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愛さない魔女の話  作者: もふ羊
1/6

数年前に自サイトで掲載した中編小説の改稿版となります。

 これはある魔女の

 長き生の一頁に訪れたひとつの事件

 王となった男と愛さない魔女の物語



*****



 意思を持つ森、明けの森。

 大陸一古く、広く、深い森の奥の奥、その森の最奥にある静の湖。

 その湖のほとりに、高く聳えるひとつの塔がある。


 塔の主は白い魔女。

 長くを生きる「沈黙の魔女」


 一筋紅く長い髪は、虹の色。透き通った雪の肌。

 清冽なふたつの瞳は夕映えの湖の色。

 虹色の衣を纏い古森を歩み、木の声に耳を傾け、川の清さを護り

 獣たちと語らい、鳥たちの歌に和す。


 魔女の名はローフェンアルダ。


 森と共に生き、森へ身を捧げる。

 それが沈黙の魔女の成すべきことである。

そして時折その力を求めて訪れるものには、然るべきものを与えるのである。

 知恵を求めるものには、知恵。

 祝福を求めるものには、祝福。

 呪いを求めるものには、呪い。

 癒しを求めるものには、癒し。

 破壊を求めるものには、破壊。

 魔女は、その魂の求めるところに応じて与えてきた。


 明けの森を通りぬけ、魔女の元へ辿り着くのは容易いことではない。

 意思を持つ古森はその好まざるものを通さず、気紛れに迷わせ、狂わせ、地裂へ落とし、坑に閉じ込め、或いは果てしなく歩かせた挙句、森の外へ追い出してしまう。森に拒まれずとも、複雑な地形に迷い、飢餓に倒れ、または獣の食糧となるものもある。


 明けの森の深部にいる沈黙の魔女の元へ辿り着くのは、容易いことではない。

 それゆえ、魔女が訪う者を拒むことはない。

 自ら道を見出だすか、否か。それが、魔女の力を受けるに値する是非を量る試練なのである。

 試練を勝利したものであれば、それが皇帝であろうと物乞いであろうと、獣人であろうと魔族であろうと、沈黙の魔女は選り分けることをしないのだ。


 ところで、最後に外界の訪問者が塔へ辿り着いてから既に十数年の時が過ぎていた。これは魔女にとっては長くもない時間だが、短くもなく、またその以前に塔に辿り着いた者がいたのは30余年昔のことである。

 魔女を訪ねてくるものがいなければ魔女はひそりと神秘の森の中で過ごしていた。

 外の世界で、数多の魂がどのような物語を繰り広げようとも、それはつねに同じなのである。

 そうして過ぎゆく悠久の時の流れのわずかな瞬きのようなその日、明けの森の沈黙の魔女を訪う人があった。


 魔女は、古森が騒ぎたつのを3日前から、塔の窓辺で聞いていた。

 何を考えるでもなくひっそりと、ただ聞いていた。

 3日の間、何もせずただ高い塔の窓辺に座し、魔女は森の声に耳を傾け、そうして時が過ぎた時。

 ひとつの声が、静けさを破る。


「お前が、魔女か」


 魔女は驚きもせず、ただ琥珀の瞳を部屋の中へと移した。


 硝子玉のような冷たい瞳に映ったのは、戸口に立つ大柄の男。

 鈍色のマントの下は野戦服。長剣を腰に佩き、革の胴着に頑丈な腰帯。竜革の手袋に長靴。

 破れ、薄汚れた様は、塔に辿り着くまでの道行きの厳しさを物語っていた。

 しかし、それも男の面立ちの端整さと精悍さを覆い隠すものとはならず、小綺麗にしておれば見目に申し分ないであろう偉丈夫である。

 闇色の髪に青の瞳。鋭い双眸は、薄明の深い空の色。

 男は厳峻を湛えるその眼で、無表情に窓辺の女を検分した。

 強い眼差しは、黙して獲物を見定める猛獣のよう。

 男は魔女を前にして微塵も臆することなく、むしろ泰然と見下ろしていた。

 そして魔女もまた静かに男を見返した。


「お前が沈黙の魔女か。この森の主か」


 男は、再び問うた。

 暫し後、淵静をまとう声が響く。


「たしかに私が沈黙の魔女。けれど―― 明けの森は主を持たず、何者の支配をも受けない」


 男は「ふうん」と小さく相槌を打った。


「それで、沈黙の魔女、名を何という」

「名を知り如何とする。知らぬとも貴方が困ることはないだろう」

「そんな口を利くとは俺が誰だか知らぬのか、それともただの愚か者か」


 男は冷笑を浮かべると、幾らか剣呑に魔女を見下ろした。しかし、魔女は一片も揺らがず、無表情に男の視線を受け止めた。


「人の世の事柄は此処でかけらも意味を為さない。貴方が何者であろうと、私の役目に変わりはないのだから」


 すると男は口の端を上げ、喉の奥で笑った。


「面白い女だ。魔女とは皆、このように変わり者ばかりなのか」

「それを知るのが、貴方の望みか」

「いや、違う。――― だが気をつけろ。此処に俺の従者がいれば、お前は一太刀のもとに切り捨てられたことだろう」


 笑みは口許ばかり。冷めた眼で、男は尊大にそう告げた。

 白い魔女は作り物めいた顔に、寸陰微かな笑みを浮かべたが、結局何も言わなかった。

 男は決して広くはない部屋へようやく足を踏み入れると、魔女の座す窓辺から反対側の壁際にある長椅子へ勝手に腰かけた。魔女は咎めもせず男を見守った。


「ふん。ここは茶のひとつも出ぬのか」

「欲しければやろう」

「魔女、俺は、そのような口の利き方をされることに慣れていない」

「であれば慣れれば良かろう。魔女がこうべを垂れるは神を他にないのだ」

「・・・まあいいだろう。魔女と押し問答をしても仕方あるまい。それに俺は気が長い人間だ」


 魔女は答えず立ち上がると、足音ひとつ立てずに部屋を出ようとした。


「おいお前、俺の許可もなく何処へ行く気だ」


 魔女は立ち止まると、ゆっくりと男を見た。

 すると一瞬、硝子の瞳が黄金に煌めき、男はぞくりと肌が粟立ち無意識に拳を握り締めた。まるで人非ざるものに見え、怖駭に覆われたのだ。


 魔女は男を見下ろしていたが、口を開くことなく視線を外すと、部屋を出て行った。


 少しの後、魔女は茶器を携えて部屋へ戻ってきた。男の座る脇の小机に湯気立ち上る白磁の茶碗を置き、自身は再び窓辺に腰かける。


「・・・これはなんだ」

「貴方が強請ったのだろう」

「強請ってはおらん。よもや、毒入りであるまいな」

「貴方を殺めたところで、私に一体何の得があるのか」


 魔女はやはり淡々と答えた。

 暫し躊躇った男がようやく芳醇な茶に手をつけ、辺境の地で味わうにしては上質な風味に驚いていると、魔女は「それで、貴方の望みは何か」と問うた。

 男は器を戻し、ひとつ息をついた。


「お前の叶える望みに制限はあるのか」


 魔女は小さく首を傾げると、美しくも単調な声で答えた。


「力の及ばぬものには応えない。偽りの望みには応えない。覚悟のない望みには応えない」

「否定ばかりなのだな」

「魔女は神ではないのだ」

「当然だ。それで俺の望みは叶えられるのか」

「聞こう。貴方の望みを。そして答えを与えよう」


 すると、男はにやりと笑った。


「だが、やはり不安だ。お前は沈黙の魔女だと言うが、確かに本人である証が欲しい。俺の望みを語る前に確たる証を示せ」


 魔女は暫し無表情に男を見つめたが、やがて小さく溜め息をこぼすと「言え」と告げた。

 男は言った。


「俺が何者か、当ててみろ」


 虹の髪を微かに揺らし、魔女は再び男に視線を注いだ。

 男は何処までも静かな夕映えの瞳を、澄潭のようだと思った。

 この塔の傍に広がる、静の湖のように広く深く、底知れぬ。

 仄暗い室内で、窓からの陽光を背に姿勢よく座す白い魔女は、男の目に聖女か何かのような錯覚さえ覚えさせるのだ。


「―― 東の大国、エウダージュ」


 魔女の声に男は思案から還り、己が魔女の瞳に見入っていたことに気が付いた。


「エウダージュ15代国王の息子、ジルファン・ロンデミラン・エウダージュ。それが貴方の名。今の位は王子ではない。現在王権を握る男が、先代から王位を簒奪し王族を排斥したからだ。貴方は支持者と共に縄目を逃れ、王剣を携えているが故に16代国王の追っ手に狙われている」


 男は魔女の言葉に驚愕を表し、次いで込み上げる愉快に笑い声を上げた。


「俺が王の宝を持ち逃げしたことは、国王と俺の仲間しか知り得ない。成る程、確かにお前は魔女らしい。そして俺が誰だか知っても、やはり愛想のひとつ見せる気はないか。俺は今すぐにでもお前の命を断てる。兵を寄越して牢に繋ぐこともできる。それでも膝を折らぬか」

「沈黙の魔女に望むのは安っぽい媚か?」

「ふん。それも面白かろう。だが果たして、俺がそれを望めばお前は聞くか」

「否」


 男は再び声を上げて笑った。魔女は、微塵も表情を変えることなく夕映えの瞳で男を見返した。


「実に、面白い女だ。俺の周りに、今までお前のような者はいなかった」

「貴方は私に何を望む」


 笑い続ける男へ、魔女は重ねて静かに問う。


「もう少し話に付き合え」

「昿日持久という言葉を、知っているか」

「無駄話をやめて速やかに帰れと言いたいのか、この俺に」

「望むだけを過ごし、望む時に去れば良い。沈黙の魔女は依頼人を退けはしない」

「そう急くことはない。俺は3日もかけて、この、悪に満ちた魔の森を抜けたのだ。少しくらい休ませろ」

「好きにすれば良い。だが、森を悪く言わぬことだ。帰りの安全を保証しない」

「森の主人だろう。それくらい何とかしろ」

「私は主ではない。明けの森は、終わりあるものの支配を受けない」


 面倒な客である、と感想を抱いた魔女は、それでもこのような訪問者は初めてでもないため、静かに窓辺から腰を上げた。


「おい。何処へ行くのだ」


 部屋を出ようとした魔女は立ち上がった男に腕を掴まれ、小首を傾げて男を見上げた。眼球を動かせば淡い虹彩が色を変える。


「ほかの客が来た」

「俺が先客だ。王族たるこの俺が、遥々こんな魔境まで足を運んだのだぞ。俺を差し置く気か」


 男が苛立ちをあらわにすると、魔女は金色に煌めく瞳に幾らか呆れた色を浮かべた。


「貴方は望みを言わない。ゆえに貴方は未だ契約者ではない。沈黙の魔女の時間は貴方だけに割くものではなく、沈黙の魔女は位で客を差別しない」


 そう述べると魔女は自分の腕を掴む男の手に触れた。途端に身の内に雷撃のような痺れが走った男は、驚きに目を見開くと手を離し、眉を顰めた。


「お前、何を」

「それに貴方は王族ではない。かつて王族であっただけの者」

「何、だと・・・」


 ふらりと足をよろめかせ、魔女に肩を押された男は、そのまま長椅子に倒れこんだ。


「何を、した」

「望みどおり休息を」


 低い囁きに抗おうと口を開きかけた男はしかし、見えぬ力に促され、やがてゆっくりと目蓋を下ろしたのだった。

 魔女は静かになった男にそっと虹色の外衣をかけると、今度こそ邪魔を受けずに目的の場所へ向かった。



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