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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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怪物と物好きな英雄

作者: 甘灯
掲載日:2026/09/22

「あなたを探していた」


青年は彼女の手を握り、熱のこもった声でそう告げた。


青白い肌。蛇の鱗のようにひんやりと冷たく、少しざらついた手。


間違いない。


怪我をした自分を介抱してくれたのは、彼女だ。


「ち、違うわ! 人違いよ!」


青年の手を振り払い、彼女は森へと駆け出した。


彼女の頭でうねる蛇たち。


「あっ……」


彼女は木の根に足を取られて転んだ。


「大丈夫か! 怪我は!?」


青年はすぐさま駆け寄り、片膝をついた。


黒い布で視界を奪われていては、転ぶのも無理はない。


起き上がろうとする彼女の身体を支える。


「だ、大丈――」


言いかけて、彼女は青年を突き飛ばした。


「私に構わないで!」


彼女は立ち上がり、長い裾をたくし上げながら森へと消えていった。



彼女の名前は――メドゥーサ。


かつては美しさの化身と呼ばれるほど、美しい女神だった。


ひと目見た瞬間、男たちは彼女の虜になる。


その美貌ゆえに女神たちの嫉妬を買い、男をたぶらかしたことで神殿を穢したと咎められ、醜い姿に変えられたという。



「あのメドゥーサ様が男をたぶらかしたなんて、あるわけがねぇ。お前さんも会ったならわかるだろう。あの方はとても初心なんだよ」


メドゥーサの森の近くに住む村人は、そう言った。


確かに、自分が彼女の手を掴んだとき、慌てて振りほどかれた。転んだときも、突き飛ばされた。


あれはすべて照れ隠しだったのか。


「それにメドゥーサ様は人見知りなのさ。だから、あたしらは不用意に近寄らないことにしてる」


恰幅のいい女が、温かいスープを出してくれた。


「彼女は好かれているのだな」


木の器に両手を添え、青年は呟いた。


「ああ。メドゥーサ様の薬のおかげで、おらも村の奴らもこうやって元気に過ごせてる」


「そうか」


「それで、あんたはメドゥーサ様とはどういった仲なんだい?」


青年は口に運びかけた木の匙を止めた。


「数年前の遠征の帰り……仲間とはぐれ、あの森に迷い込んだときがあった。そこで傷を負って、そう……私は彼女に救われたんだ」


傷は深く、このまま死ぬと思った。


なんとか戦いから生き延びてこられたのに、こんなところで死ぬなんて、なんという皮肉だろう。


これならば、戦いの場で朽ち果てたほうがよかった。


薄れゆく視界は、やがて闇に塗り替えられた。


覚えているのは、熱に浮かされた自分の額に触れた、冷たくざらついた感触。そして、その奥に感じたわずかな温かみだった。


青年は己の手のひらを見つめた。


――そうだ。


やはり、間違いなく彼女の手だ。


「彼女に感謝を伝えたかったのだが、行き過ぎたようだ」


事情を話すと、村人は笑った。


「メドゥーサ様らしい。まぁ、心配するな。気を悪くしたわけじゃない」


「そうだといいのだが……」


青年は窓越しに、メドゥーサの森を静かに見つめた。



そのまま村人の家に泊まった青年は、外の騒がしさに目を覚ました。


「メドゥーサ様を退治するだと!?」


「メドゥーサ様は何も悪いことなんかしてねぇ!」


「何も知らねぇくせに、帰れ!」


扉に手をかけたところで、女に止められた。


「……裏口から出な。メドゥーサ様を頼むよ」


耳打ちされ、青年は強く頷いた。そのまま足音を忍ばせ、裏口から外へ出た。




湖の畔。


メドゥーサは両足を水に浸し、湖面を揺らしていた。


ぴたりと、脚が止まる。


「また……誰かが私を殺しにきたのね」


かすかに金属の擦れ合う音が聞こえる。


村の方角だ。


武装した兵たちが、やってきたのだ。


「これ以上……村の人たちを巻き込むわけにはいかないわ……」


されど、自分のような化物が行く場所など、もうどこにもない。


何度も、何度も、住処を変えた。


それでも、誰かが自分を殺しにやってくる。


ただ、静かな平穏を望んでいるだけなのに。


それを、許してはくれない。


「疲れた……」


おもむろに、メドゥーサは目隠しの布を取り去り、湖面へと落とした。


見た者を石に変えてしまう、呪いの目。


安寧を手に入れる方法を、メドゥーサはとうに知っていた。


その手段を取る勇気がなかっただけ。


ゆっくりと湖面へ顔を近づける。


波紋は落ち着き、今まさに自分の醜い姿をはっきりと映そうとしていた。


「これで、終われる……」


「やめろ!」


青年はメドゥーサを押し倒す勢いで、地面へ突き飛ばした。


メドゥーサは地面に倒れながらも、慌てて袖で顔を覆う。


「あ、あなた、正気!? 石にされたいの!」


精いっぱい叫んだ。


「それは困る!」


青年はすぐさま返す。


「だ、だったら、なんで……」


目隠しを取った自分に近づくなんて。


「あなたと駆け落ちするために、私はここへ来たんだ」


「か、駆け落ち……?」


「ああ。だから石にされたら困る」


「あなた、おかしいわ」


「よく言われる」


メドゥーサは言葉に詰まった。


「……こんな化け物と駆け落ちですって?」


「物好きなど、この世にごまんといるもんだ」


「……ぷっ」


メドゥーサは思わず吹き出した。


「あなた、変わってるわ」


「なら、お互い様といったところだろう」


青年も笑った。


「だから私たちは気が合うと思う」


青年はそう言って、ハンカチを取り出した。


「私と駆け落ちしてくれないか?」


片膝をつき、ハンカチを差し出す。


しばし迷った末、メドゥーサは目を閉じたまま、静かに受け取った。



森から立ち去るとき、青年はずっと忍ばせていた鏡を湖面へと投げ込んだ。


鏡はゆらゆらと湖面の底へと沈んでいった。


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