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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第41話 偵察

夜明け前、音もなく村を出た。

誰にも言わなかった。


リナに言えば止められるし、レオたちに言えばついてくる。

今日はそのどちらも必要ない。


ただ、自分の目で確かめたかった。

紙の上の「記録」と、現実にそこに鎮座する「絶望」が、どれほど乖離しているのかを。


森に入ると、そこは濃密な闇だった。

二時間ほど歩いたところで、音が完全に消えた。

風の音も、木の葉のざわめきもない。

虫も鳥も、一匹残らずこの場所を放棄している。


空気が、重い。

肺に吸い込む魔力の質が、これまで相手にしてきたものとは根本的に違っていた。

呼吸をするたびに、内側から肺を押し潰されるような圧迫感がある。


(……なるほど。Aランクが泣いて逃げるわけだ)

普通の人間なら、この場に立っているだけで精神が摩耗し、発狂するだろう。

俺は薄く魔力を展開し、その「毒」に近い濃度の空気にならした。


さらに一時間。山の傾斜が険しくなり、視界が開けた岩場に出た。

白み始めた空の下、朝霧の向こうに「それ」はいた。


最初、岩だと思った。

山の頂そのものが黒く変色しているのかと。

だが違う、まるで山が呼吸してるようだった


じっと見つめていると、その巨大な黒い塊が、ゆっくりと上下に動いているのがわかった。

「百メートル以上」という記録は、あまりに謙虚すぎた。

あれは、山の頂を一つの寝床にしている「現象」そのものだ。


折りたたまれた翼の影だけで、山の斜面半分を覆い尽くしている。

眠っているのか、起きているのかさえ判別できない距離。

だが、その存在感の圧倒的な質量に、気づけば指先が冷たくなっていた。


魔王軍も、カインも、強かった。

だが、彼らはまだ「対話」や「戦闘」という同じ土俵にいた。

だがあれは——。

アリが人間を見上げるように、そもそも土俵が成立するかどうかが怪しい。


「……さて。どうしたものか」

俺は朝霧の中で立ち尽くし、その黒い塊を瞳に焼き付けた。


村に戻ったのは昼過ぎだった。

広場で薬草を仕分けていたリナとアルトが、俺の姿を見るなり立ち上がった。

リナは、すべてを見透かしたような顔で俺を睨んだ。

「……ガイウスさん一人で行ってきたんだ?」

「偵察だけです」

「見てきたのね?」

「見てきました」


「どうだった。……何がいたの」

リナの問いに、俺は少し考え、もっとも正確な事実を口にした。


「山のように大きかったです」


「……」


「……それだけ!?」

リナがひっくり返りそうな声を上げた。

「それだけ、と言わざるを得ないほどに大きかった。岩だと思ったら、山そのものが呼吸していたので」


リナが隣のアルトと顔を見合わせた。

アルトは冷や汗を拭いながら、「ガイウスさんが『圧倒された』と言う。それが一番の恐怖ですよ、僕にとっては」と呟いた。


「同感ね」

リナも深く頷いた。

レオとカナも食堂から出てきた。


「やっぱり一人で行ったんですね‥」と呆れるレオを余所に、カナが俺の前に立った。


「ガイウスさん約束してください。何かあったら、すぐに戻ってくると」

「何か、の基準が難しいですが」

「あなたが『何かある』と感じた瞬間です。約束、できますか?」

カナの真っ直ぐな瞳に、俺は一度だけ頷いた。

「……わかりました。約束します」


「カナって、ガイウスさんの扱いが天才的よね」

リナの呟きに、レオも「そう思います」と同意する。


「カナさんもそうですが、リナさんはもっと別の……言葉以外のところで俺を動かすのが上手いですよ」


俺が何気なく言うと、リナが食いついてきた。

「えっ、私は? どんな場面?」


「俺が無事に帰るのを、誰より心配して待っていてくれるとき。……あとは今みたいに、少し困ったように俺の袖を引くとき。そういうとき、俺はいつも足を止めてしまいますから」


一瞬、広場の空気が凍りついた。

いや、あまりにも「正解」すぎる言葉に、全員が言葉を失ったのだ。

「…………え?」


リナは目を丸くし、ガイウスの顔を凝視した。

嘘をついている様子も、からかっている様子もない。

彼はただ、冬の朝の空気のように澄んだ瞳で、自分が感じた事実を述べているだけだ。

「なっ、……そんな、……っ!」


見る間にリナの顔が、耳の付け根まで真っ赤に染まっていく。

引いていた袖の手が震え、彼女はあわあわと視線を彷徨わせた。

「……ずるい、そんなの、バカ‥」


蚊の鳴くような声でリナが呟く。

隣で見ていたレオが「……今の、狙って言いました?」と戦慄した顔で囁き、アルトは「天然のタラシって一番質が悪いですね……」と天を仰いだ。


カナだけが、楽しそうに目を細めて「ふふ、リナさんの完敗ですね」と笑っていた。


リナは真っ赤な顔で薬草の山に戻り、猛烈な勢いで作業を再開した。

アルトが「ガイウスさん、自覚なしにそういうこと言うの本当に危ないですよ」と遠い目をして肩を叩いてきた。


夜。

作業場で一人、北の風の音を聞く。

なぜ今は南に向かって「移動」を始めたのか。

地脈の変化への反応なのか、それとも。

「……面倒だなぁ、はぁ‥」

だが、理由がわからなければ対策も立てられない。


たとえ相手が山そのものであろうと、俺の畑と、エールと、袖を引く少女の日常を壊させるわけにはいかない。

面倒なことは、早く終わらせる。

それが農家の、そして俺の譲れない原則だ。


スローライフは、今日も——山のような難題を抱えながら——順調(?)だった。

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