新年祭
「ついに年が明けてしまったか」
聖宮の客室で出かける準備をしながらローレンが浮かない表情で言う。
当初の予定では昨年中にここで和平条約の調印式が行われ、ロビンも残りの王の祝福を得られるはずだった。
だが、どうもここ最近大陸北部の天候が大荒れで、王たちの到着が遅れているようだった。
「ダーク、お前は行かないのか」
寝台に寝そべったままの友人にロビンは声をかける。
これからロビンとローレンは新年を祝う催しに出席するところだった。
何でも聖宮前の大広場でルキラが挨拶をするらしい。
「教主様がありがたいお話をされるんだろ。いいよそんなの興味ないし」
どこかとげのある言い方だった。
「なんだお前、彼女のことが嫌いなのか」
「好きか嫌いかで言えばそうだな。お前には悪いけど、あの人なんか偉そうで好きになれねぇや」
「そりゃ偉いだろ。なんせ光神の代弁者なんだから」
「いや、そういう意味じゃなくて……。まあ、いいや。楽しんでこいよ」
そういってダークはごろんと横を向く。
何か釈然としないものを感じるが、そろそろ時間なので仕方なくロビンはそのまま部屋を出た。
聖宮前の広場はすさまじい人だかりだった。
この都のみならず大陸中から光神の信徒が集っていることを考えれば無理なからぬことではある。
「そういえばファルークはどうしたんだ?」
喧噪に負けじとロビンは大声を出す。
「知らないな。朝から姿を見ない」
ローレンもどなり声で返す。また、あの赤毛の女傭兵たちと一緒にいるのだろうか。
不意に騒音が治まり広場は水を打ったように静まり返る。
教主が聖宮の露台にその姿を現したのだ。
「また、新たなる年がやってまいりました。皆様とともに新年を迎えられましたことを、光神に感謝申し上げたいと思います」
ルキラが話を始める。
その声は決して大きくはないが、まるでさざ波のように大広場の隅々にまで広がっていく。
まずは新年の祈りから始まり、次にいにしえの聖者の逸話を一つ紹介する。
ほかの人々はみな聞き入っているが、正直ロビンにとっては退屈な話だった。
だが、その次の話からは内容ががらりと変わる。
祝いの場でこのような話をすることはふさわしくないかもしれないが、と前置きをしたうえでルキラは話し始める。
「今、このアルデア大陸を黒い影が覆いつつあります。その影は大陸北方のドゥカキス島のマルヴ、そしてこの大陸からも生じています」
ここでいったん言葉を切り群衆を見渡す。
「長きにわたる、わたくしたち光の民との抗争の末、闇の民は世界の片隅に追いやられました。しかし、彼らは消え去ったわけではなく、今もこの大陸で息をひそめているのです」
ロビンはちらりと隣を見る。
騎士は目を閉じ、腕組みをして難しい顔で話に聞き入っている。
「ただ誤解してほしくないのはマルヴを含め闇の民のすべてが敵ではないということです。むしろ彼らの中の真の邪悪はごくわずかで、その大半はただ静かに暮らしたいと願っているのです。そう、わたくしたちと同じように」
広場にどよめきがわき起こる。
ロビンにも、群衆に動揺が広がっているのが手に取るようにわかる。
これまで光の民は長きにわたって闇の民を憎み、恐れその勢力を地上から抹殺することに心血を注いできた。
それが間違いだと神の代弁者たる教主が語っているのだ。
まさに驚天動地の思いだろう。
「わたくしはほとんどの人間とは『灰色』なのだと考えています。真なる善人、真なる悪人などほとんどいません。大半はその境目で、それでも良くあろうともがいているのです」
彼女の言うことは恐らく正しい。
ロビンは考える。しかし人とは感情の生き物なのだ。
頭では理解できても心がそれを受け入れられるだろうか。
「そして、わたくしは言いたいのです。闇の民を悪の側に追いやってはいけないと。彼らとの確執がこのまま全面戦争に発展すれば、その後にはこの大陸には破壊と死と混乱しか残らないでしょう」
ルキラは小さく合図をする。
すると後方から三つの人影がすっと姿を現す。
「わたくし自身も何とか破滅的な結末を避けるべく、ささやかながら努力をしてまいりました。今こそその成果を披露いたしましょう」
ロビンは露台に現れた集団を見てわが目を疑う。
全員黒衣をまとい、目深にフードをかぶっている。
まさか、そんなことがありうるのだろうか。
群衆も思いは同じようだった。
みな、何が起こるのか戦々恐々としてことの成り行きを見守っている。
その中でもルキラは平静さを失わず、よくとおる声を上げる。
「ここに大いなる喜びをもって、皆様にマルヴからのご客人を紹介しましょう」
その声とともに黒衣の男たちはいっせいにフードをめくる。
死人のように青白い肌、やせこけた頬、そして煌々と輝く深紅の双眸。
まぎれもなくマルヴの民がそこにいた。
呪われしマルヴの民の出現に大広場は混乱の極みにあった。
呆然と神の名を唱える者、悲鳴を上げる者、卒倒する者、逃げ出す者……。
まるで戦場にでもなったかのような狂乱だ。
「あの姉ちゃん、見た目に似合わず思い切ったことしてくれるじゃねえか」
見知った声が聞こえる。
振り向くとファルークが群衆をかき分けながらロビンたちの方に近づいてくる。
傍らにはサイーダの姿もある。二人で話を聞いていたようだ。
「いや、しかし、これはえらいことだぞ」
ローレンが苦い顔をする。
「ルキラのやり方は間違ってると?」
「彼女の言わんとしていることはわかるし、その意図も理解できる。しかし、これはあまりに性急に過ぎるというものだ」
それはこの場の混乱を見ればいやでもわかる。
「多くの国では現在、闇神の信奉者は火刑に処せられる。その方針を変えさせるのも一苦労だ。そもそも、この国の僧侶たちが彼女に従うかどうか」
ここで騎士はサイーダを見てはっとした顔をする。
「ひょっとして君たちが集められた理由は……」
「あたしらを頼りにじいさんたちに圧力をかけるつもりかって?」
サイーダは笑う。
「そこまであくどいことをあの娘が考えてるかは知らないよ。でも、あたしたちは彼女が気に入ったんだ。そのためならなんだってしてやるさ」
その日の午後、ルキラの使いに呼ばれ、ロビンは聖宮の奥へ向かっていた。
おそらく例のご客人のことで何か話があるのだろう。
普段は静粛そのものの聖宮も本日に限ってはひどく騒がしい。
たった今も、武器を持った聖宮衛士の一団が奥へ走っていったばかりだ。
ちなみにここで武器の携帯を許されているのは 聖宮衛士と一部の傭兵団のみで、ロビンたちの得物は入る際に預けてある。
ロビンが歩を進めると騒ぎの原因がわかった。
例のマルヴの男たちが完全武装した聖宮衛士に包囲されているのだ。
「この悪魔の使いめ! 神の家をけがしおってこの場で成敗してやる!」
聖宮衛士の一人が激高し斧槍をマルヴの民に突き付ける。
その切っ先はひどく震えておりなんとも心もとない。
「われわれは教主から正式に招待を受け遠路はるばる赴いたのだ。その客人に対する扱いがこれなのか」
対照的にそのマルヴの男は平静そのものだった。
その奇怪な容貌からいまいち判別がつかないが、おそらく初老の男なのだろう。
「黙れ! 貴様ら邪教徒は問答無用で火あぶりだ!」
「だが、裁判を受ける権利ぐらいはあるはずだ。そうでないとわれらが真に闇神の信徒かどうかもわからんではないか」
それとも、こうやって疑わしいものは片っ端から処刑してきたのか、と皮肉る。
「あなたたち、いったい何をしているのです!?」
ここで白い衣を翻し、ルキラが速足で近づいてくる。
「先ほどこの方々は客人であると宣言したでしょう。にもかかわらず、武器を突き付けるとは何事ですか!」
ルキラのきつい叱責を受け聖宮衛士は口をもごもごさせる。
こんなことはたとえあなたでも許されない、とかなんとか言っている様子だ。
「わたくしは光神の代弁者ですよ。あなたは神に対して異議を唱えるのですか?」
こういわれてはどうしょうもない。
聖宮衛士は武器を収め引き上げていった。
「普段は怠けているくせに、こんな時だけやる気を出すのだから本当にどうしょうもない。無能な働き者とはよくいったものだわ」
ルキラは毒づくも、ロビンの存在に気づき慌てて口元を覆い笑う。
「あら、嫌だわ。セス王子いらっしゃったのね」
一同はルキラの私室に場所を移し対面する。
部屋にはアニエスもいたが、マルヴの民を怖がるそぶりもなく、むしろ面白がっているようだ。
「こちらはファストロムのセス王子です。彼もまた邪悪に対して戦っているゆえ、同席を許可されたく思います」
ルキラに紹介されロビンは軽く頭を下げる。
それに対し、マルヴの民も順に自己紹介をする。
「わたしはディオニス。マルヴの祭司だ」
まず年輩の男が口を開く。
「こちらはわたしの弟子でアクレスという」
師に促され少年が深く頭を下げる。
彼はとても若い。おそらくまだ十代の前半だろう。
「久しぶりですね、ファストロムの王子よ」
最後の男が口を開く。その声にロビンは聞き覚えがあった。
「お前は、あの時の黒魔導士!」
反射的にロビンは相手につかみかかり、そののどを締め上げる。
「セス王子やめて! テセウスは敵ではないわ」
ルキラがなだめるも、ロビンは手を離さない。
なにせ、スレヴニツァ村でロビンらはこの男に殺されかけたのだ。
「なぜ黒魔術を使わない……?」
ロビンはわずかに手を緩める、
奇妙なことにテセウスは何の抵抗もせずされるがままになっているのだ。
「この場所ではわれらの力は使えぬのだ」
ディオニスが諭すように言う。
「魔道の使えぬマルヴの民など赤子も同然。その男も脅威とはなりえぬ。どうか離してやってくれ」
ようやくロビンはテセウスを解放した。
黒魔導士はふらつきながら乱れた服装を整える。
どうやらマルヴの民は見た目通り虚弱体質らしい。
それでも、スレヴニツァ村や地下神殿で驚異的な戦闘力を見せつけてきたのは、その魔力で肉体を強化していたからだろうか。
ロビンは考えをめぐらす。
そもそもあの晩、スレヴニツァ村にテセウスが現れなければ、ロビンたちは「夜陰」によって殺されていた。
テセウスはわざわざそれを阻止したばかりか、その後も手を抜いて戦い、「夜陰」を倒すための示唆まで与えてくれた。
「あんたは最初からこちら側だったということか」
ロビンは得心する。どうやらこの男には悪いことをしたようだ。
「マルヴの民全員がゼノンのような狂人と思わないでいただきたい。だが、あの男の目が光っていたゆえ、あの晩はあまり手心を加えられなかった。どうか許してもらいたい」
テセウスは慇懃に答え軽く頭を下げる。
異様な赤目と青白い肌を除けば端正といってよい顔立ちだった。
「ところでさきほどあなたが言っていた『この場では力が使えない』とはいったいどういうことなんだ?」
ロビンはディオニスに尋ねる。
「光神の加護と五王の守り」
老魔道士は短く答える。
「この都にかけられている古い呪法だ。特に後者は強力で、デューレンの血を引く五王が健在である限り、この都では一切の黒魔術が行使できぬのだ」
なるほど、だからルキラはこの三人を客人として、聖宮にまで迎え入れることができたのだ。
「さて、お互いに誤解も解けたようですし、そろそろ本題に入りましょう」
ルキラに促されロビンと三人の黒魔導士は席に着く。
ついに神秘のヴェールに包まれたマルヴの正体が明かされようとしていた。




