第14話:ラストナイト
何事もなかったように、つかつかと歩いていく朔夜の背中を俺は見ていた。
「それにしても英輔って同性にモテるタイプなのかねー」
「……余計なお世話だ。ていうか何でお前が……」
あの絶妙なタイミングでやって来たのか。
すると彼女は
「え、何、キスしたかったの?」
なんて訊いてくる。
「んなわけあるか!!」
俺は全力で否定した。
……こんな感じにうまくはぐらかされてしまったが、実際のところどうなんだろう。
俺が佐伯に呼び出されたのを見てわざわざ追いかけてきてくれたんだろうか。
(……うーん……)
真意が分からないのでお礼も言いづらい。
なので、俺は行動で示すことにした。
夕方、部活を終えた俺はそのまま街に降りて、ハンバーガーを大量に買い込んで宿直室に行った。
「え、これ全部驕り?」
朔夜は目を丸くして目の前のパッピーセットの山を見た。
「ああ。これで多分揃うだろ、全部」
そう言って俺は両手いっぱいのおまけのブツを朔夜に渡した。
「え、あ、うん……?」
朔夜は不思議そうに首を傾げつつ、それらを受け取った。
2人してハンバーガーを食べ始めると、部屋全体がケチャップとピクルスの匂いに包まれる。
(……身体に悪そうだけどな……)
そう思いつつこれも最後かと思って俺は精一杯ハンバーガーを頬張る。
一方でポテトを黙々とかじっていた朔夜が手を止めて
「ねえ英輔、ケモノがあと何匹残ってるか分かったりしない? 正直分かんなくなってきたんだよねー。あのクラゲが生きてたってことは、最初に倒した巨人とはまた別物だったわけで、で、おととい逃がした骸骨に昨日の蜘蛛でしょ? 最初に何分割したか覚えとけばよかったんだけど、視力取られた直後はそんな余裕なかったし」
そんなことを尋ねてきた。
「だからーそれ無理だって前にも言ったろ?」
俺がそう返すと
「でもさ、昨日英輔ケモノの気配感じ取ってたじゃん」
と朔夜が言った。
(え……あ、そうか……)
しかしそんなことを言われてもどうすればいいか分からない。
「どうすりゃいいんだ?」
「集中してみてよ。何か感じるかも。瞑想瞑想」
俺は言われるがままに目を閉じてみた。
するとまた、昨日と同じような耳鳴りが聞こえてきた。
高音と低音の2つの音が絶えず耳を、脳を劈く。
目を開けると、音は止んだ。
「どう?」
朔夜は身を乗り出しつつ期待の篭った目で俺を見る。
「……2匹? 耳鳴りが2種類聞こえたんだが……」
俺が自信なさ気にそう言うと
「なるほど。ということはあのクラゲとこの間逃がした骸骨だけだね」
と朔夜はすっかり信じきっている。
「ちょ、間違ってても俺は責任とれないぞ」
俺は慌てて付け足した。
「いや、昨日の蜘蛛の様子からして相手は自力じゃ分裂出来ないようだったし、分裂の性質からして残り2匹っていうのは妥当なとこだよ。英輔ももうちょっと自信持ったら?」
と朔夜は言った。
(……どんな自信だよ……。そもそも俺、気配なんて最初は分からなかったはずなのに……)
自分まで何か妙な方向に走ってきたような気がして俺はうなだれた。そうしていると
「……となるとやっぱ今日ぐらいが詰めかな」
朔夜はそう呟いた。
(…………)
するとどこか、場の空気がしんみりしてきた。
まるで卒業間近の教室の空気だ。
彼女はどんな顔をしているのだろうと視線をやると、カチリと視線がぶつかってしまった。
俺は慌てて目を伏せる。
すると朔夜はくすりと笑った気がした。
そして
「英輔、昨日訊いてたよね? なんで私がケモノ退治なんかしてるのかって」
彼女はそう切り出した。
俺は顔を上げる。
「え……いや、それは……」
別に答えなくてもいい、と言いたかったのだが、そう言えない空気の流れというものを感じた。
なんていうか、こういうしんみりした空気は苦手だ。
「……私さ、ケモノに取られたのは視力だけじゃないんだ」
朔夜は苦笑気味に横を向いてそう言った。
それは、昨日のことからなんとなく予想していたことだ。
「……何を取られたんだ?」
俺には想像がつかなかった。
夜は異様な彼女でも、昼間は他の高校生と変わりない生活を送っているからだ。
しかし彼女の口から漏れた言葉、
「命」
……それは、俺の想像を遥かに超えたものだった。
「命……って……」
あまりのその言葉の重さに、俺はただ呆然とした。
「あ、死んでるわけじゃないよ? ただ寿命がね……今のままだと本来の2分の1なんだ」
寿命が、本来の2分の1。
俺は『2分の1』という数を、ここまで大きく感じたことはなかった。
数値で平均寿命なんて出しても、人間の寿命なんて計り知れない。結局、人によって違うんだから。
だから、誰しもいつ死ぬかなんて分からないものだ。
だけど、こいつはもっといつ死ぬか分からないんだ。
だって、本来の2分の1しか、残ってないんだから。
「でさ、残念ながらそのケモノが行方をくらましちゃってさ、イーグルに追ってもらってるんだけど、まだ手がかりなしなわけ。もう大分経つんだけどな……」
と朔夜は脚を投げ出した。
「……それを、取り戻すために戦ってるのか」
俺は、震えそうになる声を絞り出した。
「ん。視力まで取られちゃったのはほんと、想定外だったんだけど、でも英輔のおかげでなんとかなりそうだし。これでも結構感謝してるんだよ? 英輔には」
そう言う彼女はいつもと変わらない、華やかな笑顔だった。
実直に言うと、俺はその笑顔が好きだった。
けれど今だけは、その笑顔が許せなかった。
「……なんで……」
俺は声に出して、そう言っていた。
「なんで、笑ってられるんだよ。お前、ちゃんと分かってるのか?」
この先は、言っちゃいけない、のに。
「何が?」
彼女のその、無神経なくらい暢気な態度を見ていると、頭に血が上ってしまった。
「馬鹿! 寿命が半分しかないって言われたら普通こんなことしてねえよ! どこに行ったかも分からないような化け物探すよりもっと他にやりたいことがあるだろ!?」
俺は声を張り上げて叫んでいた。
身内以外にここまで怒鳴ったのは、初めてかもしれない。
対する朔夜は、目を丸くして呆然としていた。
俺は身勝手にもひとりでに不機嫌になって、身体の向きを変えた。
「…………」
朔夜は黙っている。
その沈黙で、俺の頭は少しずつだが冷めていって、それから深く後悔しだした。
さっきの自分の言葉は、思っていても声に出して言っちゃいけなかったんだ。
だって、彼女の今までを、否定する言葉だったんだから。
そんな権利、俺にはない。
けれど言わずにはいられなかった。
多分俺なりに、あいつのことを気にかけてたんだと思う。
……でもこれで、完全に嫌われただろう。
「……英輔は優しいね」
けれど、彼女はそう言った。
「……な」
俺は思わず振り返っていた。
意外だったのだ。
俺の、『酷い』と言われても仕方のない言葉の裏側を、読んでくれたことが。
「なんでそうなるんだよ」
それでも俺が刺々しくそう問うと、彼女はその刺を受け止めるように、柔和な笑みを浮かべる。
「なんでって……私のこと心配してくれたんでしょ? 人事でそこまで怒る人、珍しいよ」
褒められているのは分かるのだが、なんと言うか、その言い方は癇に障る。
「俺は、別に……」
俺は何が言いたいんだろう。
自分でも分からなくなる。
『俺はもっと冷たい人間だ』とか?
ああ、そうだったはずなんだ。
だから、俺が怒ってるのは、相手が、彼女だから、で。
「……だから、なんでもっと普通の生活を送ろうとか、思わなかったんだよ。普通に学校行ってたら、お前だったらもっと色んなこと、出来るだろ? いや、残り時間が限られてるなら、やりたいことだけやってりゃいいんだ」
俺は頭の中の混乱を振り払おうとしながら、そう彼女にぶつけた。
すると朔夜は
「それは違うよ、英輔」
はっきりと、そう答えた。
「…………違う?」
俺はあまりにも迷いの無い彼女の言葉に少し慄いた。
彼女はこちらに向き直って
「確かに、そんな選択肢もあった。高志も最初、そう言ってたよ。けど……」
真っ直ぐ、こちらを見据えて言う。
「この先、いつか死ぬときが来たら、私絶対後悔すると思う。『ほんとだったら、もう半分生きれたのに』って。だから、その時後悔しないために、今出来ることをしておきたい」
朔夜は揺るぎもせず続ける。
「この手が伸ばせるうちは、私は諦めない」
零時前、校内を歩き回る朔夜の後ろを、つかず離れずの距離を保って俺は歩いていた。
『この手が伸ばせるうちは、私は諦めない』
どうして、彼女はそんなに強いんだろう。
人生、諦めが肝心だって言うじゃないか。
そんな格言なくたって、俺は色んなものを諦めてきた気がする。
将来の夢とか。彼女には偉そうに『昔からサラリーマンになるって決めてるんだ』なんて言ったけど、本当は、昔は違ったんだ。
この十数年、現実を知り、色んなものに挫折して、最終的に辿り着いた俺の持論が
『毎日を平凡に過ごすこと、それこそが幸福だ』。
それが間違いだとは思わない。
だけど。
だけどたまに、彼女みたいにまっすぐ走っている人を見ると、胸が苦しくなるんだ。
窓の外の風の音が奇妙に止んでいた。
そして、前を行く朔夜が足を止めた。
それから俺も異変を感じ取る。
(!)
激しい耳鳴りと共に、それは俺たちの目の前に降りてきた。
「英輔! 下がれ!」
朔夜はそう叫びつつ刀を抜き、そのままそれに斬りかかる。
彼女の刃を受け止めたのは、今までに見たもののどれとも似つかないものだった。
「このっ!!」
なんとか朔夜はそれを突き放す。
が、相手は体勢を全く崩さず、滑らかに引き下がる。
「……その形で来ると思ってたよ」
朔夜は目の前の敵に対してそんな言葉を掛けた。
しかし俺は全く予想だにしていなかった。
まさか、ケモノが、人間と全く同じ姿で現れるなんて。
(……しかもよりによって……)
そう、人間の姿をしたそれは、俺のよく知っている人物の姿を模していた。
クラスメイトの森下だ。
「……その動き、元骸骨君だな。あのクラゲから肉の付け方でも教わったか?」
朔夜がそう言うと、森下ケモノ版は不気味に口角を上げ
「左様。あれと我は分かれても繋がっている。貴様らの言語も肉声で喋られるようになったぞ」
そう、言った。
(げ!? 声も森下そっくりだし!? あのクラゲ、森下にくっついて何を吸い上げたんだ!?)
「その格好でこっちの同情でも引く気だったんならそれは無駄だぞ」
半分パニックに陥っている俺とは違い、朔夜はあくまで冷静にそう述べて、ケモノに再び斬りかかる。
すると彼の腕から剣のようなものが生えてきて、それで鍔迫り合いを始めた。
(み、見てられん)
俺は思わず目を伏せた。
(なんでよりによって森下の格好をしてくるんだ! しかも妙なもん生やすし!!)
しかし
「つっ」
朔夜の微かな呻き声が聞こえて、俺は慌てて場を直視した。
見ると、彼女は左腕をかばっていた。
(あ……)
彼女の足元にぽたりぽたりと落ちるものが見える。
「その程度か人間。もう少し愉しませてほしいんだが」
森下の形をしたソレは、愉快げにそう言った。
「……お前みたいに好戦的なケモノは初めてだ」
朔夜は苦々しくそう言いつつも、また、それに挑む。
「お前の視力のお陰だよ、小娘。ここに来てから随分と多くの力を吸い取ったが、やはり並みのものではいくら取っても新たな力を得るにまでは至らなかった……」
ケモノは流暢に、余裕げにそう語りながら朔夜の攻撃をかわす。
(……あしらわれてる……剣技だけじゃ朔夜は叶わない……!)
素人の目から見ても、それは明らかだった。
ケモノの横薙ぎを避けようとした朔夜の体勢が崩れる。ここぞとばかりにケモノは踏み込み剣を振りかざした。
(あぶな……)
しかし朔夜はそれをも間一髪のところで身をよじりかわす。が、それで限界だったのか、右手に持っていた妖刀を取り落とした。
「!」
彼女がそれを拾う前に、ケモノはその手を容赦なく踏みつけた。
「ぅ!」
痛々しい声が漏れる。ケモノは嗤う。
「火より強き炎の力。貰うぞ、娘」
もうすでに、それは森下の声には聞こえなかった。
だから
「っこのッ!!」
俺はがむしゃらに走りこんで、そのままケモノに体当たりした。
「っ!?」
予想外だったのか、受身を取れずにケモノは衝撃に任せて後ろへのけぞって背中から床に倒れた。
その隙に朔夜は刀を手の内に戻したようだった。
「大丈夫か!?」
近くで見ると、朔夜の腕の傷はさらに痛々しかった。
ケモノの形に囚われて、動けなくなっていた自分が情けない。
けれど朔夜はこくりと頷いて
「……実体化してるのか。なら話は早い」
そう呟くと、こんな状況なのに、どこか不敵に笑った。
実は!! 世が3連休の間に最終話まで書き終わりました!!!
もうちょっと推敲するので今日はこれだけですが今週中には全部出しているかもしれません(年内って言ってたのに・笑)。
それではつらつらあとがきを書くのは最終話まで置いておいて(笑)、ここまでめげないで読んでくださっている方々、ありがとうございます! EP入れてあと4話、最後までお付き合いいただければ幸いです。