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追放令嬢は美味しいものを食べて静かに暮らしたかった  作者: 秋月 もみじ


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7/10

第7話 魔王城への侵入


ジュウウウウウ……。


食欲をそそる音が、広々としたリビングに響いている。

私はキッチンに立ち、フライパンの上で極上の肉を踊らせていた。


今日のメインディッシュは『ドラゴン・テールのステーキ』。

赤ワインと玉ねぎをじっくり煮詰め、真っ赤な特製シャリアピンソースを作っている最中だ。


「いい匂いだ……。待ちきれんな」


ダイニングテーブルについたレイヴンさんが、行儀よくナイフとフォークを握りしめて待機している。

その目は、餌を待つポチ(フェンリル)と同じくらいキラキラしている。


「もうすぐ焼けますわ。……あ、ポチ、よだれが垂れていてよ」


足元で待機していたポチが、慌てて前足で口元を拭う。

平和だ。

外では何やら騒がしい気配が近づいているけれど、この幸せな夕食の時間を邪魔させるつもりはない。


その時だった。


ドォォォォン!!


リビングの扉――重厚な石造りの二重扉が、爆音と共に吹き飛ばされた。

粉塵が舞い、静寂が破られる。


「……あら?」


私はお玉を持ったまま振り返った。

もう、乱暴ね。ノックくらいできないのかしら。


煙の向こうから、複数の人影が現れた。

泥とすすにまみれ、ドブのような異臭を放つ集団。

先頭に立つのは、錆びたゴミを掲げた金髪の男、アリステアだ。


『見つけたぞ、魔王!!』


彼は部屋の中心で叫んだ。

そして、エプロン姿の私と、キッチンの惨状――巨大な肉塊と、煮えたぎる真っ赤なソースを見て、顔面蒼白になった。


『ひっ……! ち、血だ! 生き血を煮込んでいるぞ!』

『なんてことだ……あの肉、まさか人間か!?』


神官の少女が口元を押さえてえずいている。


(血? 赤ワインソースよ)

(人間? ドラゴンの尻尾よ。失礼ね)


しかし、アリステアは勝手に戦慄し、悲劇のヒーローのような顔を作った。


『おのれ魔王……! シェリルの体を乗っ取り、そんな邪悪な儀式を……!』

『安心しろシェリル! 今、この聖剣でその呪われた肉体を浄化(物理的に破壊)してやるからな!』


言っていることが支離滅裂だ。

要するに、私の料理をゲテモノ扱いした上で、私を殺すと言いたいらしい。


フッ。


背後で、気配が消えた。

レイヴンさんが音もなく立ち上がっていた。

室温が一気に氷点下まで下がる。本気の殺気だ。


「……貴様ら。俺の食事の時間を邪魔しただけでなく、彼女の料理を愚弄するとは」


彼が腰の剣に手をかけた。

まずい。このままだとリビングが血の海になる。

掃除が大変だわ。


「待って、レイヴンさん」


私は片手で彼を制した。

なぜなら、もっと許せない光景が目に入ったからだ。


アリステアたちが、ズカズカと部屋に入り込んでくる。

その足元。

沼地の泥と、ヘドロと、魔物の体液が混ざった汚いブーツ。


それが、私の自慢の「ラグ」を踏みしめた。


「――あ」


そのラグは、ポチの抜け毛(極上のブラック・カシミヤ風)を集め、私が夜なべして一本一本紡ぎ、織り上げた力作なのだ。

ふわふわで、真っ白な(脱色加工済み)、雲のような肌触り。

それが一瞬で、どす黒い泥に汚された。


プツン。


私の中で、何かが切れる音がした。


「……脱ぎなさいよ」

『あ? 何を言って――うおっ!?』


アリステアが聖剣を抜こうとしたが、錆びついていて抜けないようだ。

ガチャガチャと無様な音を立てている。


「土足厳禁って言ってるのよッ!!!」


私の怒声が響き渡った。

アリステアたちがビクッと肩を震わせる。


殺されることへの恐怖?

いいえ。

家主として、掃除を愛する者としての、正当な憤りだ。

私はお玉を置き、両手を突き出した。

狙いは一点。あの汚い集団ごと、汚れを排除する。


「『高圧床洗浄(ハイ・プレッシャー・ウォッシュ)』!!」


本来は、タイルの目地に入り込んだ頑固な黒ずみを水圧で弾き飛ばす魔法。

だが、今の私は激怒している。

さらに、ここはダンジョンコア(私の可愛いスマート家電)の加護下にある。

出力リミッターは解除済みだ。


ドゴォォォォォォォッ!!!


私の掌から、ダムが決壊したような激流が噴出した。

それはもはや掃除ではない。災害級の鉄砲水だ。


『な、なんだこれはぁぁぁッ!?』

『水!? いや、水圧がおかしいぃぃぃ!』


アリステアたちの叫び声が、轟音にかき消される。

彼らは泥汚れと一緒に、木の葉のように舞い上がった。


「私のラグを汚した罪、万死に値するわ! 消毒! 洗浄! すすぎ!!」


私は容赦なく水を浴びせ続ける。

水流は渦を巻き、彼らをドラム式洗濯機の中のようにグルグルと高速回転させ、壁際まで押し流していく。


『ぐぼァッ! 息が……!』

『回るぅぅぅ! 目が回るぅぅぅ!』


数秒後。

私は魔法を止めた。


「『脱水(ドライ)』」


仕上げに乾燥魔法をかけると、壁際に「人の形をした何か」が五つ、ピタッと張り付いた状態で停止した。

彼らは白目を剥き、ピクピクと痙攣している。

鎧の泥も、服の汚れも、体臭さえも綺麗さっぱり落ちていた。

ついでに装備もいくつか水圧で弾け飛んで、半裸になっているけれど。


「ふぅ。綺麗になったわ」


私は満足して頷いた。

ラグの汚れも完全に落ちている。さすが私の魔法だ。


振り返ると、レイヴンさんが剣の柄から手を離し、呆然と立ち尽くしていた。

ポチは腹を見せて降伏のポーズをとっている。


「……シェリル。今の魔法は?」

「床掃除の魔法ですけれど?」

「……そうか。俺の知っている掃除とは、概念が違うようだ」


レイヴンさんは乾いた笑いを漏らした。


壁際のアリステアが、震える手で聖剣ゴミを杖にして、ふらりと立ち上がった。

さすが勇者。あの水圧を受けても意識があるとは、しぶとい。


『ば、馬鹿な……』


彼はガタガタと歯を鳴らしながら、私を見た。

その目は、先ほどまでの傲慢さは消え失せ、底知れぬ恐怖に染まっている。

そして、ピカピカになった自分の肌を見て、絶望の表情を浮かべた。


『汚れが……傷跡まで……消えている……!?』

『間違いない……これは「存在浄化」の呪いだ……!』

『俺たちの存在そのものを、洗い流して消そうとしているんだ……!』


(失礼ね。ただの「洗浄」よ)


私が一歩近づくと、彼は「ひいっ! 消される!」と悲鳴を上げて後ずさった。

仲間たちも這いつくばって逃げようとしている。


「あら、まだ懲りていないの?」


私は手にしたお玉を軽く振った。

すると、彼らは一斉に悲鳴を上げた。


『く、来るな!』

『退却! 一時退却だぁぁッ!』


アリステアたちは、這々の体で扉の向こうへ逃げ出した。

入ってきた時の勢いはどこへやら。

脱兎のごとく、とはこのことだ。

ピカピカに磨き上げられた彼らは、来た時よりも輝いて見えた。


「……逃げ足だけは速いのね」


私はため息をつき、壊された扉を生活魔法『修復(リペア)』で直した。

そして、何事もなかったかのようにキッチンへ戻る。


「お待たせしました、レイヴンさん。お肉、冷めないうちにいただきましょう」

「……ああ。君のメンタルが鋼すぎて、俺の方が胃もたれしそうだ」


そう言いながらも、レイヴンさんは席に着いた。

焼き上がったドラゴンステーキからは、先ほどの騒動を忘れさせるような、芳醇な香りが立ち上っている。


「いただきます」

「いただきます」


私たちはナイフを入れた。

肉は驚くほど柔らかく、口の中で解ける。

シャリアピンソースの酸味とコクが、肉の脂と絡み合い、完璧なハーモニーを奏でている。


「美味い……」

「ええ、最高ですわ」


壁際にへばりついた勇者たちの怨念(と水垢)など、この美味しさの前では些細な問題だった。


(でも、次は玄関マットを用意しておかないといけないわね。泥落とし機能付きのゴーレムでも置きましょうか)


私は次なる「カイゼン」を誓いながら、赤ワインを一口飲んだ。

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