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ひとがら

作者: 黒漆

 「そうそう、あんたさんさあ、ひとがらって知ってるかい、知らないよな、そりゃあそうだ、だって手前が勝手につけた名前だからねえ」

 「人柄って個性みたいなもんだろう? 知ってるよ俺だって、長年連合っていりゃ仲間の特徴は一通り掴めるだろうよ」

 「違うよお、そんなんじゃあない。手前が言ってるのは人の殻、ほらあ蝉の抜け殻ってえのがあるでしょお、あんな奴だよう、あんたさん、もしかしてお知りにならない」

 居酒屋の片隅で、一人干物を肴に日本酒を傾けていたら、そんな突拍子もない話が耳をくすぐり、思わず私は息を漏らしてしまった。

 「ほら、お前がおかしなこと言うもんだから、俺まで笑われちまった。世迷言はお前の頭の中だけで披露していてくれよ」

 「冗談じゃないよ、信じる信じないは勝手だけども、気狂い呼ばわりは納得できない。おいそこの、鼻で笑ったあんたさんも丁度いいからこっちに来なよ、酒は天下の回りもの、独りで飲んだってえただの水でも進みやしない、つまらないでしょ」

 それを言うなら金は天下のだろうと思いつつ、まったくもって失敗をした、良からぬ酔っぱらいに捕まったと後悔したところで後の祭り、千鳥足のほろ酔男に背中から抱きつかれ、私は泣く泣く男の肩を抱え、席をカウンターへと移した。

 「ほらほら、迷惑がってるじゃないかい、ごめんなさいよ、悪い奴じゃあないんだが、酒が入るとこの通り、独りにしたら寂しがりやの泣き上戸でね、喧しいったらありゃしない。まあそういうことだから、運が悪かったと思って勘弁してくださいや」

 カウンターに座りっぱなしの赤ら顔は、面も向けずに酒と対して放言した。

 「すみませんねえ、まあ本当に悪い奴らじゃあ無いんです」

 私は只々頭を下げ続ける店主に免じてここは仕方がなかろうと、仏頂面で椅子に座って構え直す。すると隣に下ろした呂律も怪しい男が深い溜息をついた。こちらも釣られてため息を小さく漏らす。

 「おおっとなんだ二人して、湿気しけた面しやがって、そんな調子じゃ掴んでいない幸せまで去るだろうがよ」

 「犬も猿もないよ、全く勝手なことを言いなさる。あんたさんは口が悪いなあ、少しは慰めでもしてくれたら良いのに」

 「ネコを被って慰められるほどの余裕は、生憎俺にゃあなくてねえ、スミマセンなあ」

 こんな調子がまだまだ長く続くのか、そう思うと頭痛がする。私はただ、独りで静かに飲みたかっただけだというのに。

 「そんなじゃああんたさん、人柄が疑われるってものだねえ」

 「俺の人柄なんてのはどうでもいいんだよ、それよりほら、お隣さんも聞きたがってるだろう、ひとがらひとがら、それっていったいぜんたい何なんだって、説明はまだか」

 調子のいい酔っぱらいだ、誰も期待などしていないというのに、ただ、話の筋に笑わされた、それだけだ。

 「おおっとこりゃあ、もったいぶっちまったかねえ、あんたさん。それじゃあ一興、手前の話をとっくり聞いておくんなさい」

 下手なやり取りを聞かされるよりはましかと考えていると、隣の酔っ払いが赤い頬を一度張って、そう続けた。

 「手前は役者家業を続けていまして、そりゃあ演者ってえのは見てる人間を騙してなんぼでしょう、下手な演技は場をしらけさせちまいますわな。それで始めたのがひとがら探しってえ、そんな流れでございます」

 「三文役者が良く言うぜ」

 ほう、役者とはまた難技なお仕事を、大変でしょうと相槌を打つと、すかさず相方がそう合の手を入れた。

 「それはあんたさんも一緒でしょうが、同じ演じ役がこんな場所で手前と燻ってるんだ、言われたくないねえ」

 「おっとそいつはすまなかったなあ、さ、続けてくれ」

 「こういっちゃあなんですが、手前は人のいないひっそりとした場が好きでして、あの物寂しげな空間が嫌いになれないんです。人の目ばかり気にして生きてますからねえ、そんな癖がついてしまって、するとねえ、見えたんですよ」

 見えたってああ、その手の話かとがっかりし、少しでも期待していた自分が馬鹿らしくなった。

 「あんたさん、ちょおっと先を進みすぎです、手前の話はこれからが盛り上がり所ですよ」

 そんな事を言いながら、頭を揺らしながら指を伸ばして両手を胸の前に出す。何だやっぱりそうじゃあないかと憮然としていると、「こっちじゃあありませんよ、そりゃ早とちり、江戸ッ子じゃあないんだ、ゆっくり構えておくんなさいまし。それがひとがらですよ」と答える。何故か私の人柄を否定されているようだ。

 「違いますよあんたさん。ひとがら、人の殻。あれってえのはなんでしょうねえ、どういったらいいのか、生前の場所にこびり付いた思い出みたいなもんでしょうかねえ。とにかくそういうふわふわした掴みどころのないものが、廃墟にはいるんです。最初は肝を冷やしたものの、慣れればこれが面白い。人間ってえのは意識しない状態を近場で覗かれるのは嫌なもんでしょう? 所がこれならどれだけ近くで見ても何を言おうとかまやしない、だから重宝するんです。不思議なことにひとがらは毎日同じ時間を繰り返しているだけで、全く進んでいかない、だから手前は暇をみつけちゃあそんな場所に出かけたもんです。正体見たり枯れ尾花なんて無粋を言うつもりじゃあありませんが、案外幽霊なんてそんなものなんじゃあ、ありませんかね」

 「ふん、見ているだけで芸が上達すると思ったら大間違いだ」

 さっきから何が気に入らないのか、隣の相棒がやけに食ってかかっていた。興奮しているのか口から涎を垂らしている。

 「そうでしょうなあ、だから手前は集め始めた。ひとがらを自分のものにすると面白いように簡単に演じられるようになったんです」

 集めるってどうやって、気軽に持って帰れるものなのか、その考えを先回りしたように話の主が私に顔を近づける。

 「ところであんたさん、おかしいとおもやしませんか?」

 疑問に疑問の重ねがけで困窮を身であらわすと、馬鹿にしたように首をかしげられた。

 「そうか、わからないかなあ。手前、少し前からこの、ひとがらと話せるようになったんです。というよかこりゃあ、向うさんが気がつくようになったんだがね。これは喜べることなのかどうか、わからないんですが、先代もどうやら出来たらしいから喜ばしいことなんだろうなあ」

 一向に話が読めない。軽く腕組みし、ああそうか、芝居に乗せて私を笑おうとしているのだなという思いに至る。

 「そういやあ、あんたさんいつからこの店にいなさるね? 答えられますかい」

 私は確か、結構な時間この店で飲んでいた気がするが、さて、いつからだったか、思い起こそうにも霧がかかったように曖昧になり、それができない。

 「ふふ、こりゃあ面白い反応だねえ。また上達しそうだよ、あんたさんありがとうね。ひとがらを化かせたら、手前も一人前ってものかねえ」

 「それより今回は俺だろう、俺が頂いていいんだろう?」

 店主は興味もなさそうに破れた屋根から覗く白い月を見上げていた。割れた壁から風が吹きこむが、手に持つお猪口の中身は揺れず、まわらない思考の中、二人の酔っ払いの顔を見て、先程涎をそのままにしていた男を見つめ、そう言えば人間の顔はこんなに引き攣れていたものかと考える。目は薄く、鼻は高い、それに頬にはひょろ長いヒゲが飛び出していた。いや、違う、変化を始めているのだ。小さかった口が横に伸び、薄く伸ばされた唇のしたから鋭い歯が覗いた。僅かな驚きが広がり、波になって私の体を震えさせる。それを見て隣の赤ら顔が台を叩いて笑った。

 「気がつかれたな。こりゃあやっぱり、演じ手では手前の勝ちだねえ、面白かったよ。化けじゃ手前の方が上、あんたさんは下手くそだ、ほら食っちまいな」

 椅子から飛び上がった大きな口が、席をひとつ超え、私の頭にがぶりと食らいつく。

 「それにしても、ひとがらはちっとも怖がりゃしない。やっぱり化かすなら人間に限るね」

 何やら身も心も溶かされるような心地の良さの中で、そんな言葉を聞いた気がした。


 ご拝読ありがとうございました。前作の怪壊塵芥に含まれております、たぬきよいという掌編を捻りを加えて少し長くしました。そちらも楽しんで頂ければこれ幸い。

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