カフカの「変身」を読んで(ない)
個人的な考察というかメモ
原文も翻訳文もちゃんと読んだわけではないので、間違ってる可能性高い。でも読書感想文のコツは読まずにタイトルとかだけで書くことって言ってる人を見かけたことがあるので(これは読書感想文ではない)。
世界の古典名著紹介みたいな本で読んだアウトラインと、ネットで小耳に挟んだ原文の情報からの考察的なもの。両方とも結構前に読んだんだが最近なんかピコーンと来たのでメモしとこうと思って記しておく。
「変身」の主人公はグレゴール・ザムザ。彼は真面目で善良な男で、必死に働いて父母と妹の家族を養っていたが、ある日、目を覚ますと唐突に自分が巨大な甲虫に変化していたことに気付く。不気味な甲虫に変化したことで外に出ることもできず、家族に拒絶され林檎を投げつけられる。家計を支えていたザムザが働けなくなったため、仕方なく家族たちは自分たちで働き始めた。働いてみると皆それなりに上手く回るようになった。生活の落ち着いたところで、ふとザムザの部屋を見ると、林檎のぶつかったのが原因で、甲虫は死んでいた。
アウトラインはこんな感じ。追加情報として、ザムザの変身した甲虫について、原文では神に捧げる供物にするための聖別を意味する単語が使われていたらしい。今回はこれだけの情報で考察していく。
作中でザムザが何故虫になったかは明言されていないが、家族の様子を見るに、神による思し召しみたいなものなのだろう。ザムザ一人で全部引き受けたが故に家族を堕落させ怠惰にさせていた。彼にそんなつもりはなかっただろうが、彼を家族から引き離す以外に更生させる方法はなかったのだろう。生贄の子羊と同じように聖別されていたとするなら、殺すことが正しい対処だったまである。更にザムザを変化させたものが邪悪な悪魔というわけではないということもわかる。悪魔に変身させられて聖別されたものにはならないだろうし。
七つの大罪の一つである怠惰は「やるべきことをやらないこと」であるから当然当初の家族はそれに当てはまる。ただ宗教的な文脈だと勤務的な意味では勤勉でも信仰を疎かにするのであれば怠惰になるらしいから、ザムザも怠惰判定を受ける可能性自体はある。でも働きすぎだと止められたとするなら、まあ勤勉だったのだろう。聖別されたからには罪のない存在だったはずだ。あるいは聖別されたことで罪のない存在になったのか。いずれにせよザムザが虫になったことで家族たちは怠惰に安住していられなくなり、勤勉な人間に変化した。
神に捧げる生贄といえば、これは十字教ではなくギリシャ神話だが、ミノスの牛の話がある。ポセイドンに捧げるべき神牛を正しく供物にせず他の牛で代用しようとしたために神の怒りを受けることになったあれだ。虫を殺さなかった場合、そのようなことになった可能性もあるのではないか。家族たちが働きに出てなんか上手くやっていけるようになったのはザムザという指定された供物を神に捧げたからなのでは。それが意図したものではなかったとしても、だ。
もっといえば、ザムザが変身させられたのが不快な虫であったのは、家族が彼を殺すことを助長するためだったのではないだろうか。例えば犬猫や羊だったら殺さず世話した可能性だってあるかもしれない。気持ち悪い虫になったから家族は彼を養おうとは思わなかったし、見ないふりをして死んでいることにもすぐには気付かなかった。気にかけられていたらもしかしたら助かったかもしれない。
現世で起こった事象だけ見ればザムザに救いがないようにも見えるが、神に捧げられたとするなら彼は死後天国に辿り着くのだろう。そういう暗黙のハッピーエンドなのかもしれない。人魚姫(原典)のエンドが十字教的救いのあるエンドだというのと同じことだ。
ザムザ本人の認識としては、何もしてないのに突然変身した話だと思うんだけど、本人はそれに気付いてないだけで何かしらきっかけはあったんやろな。例えば生活がしんどくて神頼みしたのが届いちゃったとか。ザムザは死にたいとは思ってなかったんだろうけど。
聖書の内容とか齧った程度しか知らんので解釈間違ってるかもだけど、十字教ってあんまり現世利益みたいなのって肯定しないイメージある。だから人生が苦労に満ちていても天国に迎え入れられるなら帳消しなのかもしれない。いや神の試練を乗り切ったので財産と美しい妻と子供を得られましたみたいなエピソードもあったかな。
つまり結論としてまとめると、「変身」は実はめちゃくちゃ宗教色が強くて日本語訳は暗黙の了解的情報がごっそり抜けているのではないかということでもある。まあ外国文学の翻訳には常に付きまとう問題なんだけど。逆に日本の物語が輸出される時にもそういう常識の違いで伝わらないニュアンスとかもあるだろうしな。
追記
カフカはドネガティブな人だったらしいので普通にバッドエンドなのかもしれんね…




