灰色の魔道士
「な、なあ、ちょっと休憩しないか?」
馬に揺られながらロビンは情けない声を出す。
長期間乗馬するのがこれほどきついものだとは思わなかった。全身こわばり痛くてたまらない。
「だめだ」
しかしローレンは非情に答える。
「もうあとわずかでリブロンだ。それまで我慢してくれ」
ホーンウッドの宿で襲撃を受けた後は幸い賊にも襲われず、一行は王都の目前まで来ていた。
道幅は広くなり、人通りも増えてきている。
その時、一行の前方、王都の方角から近づいてくるものがあった。騎馬の一団である。
「……また例の殺し屋どもか?」
ファルークは低い声でうなり、大剣に手をかける。
「いや、違う。あれは王軍だ。われらを出迎えに来たのだろう」
ローレンの言葉通り、騎馬隊は一行の前に来ると停止し、一人の騎士が進み出てきた。
「警戒せずともよい。わたしは王国騎士ミランだ。遅ればせながら貴公らの護衛に参った。本来はもっと早く合流するはずであったが、事情で先に王都に帰還していたのだ」
大柄な騎士は名乗り説明すると、じろりと一行を見やる。
「……モースタン、その少年が例の?」
「いかにも」
「ふむ。しかし一人姿が足りないようだが?」
ローレンは説明しようとしたが、ファルークが機先を制した。
「ホスンは戦死した。立派な最期だった」
「おい、何を言うんだ!」
ローレンは小声で非難するが、褐色の傭兵はお構いなしだ。
「いちいち事情を説明するのもめんどくせえだろ。これでいいんだよ」
実際に、騎士ミランはそのあたりのことには関心がなさそうだった。
小さくうなずくと口を開く。
「とにかく王都まではもう半日足らずだ。いくぞ」
とてもロビンが一休みしたいとは言えない雰囲気だった。
仕方なく彼は痛む尻を抑えながら再び騎行を開始するのであった。
強行軍の甲斐あって一行は正午過ぎに王都に到着した。だが、どういうわけか正面からは入らず、裏へと回る。
「これじゃまるで盗人だな」
「任務の内容ゆえ仕方ない。我慢しろ」
自嘲するファルークにローレンが言い聞かせる。
「これからどこへ向かうんだ?」
ロビンはミランに恐る恐る尋ねた。この騎士からは何か剣呑なものを感じるのだ。
「貴公には内務卿に会ってもらう」
「内務卿?」
「ハーディ・ウィルクス伯爵。王国の重鎮だ。くれぐれも失礼のないようにな」
ロビンとしてはせっかくだから疲れた体を癒しつつ、王都の観光をしたかったのだが、やはりとてもそんな要望は口にできない。
裏門についたところでローレン、ファルークとおよびその他の騎士と別れた。
「ここでいったん君とはお別れだ。また機会があったら会おう」
「坊主、短い間だったが楽しかったぜ」
「二人はこれからどうするんだ?」
「わたしは次の任務まで当分待機だな」
「おれはたぶん下町の酒場のどこかにいる。気が向いたら来てくれ」
そして二人は行ってしまった。数日とはいえ、ともに旅をしてきた仲だ。
別れは寂しくないといえば嘘になるが、それ以上に周囲に見知った人間がいなくなるのがロビンにとって不安だった。
そして騎士ミランと二人きりになったロビンは王城へと入った。
千年近い歴史を有するファストロム王国の王城だけあって、巨大で荘厳な建物だったが、ミランが大股でどんどん進んでいくため、残念ながらじっくり中を見る余裕はロビンにはなかった。
ただ、妙に兵の数が多く、しかも誰もがどこか殺気立っている様子が気にはなった。
「ミランです。例の少年を連れてまいりました」
城の奥まった一角にある樫作りの立派な扉の前で騎士は報告する。中から低い男の声で返事があり、二人は中に入った。
内部では巨大な執務卓の前で一人の壮年の男が何か思案している様子だったが、ロビンの姿を見るなり笑顔で近づいてきた。
「君がロビンか。わたしはハーディ・ウィルクス。この国で内務卿を務めている。よろしく頼む」
政治家というよりは学者のような落ち着いた風貌だ。
歳の割に白髪が多く、後ろに撫でつけられた髪は白に近い灰の色になっている。
穏やかな顔つきで笑っているが目つきは常に鋭い。油断のならない相手だとロビンは直感した。
「ミランご苦労だった。君は下がってくれ」
ウィルクス卿に命じられると、騎士は黙って一礼をし部屋から出ていった。
「さて、何から話したものかな」
ウィルクスは顎に手を当て、ロビンを見つめる。値踏みをするような目つきだ。
ロビンはひどく落ち着かない気分になった。
「はて、君とはどこかで会っただろうか。どうも君の顔には見覚えがある」
しばらく息苦しい沈黙が続いたのち、ウィルクスは妙な顔つきで尋ねる。
「いえ、あんた、いや、あなたと会うのはこれが初めてです」
「確かかね」
「間違いないです。おれ、記憶力には自信ありますから」
「ふむ」
男はしばらく思案していたが、やがて笑顔に戻ると手を打った。
「まあ、いいだろう。妙なことを聞いて悪かったね」
「いえ……」
「さて、君についてはある程度ローレンから報告を受けている。しかし、まだわたしとしては二、三確かめなければならないことがあるのだ」
「なんでしょうか」
ロビンは身構えた。それを見てウィルクスは苦笑する。
「そう固くならずともいい。君のご両親について聞かせてくれ」
「その話ならおれが知る限りのことは、もうローレンに話しました」
いってからロビンは気づいた。
この男はまだローレンと会っておらず、したがって彼にした話の内容も知らないはずだ。
なら、もう一度あのつらい話をしないといけないのだろうか。
だが、ここでウィルクスは意外な反応を示した。
「ああ、そうだったね。ここにも書いてある」
そういいながら整然とした執務卓の上から彼は一枚の紙を取り上げ、ロビンに見せる。
古びて四方が黄ばんだ汚い羊皮紙だ。
「ここにおれの親の話が書いてあるんですか?」
「そうだが、君は字が読めないのか」
「まったく」
「それは少し困ったな。まあいい、なんとかしよう」
「あの、ローレンはいつの間にこの紙をあなたに渡したんです?」
「いや、この紙はここにずっとあったものだ」
ロビンには意味がわからなかった。
ローレンに話した内容がこの紙に勝手に記載されたとでもいうのだろうか。
ロビンの怪訝な顔を見て、ウィルクスも説明の必要を感じたのだろう。
詳しく語り始めた。
「こう見えてわたしには魔道の素養があってね。この羊皮紙は一種の魔道具だ。ローレンも似たものを持っていて彼がそれに書いた内容はこの紙にも記されるのだよ。自動的にね」
そういえばあの騎士は王都への道中、暇さえあれば何か書き物をしていた。
ロビンは手紙でも書いているのかと思ったがそういうからくりがあったとは。
「まあ、この話はそれぐらいにしておいて」
感心しているロビンをしり目に、ウィルクスは話を戻す。
「この報告書には君の母上のことばかり書いてある。だが、率直に言ってそれはどうでもいいのだ。父親について聞かせてほしい。どんなことでもいい、君が知っていることはすべて話してくれたまえ」
「父のことは何も知りません」
ロビンはむっとしていた。彼にとっては母を捨てた父のことこそどうでもよかった。
せいぜい会ったら今までの感謝の気持ちを込めて一発殴ってやりたいぐらいだ。
「君の気持ちはわからんでもない」
ウィルクスはなだめるような口調だ。
ロビンの気持ちを見透かしたのだろうか。
「わたしも父親には苦労させられたからな。だが、君の父のことはどうしても知っておかなければならないのだ」
ここでウィルクスは一呼吸置く。
まるで、自身の次の言葉の破壊力を高めるかのように。
「ロビン、君の父は王家の血を引く人間なのだ」
ロビンは唖然とした。いったいこの男は何を言っているのだろう。
「そう」
ウィルクスは神妙な顔つきで言を継ぐ。
「君の父はこのファストロム王国、セルカーク王家に連なる高貴な身分の人間なのだよ」
「……ということは」
ロビンは言葉の内容は理解したが、まだ飲み込めてはいなかった。
「おれにも王族の血が流れていると」
「当然そうなる。もっとも」
いつの間にか内務卿は指輪を手にしていた。
ローレンやファルークの所持していた例の指輪だ。
「この指輪の反応を見るに、あまり血は濃くないようだ。かなり前、おそらくは百年以上以前に王家から枝分かれしたものだろう」
やっと合点がいった。
この指輪は王家の血を引く人間に反応するものだったのだ。
「さて、これで君がここまで連れてこられた理由も大体理解できただろう。父上のこと、話してくれるね」
そうはいっても、ロビンは本当に父のことを何一つ知らない。
いったい何を話せばいいのだろう。
ここでロビンは一つ思い当たった。
彼は胸元に手をやる。
そこにはポーラから預かった母の形見、古ぼけた謎の鍵が首からひもでつるしてある。
とてもこれから父の情報は得られそうにないが、一応話しておくべきだろうか――。
「閣下、ウィルクス閣下」
不意に外から声が聞こえてきた。
「今取り込み中だ。あとにしてくれ」
ウィルクス内務卿はいらだった声を上げる。
「それが、例のあの方がどうしても閣下にお話があるといって聞かないのです。なんでも大陸全体にかかわる重要な話だとか」
ウィルクスは奇妙な笑みを口元に浮かべた。
微苦笑とでもいうのだろうか。
「なんとしつこいお方だ。やむを得ん。通したまえ」
衛兵に命じておいてウィルクスはロビンに向き直る。
「すまないが少し用が入った。君はいったん部屋を出て左側の控室で待っていなさい」
ロビンは素直に指示に従う。しかし、どうも気になるので、扉に耳を当ててみた。
かすかに声が聞こえてくる。
「ええ、ありがとう。勝手を申してすみません」
どうやら声の主は若い女性のようだ。無理を言って王国の重鎮に会うとは、いったい何者だろう。
扉が閉まる音が聞こえた。女性は中に入ったらしい。
ロビンは、今度は壁に耳を押し付けてみたが、さすがに壁は厚いと見えてまったく声は聞こえてこなかった。
仕方なくロビンは部屋に置かれていた椅子に腰かけ、会談が終わるのを待つことにした。
だが、ここにきてたまっていた疲労がどっと押し寄せ、ついうつらうつらしてしまう。
知らぬ間にロビンは眠りに落ちていった。