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愛さない魔女の話  作者: もふ羊
4/6

 長い冬から更に半年が過ぎ、春を通り越して夏が来た。最後に人間の契約者――エウダージュ王が訪れてから1年。

 魔女は同じ日々を繰り返していた。


 その日沈黙の魔女は、とある一角獣から頼まれた聖紋の角飾りを作り終えたところで、引き渡しがてら久々に森を散策してみる気になった。

 この数日、森が幾らか落ち着きないことが気になっていたのだ。

 塔から魔女が問うてみても森は答えず、たださわさわと葉を擦り合わせ、枝を揺らしているだけなのだ。


 塔を出ると、魔女はむせかえるような緑の森に足を踏み入れ、柔らかい苔に覆われた巨木の根を伝って小川を越え、朽ちて倒れた木のうろをくぐり抜け、時たま出会う獣の挨拶を受けながらひたすら歩き続けた。

 魔女の訪れを歓び、蠢く木々。悪戯に滴を飛ばし、咲き乱れる花を降らせ。

 確かに異変にざわついているのに、まるでいつもの通り。魔女は訝しみながら一角獣を目指した。


 やがて魔女は、憂いの泉へ辿り着いた。

 小さな泉の周辺はそれでも拓けており、魔女はすぐに一角獣を見出だした。

 一角獣は銀色の体毛を煌めかせ、待ちわびたように目を細めた。

 魔女は一角獣が突き出した長い角に、銀細工の護飾具を通した。


『これで助かる。我が角を狙うものたちには、辟易していたのだ』

「それでも完全ではない。好奇心に負けて無闇に人里へ近付かぬことだ」

『人里へなど行くものか。人の方から近付いてくるのだよ』


 一角獣は不満げに鼻を鳴らすと、魔女に告げた。


『さあ。代価は何を求める? この辺りは嫌な臭いで満ちている。すぐにでも去りたいのだ。早く求めてくれ』

「嫌な臭い?」


 魔女は、人形のようなかんばせを微かに顰めた。


『沈黙の魔女ともあろう人が知らないのか。森で起きたことを』

「私は、お前にやるものを作るのに忙しかった。森がざわつくのを知っていたが、森で何があったのかは知らないのだ」

『森でいさかいがあった。忌むべきものが地を汚した。血が流れ、森が怒った』

「迷いものか」


 気紛れな森に拒まれ、命を奪われるのは人間に限らず獣でも魔でもある得ること。また誰かが犠牲になったのだ。


『乙女なら助けてやらないでもない。しかし、男であったから素通りした』

「・・・男?」


 魔女は一角獣の言葉を拾うと金色の目を眇めた。

 ふと、魔女の中で嫌な勘が働いた。


「一角獣ロサ、私をそこへ案内してはくれないか」

『ええ!? 冗談を言わないでほしいのだけれど』


 しかし、魔女は断ることを許さず、一角獣は渋々先立って歩き始めた。

 10分程歩いただろうか。ようやく一角獣が足を止め、魔女は若枝を押し分けて、一角獣の隣に進んだ。

 そうしてそれに目を留めた魔女は、瞬時息を呑むと、苦々しげに「何処まで愚かなのだ」と、呟きをこぼしたのだった。

 知り合いかと問うてきた一角獣へ冷めた一瞥をくれると、魔女は更に進み出、血塗れの男を今にも砕かんばかりに縛る根に触れた。


「古の主たちよ。どうかこの私に免じて怒りを鎮め、そのものを解きたまえ」


 魔女に応えて力を緩めた太い根がしぶしぶ男の躰を放ると、鈍い音を立てて地に落ちた男の口から小さな呻き声が上がった。まだ息がある。

 魔女は、表情ひとつ変えず男を見下ろすと、一角獣に告げた。


「一角獣ロサ、対価を払え。お前の涙を」

『森が拒んだものを魔女が救うのか』

「これはかつての契約者。ここで死なれては寝覚めが悪い」


 忘れたくとも、印象が強すぎて記憶に残った男。

 血の気が失せた傷まみれの顔は、それでも美しく、幾らか痩せたようであった。

 閉じられた目蓋の奥には、きっと日の落ちた空の瞳が隠れているのだろう。


 愚かな男だ、と白い魔女は胸の内で繰り返した。

 一角獣は物言いたげに魔女を見たが、何も言わず倒れ臥す男に近付き涙を落とした。


『これで良いか? 人間の血の臭いは嫌いだ。もう此処から去りたいのだ』

「ああ。行って良い」


 一角獣が身を翻し森の奥へ消えると、魔女は未だ意識を取り戻さぬ男を抱き起こした。重い、と呟きながら魔法を起こす。

 そうして一陣の風が吹いた後には、もはや魔女の姿も、男の姿も、消え失せていたのであった。


 男が目覚めたのは、それより幾日も後のことだった。


 男が覚醒した時、目に飛び込んだのは、男の記憶に違わぬ部屋だった。


「俺は生きているのか」


 独り呟いたはずの科白に、彼の記憶と寸分違わぬ声が応えた。


「何故森へ来た」

「お前は。ああ、沈黙の魔女なのだな」

「答えよ。何故来た。二度と来るなと告げた」


 男はふっと笑うと「愚問だ」と言った。魔女は眉を顰める。


「お前に逢うために決まっている」

「そんなに、死にたいのか」

「ああ、今回は流石に死ぬかと思った。いつもは巡り巡って森の外へ弾き出されるのにな」

「…今回、は?」

「この1年、一月に1度試みていた。流石に毎日だと政務に障るからな。いつも幻に惑わされていたようだったから、此度は護符を持って挑んだ。入り込めたはいいが、死ぬかと思った。たとえ死んでもこの情念だけでお前の元へ辿り着くつもりだったが」

「気色の悪いことを言うな。私が偶然近くにいなければ貴方は死んでいた。死ねば躰は塵に還り、魂も情も思念も皆霧散するのだぞ」

「それくらい知っている。だが俺は現に生きている。逢いたかったぞ、沈黙の魔女。この1年逢えなくて気が狂うかと思った」

「生憎だが、私は貴方を忘れていた」


 男が魔女を見た。魔女も無表情に見返した。


「照れ隠しに嘘をつかんでもいいぞ」

「お目出度い人間だ」

「お前を愛しているだけだ」


 男は微笑んだ。

 そして再び口を開いた。


「沈黙の魔女、俺は再び契約を結びに来たのだ」


 魔女は微かに眼を細めた。男は魔女の長い虹色の髪を眩しく見つめながら、更に畳みかけた。


「明けの森の沈黙の魔女は訪問者を拒まない、そうだろう」

「だが望みの全てを叶える訳ではない」

「そうだろうとも。俺とて学習しなかったわけではない」

「学習しておらぬからこそ、命知らずな真似をするのだろう。覚えておけ。森は魔女の拒むものを拒むのだ」


 しかし男は青い瞳に不敵な笑みを湛えると平然と告げた。



「俺の子を産んで欲しい」



 魔女はしばらくの間答えなかった。

 夕映えの双眸で無感情に男を見据えた。長い睫毛がゆっくり上下する。

 やがて腕を組むと、魔女は静かに告げた。


「后が不妊か。生憎だがそれは私の得手ではない。閉じた胎をひらく薬はあるが、手に入れるのは容易くない。その手のことに秀でた魔女を紹介してやろう」


 しかし男は苦笑すると首を振った。


「俺に后はいない。だが俺は子が欲しい」

「貴方の世継ぎを産みたがる女なら引く手数多だろう。わざわざ命を賭して沈黙の魔女に望むことではない」

「確かに俺の后になりたがる女は両の手に余る程いる。だが俺が欲しいのはただの世継ぎではない」


 男は笑みを消した。精悍なかんばせに厳めしさすら漂う。まるで初めて魔女に逢った時のようだった。

 鋭く貫き、王者のまなこでもって挑む。まるで、果たし合いに臨む戦士のように。


「俺が手に入れたいのは他でもない。お前の血を引く、俺の子なのだ」


 魔女は口を閉ざしたまま、男の瞳から目を逸らさなかった。真摯に向けられた望みを、澄んだ硝子の瞳で受け止めた。


「これは契約だ。俺の手に子を抱かせてくれればそれで構わない。それとも沈黙の魔女は」

「後4日待て」

「・・・4日?」

「準備と、時期がある。4日待て。その間ここにいるもよし、出直すもよし」

「・・・応じるのか」

「応じて欲しくないのか」


 魔女は冷然と返した。

 男の瞳に微かな翳りが生まれたが、魔女の表情が変わることはなかった。

 男は口を閉ざすと、魔女の塔で4日を過ごした。


 4日間男が魔女と会うことはなかった。食事の時間になれば食事が現れ、男が必要を感じれば浴室への階段が現れた。

 塔の出入りは自由だったし、男が森を歩いても害されることはなかった。

 ただ男は、魔女がどこにいるのかを知らなかった。


 そして4日後、魔女は男の前に姿を現すと、短く告げた。


「来い」


 魔女は、軽く目を見開いた男に先立ち、扉に手をかけてから顔を横向けた。虹色の長い髪が揺れて煌めいた。


「貴方は沈黙の魔女の契約者となった。契約が果たされるまで森は貴方に道を示す。だが契約が果たされた後は、もはやこの地へ足を運ぶことはないだろう」

「それが、代価か」

「そうだ。一生に2度魔女と契約する人間は滅多にない。貴方は運がいい」


 男は、苦い表情を浮かべた。しかし魔女が部屋を出ると、やがてその後に続いた。


 訪れた時にはなかった階段を見出だし、男は眉を上げた。

 魔女は虹色の衣を引き摺ってその階段を上り、男も従った。

 螺旋状の階段を登り終えると、小部屋に行き着いた。

 魔女に続いて中を覗いた男は奥に据えられた寝台を見て合点がいった。

 小部屋は寝台と箪笥と化粧台のみが置いてあり、男と魔女の2人が入ればすっかり満杯だった。

 小窓の外から入り込む光が絨毯の上を照らしている。薄暗い室内で魔女と男は向き合った。

 魔女は外衣を脱いで椅子にかけると、まるで天気の話をするかのように男に告げた。


「さあ、抱くがいい」


 しかし、男は表情を消すと、じっと魔女を見た。魔女は小さく首を傾げた。


「どうした。抱かないのか。それとも子の作り方を知らぬのか」

「…いいや。だが、こうもあからさまだとな。雰囲気というものを知らぬのか」


 しかし、魔女は相変わらず笑みのひとつもなく言った。


「何を言っている。子を成すだけのことに、雰囲気など必要ない。為すべきことを為せば良いだけだ」

「自ら言い出したこととはいえ、きついな」


 男は微苦笑を浮かべると、自らも外衣を解いた。魔女は内衣も脱ぎ去ると、寝台に腰かけ、まさしく人形のように男を待った。

 男は魔女を見つめると目を細めた。


「お前は、美しい」


 そうして男は、表情ひとつ変えない魔女の肩を押すと、寝台に横たえた。

 日の下に晒されたことがないのではないかと思われるほど白い躰を一望すると、虹色に混じる一筋の紅い髪を掬い取り、口付ける。


「なあ、お前の名を教えてはくれぬか。抱く女の名くらいは知っておきたい」

「知りたければ自ら知れと告げた」

「ああ。そうだったな。だが分からない」

「沈黙の魔女の本質を理解できぬなら諦めろ。私の名こそが私を表しているのに」


 硝子の瞳は冷たく、また今はどこか哀しささえも感じられる。男は魅入られたまま呟いた。


「本質?」

「何故私が沈黙の魔女と呼ばれるか分からぬか」


 男は悔しげな笑みを浮かべた。分かるはずがないと魔女は呟いた。


「本質か。――― お前の本質は慈愛。違うか」


 魔女は、ややあって鼻先で哂った。


「魔女とは魔性。悪も善も愛も憎しみも持たないもの。愛とはいかにも情に弱い人間的な考えだ」

「情のないものであると言うならば、何故俺を助けたのだ」


 魔女は答える代わりにそっと目を閉じた。男は魔女の髪から頬に、顎に唇を落とした。


「お前は本当は心優しき女なのだろう」

「優しきものは、魔女にはなり得ない」


 魔女は少しも拒まない代わりに、積極的に求めることもない。男はなんとか反応を引き出そうと辛抱強く愛撫を与え続けた。


「慈愛を知らぬものが、与えることなど出来るわけがない」

「善きものを与えれば、悪しきものも与え、善きものを奪えば、悪しきものも奪う」


 男が白い首筋に唇を滑らせると、魔女は小さく身動ぎ、吐息を洩らした。


「俺には」


 一旦顔を上げた男は切なげに微笑んだ。


「お前が、強いて己を貶めているように見える。何故だ。何故拒む。お前は魔女である前に女であり、人間だ」


 微かに頬を上気させた魔女は、それでも氷のごとく凜とした眼差しを揺るがさなかった。


「魔女が何であろうと、それは貴方の領分ではない」


 勘違いするな、と黄金色の氷輪がまたしても男を貫く。


「愛人気取りか知らぬが、沈黙の魔女は決して男を愛さない」

「沈黙の魔女は、か。お前個人はどうなのだ」


 尚も畳みかける男を、魔女は冷然と見据えた。答えるのも愚かしいと眼差しで暗喩する。


「期待するだけ無駄だ。子種を注いだら国へ帰り、時が訪れるまで待つがいい」

「・・・・・・」


 もはや、ただの顔見知りというには触れ合い過ぎた。多くの時を過ごした。

 初めの契約が続いたのは、1ヶ月のこと。

 その後も男は4ヶ月程通いつめ、魔女と言葉交わした。

 愛情までは行かなくとも、幾らかの親しげな情があるのだろう、と男は思っていた。

 でなければ忌避するように振る舞いながら命を救い、気遣いを示すはずがない、と。

 しかし、魔女の何処までも澄みきった無情な双眸は、男の期待を見事に裏切った。

 そこに愛も嫌悪もなければ、何の執着もない。正しく無を体言する眼差し。


 男は、強く歯を食い縛ると、青い瞳に凄烈な情を溢れさせ、無感情な美貌の魔女を見下ろした。

 魔女の想いが自らに向くことは、真に決してないのだろうか。

 まるで怨念のような激情が胸を焦がす。泣いて赦しを乞うまで痛め付けたい征服欲と嗜虐心が、男の中で首をもたげた。

 それでも、男は怒りに魔女を愛する心が覆されることを許さなかった。

 拒絶されなお求めずにはいられぬ自らを呪いながら、男は苦い想いを抱え、雪のように美しい肌へ口付けを降らせたのだった。


 男は7日に渡り、魔女と褥を共にした。

 そうして明けの森を去ると、自ら再び訪れることはなかった。



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