どちらを
娘の幼稚園の迎えに行って、ママ友達と仲良くお喋りしていた時のこと。
子供達は未だ園内で楽しそうにごっこ遊びをしていて、すぐには帰ってくれそうもない。
私達は私達で、特に急ぎの予定も無い
いつもの専業主婦連中で他愛の無い会話を楽しんでいた。
すると、1人のママ友が
「この間、凄い雨がドバーッと降ったじゃない?その時、あそこのおっきな川で子供が1人流されかけて、お父さんが助けたらしいわよ!頼もしいわよね〜」
と言った。
この間の休日に降ったゲリラ豪雨のことを言っているのだろう。
近くの川が急激に増水して、釣りに来ていた3人家族のうち母親を除く2人が川に入っており、流されかけた子供を危うく父親が助けたという話は聞いていた。
「あ、知ってる知ってる〜!怖いわよね〜!」
「ほんとに、気を付けないとね〜」
「そうよね〜。何が起こるかわかんないわよね〜」
他のママ友達もやはり聞いていたようだ。
みんなで頷いていると、別の1人のママ友が不意に問いかけた。
「ねー、もしも夫と子供が同時に流されてさ、2人とも手を伸ばせば届くくらいで、どっちかしか助けらんなかったら…
みんな、どっち助ける?」
…一瞬の沈黙の後、一斉に答え出した。
「子供に決まってんじゃな〜い‼︎」
「ねー。やっぱ子供かな〜」
「そーねー。夫はほっといても、自力で助かってくれるかなー、とか?」
みんなが子供を助けると言う中で、
いつも黙って微笑んでいる人が口を開いた。
「私は…夫かな」
みんながその人を見る。
「なんで?」
私は尋ねた。
彼女が答える。
「…だって、子供はまたつくればいいけど…夫は、この世に1人その人しかいないでしょ?」
…また一瞬の沈黙の後、みんなが騒ぎ出す。
「え〜、なに?ラブラブね‼︎」
「凄いわ、みんなの前でそういうこと言えるの、羨ましい〜」
彼女はしばらく照れたように笑っていたが、ツインテールの可愛い女の子が駆け寄ってきて、その日はそれでさよならをした。
別な日、彼女の夫が幼稚園にツインテールの女の子を迎えに来ていた。
その日はママ友達は私も含めそれぞれに忙しく、バラバラな時間帯に迎えに来ていたので、いつものようにみんなで集まることは無かった。
仕事帰りと思われる少し疲れたスーツを着て娘が準備を終えるのを待っている彼に挨拶をする。
「こんにちは。あ、もうこんばんはでしたね。いつもうちの娘がお世話になっております」
彼女の夫は背が高く、私に気がつくと背を丸めて会釈をした。
「こんばんは。こちらこそ、いつもお世話になっております」
人の好さそうな彼女の夫と軽く世間話をして、気になっていたことを聞いてみた。
「あの、突然ですが、もしも奥さんと娘さんが川に流されたのを助けるとすると、どちらを先に助けます?」
いきなりこんなことを訊くなんて、人によってはかなり不快な気分になるだろうに、彼はそんなことは微塵も思っていない様子ですぐに答えてくれた。
「妻…ですかね。」
彼女と同じように答える彼に、彼女と同じように訊き返す。
「それは、どうして?」
すると彼は、当たり前じゃないですかとでも言うように、眉を下げて答えた。
「だって、子供はまたつくればいいけど、妻はこの世にたった1人しかいないじゃないですか。」
そうですか、とか
そうですね、とか
返事をしている私の脳裏に、
どちらからも手を伸ばされずに
轟々と鳴る川に飲み込まれて行く
可愛いツインテールの頭が
静かに焼き付いた。