報われロジカルは理不尽に虹を架けない―プロローグ―
雨が上がり、虹が架かる。うっすらとでも見えてしまえばそれだけで気分を高揚させる。虹とはそのようなものでしょう。
ですが。今は恐ろしいほどに高揚しないのです。それもそのはず、絶賛溜息中のあたしだからです。校舎裏の桜が強い風で散り始めた頃、あたしも同じように散りました。
あたしと桜の違いは「虹」です。虹は桜に寄り添ってくれるけれど、あたしには何もない。無くなってしまったのです。
「はぁ……なんであたしだけなのよ……」
置いて行かれたような――気持ち。例えるなら、スタート地点で「一緒にゴールしようね!」と声を掛けてくれた友達にゴール直前でスパートを掛けられ、抜き去られたような出し抜かれたような――そんな言い知れぬ怒気を孕んだ気持ちです。果たしてどこにぶつければ良いのでしょうか。
ねえ教えて、虹さん?
それほど多くはなくとも。例えばかつてないほどに恐ろしい不幸に見舞われたとき。あなたもこのように考えたことがあると思います。かくいうあたしがそうです。あたしだってちょっとした不幸の度にこんなことを思うほど落ちぶれてもいないし、マイナス思考・ネガティブ思考でもない。
ぽっかりと空いてしまった心の隙間。ついさっきまで満杯に満たされていたはずの心の器にはすっかり、どうしようもなくもどうしようもないほどに大きな穴が――修正不能と思われるほどに恐ろしく吹き通しになった穴が――空いてしまっています。普段どちらかといえばポジティブなあたしでも今日このときばかりはガマンができない。
誰の得にもならなければ、肥やしにもならない愚痴を今日は吐いてもいいでしょうか。きっと許されるはず――そう思うのです。
2013年4月1日。まさにエイプリール。嘘のような話、青天の霹靂でした。
あたし、茅野霧紅は振られてしまったのです。恋焦がれて、ずっと想って、恩も感じていた――そんな神の如き、ある男の子にこっぴどく振られてしまいました。彼はずっと昔から一緒にいた幼馴染でした。
そんな幼馴染に彼女ができて。なんとなく側にいただけで怖くて前に進めなかったあたしは。
あっけなく、温かい彼の隣から引きずりおろされてしまいました。もう日溜まりはどこにないのです。
「霧紅はとにかく……与えすぎるんだよ。正直もう追いていけないんだ……ごめんっ」
最後に言われた一言です。あたしは突然校舎裏に呼び出され、彼女の件を彼から切り出されてからはあまりよく覚えていません。
「彼が遠くに行ってしまう」
そう思っただけで気が遠くなり、何か色々行っていたのかもしれませんが全く頭に入ってきませんでした。あたしは何を間違えたんでしょうか。
わかりません。わかるのは「大事なものを無くしたこと、奪われたこと」ただそれだけです。
大事なものを奪われたのなら。普通どうするのでしょうか。奪い返すのでしょうか。
――彼はあたしが結局捨てられる程度で、そんなに好きでもないのに?
たとえそれで彼が戻ってきたとして。仮に説得に成功したとして。それが何になるというのでしょう?もうあの温かい「幼馴染」の距離感は返ってはこないのです。
そもそもあたしは彼を彼氏さんにしたかったのでしょうか。そうとは思いません。あの距離感が良かっただけで、もしかしたら誰でも良かった?そんなことはないはずです。彼には少なくない数助けてもらいましたし、共に育ってきました。彼が彼だから好きになっていたのだと思います。
だから――わからないのです。
わからないことだらけでどうして生きていけるのか。どうしてここまで生きてこれたのか。さっぱりわからず、途方に暮れるばかり。
世の中は理不尽なことばかりです。理由もなくいじめられたり暴力を振るわれたり。世の中で蔓延る「理不尽」という犯罪者による被害はあまりに多いのです。もう泣き寝入りです。
あたしは「理不尽」が許せない。「理不尽」なんて叩き潰してやる。そう想って生きていきました。
数限りない「理不尽」という悪への反抗。逆らい続け――そしてその先には「理不尽」が待っていました。ついに本腰を入れてきた「理不尽」というヤツはあたしを完全に呑み込んでしまいました。
あたしは「理不尽」に負けたのでしょうか。せせらわらっているのでしょうか、ヤツは。
「あたしの負けよ、『理不尽』。見てるわよね?笑え笑え……はっはっはっは」
あたしは桜に架かる虹が霞んでは消えそうになるのを必死に耐え、もがきそこから動けずにいました。
■ ■ ■ ■
部活のほとんどが終わってしまったのか。校舎裏はおろか校庭にも、もう人陰はありません。
用務員さんが桜の傍でスカートを濡らしながら桜の下で居座るあたしを発見して声を掛けてくださいました。
「どうしたの?」
「大丈夫です。もう帰りますね、さようなら」
「ああ、はい。さようなら」
校門までひた走って、後ろはもう見なかった。あたしは前に進まなくちゃいけない。前に。前に。
「やぁ、茅野さん。今お帰りですか?」
突然、片手を上げおもむろに挨拶をしてきた青年が校門を塞いでいる。多分、下級生だと思う。ちなみにあたしは高校2年生。それにしても爽やかな好青年って感じですね……サッカー部か何か、とにかくスポーツマンらしい体つき。
「ん?一度どこかで会いましたか?」
「おぅ……じゃなかった、はい。俺ですよ、わかりませんか?」
「……ごめんなさい、どちら様?同じ高校よね?」
「はい、一年の橋架渉です。前期はお世話になりました、茅野さん。いや……姉御!」
「……あ。もしかして……あの不良の?」
橋架渉。家庭の事情等等であたしが色々面倒みた後輩。
……って、え?あいつ?嘘でしょ……眉毛細いし髪染めてたしツンツンしてたし。すっかり変わってるじゃん……。
「思い出していただけましたか?」
「ああ、うん。でも姉御はやめてね」
「はい、申し訳ありません」
「で、何でここにいるのかな、橋本君?」
「姉御のご自宅に伺ったのですが、まだご帰宅なさっていないとお母様がそう仰っていましたのでこちらにまだいらっしゃるのではないかと思い参った次第です」
「……あたしに何か用かしら?」
「はい、ちょっとお時間よろしいですか?」
「あぁ、うん。もう帰るから手短に、ね」
「では、失礼します」
あたしの手を取って自分の胸の前に持ってきた橋本君(元不良)。ちょっと怖いんですが?
「……?」
「け、結婚してください!」
「……は?」
上気する橋本君(脈絡不明)。
え、からかってる?
どういうこと?