第45話 IF もし黒龍と仲良くなったなら
ヴェルダは、北の山嶺で深く静かな溜息をついた。
その溜息一つで岩が溶け、周囲の生態系が書き換わる。彼はそれほどまでに強大で、恐ろしい「災厄」であった。はずだった。
「……遅い。あの羽虫め、今日は何をしていた」
金色の瞳が、麓から続く一本道を凝視する。
数千年の孤独を誇った龍が、今や一人の農家が持ってくる「差し入れ」を、首を長くして待っている。
その事実に気づき、ヴェルダは己の頬を爪で軽く叩いた。いかん、威厳が崩れる。
そこへ、のっそりとガイウスが現れた。
背負い籠には、昨日約束した「地脈の毒を和らげるポーション」が入っている。
「待たせましたか」
「……ふん。二分ほどな。貴様の短い寿命を考えれば、二分など誤差にもならんが」
ヴェルダは精一杯の「強者感」を出して鼻を鳴らした。
ガイウスは無表情のまま、巨大なポーションの瓶を取り出し、ヴェルダの目の前にある岩の窪みにドボドボと注いだ。
「リナが、『龍ならこれくらい飲むでしょ』って特大サイズを作ってくれました。味はどうですか」
ヴェルダはプライドを保ちつつ、それを一口、優雅に(龍的に)飲み干した。
瞬間、衝撃が走った。
「…………っ!!?」
金色の瞳がカッと見開かれ、全身の鱗が逆立つ。
魔力が爆発的に巡り、内臓の隅々までが活性化していく。それは龍の歴史においても未体験の感覚——。
「……なんだ、これは。魔力が……滾る……。身体中の細胞が、喜びに、震えて……!」
「ああ、隠し味に『黄金のハバネロ』の粉末を入れたそうです。新陳代謝が上がるとかって話です」
「うっ、辛っ!!死ぬ!! 龍でも死ぬわこんなもの!! 喉が、喉が焼ける!!」
ヴェルダはのたうち回り、鼻から火を噴いた。
うっかり噴き出した炎が、山の一部を消し飛ばす。
「……元気そうですね。新陳代謝、バッチリじゃないですか」
「そういう問題ではない! 貴様、私を毒殺する気か!?」
「いえ、農家の知恵です」
のたうち回るヴェルダの背中から、パラパラと藍色の鱗が剥がれ落ちた。
龍の代謝が上がりすぎて、古い鱗が剥げたのだ。
ガイウスはそれを、一つ一つ丁寧に拾い集め始めた。
「……おい、人間。何を拾っている」
「鱗です。いい素材になりそうなので」
「貴様……! 私の鱗は、一つあれば一国の城門すら買える伝説の宝。それをそんな、落ちた枝でも拾うような手つきで……!」
「あ、これ、熱を通しにくいんですね。冬場の温室の床材にちょうどいいな」
「伝説の素材を床暖房にするな!!」
ヴェルダの叫びは、またしても山を震わせた。
だが、ガイウスは止まらない。今度はヴェルダの尻尾の付け根あたりを、じっと見つめ始めた。
「……なんだ。その目はなんだ」
「ヴェルダ。そこに少し毛が生えてますね」
「ただの毛ではない! 龍毛だ! 龍の威厳を示す、最も硬い……」
「これ、丈夫そうですね。排水溝の掃除用のブラシに使えそうだ」
「抜こうとするな!! 殺すぞ!!」
結局、ガイウスは一抱えほどの鱗と、少しの剛毛(ブラシ用)を強引に回収していった。
立ち去り際、ガイウスは思い出したように振り返った。
「そうだ、ヴェルダ。明日はリナが『龍ならこれくらいの辛さ、余裕だよね?』って、ハバネロ100倍のカレーパンを持ってくるそうです」
「……来るな。二度と来るなと言っているだろう」
「楽しみにしておきます。では」
ガイウスが消えた後、ヴェルダは静かに震えた。
(……楽しみなのは、貴様の方だろうが……!)
そう思いながらも、ヴェルダは明日、どの岩の上に座って待てば一番「強そう」に見えるかを、三時間ほど悩んだ。
村に戻ったガイウスは、拾った鱗を無造作に広場へ置いた。
「リナ。ヴェルダから、床暖房の材料をもらってきた」
「……これ、黒龍の鱗よね?」
「ええ。国宝級の品らしいですが、熱を逃さないし頑丈です。これで冬の野菜も安心だ」
リナは、ガイウスの持っている「龍の毛で作った特製掃除ブラシ」を見て、天を仰いだ。
「ガイウスさん……あの龍、絶対泣いてるよ」
「いいえ。笑ってましたよ。鼻から火を出しながら」
「それ、笑ってるんじゃなくて、悶絶してるの!!」
リナのツッコミが響く中、ガイウスは満足げに鱗を磨き始めた。
スローライフ。
それは、伝説の災厄さえも、便利なホームセンターの店員のように扱う、無敵の精神。
ガイウスの明日の献立案には、すでに「ハバネロ特盛カレー」が書き込まれていた。
北の山の静寂が戻る日は、まだ遠そうだった。
箸休め的な形でIF回挟みます。
お気に召しましたら幸いです。




