言ってたじゃん」
「別にそれが欲しくて買ったわけじゃないからお前にやる」
そう言って俺はチーズバーガーにかぶりついた。しかし流石にお子様用のセットじゃポテトもSだしドリンクもSなので物足りない。……ので俺はてりやきバーガーも1個追加していた。
「何が出るかなー?」
ハンバーガーも食べかけのまま、朔夜はぴりっと銀色の袋を開けた。
(マジでお子様だな、こいつ)
俺が呆れていると
「お! 早速カエル将軍か〜。やっぱいいよな、このなんとも言えない緊張感のない顔!」
彼女は緑色の、どう見てもあんまり可愛くない……というかブサイク可愛い系……のマスコットを見て満足しているようだった。そしてもうひとつのほうの袋も開封したようだが
「む、いきなりダブったな。まあ全5種類だもんなあ……」
と、やはり本気で少し残念そうに彼女は言った。
(ダブったか。これじゃ2個買った意味があんまりなかったかな……)
と俺も内心少しがっかりしていると
「……っておい! 何勝手に人の鞄にマスコット付けてんだよ!」
朔夜が壁際に置いていた俺の鞄にカエルのマスコットをくくりつけていた。
「ん? ダブったから英輔にやるよ。お前の鞄寂しすぎ。何かワンポイントあったほうが可愛いぞ?」
そう言って朔夜はまたハンバーガーをかぶり始めた。
「男の鞄に可愛さなんていらねえよ!」
「そんなことないと思うけどなー。 そんなだから英輔はもてないんだよ」
「んな!? 余計なお世話だ! つーかなんでお前にそんなこと言われなきゃなんないんだよ! 俺だってな……」
俺がむきになって叫ぶと、朔夜は目をぱちくりさせて
「英輔、女子と付き合ったこととかあんの? 絶対ないと思ってた」
と言ってきた。
「っ!」
俺は朔夜の『絶対ないと思ってた』という言葉にショックを受けたのではなく、図星すぎることにショックを受けていた。
俺の表情で全てを読み取ったのか、朔夜は
「ははは! 図星だ! 分かりやすっ!」
と、腹を抱えて笑いやがった。
(……こんのマセガキ!!)
なぜか俺は同年齢の彼女に対してそんな罵倒が浮かんでいた。
食事もひと段落し、朔夜はどこかぼけっと窓の外を見ていた。
俺はそんな彼女の横顔を眺めながら、ふと思う。
(……そういやこいつ、結局何者なんだ?)
「なあ、朔夜。お前、どっから来たんだ?」
俺はそんな風に尋ねていた。我ながら回りくどい言い方だったように思う。
「は? 鷹の方から来たに決まってるだろ。この制服見て分からないか?」
朔夜は当たり前のようにそう答えた。
「……ああ、そうだけどさ。何でお前、その……ケモノとかいうのを退治してるんだ?」
俺がそう言い直すと
「ああ、その辺言ってなかったな。ふんふん、まだ夜更けも遠いし、ちょっとぐらいなら部外者に話しても怒られないかな」
彼女はそう1人で納得して、こちらに向き直った。
「私は『イーグル』から派遣されて来たんだよ」
「イーグル? 鷲……?」
「そ、鷲。イーグルってのはケモノの生態を調査しつつ、排除するための組織なんだ。鷹の方学園の地下に基地があってな、鷹の方の生徒の半分くらいがイーグルのメンバーなんだ」
……段々彼女の話がSFめいてきた。
「ちょっと待てよ、じゃあ何だ? 鷹の方学園ってのは……」
「まあイーグル本部を隠す隠れ蓑って所かな。こんな物騒なもん貸し出す組織、表沙汰になったら大変だろ?」
そう言って朔夜は壁に立てかけてある刀を指で指す。
「……確かにな、ありゃ銃刀法違反だ」
俺は昨夜微妙に切られた前髪を撫でる。
「……それにしても赤い刀のほうは何だ? ただの刀じゃなさそうだったけど……」
と、俺が言うと
「ああ、こいつは妖刀の類だからな。『火光』って銘で、なんでも地獄に堕ちた刀鍛治が煉獄の炎から生まれた赤鬼の牙から鍛えた刀らしい。だからこの世に実体のないものも斬ることが出来るんだ。でもその鬼の力っていうか呪いっていうか、そういうのが強すぎてそれを抑えるために3人ほど火に寄り付く妖を入れててだな……刃を抜いたら柄まで熱くなるから特殊なグローブをはめないと持てない曲者だ。英輔も火傷したくなけりゃ迂闊に触るなよ」
彼女はすらすらと説明をしてくれた。
が、なんだか話の内容がとても物騒な気がするのは気のせいではないだろう。
煉獄とか。呪いとか。妖とか。
「話せるのはこんなもんかな。一応言っとくがこれは他言無用だぞ。もしお前がマスコミにでも垂れ込んだらイーグルにマジで暗殺されかねないぞ、はっはっは」
と、朔夜は笑って言った。
(……いや、冗談に聞こえない。マジで。俺、聞いてよかったんだろうか……)
と、俺はうなだれるが
「……なあ、お前が派遣されたってことはこの学校で何かまずいことがあったのか? あのクラゲのせいで」
そのことに気が付いて俺はまた尋ねていた。
「大きな事件はなかっただろ? でも保健室にあった資料見ると、ここ数年でこの学校の生徒の平均視力ががくっと下がってるのは多分あいつと関係あるな」
朔夜はそう言った。
(……そういえば高校に入ってから眼鏡とかコンタクトにする奴が増えたような気もするが……)
まあ高校生だし、自然なことかと俺は思っていた気がする。しかしこれが化け物のせいだとすると少し嫌な気がしたし、視力を取られた生徒達が不憫に思えた。
「なあ、そのクラゲを倒したら取られた視力は皆に戻るん……だよな?」
「ああ、視力を完全に取られない限りは戻ってくるはずだ」
朔夜は意味深なことを言った。
「? じゃあ完全に取られると戻らないのか?」
俺が訊くと
「ああ。何にしたって能力っていうのは完全に身体から離れると元の場所へ還れなくなる。少しでも残っているのなら、まだそれが呼応して呼び戻せるんだけどな」
窓の外の、どこか遠くを見ながら、彼女はそう言った。
その横顔がいつもの彼女らしくなくて、俺は少し気になった。
「……訊きたいのはそれくらいか? 私はそろそろシャワーでも浴びて寝るぞ」
そう言った彼女はまたいつもの彼女で、軽快にシャワー室のほうへ向かっていった。
またしても1人熟睡する朔夜を傍目に、俺は考えていた。
(……そういや、イーグルとかそういう組織のことは分かったけど、結局あいつがなんでそんな組織に入ってるのかとか、そんな話は聞けなかったな……)
どこかで俺はそう残念がりつつも
(いや、そこまで聞く必要もないか……。あんまり踏み込んだって仕方ないしな……)
と、そうも思う。
どうせこんな妙な生活も今週中には終わるだろう。
そうすれば朔夜だってまたすぐ鷹の方に帰るんだろうし。
(……って)
そこで俺は気付く。
(これ、一応女子と同じ屋根の下で過ごしてるんだよな? しかも1日中……)
――『同居』とかいうワードがうっかり思い浮かんでしまって、1人でなぜか俺は赤面していた。
(ああ、姉貴にこんなこと知られたらマジ死ぬまで冷やかされるだろうなー……)
とか勝手に思っていると、
「――――ん……」
そんな、どこか艶めかしい声が聞こえた。
(!?)
あまりにもタイミングが良すぎるので俺の心臓が無駄に跳ねた。
(ええい落ち着け馬鹿! 何上がってんだよ俺! あんな男みたいな女になんか興味はな……)
とか、言い聞かせていると
「……く……っ」
昨日と同じように、やはり何かにうなされるかのように彼女は苦しそうな息を漏らし始めた。
(……またか?)
俺は気になってそろりと彼女に近づいていく。
まずいかなーと思いつつ覗きこむと、やはり額に妙な汗を浮かべて朔夜は唸っていた。
俺はそのまま時計を見て
(……まだ11時前か……。起こすのは早すぎる……よな……)
と考えていると。
突然、彼女の腕が伸びてきて
俺の左腕をがしりと掴んだ。
(へ?)
しかし彼女は目を開けない。
寝ぼけているのだろうが、しかしその割に手に篭った力は相当なものだった。
(外れねー!)
俺は内心焦りつつ慎重に腕をひっぱるが、彼女の手は離れなかった。
(まずいぞ、これはまずい。このまま目覚まされたらどんな誤解を受けるか!)
と、俺が慌てる一方で、なぜか彼女の方は
「…………」
穏やかな寝息を取り戻していた。
(…………)
俺はそれを見て少しだけほっとしつつ
(いや、ほっとしてる場合じゃねえ! 外さないと! 今すぐ!)
また慌てだす。
結局、15分ほど足掻いてみたが朔夜の手は外れなかった。
(……もう、駄目だ……)
俺は無駄に疲れてそのまま朔夜の布団の隣に倒れこむ。
(はーあ、何やってんだろ俺。もうこのまま寝ちまおうかな……。昨日のこいつの言い草だと毎晩あの化け物が出てくるってわけでもなさそうだし?)
と、俺は目を瞑った。
するとその直後に、携帯のバイブが鳴る激しい音がした。
「!?」
あまりにも突然だったので俺は驚いて身をよじる。
すると知恵の輪が外れたときみたいにあっけなく朔夜の手が離れて
「……んー?」
と、眠そうな彼女の声がした。
俺はとっさに畳を転がって転がって転がって
「ぃだ!」
壁に衝突した。
「……何やってんだ? 英輔」
少し呆れ気味の朔夜の声がした。
「べ、別に!」
俺はぶつけた後頭部を手で押さえつつ、何もなかったかのように言い張った。
朔夜はそれ以上詮索せず、折りたたみ式の携帯をぱかっと開けた。暗い部屋に、そこだけ明るく光が灯る。
「……メールか。しかも高志からかよ。ったくあのくそオヤジ、こっちがこの時間寝てるってこと何度言ったら分かんだよ。いつもとはサイクル違うっての」
と、朔夜は悪態づいた。
(高志? くそオヤジ……?)
俺はそのワードを聞いて、何かあまり良い気がしなかった。
「おい、朔夜。誰だよその高志って……」
(まさか援助交際の相手とかじゃないだろうな!? あいつ一応都会っ子だし! 一応、可愛いし……)
都会=危険、という安直な公式を頭の中で描いていた俺は、真っ先にそう思っていた。
しかし
「ん? 高志は私の保護者だよ。養父って言えば1番近いかな」
朔夜はけろっとそう言った。
「……あ、そう。保護者、ね」
俺は安心しつつも自分のアホさに呆れて、少し顔が火照ってしまった。
そうしている間に朔夜は面倒くさげにメールの内容をチェックしていた。
「その、お父さん、なんて?」
俺はそんなことを訊いていた。というよりその保護者というのはこいつがこんなことをしているということを知っているのだろうか、とか、少し疑問に思ったからだ。
「応援を呼ぶか? とか、支給品足そうか? とか、ちゃんとご飯食べてるのか? とか。あーもーなんでいちいち訊いてくるかなー! 昨日ちゃんとメールしたってのに!」
朔夜はそう言って乱暴に携帯のボタンを押し始めた。
直接会話するつもりらしい。
俺は静かにその様子を見守った。
「おい高志!? せっかく人が寝てるときにメールなんか送ってくるなよ! 何度言ったら分かんだ! ………は!? ちょ、おい、何言ってんだよ! 英輔はそんなんじゃ……」
彼女は色々賑やかに喋っていた。しかし
(ちょ、何で俺の名前まで出てくるんだ!?)
俺は内心焦った。
「は!? 替われって? 何言ってんだよ、もー! ……分かったよ、ったく」
彼女はそう言って俺のほうに携帯を差し出した。
「高志がお前と話したいんだって」
「――は!?」
俺はさらに焦る。
(ちょっと待てよー! なんでそうなるんだ!?)
「英輔、出るなら出る、出ないなら出ないではっきりしろよ!」
朔夜も機嫌が悪いのか、どこかぴりぴりしている。
俺は仕方なくその電話を取った。
「……もし、もし?」
俺がカチカチの状態で声を出すと、
『もしもし、こんばんは。東条英輔君、だね? 私は鷹の方……いや、イーグル本部局長の朔夜高志という』
意外と落ち着いた男性の声が向こうから聞こえてきた。声だけ聞けばとてもダンディなイメージを受ける。
「ど、どうも……」
(ちょ、待て!? イーグル本部局長だ!? それって1番偉い人なんじゃ……)
俺の頭は半分真っ白になってきていた。
だって、刀とか呪いとか云々を扱っている組織の筆頭だ。ヤクザのボスより性質が悪い。
『憐が世話になっていると思うのだが……何か変わったことはないかね?』
「え、と? 変わったこととは……?」
会話がちゃんと成り立っているのかすら分からないくらいだ。
『ふむ、例えばだよ。あの子に悪い虫が付いていないかとか。……君を含めて』
(…………ちょッ!)
「付いてません! 付いてませんよ!? 僕を含めて!」
俺はなぜか狼に追われる羊のような気分になっていた。
『……ふむ。では少しクイズをしたいのだが、東条君』
「はい?」
俺は半分泣き声だ。
(……というかなぜクイズ?)
俺の疑問をよそに朔夜のお父さんは早速問題を出した。
『今日の憐の下着は何色でしょう』
…………。
………………。
……………………。
「――――は?」
『10秒以内に答えたまえ。さもなくば……分かっているね? 10、9、……』
と、勝手にカウントダウンを始めるイーグル局長。
(ちょっと待て!? なんだよそのクイズ!? 俺を試してんのか!? 見てないって言えばいいのか!? でもそれじゃ質問だ! 『クイズ』の意図が分からねえ!)
俺は妙なところにこだわりながら頭をフル回転させる。まるで数学の授業で、ぼんやりして聞いていなかったところを急に当てられた時のようだった。
『6、5、……』
カウントダウンは続いている。
(まずい、何か、何か答えないとっ!)
俺は昨日のことを思い出す。
それしかなかった。
だって今日は知らないんだ。
「きょ、今日は知りませんが昨日はブルマでしたッ!!」
…………俺はそう、叫んでいた。
受話器の向こうはカウントをやめた。
朔夜も何も言わずにぽかんとしていて、世界中が沈黙したように、俺は思った。
(…………死にたい。今、死にたい)
『…………』
向こうはまだ喋らない。
俺は羞恥で耳まで焼けそうなくらい熱かった。
(もう、いい……帰る。俺、帰る……)
そう思った、その時。
『正解! よく言った少年! 君は正直者だ!!』
受話器の向こうで晴れやかな声が聞こえた。
「…………は?」
俺は思わず携帯を取り落としそうになった。
『うむ、あの子には私からスカートの下にはいつもブルマをはくように言っているのだよ、見えても大丈夫なように。だって短いだろう? うちの学園のスカート。あのスカートのせいで憐に余計な悪い虫が付いたらもう私は……。ああ、そうそう、ここで君が適当なことを言ったら私の君への認識が『ろくでもない馬の骨』になるところだったよ、はっはっは』
先ほどまでの重苦しい声とは一転、とても明朗に喋るイーグル局長。
「そ、そうですか……。して、今の僕の評価は……?」
『『まずまず正直な馬の骨』といったところだね。はっはっは……』
(どっちにしろ馬の骨かよ)
俺が心の中で悪態づくと、朔夜が俺の手から携帯を奪った。
「おい高志! 何さっきから喋ってんだよ、切るぞ!」
そう言って彼女はぶちっと電話を切った。
「…………」
俺は少し胸をなでおろす。
が。
「おい、英輔……」
まだ問題は残っているじゃないか!
「なーにが『昨日はブルマでした』だ? あ? 言ってみろコラ!」
それはもう恐ろしい形相で、朔夜が俺に迫る。
「うわぁ!? 俺は見てない! 何も見てない!」
その日は本当に長い日で、俺の受難はまだまだ続くのだ。
私にしては珍しい更新スピードです。9月中はこんな感じです。
さて、少しばかり明らかになったヒロインの素性。
ちなみに「鷹の方」はタカノホウではなくタカノカタと読みます。でもどうしてイーグル(ワシ)……? ホークよりイーグルのほうが語呂がいいからです(笑)。
今回の話は私にしてはちょっと破廉恥な(笑)話ですねー。でもアクションものにスカートとなるとこれは仕方のないことだろうと(笑)。
次回は新キャラも登場して変な展開へと変わっていきます。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。どうぞこれからもよろしくお願いします。