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灰の大陸  作者: 森木冬二
這い寄る影
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北の嵐

 ガレリア王国北部、ルスフとの国境に近い町ローリエにファストロム王国軍の司令部が置かれている。

 その本陣には今ちょうどウィルクス内務卿が来ており、軍務卿のボーゼン男爵から現況についての報告を受けていた。


「国境を越えて進軍してきたルスフ軍を打ち破ったわが軍は、現在余勢を駆ってルスフ領内に突入し進撃中です」

「うむ」

 ウィルクス卿がうなずく。

 普段はリブロンにいるこの男が、はるばる前線まで出てくるのは珍しいことではあった。

「しかし、ルスフは山がちな国だ。ファストロムもガレリアも平地の国ゆえ、わが軍は山岳戦には不慣れなのではないか」

「確かにそれは否定できません。それでもわが軍は確実に前進しており、すでにルスフ南部の要衝ピニュロル要塞を陥落させました」

「ほう、それは大したものだ」

 ウィルクスは満足げな様子であった。

「この十年、ひたすらファストロムの軍備を拡張してきた貴公の前任者に感謝すべきだな」


 ボーゼンの前任、つまり今は亡きウィンスレット公爵は何かと評判の良からぬ男ではあったが、軍政に関してはそれなりに手腕を発揮したようであった。

「しかしながら、リシャールの抵抗によりいまだガレリアの平定にも至っておらぬ中、このまま戦線を拡大してもよいものでしょうか」

 ボーゼンは不安そうに声を潜める。

 このボーゼンという男、イタチのような顔つきのおよそ風采の上がらぬ容貌であったが、一軍を率いる者としては決して無能ではない。

 だからこそ、ウィルクスは公爵の死後、他の候補者を差し置いて軍務卿の要職につけてやったのだ。

 だが、地位が上がったにもかかわらず小心な性格には変化がないようだった。

「ルスフ王ディートリヒは誇り高くそして頑迷な男だ。事ここに至ってはどちらかが決定的な勝利を収めるまで決して矛を収めることはないだろう」

 ウィルクスはルスフ王の鷲を彷彿させる獰猛な顔つきを脳裏に描きながら説明する。

「ボーゼン将軍、全軍に伝えるのだ。このままルスフ王都ベレンに向かって前進を続けよ、と」

「はっ」

 ボーゼンは礼をして将兵の元へ向かおうとする。


「ところでボーゼン」

 ウィルクスはふと気になったことがあり、出ていきかけたボーゼンを呼び止めた。

「は、なんでございましょう」

「貴公が直接指揮を執るつもりなのか」

「さようでございますが」

「貴公の指揮下にはバイロン将軍がいるだろう。なぜ彼に任せない?」

「お言葉ですが、あの男どうもやる気が感じられません。こたびの戦はどうも気が進まぬようで」

「そんなことはない。彼は良くも悪くも武人だ。命令があれば必ず従う」

「そうでしょうか」

「貴公は彼に含むところがあるようだな」

 ウィルクスは苦笑する。

「一ついいことを教えてやろう。自身の仕事を効率よく進めるには、有能な人物にうまく押し付けることだ」

「はっ、心得ておきます」

 ボーゼンはあまり理解したふうではなかったが、かしこまって礼をするのであった。

 本来内務卿と軍務卿は同格で、へりくだる必要はないのだが、ボーゼンにとってウィルクスは王も同様の存在であるらしい。


「閣下、ウィルクス閣下!」

 ここで突如として天幕に伝令が飛び込んでくる。

 彼は危うくボーゼンとぶつかりそうになるも、かろうじて踏みとどまった。

「なんだ、貴様無礼な。いったいどこを見ておるのか!」

「も、申し訳ございません、将軍。しかし、デューレンから特使殿が参っておりまして。大至急、ウィルクス卿とお会いしたいと」

 ボーゼンは心底うんざりした顔をする。

「また、あの御仁か。まったくなんとしつこい」

 対照的にウィルクスは上機嫌に見えた。

 いや、むしろ面白がっているというべきか。

「まあ、そういうな、ボーゼン。つまらぬ政の話といえど、あれほどの美人の相手をするのは悪くはない」

「はあ、しかし先ほどの件に関しては」

「問題ない。この場はわたしに任せて貴公はさっさと命令を伝達してくるのだ」

 小走りで天幕を出ていくボーゼンをしり目に、ウィルクスはその薄い唇の端を釣り上げ、誰にともなくつぶやくのだった。

「さて、今度はどう出てくるかな。白の聖女殿」


「あなたのような美しい女性にこうもたびたび会いに来ていただけるとは、男冥利に尽きますな」

「別にあなたに会いに来たわけではありません!」

 ルキラは努めて冷静に振舞おうとしていたが、ウィルクスの場をわきまえぬ冗談につい頭に血が上ってしまう。

「いや失礼。しかし、あなたと話していると楽しいのは事実なのですよ」

 もうこの男には乗せられまい。

 自分は聖教国の代表として、毅然たる対応をとらねばならないのだ。

「このたびのファストロムのルスフに対する軍事行動は、わたくしどもとしては侵略であるとみなしております。このまま攻撃を続けるならばこちらとしても対抗措置を取らざるを得ません」

「これは手厳しい」

 ウィルクスは顔をしかめる。

「しかし、こちらとしても言い分はあるのですよ」

「お聞きしましょう」

「まず、今回に関しては先に仕掛けてきたのはルスフの側です」

 これについてはルキラもすでに聞き及んでいる。


 先日、ローリエの北部で哨戒任務にあたっていたファストロム軍が突如攻撃を受けた。

 戦闘の末、ファストロムはこれを撃退したが、残された敵兵の死体はルスフの軍装をしていたという。

「ルスフの軍装をしていたからといって、それが本当にルスフ兵とは限りません」

「ほう、われらの偽装工作とおっしゃるのか?」

「そうは申しておりません」

 否定しつつも、この男ならばそれぐらいはやりかねないとルキラは考えていた。

 だが、確証はない。

「いずれにせよ、攻撃は小規模なもので両軍ともに被害は少なかったと聞いております。にもかかわらず、軍をルスフ内に進撃させるとは行き過ぎといわざるを得ません」

「確かにこれだけならそうでしょうな」

 ウィルクスは手をたたく。

 すると、兵士が二人、それぞれ桶を抱えて天幕内に入ってきた。

 兵士が卓の上に置いた桶の内部を見てルキラは思わず息をのむ。


 それぞれの桶の中には生首が入っており、彼女を恨めしげな表情で見上げていたのだ。

「あなたのようなうら若き女性にこのようなものをお見せするのが不適切なことは百も承知」

 ウィルクスは沈痛な面持ちで語る。

「しかし、われらの怒りと無念を理解していただくには最善の手法と考えましてね。ご容赦いただきたい」

「これはいったい……」

「一つ目の首は和平のために送った使者。今一つは例の攻撃を受けたのち、事の真偽を問いただすために送った使者です」

 ウィルクスはルキラに向き直る。

「これでおわかりでしょう。ルスフは平和を願ってなどいないと。われらとしては、戦いを終わらすため、同胞の無念を晴らすためルスフに軍を進めるしかないのです」

 ウィルクスの目は静かな怒りと決意に満ちていた。

 果たして戦争を続けるため、己の野心を実現するためここまでやるのだろうか。

 ルキラは自身の考えに自信が持てなくなってきていた。


「これからルスフへ向かうなんて、お嬢様どうかおやめください!」

 馬に乗ろうとするルキラをアニエスが必死で止める。

 強い風がファストロム軍の天幕をはためかせている。嵐が来るのかもしれない。

「ここまでかなりの強行軍できたのです。少しは休まれないといい加減お体を壊しますよ」

「このような状況に至った以上、真相を確かめられるのはわたししかいないのよ」

「ほかの者を使いにやればいいではありませんか。確かにルスフ王は苛烈な為人ですが、聖教国の人間であれば危害を加えられることはないはず」

「しかし、それでは時間がかかりすぎるわ。その間にも戦禍は拡大してしまう。わたしが一番近くにいるのだから……」

 ルキラは言いよどむ。何か視界がぶれたような気がしたのだ。

「大丈夫ですか?」

 心配そうにアニエスが見つめてくる。

 ルキラは、ええ大丈夫、ありがとうと返そうとしたが言葉が出なかった。

 目がくらみ見る見るうちに地面が近づく。

「ルキラ様!」

 侍女が悲鳴を上げる中、突如降ってきた大粒の雨が地に倒れ伏したルキラの背を容赦なく打つのだった。




 大陸北部のとある山中。

 その地下深くの暗黒の神殿でいつかのようにまた二人の男が向かい合っていた。

「貴様には失望したぞ」

 赤目の男、ゼノンが吐き捨てる。

「いまだにファストロムの小僧を始末できぬとはな」

「人手が足りぬのだ」

 表情のない男が静かに返す。

「少しはこちらに戻してはもらえないか。これでは『夜陰』の活動もままならぬ」

「勘違いするな」

 ゼノンが病的に白く細長い指を突き付ける。

「貴様ら『夜陰』などわれらがこの大陸を手中に収めるための道具にすぎぬ。目的さえ果たせれば、貴様らがどうなろうが知ったことか」

 男は何も答えなかった。ただ、虚ろな目で闇を眺めているだけだ。

「おい、聞いているのか」

「もちろん手は打つ」

 男の声に一つの影が近寄ってくる。

「この男はわたしの腹心だ。必ず小僧の息の根を止めてくれよう」

「わたしに策がございます。どうかお任せを」

 その男は『夜陰』の首領と、容姿も声も気味が悪いぐらいそっくりだった。

「よかろう」

 ゼノンはうなずく。

「だが、失敗した場合はわたし自身の手で貴様を神の元へ送ってやる。覚えておけ」

 影は無言で礼をすると再び闇の中へ消えていった。


「まったく薄気味の悪いやつらだ。おまけにたいして役にも立たんとは」

 ゼノンは毒づきながら急ぎ足で歩く。

 そう遠くないうちにアルデアを取り戻すための聖戦が始まる。

 彼はその準備に追われていた。こんな場所に長居をするわけにはいかない。

「ゼノン様」

 突如、闇の中に人の気配が現れる。それはゼノンもよく知る男だった。

「テセウスか」

「は、たった今マルヴより到着しました」

 暗闇の中ゆえ赤く光る双眸をのぞいて顔はよくわからない。

 しかし、その声の主はまだ若いようだった。

「お前が来てくれて助かる。なにせこちら側の人間はクズばかりなのでな」

「いたし方ありません。彼らは同じ闇神の信徒といえど、選ばれしマルヴの民ではないのですから」

「ところで」

 テセウスは話を変える。

「先ほどの話なのですが」

「聞いていたのか」

「はい。あの男、どこか信用なりません。監視のため、わたしも密かに同行してよろしいでしょうか」

「アルデアでの最初の仕事というわけか。よかろう」

 ゼノンが尊大にうなずくとテセウスは軽く礼をし、現れたときと同様に忽然と姿を消すのであった。


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