リブロンの出会い
一人王子の私室に取り残されたロビンはひどく困惑していた。
無理もない。今しがた聞かされた話はあまりに唐突で、重大だったのだ。
誰かと話をして頭を整理したかったが、困ったことに誰もいない。
そこで、外に出ようとしたが、扉を開けたところで外にいた衛兵に止められた。
ロビンは事実上の軟禁状態のようだ。
仕方なくロビンは一人で先ほど聞いたことを検討してみた。
やはり、あのウィルクスという男の話は腑に落ちない点がいくつかある。
まず闇の勢力の脅威といわれてもピンとこない。
確かに、最近戦争やら、天災やら、治安の悪化やら悪い話をよく聞くが、こういった事柄の裏には闇の勢力が存在しているのだろうか。
仮にそうだとすると、王家の傍流にすぎないロビンが聖都まで旅をするだけで、そういった問題が一気
に解決するのだろうか――。
しばらく一人あれこれ考えていると混乱は収まってきたが、今度は退屈になってきた。
しかし、何もすることがない。
部屋の中を見回してみる。壁際の立派な本棚の中には大量の本がある。
セス王子は勉強家だったようだ。
ロビンは何とはなしに一冊手に取ってみた。とても厚く重い本だ。
文字は読めなかったが、3という数字が読み取れる。歴史書か何かの連作なのだろう。
ロビンは無性に外を出歩きたくなってきた。まだ、国王との謁見まではかなり時間の余裕がある。
せっかく王城にいるのだから、中を見て回りたい。
ついでに城下町に行って酒場にいるはずのファルークとも話がしたい。
「申し訳ありません。先ほども申した通り外出は認められません」
部屋を出ようとしたロビンを衛兵が再び止める。
「しかし、おれ、いや、わたしは王子だぞ。主君の命令には従うものじゃないのか」
あきらめの悪いロビンに衛兵は困り顔で声を潜めて言う。
「……あなた様のことについては内務卿閣下からすでに聞いております。どうか、お部屋でおとなしくされますよう」
「そんなこと言われてもやることなくて暇なんだよ。ちょっとぐらいいいだろ」
「なりません」
「そうだ、じゃあ、あんたがついてきてくれ。それでおれが何かへまをしそうになったら助けてくれればいい」
なおも食い下がるロビンを見て衛兵は困りきったようだ。
衛兵はしばらく考え込んでいたが、このまま部屋に閉じ込めておいて暴れられでもしたらまずいと考えたのだろうか。ついに折れた。
「……仕方ありませんな。ただし、わたしが先に立って歩き問題がないか確かめます。くれぐれも勝手な行動をなさらぬように」
「それでどちらへ行かれたいのです?」
衛兵は歩きながらロビンに尋ねるも、特に行きたいところがあるわけでもない。
「今日、何か変わったことはしてないのか」
「『高貴なる旅』の始まりを記念し、コンスタンス殿下の御前で武芸大会が開かれておりますが」
「そりゃいいや。連れてってくれ」
「とんでもない。人の多い場所はあまりに危険です」
それはもっともだったが、なら最初から言うなよともロビンは思った。
「けど、なんで旅の始まりに合わせて武芸大会が開かれるんだ?」
「景気づけでしょう。ただ、この大会は旅に出る者、すなわちあなたの護衛を選抜する目的もあるようです」
なるほど。治安が乱れているというのに、ロビン一人だけで旅をさせるのはさすがに無理がある。
当然護衛はつくだろう。
だが、そうなると誰がその任に当たるのか、当事者であるロビンは気になった。
「優勝候補とかいるのか?」
「まあ、順当にいけば筆頭騎士たるミラン殿が勝者となるでしょう」
これはあまりよくない話だった。ミランという騎士、強いのは確かだろう。
だが、どこか冷徹な空気をまとっていて、ロビンとしてはあまり旅の同行者としたくはなかった。
「ローレンはどうなんだ? 傭兵のファルークは?」
「ああ、モースタン殿ですか。あの方も優れた戦士ではありますが、ミラン殿には勝てますまい。技量はともかく力にかなり差がありますからな。その傭兵については、わたしはよく存じません」
話しているうち、二人はいつの間にやら王城の正門前まで来ていた。
開け放たれた門の外からは時折歓声が聞こえてくる。どうやら、武芸大会は盛況らしい。
「なあ、ちょっと見てきてもいいだろ。ここまで来たんだからさ」
「絶対になりません」
「黙っておとなしくしてれば、ばれやしないって」
「それだけの問題ではない。純粋に危険なのです」
「だから危険って何が――」
「セス王子でいらっしゃいますね? ご機嫌麗しゅう」
不意に声をかけられたロビンは驚いて振り返る。
すぐ後ろに、護衛らしき屈強な男と、侍女と思われる少女を連れた一人の若い女性が立っている。
衛兵との会話に気を取られて、接近に気づかなかったが声をかけたのは彼女らしい。
「このような場所で声をかける無礼をお許しください。どうしても、一度あなたと話がしたかったもので」
女性はほほ笑みながら話す。
ロビンの方はというと、突然の事態に戸惑いみっともなく口をパクパクさせるばかりだ。
何か言うべきなのだろうが何を言ったらいいのかわからない。
困り果てて傍らの衛兵を見る。
彼もしまったという顔をしていたが、ロビンの視線に気づくと小さく首を横に振った。話すなという合図だろう。
「これは失礼しました。わたくしは、デューレン聖教国より参ったド・トーリ家の娘、ルキラと申します。どうぞお見知りおきを」
ロビンの沈黙を別の意味にとったのか女性が自己紹介をする。
歳はロビンより少し上、ニ十歳ぐらいだろうか。
輝く金髪を後ろでまとめ、卵型の顔に、象牙のような白い肌、すっと通った鼻筋と小さく薄い唇の容姿端麗な女性だ。
旅の途中と見え、すらりとしたしなやかな肢体に旅装をまとっている。
「……あの、どうかなされましたか?」
ずっと黙ったきりのロビンにルキラはけげんな表情をする。
声も美しい。鈴を転がすようなとはこのことを言うのだろう。
だが、この声にロビンは聞き覚えがあった。
「ええと、君、昨日ウィルクス内務卿と話していたよね?」
「ウィルクス卿からお聞きになったのですか」
ルキラの藤色の瞳にわずかに警戒の色が宿る。
どうも、まずい話題だったらしい。
「い、いや、そういうわけじゃないけど。君の声になんか聞き覚えがあってさ。もしかして、以前どこかで会った?」
「殿下」
ついに衛兵が割って入った。我慢がならなくなったようだ。
「このお方は大変高貴な女性でいらっしゃいます。どうかそのような口の利き方をなさりませぬよう」
「え、でも、わたしは王子であるぞ。それよりも偉いと申すのか」
「とんでもございません」
ルキラが再び笑いながら言う。
「わたくしは神の下僕にすぎません。セス殿下より尊いなどと口幅ったいことは申しませんわ」
「ところでどのようなお話でしたかしら?」
「ああ、君にどこかで会ったような気がするって」
衛兵が苦虫を噛み潰したような表情でロビンを見ている。
余計なことを言っているのは自覚していたが、止められなかった。
「いえ、殿下とお会いするのは間違いなく、これが初めてでございます」
相変わらずルキラは笑っている。おかしくてたまらない様子だ。
「ひょっとして、わたくしを口説いていらっしゃるのですか?」
「い、いえ、とんでもない。そんなつもりはありません。ほんとに」
「わたくしの方も冗談です。お許しを殿下。ついおかしくって」
「おれ、どこか変ですか」
ロビンはすでに自分が明らかに高貴な者にはふさわしくない話し方をしていることに気づいてはいたが、どうしようもなかった。
「いえ、だってセス王子はとてもまじめで奥ゆかしい方とお聞きしていたのに、全然違うのですもの。人の噂とはあてにならないものですわね」
ロビンはやってしまったと感じた。ちらりと様子をうかがうと、横の衛兵の顔も蒼白になっている。
「殿下、こちらでいらっしゃいましたか!」
突如場違いな大声が響き渡った。
声の方角を見ると、誰あろうウィルクス内務卿が外套を翻しながら大股で近づいてくる。
「先ほどからずっとお探ししていたのですよ。さあ、こちらへ。間もなく王室顧問会議が始まります」
「聞いての通りです、ド・トーリ様。すみませんがわたしはこれで」
ようやく落ち着きを取り戻したロビンは何とか言い切った。
「いえ、こちらこそお忙しいのにお引止めして申し訳ございませんでした。ウィルクス卿もどうぞお元気で」
ルキラはロビンとウィルクスに会釈をすると踵を返し、二人の従者とともに正門の方へ歩き出した。
「ド・トーリ嬢」
ここで不意にウィルクスが彼女に声をかける。
「まだ何か?」
「あなたはこれからガレリアに向かわれるのでしたな?」
「ガレリアに行くのですか!?」
ロビンはまずいと承知しつつもつい会話に割って入ってしまった。
背筋にウィルクスの刺すような視線を感じる。
「ガレリアとは戦争になりそうなのです。その、やめた方がいいのでは」
「まあ、わたくしの身を案じていらっしゃるのですか? ありがとうございます」
ルキラは微笑を浮かべながら言う。
「しかし、わたくしはまさにその戦争を回避するためにガレリアへ向かうのです。ですから、殿下のお気持ちだけいただいておきますわ」
ここでウィルクスがわざとらしく咳払いをする。
ルキラは再び彼の方を向いた。
「先ほどの話ですが。ガレリア行きはどのような経路をとられるのです」
「このまま街道を北上しグロボアの町を経由してユーグに入ろうかと」
「やはりそうか。お聞きしてよかった。その道は最近ことに治安が悪化しており危険との報告が入っております。回り道になりますが、東の街道をいかれるとよいでしょう」
「さようでございますか。忠告感謝いたします」
「……ずいぶんお時間をとらせてしまいましたね。では、今度こそわたくしどもは失礼いたします。あなた方に光神のご加護があらんことを……」
「ではアニエス、ギョーム、まいりましょう」
ルキラは二人の従者を促し、王城から去っていった。