闖入者
プロビアの王都フリートブルクはもともと交易拠点に過ぎず、その歴史も比較的浅いため五王国の王都の中では最も規模が小さい。
しかしその性格ゆえ、城下町の市場は東の大陸のからの交易品をはじめ、各地の名産品であふれ常に活気に満ちている。
だが、一歩その裏通りに踏み入ると、途端に怪しげな人間の徘徊するいかがわしい街の顔を見せるのだった。
その裏通りをルキラは護衛のギョームとともに歩いていた。
ルキラのような人間にはおよそ似つかわしくない場所だが、彼女は近くの酒場でたった今重要な情報提供者と会っていたのである。
危険を冒しただけあって重要な情報がいくつか手に入った。
一つ目はここフリートブルクの王城にマルヴへの内通者がいるということ。
二つ目はやはりこのプロビア王国に暗殺者組織「夜陰」の本拠地があるということ。
最後の、そして最も重要な情報は今まさに、そこにあの恐るべき黒魔導士ゼノンが滞在しているということだ。
八年前のあの事件以来、あの男のことを忘れたことは片時もなかった。
あの男だけは自分が殺す。
たとえ神の教えに反することになってもだ。
そのために彼女は神の力を手に入れたのだから。
薄暮の路地裏を足早に歩くルキラは、その時殺気を感じた。
周囲の暗がりに暗殺者が潜んでいる。おそらく例の内通者の差し金だろう。
ギョームが剣を抜き、無言で主人の前に出る。
賊は五人。一斉に襲いかかる。
ギョームは剣を振るって一人を切り倒し、次の敵と対峙する。
だが残る三人はルキラを狙ってきた。
ルキラは精神を集中し、詠唱する。神の力はみだりに使ってはならないが仕方がない。
すると、ルキラに向かってきた三人の賊は唐突にその動きを止めた。
いや、標的を狙おうとはするが体が動かないのだ。
まるで、見えない鎖で全身を縛り付けられたかのようだった。
「ご無事ですか」
敵を切り捨てたギョームが主人を気遣う。
「ええ、ありがとう」
ルキラは答え賊を一瞥する。
「当分は動けないはず。あとは都市警備隊に任せてわたしたちは城に帰りましょう」
同時刻、王城の客室でロビンは退屈そうに沈んでいく夏の夕陽を眺めていた。
今日は珍しく仲間全員がそろっており、それぞれの作業に没頭している。
「突然失礼する」
突如として扉がたたかれ、中の者の返事も待たずに開けられる。
「おくつろぎのところ申し訳ない」
果たして訪問者はプロビア王その人であった。
言葉とは裏腹に申し訳なさそうな気配は一切ない。
「これは陛下」
ローレンが片膝をつくとほかの者もそれにならう。
「いや、そんなにかしこまらずともよい。押しかけたのはおれの方なのだからな」
ヤーノシュはどすんと近くの椅子に腰を下ろす。
「少しばかり面白い話を聞いたので、貴公らの耳にも入れておきたいと思ったのだ」
ロビンは警戒する。
すでにこれまでのやり取りで、この若き王が油断のならない人物であることを理解していたのだ。
「貴公らは『夜陰』という名に心当たりがあるか?」
ロビンたちの顔を見てヤーノシュは満足気にうなずく。
「やはり知っておるか。実は恥ずかしい話だがこの城に裏切り者がいてな。そやつを捕らえ、拷問したところ『夜陰』の本拠地を吐いたのだ」
王が持参した地図を部屋にあった卓の上に広げる。
「ここがフリートブルク、現在地だ」
王の日焼けした指がそこからわずかに北へ行った山中を示す。
「このロドナ山の地下に邪教徒の隠し神殿があり、そこが『夜陰』の本拠地となっているそうだ」
「わたしたちにやつらを討伐しろと?」
ロビンは王の黒い目をじっと見る。
「別に強制する気はさらさらない。ただ、現在わがプロビア軍の主力ははるか南にあるゆえ、貴公らがやらぬなら賊の盗伐は当面後回しになるがな」
プロビア軍の精鋭は今、同盟国エンドアの南部国境地帯で配置についている。
もちろん、ファストロムに対抗するためだ。
そのファストロムの人間に国内問題の処理を期待するとは、なんとも虫のいい話である。
「失礼ながら、『夜陰』のような危険な輩を放置してもいいのですか?」
「理由は不明だが近ごろ『夜陰』の動きが鈍くなっている。拠点にもあまり人がいないようで、わが国にとってやつらは差し迫った脅威ではないのだ」
ヤーノシュは一同の顔を見回し笑う。
「どうやら乗り気ではないようだな。まあ、いい。邪魔して悪かった」
プロビア王は部屋を出ていった。
翌日、ロビンはルキラが「夜陰」の襲撃を受けたと聞いて彼女に会いに行っていた。
見舞が名目だが要は彼女と話がしたかったのである。
だが、やはり石人形のような護衛が通してくれない。
「主人にけがはありません。ご心配は無用です」
「少しでいいから会わせてもらえないだろうか」
「主人はお疲れなのです。どうかお引き取りを」
腕ずくではとてもかないそうにない。仕方なくロビンは引き帰そうとした。
「ギョーム、どなたかいらっしゃるの?」
中からルキラの声が聞こえる。外の騒動を聞きつけたようだ。
「セス王子です」
石人形が仕方なさそうに答える。
そしてルキラが通すように言うと、護衛は無表情で扉を開けた。
「ようこそセス王子。いったいどのようなご用件でしょう」
ルキラはロビンの姿を見るとほほ笑む。
しかし、その白い顔には疲労の色が色濃く出ている。
先日会ったときよりもさらに憔悴しているようだ。
「大丈夫かい? ずいぶん疲れているようだけど」
ロビンは彼女のほうに歩みを進める。
だが、ルキラに注目しすぎて足元がおろそかになっていたようだ。
敷物の破れ目に足を取られ前に倒れこむ。
その先にはルキラがいた。
ちょうど彼女に抱き着くような形になってしまう。
「うわっ、ルキラ危ない!」
一瞬のことでルキラも反応できない。
形の良い口をぽかんと開けている。
だが、ロビンが彼女に接触しようとするまさにそのとき、突如として世界が激変した。
「――ラ、聞いてるのかい?」
ロビンが気付くと目の前に男の子がいた。
十歳ぐらいで、癖のある黒い巻き毛に青い瞳のとても愛らしい子だ。
「ええ、でもやっぱりよくないわ」
ロビンは勝手にしゃべっている自分に驚いた。
しかも自分の声ではなく女の子の声だ。
「何言ってるんだ、大人たちはみんな大広間に集まっている。今しか機会はないよ」
男の子は返事を待たず駆けていく。
仕方なくロビンもその後を追う。
そこは信じがたいほど広大な邸宅で内部はひどく入り組んでいた。
油断すると迷ってしまいそうだ。ロビンは懸命に男の子の後を追う。
「もう、待ってよカルロったら」
女の子の声が不満を言う。
途中で大きな鏡があった。
ロビンはそれに映った自身の姿を注視する。
不安そうな表情の女の子の顔が映っている。
長い金色の髪に藤色の瞳、新雪のように白い肌。
間違いない、これは過去のルキラだ。
「さあ、ここだ」
カルロはどっしりとした両開きの扉の前でようやく止まる。
「ねえ、やめましょうよ。おじ様きっと怒るわ」
「大丈夫。見るだけなんだから、ばれやしないって」
カルロは懐から銀色の鍵を取り出すと扉の錠を開ける。
中はひどく暗い。カルロが近くの燭台をとり、火を灯す。
部屋の中には彫刻や陶器が所狭しと並んでいる。
どうやらここは美術品の保管庫のようだ。
「ルキラ、こっちだ。昔父上に連れられてきたから知ってるんだ」
カルロに案内され奥へ向かう。
そこには一枚のとても古い絵画があった。
描かれているのはある家族の姿だ。
父親と思しき黒髪に橙色の瞳を持った高貴な顔立ちの青年。
宝冠をかぶり印象的な色合いの豪奢な衣をまとっている。
その隣には母親と思しきとてもきれいな若い女性。
長い金色の髪に紫水晶のような瞳を持ち、優しくほほ笑んでいる。
そしてその中間に立つ男の子。
父親と同じ色の髪と瞳を持ち、その顔立ちはまだ幼いものの凛々しい。
「素敵……。なんて幸せそうなのかしら」
ルキラの声がうっとりしたように言う。
「な、来てよかっただろ」
カルロは得意満面だった。
大切な友達を喜ばせることができてうれしいのだろう。
二人はしばらくじっと絵画に見入っていた。
だが、しばらくするとルキラが沈んだ声を出す。
「……やはり、わたしには信じられないわ。この立派な男性が暴君だなんて」
彼女はこの絵の人物を知っているようだ。いったい何者なのだろう。
「どんな人にもにめんせいがあるんだよ」
カルロがわけしり顔でいうとルキラは笑う。
「それ、あなたの言葉じゃないでしょ」
「うん、父上の受け売りだよ。だけど、父上が言うにはこの人に関しては、こうせいにわいきょくされたことも多いって」
「お父様は本当に物知りなのね」
「うん、この都で一番偉い学者なんだ。だから、ルキラがうちに来てくれたらまた喜んで歴史の話をしてくれると思うよ」
「ええ、今度、是非お邪魔させてもらうわ……。ねえ、カルロ。さすがにそろそろ」
「そうだね。行こうか」
二人は保管庫を後にし、元来た道を戻る。
「おかしいな」
カルロが首をかしげる。
屋敷が不気味に静まり返っている。まるで誰もいないかのようだ。
「いやな予感がする。急ごう!」
カルロはルキラの手を取って走る。
いくつかの廊下を駆け抜け、二人は大きな扉の前に出る。
カルロはそれを押し開けた。
むせかえるような血の臭いが鼻を衝く。
折り重なって倒れている死体の山。
大人も子どもも男も女も貴族も使用人も皆殺しだ。
死体の中にたたずむ影のような暗殺者の姿。
その中の一人がこちらを向く。
狂気に燃える深紅の双眸と目が合ってしまう。
影がするするとこちらに寄ってくる。
その死体のような白い手には、血の滴る青ざめた光を放つ刃が握られている。
ルキラの声が悲鳴を上げる。
「こっちだ!」
カルロがルキラの手を取り走り出す。
二人は無我夢中で逃げるもしょせんは子どもの足だ。
暗殺者はどんどん追いついてくる。
仕方なく二人は物置のような部屋に逃げ込んだ。
「君はここに隠れろ」
「でも、カルロが……」
「いいから早く!」
カルロはルキラを衣装箱に押し込んだ。
その後のことは以前見た夢と同じだった。
気づくとロビンは元いた場所に戻っていた。
フリートブルク王城のルキラの部屋だ。
彼の体の下にはそのルキラがいる。
押し倒すように格好になっていた。
「ああ、こんな昼間からなんて大胆なのかしら」
奥の部屋から出てきたアニエスが、何を勘違いしたのか頬を染めている。
ロビンは下を見る。
ルキラは見たことのない表情をしていた。
その美しい藤色の瞳の奥で怒りの炎が燃えている。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
ロビンは急いで離れようとするも今度は手をルキラの胸についてしまう。
柔らかい。しかし、思ったよりも小さい。
「やはり」
ようやく離れたロビンにルキラは言う。
「やはりあなただったのね……」
ロビンは彼女が何を言っているのかわからなかった。
ただ、幸い抱き着いたことを咎められているわけではないようだ。
「人の心の奥底をのぞき見るなんて……!」
目尻に涙が光っていた。これはまずい、はなはだまずい。
「本当に何と言ったらいいか……。でもこれはわざとやったことじゃ――」
「出ていって!」
ルキラは白く長い指を扉に突き付ける。
「今すぐ出ていって!」
ロビンはすごすごと部屋を出ていく。
背後で誰かが盛大な溜息をつくのが聞こえた気がした。




