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灰の大陸  作者: 森木冬二
見えざる脅威
3/86

二つの旅立ち

第一話だったものを分割したものです

「おい、ロビン起きろ」

 翌日、ロビンがモスのオヤジに起こされたのはまだ陽も登らぬ時間だった。

「……なんだよ、もう出発か?」

「ああ、例の騎士様がすでに下でお待ちだ」

「待ってくれ。まだ準備も何もしてないんだ」

「そんなのはいらんから、とにかく早く降りて来いとよ」

 相変わらずせっかちで強引な男だ。

 ロビンは洗面器の水で顔を洗い、着替えをするとぶつぶつ言いながら降りていった。


「おはよう。よく眠れたかな」

「あんたのせいであまりよく眠れなかったよ」

 その場にいるのは騎士モースタンと、ロビンに続いて降りてきたモスだけ。

 せっかくの旅立ちの日というのになんとも寂しい顔ぶれだった。

「オヤジ、ネルに挨拶したいんだけどいないのか?」

 ネルはモスの娘だ。ロビンとは特別仲がいいわけでもなかったが、長い付き合いだから別れの言葉ぐらいはいっておきたかったのだ。

「ああ、隣町の叔母が病気でな。三日前からから付きっきりで看病してるんだ」

 そういえばここ最近彼女の顔を見なかった。

 普段ならあのやかましい娘がいなければすぐわかるのだが、ここ数日はあまりに忙しかったため気づかなかったようだ。

「じゃあ、彼女にはおれからよろしくと」

「わかった。必ず伝えておく」

「別れは済んだか? ではそろそろ……」

 ロビンとモスの会話が終わったと見るや、すぐさまモースタンが言う。

 よっぽど早く出発したいようだ。

「おっと、大事なことを忘れていた。ちょっと待っててくれ」

 オヤジは何か思い出したようだ。渋面のモースタンをしり目に階段を駆け上がっていく。

 ややあってオヤジが再び姿を現したとき、その太い腕には古びた剣が抱えられていた。

「なんだそれ?」

「これはおれが昔船乗りだったころ使っていた剣だ。餞別代りにお前にやるよ」

 そういえば何度かそんな話を聞いた記憶があった。

 身の丈三十フェットはある巨大なイカを見たとか、南の海で海賊とやり合ったとか確かそんな話だ。

 ロビンが受け取ってみると、それはやや湾曲した刃の短い剣だった。

「そいつはカットラスと言ってな。狭い船上でも使いやすいように刃が短く小振りになっている。剣を使ったことのないお前でも扱えるだろう」

「ありがとうオヤジ。大切にする」

「ああ、とにかく無事で元気でな……」

 いつもと違って今日のモスはなんだか威勢が悪かった。昨夜の金貨の件を気にしているのだろう。

「よし、では出立だ」

 微妙に気まずい雰囲気が漂う中、騎士モースタンは相変わらず無頓着に言うのだった。


 アデリアの町はずれには共同墓地があった。

 光神の礼拝所に隣接しているものと違って、貧者や身元不明者を葬る粗末な墓地だ。

 そこにロビンは向かっていた。

 例によってモースタンは寄り道に難色を示したが、これに関してはロビンが頑として譲らず結局騎士の方が折れたのだった。

 墓地では意外な人物が二人を待っていた。

「ロビン、ここに来ればあんたに会えると思っていたよ」

 そういって駆け寄ってきたのはモスの旅籠で働くポーラだった。

傍らにはまだ小さな末息子のディーンもいる。

「ロビンの兄ちゃん、おれたちに何も言わずに行くなんてひどいよ」

「悪かったなディーン。おれも嫌だったけどこのおっさんが急かすんだ」

「とにかく出発する前にあんたに会えてよかったよ。ここに来たのは彼女の墓参りだろ」

「ああ、最後にどうしても母さんにお別れを言っておきたかったんだ」

 ロビンの視線の先には盛り土があった。その上には墓標として朽ちかけた木の板が刺してあるだけ。

 それを見てモースタンがいぶかしげに顔をする。

「それは君の母上の墓か。しかし、墓碑も何もないとはどういうことだ?」

「誰も母さんのことを知らないんだよ。その名前も死んだときの年齢も」

「そう、あれからもう十年以上経つんだねえ……」

 ポーラがしみじみという。

 

 それは十三年前の、温暖なアデリアには珍しく大雪が降った日の夜のことだった。

 その時モスの酒場で働いていたポーラは客が帰った後の片づけをしていた。

 すると店の扉をたたく音が聞こえてきたのだ。

 ポーラは外の人物に今日はもう閉店だから帰るように伝えた。

 だがその人物はか細い声で雪の降る中どこにも行く当てがないから、頼むから中に入れてくれというのだ。

 ポーラが仕方なく扉を開けるとそこには雪にまみれ凍え切った母子の姿があった。

 母親はまだ若くなかなか整った容姿だったが、粗末な衣服を身に着け憔悴しきっていた。

 子の方はせいぜい三、四歳に見え、やはりぼろをまとい寒さに震えていた。

 気の毒に思ったポーラが中に入れてやり、残り物を出してやると母親は涙を流して喜んだものだった。


「……母親の方はその時すでにひどい熱でね。翌日の朝には息を引き取ったよ。それでも、ずっとうわごとのようにつぶやいていた。『どうかロビンを頼みます』とね」

「なるほど、だから君の名前だけはわかったのか」

 ポーラの長い話を聞き終え、騎士はロビンの方を見て得心したように言う。

「彼女の最後の頼みを無碍にもできずモスと相談して、彼のところでロビンの面倒を見ることになったんだよ」

「まだ小さくて何の役にも立たないおれを置いてくれてモスには感謝してるよ。何かと世話を焼いてくれたポーラにもな」

「よしておくれ、大したことは何もしちゃいないよ。あ、そうそう。忘れないうちにこれを渡しとくからね」

 そういってポーラが懐から取り出したのは真鍮製の古いさびた鍵だった。

「これはいったい……?」

「あんたの母親の唯一の持ち物、いわば形見だよ。もっと早く渡すべきだったんだろうけど、機会がなくてねえ」

 ロビンの母はその身に着けていた衣服以外何も持っていなかった。ただ唯一の例外がその古ぼけた鍵だったのだ。

「彼女、亡くなったときもそれを握りしめていてね。よっぽど大事なものだったんだろうよ」

 これに意外な興味を示したものがいた。

「悪いがちょっと見せてくれ」

 モースタンは言うなり鍵をロビンから奪い取った。

「なんだよおっさん、何か心当たりでもあるのか?」

 ロビンはモースタンから鍵を奪い返し、うさん臭そうに尋ねる。

「いや、残念ながらない」

 ロビンは拍子抜けしながらも、何事にも冷淡な騎士がなぜこのような話に興味を示すのか怪訝に思った。

「……とにかく、ロビン。体に気を付けていくんだよ。決して無茶はするんじゃないよ」

「ロビンの兄ちゃん、早く帰ってきてくれよ。おれ、兄ちゃんがいなと寂しいよ」

「二人ともありがとう。どうか元気で!」

 こうしてロビンは生まれ育った町を後にしたのだった。果たして次にアデリアに戻ってくるとき、自分はどうなっているのだろう。

 いや、そもそも戻ってこられるのだろうかと少々疑問に思いつつも。




「あの、大丈夫ですか、お嬢様?」

 心配そうな少女の声に彼女は目覚める。

「……少し眠ってしまっていたみたい。ええ、心配ないわ、アニエス」

 傍らの神官見習の少女に彼女はほほ笑みかける。

 ここはアルデア大陸中央の聖なる都クラルス・モンス。

 さらにその中央に位置する丘の上にある、聖宮の一角にある彼女の私室だった。

「大変お疲れのように見えます」

 自覚はなかったがどうやらそうらしい。彼女は認めざるを得なかった。

 それにしても今になってまたあの光景を夢に見るなんて。もうあれから八年も経つというのに。

 それにしても、今回はどうもおかしかった。

 まるで自分の中にほかの誰かが入り込んでいたような――。

「ああっ、またぼうっとしてらっしゃいます! やはり、出発は明日にされた方がいいのでは?」

「それはだめ。報告によるとガレリアとファストロムの大規模な衝突がもう間近だとか。そうなる前に一刻も早く旅立たねば」

「そうですか、わかりました。お嬢様は言い出したら聞きませんものね」

 アニエスは少し呆れ顔だった。

 本来神官見習にすぎないアニエスが、彼女に対しこのような態度をとることは許されない。

 それでも長い付き合いのため、ほかに人がいない場面ではどうしてもこういった態度になってしまう。そして彼女もむしろそれを喜んでいるのだった。

 ちょうど折よく護衛のギョームも来たようだった。その重々しい足音でそれとわかる。

「ではまいりましょう。ファストロムの王都リブロンへ」

 彼女は椅子から疲れた身を起こし、努めて明るい声を出すのだった。


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