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愛さない魔女の話  作者: もふ羊
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 魔女が男と関係を結んでから、3度季節が変わった。


 春の夜。

 明けの森の沈黙の魔女、ローフェンアルダは、明けの森の奥深く、静の湖の畔にそびえる塔で、よみがえりの魔女リノリトラの立ち会いのもと、エウダージュ国王の子を産み落とした。

 薬師と名高きよみがえりの魔女に助けられながらの、数十時間に渡る苦闘の末の出産であった。

 臍の緒を切断し、産湯につかわせ、初乳を与え、後始末まですっかり済ませると、途方もない疲労に満身創痍の魔女は、嬰児を自らの傍らに寝かせた。

 赤子は玉のような美しい男児であった。

 うっすらと生える髪は漆黒。瞳は右方を日の落ちた空の色、左方を夕映えの湖の色とする奇特なものだった。

 一仕事終えたよみがえりの魔女リノリトラは、赤子をひとしきり眺めて嘆息すると、闇色の目を沈黙の魔女へ向けた。


「ローフェンアルダ。貴女の契約者、トルファードの王女を娶ったそうよ。王女は身籠り、今年中には子が生まれる」

「そうか」

「それだけ? 沈黙の魔女に契約と称して子を生ませるような愚か者が、裏切ったのよ?」

「はじめから契約以外なにもない。あの男の動向は、私に影響を及ぼさない」

「ならば、何故、この馬鹿げた契約を受けたの。拒むことができたはず。あの男はトルファードの王女にも子を産ませる。そうすれば魔女の子がどんな扱いを受けるか、想像に難くない」

「契約の代償に、今後一切の不干渉を飲ませた。それにこの赤子は、私の関するところではない」

「貴女、仮にも母親でしょうが」

「契約者と契約を結び、契約を成し遂げたに過ぎない。あの男のもとへ届ければ、今生関わることはない」


 淡々と語った沈黙の魔女を、よみがえりの魔女は、顰め面で見下ろした。沈黙の魔女の顔は酷く蒼白く、元来痩身の魔女は妊娠出産により力を使い果たし、更に痩せ細りやつれていた。

 今この魔女を見ればエウダージュ国王はどんな反応を見せるかと、よみがえりの魔女は唇を噛んだ。


「エウダージュ王は、貴女を妻に望んだのでしょう。執着ぶりは遠く私の元へも風声が届くほど。いっそのこと後任を決めて魔女を辞め還俗し、応じてしまえば良かったのに。幸せになれたかもしれないわ」

「沈黙の魔女は人を愛さない。無駄なことはしない。今はまだ役目を終える時ではない」

「まだ引きずっているの。600年前のことを」


 俄かに、琥珀は激しい感情を宿した。しかしそれはやはり瞬く間に消え失せた。


「遠い、昔のことだ。忘れた」

「・・・そう。貴女も、哀れな人間ね。人並みの感情すら自分の思うようにはできない―― いえ、もはや人でもなかったわね。我々は」

「だが、特に不自由はしていない」


 言いながら魔女は無表情に赤子を見つめたが、赤子が本能から母を求め始めると、求めに応じて乳を含ませ、硝子玉のような双眸には深い翳を落としたのだった。


 魔女はひと月を赤子と共に過ごした後、籐の籠に絹の敷布を詰め、そこに虹色の布でくるんだ赤子を横たえると、蓋をした。

 そうしてからよみがえりの魔女に籠を託し、「契約物」を契約者のもとへ送ったのだった。



 エウダージュ国王である男はその日も、宮殿で執務に精を出していた。

 先だって同盟国から后を迎えたばかりだったが、有能な政治家である男は、大した睦の時間も取らず仕事に励んでいた。

 そして夕刻。男の元へ火急の伝令が来た。


「陛下! 申し上げます。つい先ほど宮殿に魔女が現れました。陛下へのお目通りを申し出ております」

「魔女とな? 分かった。直ぐに謁見の間へ通せ」


 期待に目を輝かせた王が対面したのは、果たして思い描いた、虹色を纏った黄金の瞳の持ち主ではなく、闇色の髪に闇色の瞳、闇色の衣を纏った女だった。そしてその手に大きな籠を携えていた。


「お前が、俺に会いたいという魔女か。だが俺はお前を知らぬ」

「私はよみがえりの魔女。会いたくもないが、住処を離れられぬ友のために来たのだ、身の程知らずの愚鈍な王よ」


 魔女の辛辣な言葉に衛兵たちが色めき立ったが、王はそれを眼差しひとつで鎮めた。そうして魔女に問うた。


「俺はお前に恨みを買うような真似をした覚えはない。一体どんな用むきで参ったのだ」

「お前が明けの森の沈黙の魔女と結んだ契約の実を、引き渡しに来たのさ」


 王の青い瞳が驚愕に見開かれたのを、忌々しげに睨んだ闇色の魔女は、籠を大理石の床に置くと蓋を外し、中から虹色の布にくるまれた赤子を取り出した。

 瞬く間に、ざわめきが謁見の間を満たした。

 王は玉座から立ち上がると、駆け足で魔女の元へ向かい、赤子を受け取ろうとした。しかし、魔女は直ぐには引き渡さなかった。


「何をする。俺の子だ。抱かせろ」

「お前などがこの子を抱く資格はない。誰か! 早く乳母女を連れて来い」


 王の青い瞳は怒りに燃えたが、魔女の闇色の瞳はそれを凍りつかせる程冷めていた。


「私は、身勝手な真似をしたお前を、決して、許さない。お前は沈黙の魔女につけこみ、彼女を危険に晒した」

「これは合意の元だ。沈黙の魔女は不可能な望みは拒むと言った。俺が沈黙の魔女を危険に晒した? どういう意味だ」

「解らぬか、愚か者よ。これだから王族という人種は嫌いだ」

「偏見もいい加減にしろ。俺は神ではない。解ることと解らぬことがあるのは当然だ」

「ではただ一度だけ教えてやろう。真実を知って後悔するがいい。沈黙の魔女はただの魔女ではない。七人の魔女のうち最も特異で神聖な存在だ。魔の森と契約した依り代、巫女なのだ。魔女は魂と引き換えに森が人間の世界を侵す、その暴走を抑えている。魔女は役目を終えるまで森から一歩も出られない。森と共に生き、森で死ぬのだ。依り代は、強き力有るものでなければならぬ。さもなくば、森の魔に冒され魂を壊されるからだ。しかし魔女は身籠れば力が変質する。気が乱れ、出産まで力が弱まるのだ。これが何を意味するか、分かるか」


 王は、一息に捲し立てた魔女の言葉を惘然と聞いていた。


「お前は沈黙の魔女の命を、危険に晒したのだ。そればかりかこの赤子の命もだ。魔の森の気は外界とは違う。長きを過ごすには魔の属性が強くなければ耐えられない。力の衰えた沈黙の魔女が、弱き赤子の分まで森の魔気と抗うのがどんな消耗を強いるか分かるのか! どれほどその貴い魂を削ることになるかを」

「だが俺は何度も森へ入り、幾日も過ごした。それでも何もないぞ」

「お前が幾度も森に入り、何の害も被らなかったのは、沈黙の魔女が守護を施したからなのだ。その手の指輪に何の意味があるか、知らぬのか」


 もはや王は言葉のひとつも出なかった。ただ大きく瞠られた青い目だけが衝撃の強さを物語る。


「謝ろうなどと考えるくらいなら、二度と沈黙の魔女を掻き乱すな。二度と関わるな。その赤子を不幸な人間にでもしてみよ、その時はよみがえりの魔女がお前の家を破滅させてやろう」


 よみがえりの魔女はそれだけを言い放ち、赤子を侍女に託すと謁見の間から身を翻した。しかし王は「待て!」と叫んで呼び止めた。


「ひとつ、ひとつ教えてくれ! 沈黙の魔女の、真の名の意味するところを」


 よみがえりの魔女は振り返ると、漆黒の双眸で王を見た。そして言った。


「“沈黙して、与え続けるもの”」


 青と黒は刹那交じり、そして後者から先に逸れた。

 立ち尽くす王 ――― 男の口からは誰にも届かない微かな囁きが零れた。



「――― ああ・・・“ローフェンアルダ”。我が愛しきひとよ。ついぞ己が身の真を語ってはくれなかったのだな」


 

 

 広間には赤子の泣き声だけが響いていた。

 


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