表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の大陸  作者: 森木冬二
黒き怒濤
41/86

ある家族の肖像

 ロビンは一人聖都の旧街区を歩いていた。

 何やら見せたいものがあるとのことで、午後からはルキラの招待を受けている。

 しかし、それまではだいぶ時間があるので、せっかくだから街をみておこうと思ったのだ。

 これに関しローレンは何ら意義を挟まなかった。

 もう間もなく旅も終わるのだから、空き時間ぐらいロビンの好きにしていいということなのだろうか。

 

 ロビンが今いるあたりはジャーダ地区といって街の山の手にあたり、旧家が多く立ち並ぶ区画だそうだ。

 確かに周囲を見るとどの建物も歴史の重みを感じさせる立派なものばかりだ。

 住人も重要人物が多いと見えて門衛が立っている家も多い。

 

 その中でもひときわ目を見く壮麗な邸宅から一人の男が出てくるのが見えた。

 誰あろうファストロムの騎士ローレン・モースタンその人である。


「ローレン、こんなところで何してるんだ?」

 ロビンに声をかけられると騎士は文字通り飛び上がった。

「ロビン!? なぜこんなところにいる?」

「それはこっちのセリフだよ。てっきり部屋にいるものとばかり思ったのに」

「いや、別に深い意味はないが」

 騎士はしどろもどろである。

「先日の礼に少しな。うかがっていたのだ。その、彼女の屋敷に」


 ローレンの返答はまるで要領を得ない。

 そもそもこの邸宅の主は何者なのか。

 そういえば屋敷の前に、まるで塑像のように身動き一つせず立っている警護兵の顔には見覚えがあった。

 ロクサーヌ・ド・トーリの護衛だ。


「そうか、ロクサーヌに会いに来たんだな」

「だから、先ほどからそうといっているだろう」

「ところで少し気になるんだけど」

 ロビンは尋ねる。ド・トーリの姉妹は仲が良くないのだろうか、と。

 ローレンはなかなか耳が早い、何か情報があるのではないかと思ったのだ。


「あまりいい加減なことは言いたくないのだが……」

 やや声を潜め、騎士は話し出す。

 

 この国では国家元首たる教主は前教主の使命によって決まる。

 しかし、実際のところはクラルス・モンスの名家、特に六旧家といわれる最も古い家系の人間が輪番で務めることになっている。

 そして、順番では今回はド・トーリ家の人間がその任に当たるはずだった。

 そうなると当然長女のロクサーヌが指名を受けるものと思われていたが、実際には前教主は姉を差し置き妹のルキラを指名したのだった。


「前教主のアルカディオス様はかなりのご高齢だった。ゆえに、そのなんというか少しばかり耄碌されていたとも言われているが……」

「なるほど、教主になれなかった女、か」

 これでは確執が残るのも仕方ないだろう。

「この国の政治もなかなか複雑なようだ」

 ローレンが首を振る。

「君の敬愛してやまないユースティア様は改革派と目されているようだ。一方、バローラ司教などの守旧派はそれに対抗すべくロクサーヌ様を担ごうとしているらしい」

 かつてはたいそう仲の良い姉妹だったそうだが、なんとも気の毒なことだ、と騎士は溜息をつくのだった。




 ローレンと別れたのち、ロビンはしばらく歩き目的の場所に着いた。

 そこは、かつてはさぞかし立派な邸宅だったのだろうが、今では住む者も管理する者もおらず廃墟となっていた。


 マントヴァ邸。

 八年前の忌まわしき事件「血の誕生祭」の舞台となった場所である。

 当時都中を騒がした大事件だけあって、今も人々の記憶に新しく、酒場で酒をおごりながら適当に聞いて回るだけでかなりの情報が手に入った。

 

 八年前のその日、六旧家の一つマントヴァ家の屋敷では、長子ステファノの十五の誕生日を祝う盛大な宴が開かれていた。

 この国では十五の歳をもって成人とみなされるのだ。

 六旧家の中でも最も格式の高いマントヴァ家の長子の成人の儀とということで、他の旧家の人間をはじめ都中の名士がマントヴァ邸に集っていた。

 

 悲劇はその中で起こった。

 正体不明の賊がマントヴァ邸に押し入り、宴の席にいた人間を襲撃したのである。

 結局、当時屋敷にいた人間はただ一人を除いて使用人に至るまで皆殺しにされた。

 その唯一の生存者とは他の誰でもないルキラ・ド・トーリである。

 

 この事件はその後も尾を引いた。

 白昼堂々と警戒厳重な屋敷を襲撃しておきながら、賊が一人も上げられなかったため、その手引きをした人間の存在が疑われたのだ。

 これに政争がからみ貴族平民を問わず多数の者が検挙され拷問により命を落とした。

 さらにそれに対する報復が行われるなど、当時の教主が高齢で指導力を失っていたことも相まって混乱は長引いた。

 事件の三年後にルキラが新たな教主に就任し事態が落ち着くまで、聖なる都におびただしい血が流れることとなったのである。




 その日の午後、ロビンはルキラの私室で彼女を待っていた。

 ダークも暇そうにしていたので来るように誘ったのだが、女の招待なんぞ受けたくないとかなんとか言って断られてしまった。

 ひねくれものの友人にも困ったものである。


 教主という地位にもかかわらずルキラの部屋は驚くほど質素だった。

 ロビンたちが泊まっている部屋の方が豪華なぐらいである。

 あまり使われた形跡のない簡素な寝台に衣装箱、小物が治められた小さな棚、来客用の円卓と椅子、そして執務卓。

 これで全部といっていいぐらいである。


 数少ない例外は本棚だ。

 部屋の残りの空間をすべて占拠しその中には本がぎっちり詰まっている。

 確かに彼女は相当な読書家のようだ。

 その中の一冊をロビンは何となく手に取る。

 黒皮で装丁され金文字で題名が記された分厚い本。

 そういえばこれと同じものをセス王子の私室でも見かけた。

 あの時は題名が読めなかったが今ならわかる。

 『神聖帝国興亡史』だ。著者はレオナルド・アリギエリ。

 何度も繰り返し読まれたようで中はボロボロだ。


「お待たせしました。……セス様も歴史にご興味が?」

 ルキラが現れロビンに声をかける。

「ああ、ごめん。面白そうな本だったんでつい」

「よかったらお貸ししましょうか?」

 藤色の目が輝く。同好の士を見つけてうれしいのだろうか。

「いや、いいよ。ありがとう」


 しかし、ロビンは断る。

 分量もさることながら内容もかなり高度な本のようだ。

 ロビンの拙い語学力と知識では、とても聖都滞在中には読み終わらないだろう。


「そう……」

 ルキラは残念そうだった。

 ロビンは妙な罪悪感にさいなまれる。無理にでも借りておくべきだったろうか。


「ところで、この絵はひょっとして?」

 ロビンは話題を変える。

 この部屋には今一つ彼の目を引くものがあった。

 それは部屋の壁にかかっている一枚の絵画である。

 幸せそうな一家の様子が描かれたとても古い絵だ。

 ロビンはこの絵に見覚えがあった。


「ええ、これはマントヴァ家の所蔵品だったわ」

 ルキラは目を伏せる。

「あの忌まわしい事件でこの絵の所有者はいなくなってしまった。だから、遠縁だったわたしが譲り受けたのよ」

「この人たちはいったい何者なんだい? 特にこの男性。すごく印象的な色の衣装だ……」


 黒髪の美丈夫の男性はとても鮮やかな色合いの衣をまとっている。

 深紅に近いがわずかに黄色がかった色だ。


「この色は緋色というのよ」

 ルキラが白い手をそっと伸ばす。

 今にも絵画に触れそうなほどだ。


「ごく少量しか取れないとても貴重な色でね、ある特別な地位にある人しか身につけることを許されなかったのよ」

「特別な地位……?」

「神聖デューレン帝国の皇帝」

 

 ルキラは振り返り簡潔に答える。

 その声にわずかに芝居がかったものを感じる。

 ロビンが驚くのを楽しんでいるのかもしれない。


「この高貴な顔立ちの男性はデューレン十三世。神聖帝国最後の皇帝よ」

 ルキラは説明する。


「こちらの美しい女性はソフィア。神聖帝国最後の皇后」

 隣の女性を指し示す。

 金色の髪に白い肌、柔和な表情と合わせてその女性はどことなくルキラに似ている。


「この愛らしくも凛々しい男の子はフェリクス。神聖帝国最後の皇太子……」

 ルキラの長い指がかすかに震える。


「この一家は間違いなく幸福だったわ。『六将の乱』が起こるまでは」


 「六将の乱」についてはロビンも聞いたことがある。

 神聖帝国時代の末期に起こった大叛乱だ。

 この結果、帝国は崩壊し新たに六人の将を祖とする王国が勃興した。

 だが、皇帝とその家族がどうなったかは知らない。


「死んだわ」

 ロビンの問いにルキラはこのうえなく短く答える。

 こみあげてくる感情を必死で抑えているようだった。


「全員殺されたのよ。叛乱軍によって」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ