第8話 勘違いの決闘
チュン、チュン。
爽やかな朝だ。
ダンジョンの『天候設定』を「快晴」にしたおかげで、リビングには疑似的な朝日が差し込んでいる。
「レイヴンさん、今日はテラス(ダンジョンの入り口)で朝食にしましょうか」
「いいな。外の空気も吸いたいところだ」
私たちはバスケットを持って、玄関へと向かった。
中身は『ドラゴンステーキ・サンドイッチ』。
昨日の残りの肉を薄切りにし、シャリアピンソースとたっぷりのレタス(家庭菜園産)と一緒にパンに挟んだものだ。
断面の美しさが、食欲をそそる。
重厚な石の扉を開ける。
そこには、清々しい森の空気と――
「待ちかねたぞ、魔王シェリル!!」
昨日見たばかりの、暑苦しい顔があった。
金髪の勇者アリステアと、その愉快な仲間たちだ。
彼らは昨日の『洗浄魔法』のおかげで、髪も肌もピカピカに輝いている。
清潔感があるのはいいことだが、目の下のクマがひどい。一睡もしていないようだ。
「……あら」
私はバスケットを近くの切り株(テーブル代わり)に置き、ため息をついた。
「また来ましたの? 昨日あれほど綺麗にしてお帰りいただきましたのに」
『黙れ! あの屈辱、忘れはしない!』
アリステアが聖剣(相変わらず錆びている)を突きつけた。
『貴様は俺たちの汚れだけでなく、プライドまで洗い流した! 許さん!』
『今度こそ、その首を刎ねて、この森の露と消してやる!』
(プライドなんて汚れと一緒に排水溝へ流れていけばよかったのに)
私は呆れたが、彼らの殺気は本物だった。
特にアリステアは、何かブツブツと詠唱のようなものを呟いている。
『おお……聖剣よ、我が命を糧に……真の力を解放せよ……!』
剣の錆びた刀身が、微かに赤く発光し始めた。
周りの仲間たちが「おおっ!」とどよめく。
『出た! アリステア様の秘奥義『断罪の光刃』だ!』
『あれを受ければ、どんな魔物も一刀両断よ!』
レイヴンさんが一歩前に出ようとする。
けれど、私は手で制した。
「下がっていて、レイヴンさん」
「しかし……」
レイヴンさんの心配もわかる。
アリステアの剣から放たれる衝撃波が、地面の砂埃を巻き上げ始めていたからだ。
(……砂?)
私はハッとして、後ろの切り株を見た。
そこには、バスケットに入ったサンドイッチがある。
蓋は開いている。
このまま衝撃波が来たら、サンドイッチが砂まみれになってしまう。
ジャリジャリするサンドイッチなんて、食べる価値がない。
「食材を……汚すなッ!」
私はエプロンのポケットから、愛用の『万能包丁』を取り出した。
朝食のフルーツを切り分けるために持ってきたものだ。
ミスリルとオリハルコンの合金製。
毎晩の『研磨』魔法で、鏡のように澄み切っている。
『ハッ! 包丁だと? 台所用品で聖剣に勝てるとでも!?』
アリステアが嘲笑う。
そして、地面を蹴った。
『死ねぇぇぇッ!』
速い。
昨日の生姜焼きバフがまだ残っているのか、一直線に私へ向かってくる。
その剣先から放たれる風圧が、私の髪を、そして背後のサンドイッチを揺らす。
私は踏み込んだ。
回避ではない。迎撃だ。
砂埃が舞う前に、発生源を断つ。
アリステアが剣を振り下ろす。
私は包丁を下から上へ、逆袈裟に振り抜く。
狙うのは、剣の腹。
(硬いカボチャを切るイメージ……!)
私の脳裏に、以前調理した『アイアン・パンプキン(鉄カボチャ)』の断面が浮かぶ。
皮は硬いが、一点に力を集中させれば、スッと刃が入る。
私の鑑定眼には、聖剣の赤錆の下にある「金属疲労の亀裂」がはっきりと見えていた。
ザクゥッ!
高く、澄んだ音ではない。
野菜を切ったような、鈍く重い音が森に響いた。
銀閃が走る。
私の包丁が、赤く光る聖剣の刀身を捉え、バターのように両断した。
クルクルクル……ドスッ。
宙を舞った「剣の上半分」が、アリステアの背後の地面に突き刺さった。
『――え?』
アリステアが凍りつく。
彼は振り抜いた剣を見つめた。
そこには、半分しかない刀身と、ギザギザではなく、鏡のように滑らかな切断面があった。
『お……俺の、聖剣が……?』
『折れ……た……?』
仲間たちが悲鳴を上げる。
伝説の武器。国の宝。勇者の証。
それが、主婦の包丁によって、夕飯の支度のように処理されたのだ。
「あら、ごめんなさい」
私は包丁についた鉄粉を払いながら、冷ややかに告げた。
別に悪気はない。サンドイッチを守る正当防衛だ。
「手入れをサボるから、中まで錆びていたんじゃなくて? ちゃんと砥石で研がないから、カボチャより脆くなるのよ」
『あ……あ、あ……』
アリステアは膝から崩れ落ちた。
折れた剣を抱きしめ、子供のように震えている。
心の支えを失った彼は、ただの「顔がいいだけの男」に戻っていた。
「さて、これで懲りたかしら? 帰ってちょうだい」
私は包丁をしまい、背を向けようとした。
『う、うわああああっ!!』
錯乱した魔法使いの男が、杖を向けてきた。
火の玉を作ろうとしている。
往生際が悪い。
「チッ」
舌打ちをしたのは、私ではない。
背後にいたレイヴンさんだ。
ドォォォォンッ……!
突然、空間の重力が倍になったかのような重圧が降り注いだ。
魔法使いの火の玉が、発生する前にプシュッと消える。
勇者一行が、見えない巨大な手に押さえつけられたように、地面にひれ伏した。
「……遊びは終わりだ」
レイヴンさんが歩み出る。
その手には剣などない。
ただ、そこに立っているだけで、世界そのものが彼に跪いているような圧倒的な「覇気」。
黄金の瞳が、冷酷な光を放って彼らを見下ろしている。
「これ以上、彼女の時間を奪うなら――国ごと消すぞ」
低い、けれど絶対的な宣告。
それは脅しではない。皇帝としての事実上の宣戦布告だ。
『ひッ、ひィィッ……!』
『こ、殺される……魂ごと……!』
アリステアたちは泡を吹いて気絶した。
あまりの恐怖に、防衛本能が強制シャットダウンを選んだらしい。
レイヴンさんは指をパチンと鳴らした。
シュッ、シュッ。
森の影から、黒装束の集団が現れた。
五人、いや十人ほどだろうか。全員が手練れの気配を漂わせている。
「陛下。お呼びでしょうか」
「……うむ。この不法投棄ゴミ(勇者たち)を回収しろ。帝国法に基づき、厳重に処罰する」
「御意」
黒装束たちは手際よく勇者たちを縛り上げ、猿ぐつわを噛ませ、袋詰めにしていく。
その動きは、熟練の清掃業者のようだった。
「……あら」
私は目を丸くした。
「レイヴンさん、お知り合い?」
「あー……うん。まあ、俺の部下のようなものだ。たまたま近くに遠征に来ていてな」
レイヴンさんは少しバツが悪そうに目を逸らした。
なるほど。
冒険者ギルドの仲間だろうか。さすがSランク、人脈が広い。
「ありがとうございます。おかげで家の前が片付きましたわ」
「……君が無事でよかった」
数分後。
静けさを取り戻したテラスで、私たちはようやく朝食にありついた。
「いただきます」
「いただきます」
サクッ。
パンの香ばしい音。
ドラゴンステーキの濃厚な旨味と、レタスのシャキシャキ感が口いっぱいに広がる。
砂一粒入っていない、完璧なサンドイッチだ。
「美味しい……!」
「ああ。邪魔が入った後だからか、格別だな」
レイヴンさんは満足げにサンドイッチを頬張っている。
その横顔は、先ほどの魔王のような怖さは微塵もなく、ただの幸せな青年のものだった。
足元には、折れた聖剣が転がっている。
それはまるで、私の過去との決別を表しているようで、なんだか清々しかった。
(さて、この鉄くず……溶かして新しいフライパンにでもリサイクルしましょうか)
私は転んでもただでは起きない。
サンドイッチの最後の一口を飲み込みながら、新しい調理器具の設計図を脳内で描き始めていた。




