第3話:そして妙な生活が始まる
夜の学校は当然のように真っ暗だったが、廊下を走る分には窓から入ってくる明るさで不自由はなかった。
「なあ、どこにいるんだよ」
俺は朔夜に向かってそう尋ねていた。
ケモノがこの階にいるって言うからすぐそこにいるのかと思いきや、宿直室を出て生徒玄関のほうに真っ直ぐ走る間にはそんな影は見えなかった。
「お前気配ぐらい察せないのか!? そこ曲がってすぐだ!」
「は!?」
そう言ってる間に俺たちは角を曲がった。
「!!」
彼女の言うとおり、目の前にそれはいた。
が、
「ちょっと待てよ、どこがクラゲなんだよ!?」
廊下の天井に届きそうなくらいの白いそれは、既にクラゲの形ではなかった。
形容するならば、巨人。
顔とかそんな細かい部品は出来ていなくても、二足で立っている。
「ふーん、さっきの奴が私から奪った視力使って人間の形に化けたのか。生意気な」
朔夜はどこか苛立ち気味にそう言った。
そうしている間に巨人は俺たちに気付いたようで、巨大な足を上げた。踏み潰す気らしい。
すると朔夜が刀を抜いて、左手の刀で巨人の足を斬った。
それは空気を切るような太刀筋で、俺の前髪がふわりと浮いて……
「って! 前髪! 切れてる! お前どこ見て刀振ってんだよ!!」
ひらひらと舞い落ちた自分の前髪を見て俺は叫んでいた。
「あ、悪い。暗いと余計に見えないんだよなー」
一歩間違えればひどいことになっていたのに朔夜は事後的にちょっと消しゴム借りましたよ的な言い方をする。
足を斬られた巨人は派手に倒れたが、切断された足がまた巨人の身体へとくっついていった。
「再生する力まで得たか。こりゃこっちじゃ向かないな」
彼女はそう言って左手に持っていた刀を床に置いた。
「おい英輔、奴の核はどこだ」
「は? 核?」
いきなりそんなこと言われても答えられない。
そうしている間に、白い巨人が再び立ち上がり、腕を大きく振り上げる。
「うわあ!?」
俺は慌てふためいて避けようとするが、がしりと朔夜に腕を掴まれた。
「馬鹿! 逃げるなっつったろーが! 核を探せ核を! やつの身体のどっかにあるだろ、なんか目立つもんが!」
朔夜はそんなことを言ってくる。
「は!?」
(目立つもんって何だよ!?)
俺は半分涙目になりつつある目で白い巨人を凝視する。
すると巨体の真ん中辺りに、青く光る丸いものが見えた。
「あ、あれか!? ちょうど真ん中ぐらいに青いもんが見えるぞ!?」
そうこうしているうちに白い巨椀は振り下ろされる。
俺はまた反射的に目を瞑っていた。
すると
「真ん中だな」
俺の耳元を、そんな声が通り抜けた。
――刹那、風が吹く。
秋の夜にはそぐわない、熱風だった。
俺が目を開けると、目の前には朔夜の背中があって、その右手には赤く光る刃を持つ刀が握られていた。
その刃は白い巨人をちょうど真ん中で叩ききっていて、俺が見た青い球体も、両断していた。
巨人は静かに床に崩れ落ちる。
その身体は霧散して、青い液体だけが床に残った。
「ふう、これでやっと1匹片付いたか」
朔夜は怪しげな刀を鞘にしまいつつそう呟いた。
「あと何匹いるか分かるか、英輔?」
いきなり振られても困る。
「知るかよ、俺はあいつらが見えても気配は察知できないんだよ! お前こそさっきみたいに気配で分からないのかよ!」
「ケモノだってそこまで馬鹿じゃねえよ。普段は気配を消してやがるんだ。……となるとあんまり使えないな、お前」
と朔夜は言う。
俺は少しばかりカチンときて
「お前が勝手に使ってるんだろうが! じゃあ俺はもう要らないな!? 俺は帰るぞ!」
そう言い放って彼女に背を向けた。すると
「ああ、今日のところはな。気をつけて帰れよー」
意外とあっさり彼女は俺を送り出した。
深夜、俺はようやく家に戻ってきた。
とりあえず浴びそびれていたシャワーを浴びて、食事もとらずにそのまま自室のベッドに倒れこむ。
(ああ……なんだったんだ今日は……)
宿直室であまり眠れなかった分、ここにきてようやく睡魔が襲ってきた。
(全部……夢だったら、いい……のにな……)
俺はそんなことを思いながら、眠りに落ちた。
翌朝、目覚ましをかけ忘れていたのでいつもより起きるのが遅くなってしまった俺は、生のままの食パンを頬張りながら支度をして、予鈴ギリギリに学校へたどり着いた。
教室に入るとやはりもうほとんどの生徒が着席していて、先生が来るのを待っている状態だった。
俺がそそくさと席に着こうとすると、隣にはやっぱり当たり前のように朔夜が座っていて、
「おはよ。昨日はよく眠れた?」
なんて、『爽やかな』笑顔で彼女は言った。
……やっぱり夜とは雰囲気が違う。
使い分けているのか、それとももっと本質的に2重人格とかそんな感じなのかは分からないが、とりあえず。
「……このオセロ女」
俺はそう呟いて、席に着いた。
昨日のことが嘘みたいに、その日はいたって普通に過ぎていって、あっという間に放課後だった。
掃除も終わって、部活へ行こうと教室を出たのだが
(あ……そういや水着……。部室行かなきゃ……)
昨日の災難の、そもそもの原因を思い出して俺の気分は一気にブルーになる。
さらに
「おーい」
後ろから、昨日初めて聞いたはずなのにもうすでに聞き慣れてしまった声に呼び止められて、俺の気分はどん底に沈んだ。
後ろから駆けてきて、ぱっと目の前に現れたのはやはり朔夜で、
「今から部活? 終わったら宿直室に来てね」
そう笑顔で言って彼女は軽やかに教室に戻っていった。
(ちょ、おい、やっぱり今日も行かなきゃ駄目なのか?)
俺はしばらく廊下に立ち尽くした。
そして日も暮れかけた6時半ごろ、俺は非常に不機嫌な顔をしながらもしぶしぶ宿直室に向かっていた。
……別にトンズラかまそうと思えばかませるのだが、そうすると明日あいつに何をされるか分からないのだ。
今日の様子を見た限り、朔夜のクラスでの人気はさらにヒートアップしており、この調子だと今期の学級委員長にでもなってしまうんじゃないかとすら思える。
ミーハーな他クラスの男子が『憐ちゃんとお友達になろうの会』とかいうネーミングセンス全くなしのファンクラブまがいのものを結成したとかいう話も森下から聞いた。
(……あいつがそうやって権力くさいものを手に入れていくと俺の生活はどんどん危険に晒されていくような気がする……)
俺は『魔王・朔夜憐』の図を思い浮かべながら、宿直室のドアを開けた。
すると、なぜかすごくへっぴり腰気味に窓際の荷物を引きずっている朔夜の姿が目に入った。
「……何やってんだ、お前」
俺は先ほどのイメージとのギャップに呆れつつ、一応尋ねた。
「英輔っ! お前良いとこに来たッ!」
何かよく分からないが救世主でも見たかのような顔で朔夜は走り寄ってくる。
「あれっ! あれを何とかしてくれ!」
朔夜が窓のほうを指差して喚く。
「あれ?」
俺は何かまた良からぬものがいるのかと緊張したが、窓を見ると
「……蛾?」
少し大きめの蛾が、窓ガラスの内側に留まっていた。
「早く外に出すとかなんとかしてくれよ! あのままじゃわけのわからんアレルギーを引き起こす鱗粉を撒き散らしてモスラのごとく飛ぶぞあれ!」
(……いちいち形容が長いな)
「蛾くらいで喚くなよ」
俺は呆れつつ鞄からポケットティッシュを取り出して、窓際に近づく。
蛾は留まったらそうそう動かない。
俺はそっとティッシュで包んで、窓の外に放り出した。
「これでいいのか?」
俺が振り返ると、朔夜はどこか目を輝かせて
「今、お前のことちょっと見直した!」
そう言った。
(……いや、そんなとこで見直されても……)
俺は少し複雑だったが
「あーっ助かった。あのままだったらほんと寝床替えようかと思ってたんだよ」
朔夜が本当に嬉しそうだったのでスルーすることにした。
「寝床替えるって……他にどこがあるんだ?」
「ん? 保健室かな。あそこならベッドもあるし、水道もあるし」
(……なるほどな……って)
「おい、お前保健室の鍵まで持ってんのか!?」
俺は叫んでいた。
「ああ、今朝マスターキーのスペアを手に入れたんだ。すごいだろ」
彼女は鍵をちらつかせてにやりと笑った。
(……こいつ、手癖悪ぃ……)
俺は職員室のセキュリティの甘さを心配した。
「ん、そーいや何で英輔頭濡れてんの? 雨なんか降ってないだろ?」
朔夜がそんなことを指摘してくるので
「俺水泳部だから」
と答えると、なぜかまた朔夜は目を見開いて、
「へー、英輔って水泳部だったのかー。すごいなー」
と、本当に感心しているような顔でこくこくと頷いた。
「? なんで俺が水泳部だったらすごいんだよ」
と、素直に訊くと
「や、私全く泳げないから。泳げる奴を見ると感心するんだよ。何で水に浮けるかなあ?」
なんて朔夜は本気で考え込むように言った。
(……変な奴)
俺はそう思いつつ腰を下ろした。
「じゃあこっちも質問。なんでお前、昼間と今じゃそんなに違うんだよ?」
と、気になっていたことを尋ねる。
「ん? 違うって、何が?」
と、朔夜はきょとんとしている。
あまりにきょとんとしているので俺は尋ねにくくなってしまった。
「……いや、ほら、口調がそもそも違うだろ。……2重人格とか?」
「はー? そんなわけないだろー。私は私。2重人格なんてもっての他だし別にどっちが地ってわけでもないぞ。まあ強いて言うなら昼間と夜じゃ気合が違う」
と、彼女は笑いながら言った。
(……気合……?)
俺は呆れて俯いた。
しばらくして、寝転がって何か本を読んでいた朔夜がこんなことを言い出した。
「……お腹減った」
「……は?」
先生が全員校舎を出るまでは宿直室の電気はつけられないので、窓際に寄って外の明かりを頼りに明日の数学の予習をしていた俺は腕時計を見た。
(……7時過ぎ、か)
「お前昨日は何食べたんだよ?」
と、俺が尋ねると
「昨日は……皆と外に出たついでに弁当を買ったな。あー、今日はどうしよっかなー。何かあったかな?」
朔夜はそう言って鞄をあさり始めた。
そして
「あ、これこれ。今マッグのパッピーセットのおまけ、カエル将軍のマスコットだよな。1週間あれば全部集められるかな?」
とか言いつつファーストフード店のクーポンらしきものを取り出して
「うん、これ持って買ってこいよ英輔。ドリンクはコーラな」
俺に差し出した。
「はあ!? おいお前、俺にそんなガキくさいもんを買って来いってか!?」
「なんだよ失礼な奴だな。だって面倒なんだもんよ、坂下りてまた上るの」
と、口をとがらせて彼女はクーポンを俺に押し付けた。
「そんなの俺だって同じだ!!」
俺がそう叫ぶと
「〜〜〜じゃあ英輔は晩飯どうするんだよ? 食べないのか?」
朔夜が痛いところを突いてきた。
(くっそ、確かに昨日は何も食べなかったけど結構きついんだよな……。ああもう!)
結局、俺はしぶしぶクーポンと財布を片手に坂を下っていた。
宿直室で泊り込みとか1回やってみたいですねー。やけにとろとろ進んでいるのはなぜかというと一応これ青春モノですから(笑)。
次回はもうちょっとヒロインについて語れるかと思います。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました!