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愛さない魔女の話  作者: もふ羊
2/6

長いです。

 男はふと眼を開くと、惘然と見慣れぬ天井を見つめた。


 暫く呆けた後、自らが苦難の旅の末に沈黙の魔女に辿り着いたことを思い出した。

 長椅子の上、緩やかに身を起こした男は、ぱさりと身の上から滑り落ちた虹色の長衣に気付くと、眠りにつく寸前に魔女が為した無礼を思い出し、怫然とした思いに駆られた。

 そして更に気付けば既に日は暮れ、夜の闇が窓の外を覆っていた。円形の室内は、そこかしこにある橙色の灯火に照らされている。


 男は半日以上を眠りこけていたのだ。男は無様にも魔女の術に嵌まった己を憤ったが、すぐに怒りをおさめた。

 あの女は本物なのだ。


 神代の頃よりこの世界ウルネルドに存在すると伝えられる七人の力ある魔女の一人―― それが明けの森の「沈黙の魔女」。

 常人には計り知れぬ力の持ち手にも関わらず辺境に居を構え、そこから一生足を踏み出すことなく、ただ訪れる者の望みを叶えるという。

 あの魔女ならば自らの望みをも叶えるだろう。

 男は床に足を下ろすと、魔女とのやり取りに思いを巡らせた。


「食事は必要か」


 不意に横から問いが投げられる。

 いつの間にか、少し離れた処から男を見つめる魔女がいた。男は驚いて顔を上げた。


「・・・いつからそこにいた」

「目覚める前から」

「気配がなかった。少しも気付かなかったぞ」

「気付かせなかったから」


 不思議なことを言うと、魔女は音もなく歩み寄り、手にしていた盆を小机に置いた。盆の上には、今出来たばかりのように湯気の立ち上る香しい食事が並べられている。

 男は泉の如く滾々と唾が湧くのを感じながら、魔女を見た。

 魔女は男を見返し、ゆっくりとひとつ瞬きをした。


「食べないのか」

「いや食べる。食べるとも」


 男はフォークを手に取り啄み始めた。

 汁の溢れる炙り肉は柔らかく、果実のソースが絶品である。香草と炒めた黄色の飯も、茸のソテーも冷製スープもワインも皆が美味であり、舌の肥えた男が逃亡生活の中こうも旨い食事にありついたのは久方ぶりだった。

 宮廷料理に比べれば大したものではないはずなのだが、それでも十分だった。

 これを魔女が自分のためにこしらえたのかと思えば男は妙な感慨に満たされた。

再び男は窓辺に腰かけた魔女に目をやった。


「なあ、お前の食事は済んだのか?」

「私は食事はそれほど必要ではない」


 魔女は食事をしないらしい。

 だからそんなに痩せているのだ、と男は心の中で呟いた。


「1人で食うのはわびしい。お前に血が通っているのなら俺に付き合っても良かろうよ」


 魔女はちらりと男を見ると瞼を閉じた。そして次の瞬間には魔女の膝の上に幾らかのスコーンと紅茶が現れた。 瞠目する男を余所に、魔女はどこからともなく取り出したジャムをスコーンに塗り、少しも美味しくなさそうに口に運び始めた。


「…それは、どこから取り出した」

「階下の食糧庫」

「そんな部屋があるのか。俺がここに上ってくるまで他に部屋はなかったぞ」

「外のものには分からぬようになっている。外部者はこの部屋にしか来れない」

「それは魔術か」

「いかにも」

「この料理はお前が作ったのか」

「他に誰がいるのだ」

「食糧はどこから調達するんだ」

「森と、森の側の街。訪問者も持って来る」

「ルルバルか。お前は森から出るのか」

「私は、森から出ない。ルルバルは森の一部である特別な街なのだ」

「何だそれは。金はどうしている」

「契約者が払う。大方は森で賄えるゆえ金はあまり必要ではないが」

「願いを叶えるには代価がいるのか」

「当然」

「俺は今大した金がない。仲間の元へ戻ればあるが」

「金でなくとも構わない。対価でありさえすれば」


 食べながら次から次へと質問を投げかける男に魔女もまた律儀にいちいち答えた。


「それはどの魔女であっても同じなのか」

「そうだ」

「ふうん。今まで最も大きな対価を払ったものは誰だ?」

「それを知ってどうする」

「どうもせん。ただの好奇心だ」


 魔女は小さく嘆息すると語り始めた。


「ある男がいた。そのものは己の欲望を満たす為に、罪なき血を流すことを望んだ。男は二人の魔女により、その願望を叶えた」

「それで、そいつはどうなった」

「死んだ」


 黄金の冷たい双眸が男の蒼眼を正面から捉えた。男は眼をそらさず見返した。


「この世で最も重い対価の生じることは、罪なき魂を奪うこと」

「その男の願望とは何だったのだ」

「王になること。そして、許されぬ宝を得ようとすること」


 魔女は言った。


「だが、その行いの実として果てには国そのものを失い、宝を失い、自らの命をも失った」


 男は「ふうん」と再び応えた。


「それでは魔女に願い事をする意味もなかったではないか。教えてやらなかったのか」

「訊かれなければ余計なことには答えないし、対価さえ支払うのであれば、魔女は断ることをしない定めだから」

「面倒なものだ。さて、馳走になった。中々美味かったぞ」


 男が綺麗に平らげると、魔女は眼の動きひとつで盆を消した。同時に魔女が啄んでいた、さして量の減らないスコーンとお茶も姿を消した。


「魔術とは便利なものだな。だがお前はもっと食った方がいいぞ」

「貴方には関わりのないことだ」

「なあ、お前が俺を眠らせたせいで日が落ちたな」

「貴方が時間をかけても構わないと言った」

「そうだ。だがあれは腹が立ったぞ。魔女であろうと無礼は無礼だ」

「森の中ではまともに眠ることもできなかったのだろう」


 淡々とした魔女の言葉に図星を突かれた男は言いかけた文句を呑み込み魔女を見つめた。確かに疲労感はまるで消え失せてしまっていた。たった一眠りしてここまで体に力が漲るのかと訝しくなるほど。


 魔女は、いつの間にかどこからか呼び寄せた銀の塊を、両手の指先で弄くっていた。よく見れば魔女の指は塊に触れておらず、それは虹色に輝きながら形を変え、やがて環になった。


 男は魔術を使う白い魔女の指先から、魔女自身に目を移した。

 そうして眺めるうちに、ふと男は、魔女が非常に美しい女であることに気付いた。

 何故、今の今まで気付かなかったのか不思議なほどである。

 虹色に色彩を変える、癖なく艶やかな長い髪。秀でた額。

 堀深く、整った鼻梁。長い睫毛。形の良い唇。陶器のような肌。


 精巧な人形のようであり、浮世離れした、清流の如き霊気。

 灯火の明かりのせいか、静澄な瞳に昼間のような硝子の冷たさはなく、黄金色はただ深淵の静けさを纏っていた。

 王子として宮殿を闊歩していた頃でさえ、美女は数多く目にすれども、この魔女のように妖しさと神秘性を纏う、触れがたい美を備えた女はいなかった。


「沈黙の魔女」


 男が呼ぶと、輪に波状の複雑な紋様を浮かび上がらせた魔女は、手を止めて男を見た。

 人形めいているのは、感情の浮かばない双眸のせいだと男は気付く。人間臭い感情が、魔女の内には見出だせぬのだ。

 男は不思議な感情が胸裡に芽生えるのを感じた。

 この魔女から感情を引き出してみたいと、不意に欲が頭をもたげたのだ。


「俺の望みを告げよう」


 魔女は黙って続きを促した。


「俺は王権を取り返す。そして代々まで我が血筋のものとするのだ」


 魔女は、まるで初めから分かっていたかのように表情ひとつ変えず、答えた。


「ならば、自ら兵を率いれば良い。現王が成したように王の首を取り、逆う者をたち滅ぼし、戦を起こせば良い」

「それではいかんのだ。戦が起きれば大勢が死ぬ。軍はあやつの手にあるが、兵もまた国の財。争いに国力を削ることはならぬ。我らが国たみ、大地、草根に至るまで宝なのだ。ゆえに王1人討ち取るほかないのだ」

「王1人討ち取ってもその支持者が歯向かうだろう」

「そんなものは限られた人間だけに過ぎない。上を抑えればそれで済む。犠牲は少数で良いのだ。だが俺の力だけではそこに辿り着くまでに、やはり無用に血を流さざるを得ない。だからこそお前の力が必要なのだ」


 魔女が後ろ楯となれば、それだけで手出しを怖れる者も出る。魔女の力をもってすれば城の護りを掻い潜ることも、可能なはずである。他に方策もあるのかもしれない。だがこの不安定な情勢のなか他国に隙を与える訳にもいかなければ、自力で成し遂げるにも男の手札は少なく、男は己の限界を承知していた。それでも成し遂げねばらなぬという使命感が男を動かし続け、故に生命を賭して単身、太古の森へ挑んだのだ。他の誰に任せるでもなく、自ら進んで。


「あやつは名ばかりの王。王の権限を欲しいままに勝手際まりなく横暴な政をしている。そのような男に権威を持たせておく訳にはいかぬのだ」

「それで、お前が昌平の世を築く保証もない。人間とは愚かな生き物。力を手にすれば、酔わされ盲目となる。だが私は沈黙の魔女。訪うものの望みを叶えるほかに為すことはない」

「俺は父のように良き王となる。俺は統べる者の勤めを理解している。あやつのように誤ることなどない。我が王家が繋いできた和を、俺の手でまた次へと繋ぐのだ」


 男は不満げに反論した。すると魔女は微笑んだ。


「先読みは私の得手ではない。私は常に“今”の他を見ない。だが長きに得た知識を頼るなら、貴方にその力はいくらかあるだろう。沈黙の魔女は貴方の契約を受けよう」


 初めて目にした魔女の微笑みに、男は怒りも忘れ、暫し目を奪われた。

 そしてひとつ息を吸うと、不敵な笑みを浮かべた。


「では俺と共に来るのだな」

「・・・は?」


 魔女は微笑みを消すと微かに眉を寄せた。


「魔女、俺の望みを叶えよ。共に参り、国を取り戻し、俺の后となるのだ」


 硬い沈黙が降りた。

 魔女はすいと表情を消すと、正面から男を見据えた。

 黄金色の双玉は、今まさしく氷のように美しくまた、冷たかった。

 なまじか美貌なだけに魔女の醒めた表情は酷く冷淡さを強調し、男の背筋に不可避の震えを走らせるほどだった。


「沈黙の魔女は森から出ることはない。その願いにだけは応えない」


 夜闇の如く低く鋭い声が彼を貫いた。それ得体の知れぬ寒々しさを纏っており、男の胸裡をざわめかせるものとなった。しかし、ここで威圧に負けるほど男の精神は脆くなかった。


「何故だ。何が不満だ。このような辺境の地に寂しく生きることの何が良い。友もなく家族もなく、ただいつ訪れるか分からぬ契約者を1人待ち続けるのか」


 しかし虹色の魔女は僅かも揺るがなかった。


「沈黙の魔女は森に生きる。それ以外の生き方を許さず、森で果てるのがその定め」

「では俺が許す。森から出、人としての、女としての幸福を味わうが良い。俺はそれを与えられる」


 魔女は小さく笑いをこぼした。しかしそれも寸瞬のこと。


「未来のエウダージュ王よ、私が世に生を受け幾年月が過ぎたか知っているか」

「さあ。だが俺より生きていることは知っている」

「600年だ」

「・・・・・・」

「その間数多のものが私の契約者となった。考えられぬか。貴方と同じことを私に望んだ男が、何人いたか」


 男は不快に顔を小さく歪めた。


「己だけが特別と思うな、若者よ。沈黙の魔女は、決して森から出ない。それは過去も現在も未来も、変わらぬこと。魔女は人と異なる時を生きる。妥協も融合も理解も生じ得ない」

「俺は王となる男だぞ。本来のエウダージュの力をもってすれば、こんな森など焼き尽くし、破壊し尽くすことなど造作もない。森から出ぬなら、森を消せば良い」

「愚かなこと。・・・明けの森はただの森ではない。そのようなことは自らに破滅をもたらすのみ。よもや世界の均衡を崩すつもりがある訳ではないだろう。沈黙の魔女と森とは依存し合うもの。森が消えれば魔女もまた消え失せる」


男は、やがて獣のように唸ると黙りこんだ。


「沈黙の魔女の力は弱くない。森から出ずとも力を及ぼす。必ず貴方を王にする。さあ、これを貴方に授けよう。契約が果たされるまでの間、この指輪が貴方の魂をいかなるものからも護る」


 魔女が男の掌に落としたものは、先ほどその指が造りだした銀色の指輪だった。

 男はしばらくそれを見つめていたが、やがて強い眼差しで魔女を見た。青い双眸には、挫けることを知らない凄烈な鋼の精神が渦巻いていた。そうして白い魔女を見据えたながら口の端を上げる。


「俺はお前を諦めんぞ。必ず手に入れる」


 魔女は呆れたように目を細めると、もはやそれ以上を語ることはなかった。


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