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もしも世界が、  作者: 出日出
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第一話

カルノ先生の診療所は、小高い丘の上にある。辺りは平原で何もないから退屈でしょうと、前に先生へ訊ねてみたことがある。そのときはまだ平和だったから、先生は『植物の手入れで忙しい』とか言っていたような気がする。

 ――あの日。世界が崩れた日に、『平和』という言葉はより重々しいものに変わった。それを体験した私達にとっては、純粋に美しくて幸せだった日常の一コマ。

「……ヨキナ? どうしたの?」

 顔を見上げると、心配そうな表情のトワと目が合った。

 私は努めて平静を装いながら笑う。

「なんでもない。ちょっと考えごと」

「何か心配なことでもある?」

「いいや。今月の給料を何に使おうかと思っただけ」

 本当のことなんて言えるわけがない。言ったところで仕方のないことだし、なにより私など、まだまだ恵まれた方だ。私なんかより辛い人はたくさんいる。例えば今、目の前にいるトワだって。

 私の返答に納得したのかは分からないが、トワは曖昧に頷いて、また前を歩き出す。

「トワはお給料、何に使うの?」

「うーん……そうだなあ……。本かな。他に面白そうなものもないし」

「欲がないね。服とか、食べ物とか、音楽とか、いろいろやってみるのもいいんじゃない?」

「本の中にはすべてがあるんだよ、ヨキナ。科学も魔術も、過去も未来も異世界も。なんだってあるし、なんだっているのさ」

「私は頭の中だけじゃ満足できないよ。ちゃんと手で触れられるものがほしい」

「例えば?」

「……愛?」

「……愛って、触れられるの?」

 小首を傾げて訊ねるトワは、身体年齢相応にあどけなく見える。私はトワのかわいらしさにうずうずする心を解放して、ぎゅっとトワを抱きしめた。

「ちょっ!? ……何? どうしたの?」

「ほらね? 触れられるでしょ」

「?」

 目を白黒させるトワで遊びながら視線を前方に移せば、先生の診療所はもう目と鼻の先にあった。平原にぽつりと佇む、小さいおうち。

「先生ー。来たよー」

 ドアを開けて挨拶すると、返事の代わりにどさどさという壊滅的な音が聞こえてきた。音のした方向に目をやると、棚から倒れてきただろう膨大な量の書類や本に混じって、白衣やスリッパを履いた足が断片的に見える。

「先生、大丈夫?」

 資料の山から細い手がにょきっと生え、ひらひらと振れた。どうやら大丈夫らしい。

 私やトワはそんな光景を見慣れているので、構わず中に入る。部屋の壁一面には本棚が並べられ、至る所から書類や付箋、本やファイルがはみ出ている。一階の中央から伸びた梯子の上に目を遣れば、ロフトの上にもまた同じような景色があった。毎度のことながら、少しは整理してもいいのではないだろうかと思ってしまう。

 足の踏み場もない床の上をなんとなく見回すと、一部の新聞が目に入った。

 見出しには太い文字でこう書かれている。

『終わらない凶行! 開能者たちの暴走と破壊』

「――――…………」

 トワはその新聞に気付いていないらしく、テーブルの椅子に座って足をぶらぶらさせていた。私はさり気なく新聞を手に取り、そっと本棚の隙間にしまう。ついでにカモフラージュとして先生に声をかけた。

「先生、まだ時間かかる? これならもうちょっとゆっくり来ればよかったよ」

「あと少し……あと少しだから……」

 先生は悪戦苦闘しながら自分の上に積み重なる資料を退け、その全身像を現した。細身の体に穏やかそうな顔。綺麗な金髪は短く切り揃えられている。眼鏡の奥にある鳶色の瞳は、窓からの光を受けて普段より輝いて見えた。

「いやあ、ひどい目に遭った。でもその甲斐あって、探していた資料を見つけられたよ。これで研究も捗る」

 先生は左手に持った書類を見せびらかし、はにかんだ笑顔になる。いくつになっても稚気が抜けない困った人なのだ。

「先生。仕事は研究だけじゃないでしょ」

 トワが冷静に糾弾すると、今度は困ったような笑みを浮かべる。それから先生は手早く周りを片付けて、トワにこの部屋で待っているように、そして私には、自分と一緒に奥の書斎へ来るようにと言った。

 フンと鼻を鳴らすトワに向かって苦笑しながら、私は先生の後をついて行く。


「さて、最近の調子はどうかな? ヨキナ」

 書斎に着くと、先生は私に来客用の椅子を勧めた。私がそこに座ったのを見届けてから、先生は自分の椅子に座る。

「まあまあです。特に変わったこともないし、のんびりしたものですよ」

「何か体に変化は? 精神面にも」

「ありません」

「ちゃんとご飯食べてる?」

「おいしくいただいてます」

「ストレス溜めてない?」

「そりゃまあ、自活してますから大変ですけど。でもきちんと発散させてますよ」

「例えば?」

「読書とか」私は嘘を吐いた。

「読書か。読書ね。なるほど」

 先生は机の上にあった紙にさらさらと何事かを書き、また私に顔を向ける。

「分かってると思うけど、何かあったらすぐ僕のところへ来なさい。時間が経ってから発症する例もあるらしい、もう九年前のことだからといって、油断はできない」

「はい。分かってますよ、先生」

 あの日からしばらくの後に始まって、それ以来定期的に続いているこの問診。もう生活の一部になっていて、これが日常だと意識の深いレベルで認識してしまっている。それがどれだけおかしなことなのかも考えずに。

 先生はほっとした様子で、また紙に何かを書いていた。そして書き終わると、毎回こう言うのだ。

「うん、今回も大丈夫だ。これがずっと続いてくれるなら、僕はそれが幸せだ」

 私は顔の筋肉だけで笑ってみせた。

「さて、次はトワの方だ。彼女に変わったところはあるかな?」

「さあ……見た感じは何も変わらないですけど」

 先生は二、三度頷いて書斎を出る。私もゆっくりと、先生の後を追った。


 私達三人は家の裏手に出ていた。といっても一面の平原なので、さほど景色に違いはない。どこまでも草と木が生えているだけ。稜線の向こう側には別の街があるらしいが、私は行った記憶がない。

 私と先生は並んで立ち、少し離れた場所にトワが立つ。トワの前方およそ十メートル手前には、紫色が綺麗な花が一輪咲いていた。

「さあ、トワ。やってごらん」

 先生の合図で、トワは花に視線を合わせた。

 瞬間、ゴッという音が聞こえた。地面の奥底から響く、しかし一瞬のうちに消えた音。それと同時に、平原に横一線の亀裂が走る。

 トワの足下から始まった亀裂は一直線に花へと向かい、しかし花をぐるりと囲むように避けて、遥か遠くまで続いていた。

「見事だ。もう大分コントロールできるようになったね、トワ。これなら日常生活にもほとんど支障はないだろう」

 そう言いながら、先生は自分の足下にあった小石を軽くトワへと投げた。小石が軌道の真ん中まで到達したとき、バンと破砕音が響き、小石は消滅した。

 まるで銃弾にでも当って砕けたような、非現実的日常。

「いいかいトワ。その能力は、おそらく一生消えることはないだろう。だからといって、悲観的になったりしてはいけないよ。少なくとも今はね。それよりも、その能力を一刻も早く制御下に置かなければならない。わかっているね」

 トワは短く頷いた。傍から見れば、その様子は普段通りクールなように映るだろうが、私にはどことなく緊張しているように思えてしまう。

「よし、じゃあ今日の問診はここまでだ。二人とも、これから時間はあるかい? お茶くらい飲んでいってくれ」

 先生は朗らかに言うと、私達に背を向けて玄関に向かう。私も追おうとして足を踏み出したが、トワがその場から動かないことに気付いて足を止め、かわりにトワへ近づいた。

「トワ? どうしたの? 疲れちゃったかな」

 トワは首を横に振る。

「ちょっと……考えごと。なんでもないよ」

 顔を上げたトワの顔には、微笑が貼りついていた。卑怯と嘘でできている私には、それがすぐに偽りだと見抜けてしまう。そしてそんな私が取る行動は、決まりきっていた。

「……そっか。ほら、行こ? お茶とお菓子が待ってるよ」

「うん」

 私達は手を繋ぎ、先生を追って家に入る。

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