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【第5話 「私」の名前、魔王の名前】

「……して、人間よ。ひとつ聞きたいのだが」

「?何かしら、私に答えられること?」

「貴様、名を何という?」


 ……いつか来るとは思っていた、この質問は。思いのほか早かっただけで、全くの想定外の質問ではなかった。


「……ないのよ、私には」

 アリーシア、ルリ、ミズキというそれぞれの自分は存在しているが、「私」に名前はない……というより、名前を尋ねられることがなかったのだ。

 ちなみに、「私」は彼女達の存在を知っているしどんな人間なのかも知っているが、彼女達は「私」、そして自分以外の存在を知らないのだ。

「私」に戻る時は、奥底に眠る「私」が戻りたい、と願うことで、彼女達はいつの間にか「解除」と呟いている。そういう、実に面倒くさい仕組みなのだ。

「……名がない、とな?ふぅむ、それは実に困った。命の恩人ともあろう人間を、いつまでも人間呼ばわりでは道徳的にどうなんだと思ったのだが……」

(そもそも魔王が道徳的な考えを持っていること自体どうなんだって思うけどね……。)

 と、思ったことをうっかり零しそうになるがギリギリ踏みとどまり、無言を貫いた。

「では、俺は貴様をなんと呼べばいい?」

「お好きなように。……それか、名前を持ってる私に変わって日常生活を送った方がいいかしら?」

 うん、その方が便利だ。名前はあるし自分も確立しているから。

「じゃあ誰がいい?元気っ子ならルリ、オドオド系ならアリーシア……不思議ちゃんタイプならミズキ。誰にする?」

「待て」

 先程より鋭く、緊張した声が聞こえた。

「どういうことだ?誰がいい……とは、どういうことなんだ……?なんとなくは分かったが、貴様とは別に三人いるということか?」

「えぇ、そういうこと。だから、誰がいいかって聞いてるの。単に趣味を聞いてるだけと思って」

 そういうと魔王は腕を組んで悩み、

「……オリジナルではダメなのか?」

 と尋ねた。

「オリジナルはダメ。オリジナル以外で」

「なぜ?」

 そう聞く彼は、探ったり何か思っていたりするのではなく、ただ純粋に疑問だという、さながら子供のような瞳だった。

「なぜ、って……話してしてもつまらないでしょ、特徴がなければ名前もない、挙句の果てには自分すらないのよ。そんなのと誰が話したがるの?」

 ――忌み嫌われた、魔女なんかと。

 魔王はしばし言葉を紡げなかった。短い間をおいてようやく口を開いた魔王は、私の思っていた答えとは真反対のことを言った。


「俺が貴様でいいと言っている。貴様にも自分だとか、特徴が全く無いわけではなかろうに。名前なんぞどうにでもなる。今俺が付けても、貴様が付けても一緒だ。無いものは作ればいいのだろう?」


 ……なんてことだ。魔王に二度も感動させられるだなんて。


「……ありがとう、私は貴方と上手くやっていけそう。良かった、良い魔王で」

「……ふぅむ、良い魔王と言われるのは些か不本意なのだがなぁ…まぁいい、少しは心を開いてくれたみたいだな」

 そういえば、確かにそうだ。いつの間にか私は魔王に心を開いていたみたいだ。

「貴方は悪い人じゃないって、魔女の本能が言ってたのかも。魔女の本能って案外正確なのよ?」

「まぁ確かに、俺は人じゃないからな」

「あっ」

 そうか、魔王なのだから人間ではなく魔族か。

「……ともあれ、改めて聞く。貴様のことは何と呼べばいい?」

 私はしばし迷い、口を開いた。



「……貴方が付けて、魔王」



 そう言うと魔王はボソリ、「……驚いた、俺に付けろというのか……ふむ……」と言い、そして――。


「メシア」


 と言った。

 メシア、メシア……うん、とても美しい響きだ。

「意味は、救世主だ。俺の命の恩人だしな」


 救世主……私が?


「相手の生い立ちやら人種……というのか、魔女だからとか、そのようなものは魔王には関係ない。それよりも大切なのは、俺を救ってくれたという事実だけだ。それだけを見れば、貴様は俺のメシアだ」


 トクン、と胸が鳴った。

 自分のことをこんなに綺麗に見てくれる人がいるなんて――こんなに、真正面から見てくれる人がいるなんて。

 私のことを、救世主(メシア)だと言ってくれた。


「ありがとう、魔王……貴方には感謝してもしきれないかもしれないわね」

 そう言って笑うと、魔王はフッと微笑み、

「構わんさ、俺が勝手にしたことだ。礼を言われるほどのことはしてないさ」

 と言った。

 どこまで男前なんだ、この魔王は……本当にこんな存在が魔王なのか?と疑ってしまう。

「……そうだ、いいことを思いついた」

 ニヤリ、と音が出そうなほど不気味な笑みを浮かべた魔王は――この笑みは、珍しく魔王らしいものだった――言い放った。



「貴様、俺に名前をつけろ」


「……え、私が?貴方に、名前を?」

「そうだ、貴様が、俺に、名前をつけるんだ」

 わざわざ彼は先より少し大きな声で復唱した。

(私にはそれほどネーミングセンスはないし、言葉のレパートリーも少ないので大層な名前は付けれないのに、それでもいいのかしら……?)

「構わん、俺は貴様に名前を付けてほしいんだ。他でもない、貴様……メシアに」

 先の笑顔は魔王らしい悪の笑みだったが、今の微笑はやはり魔王らしからぬ、綺麗なものだった。

 ともあれ、私は魔王の名前を付けることになった。

 じっと魔王の姿を見つめる。

 真紅の瞳は鋭い光を放ち、黒髪は月明かりを反射させて美しく輝いている。

 それこそ、魔王にメシアの名はふさわしい気がする。

 私の心を、救ってくれたようなものなのだから。

 ……ではなく、彼の名前だ。

「……ん~……」

 かれこれ数十分は経っただろうか、もしかしたら数秒かもしれない。考えを巡らせ、ようやく思いついた。


「ディア」


 どこか別の国の言葉で魔王のことを「ディアブロ」というと聞いたことがある。

 ディアブロをちょっと略して、ディア。

「……ディア、か。ディアブロ、というのを略したわけだな。実にいい名だ。言葉のレパートリーが少ないというのは謙遜なのだな」

「いや、これはたまたま母が言ってたの。どこかの国では、魔王のことをこう呼んでるって」

 ……そもそも、私はその時何の話をしていた?魔王の話が出るなんて、よっぽど変な話題だ。

 というよりも、何故私は母と普通に会話している?私と母はそう対等に話せていた時期は短かったし、ふたりで笑い合って話しているなんて場面、私の記憶にはそんなものは存在しない。


 なのに何故私はその話を覚えている?

 あるかどうかも分からない話を?


「……っ」

 そう考えていると、頭がズキッと痛くなった。

 まるで、私の預かり知らないところで謎の力が考えることを阻止しているかのような――。

「……大丈夫か?頭が痛むのか?」

 そう声をかけてきた魔王は、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 その瞳はどこか後ろめたさのようなものを隠しているような、不思議な違和感を覚えた。

 しかしそれは気のせいだったようで、瞬く間にいつも通りの固い表情に戻っていた。

「……平気、心配いらないわ」

 そう言って頭をふるふると振り、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 すると魔王は「ならいい」と小さく呟き、再び「あっ」と声を上げた。

 ……嫌な予感がするのは私だけ?

「……せっかく俺と貴様の名前が決まったんだ。俺はディア、貴様はメシア。これからは互いに名で呼び合おうではないか」

 ……いや、いくら私が名前を付けたからと言って、あるいは付けてもらったからと言って、互いに名前で呼び合わねばならないのか。


「それが仲の良い人間同士がやることなのだろう?俺は一度でも、一人でもいいからやってみたかったんだ。互いに名を呼び合うってのを。……俺は魔王だから、皆遠慮なのか恐れなのか、普通に会話すら出来ないんだ。だけどメシアなら、と思ったのだが……いや、無理強いはしない。嫌なら嫌と言ってくれ」


 断 り づ ら い!

 何だろう、この気持ち……そう、まるで。

 雨に打たれて震える子犬がこちらをじっと見ている時のような、そんな気持ちだ。

「……分かった、分かったから!その目はやめて!私が悪いことしたみたいじゃない!」

 そう折れると、魔王はニヤリと笑った。

「ふふん、勘違いするでないぞ。貴様がどうしてもと言うのでな、仕方なく互いに名を呼び合うことにしただけだぞ!……調子に乗った、すまん。だから扉に向かってグイグイ押さないでくれ」

 私は無言で魔王の背中を押し、出ていかせようとしたがそうもいかなかった。


「改めてよろしく頼む、メシア」

「えぇ、よろしくされるわ、ディア」


 こうしてようやく、私と魔王の奇妙な共同生活が始まったのであった――。

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