第3話 気づけば魔王になっていた
チュン、チュン。
小鳥のさえずり……ではなく、ダンジョン内の蝙蝠の鳴き声で私は目を覚ました。
「ん……よく寝たわ」
体を起こすと、スライム・マットレスが「ぽよん」と私の形に合わせて戻る。
背中側には、フェンリル(名前は『ポチ』にした)が温かい毛布のように丸まっている。
最高の寝心地だった。公爵家の天蓋付きベッドより快適かもしれない。
「おはよう、シェリル」
入り口の方から、低い声がかかる。
レイヴンが入り口で剣の手入れをしていたようだ。
目の下に少しクマがある。
どうやら、私の護衛(とポチの監視)で一睡もしていないらしい。
「おはよう、レイヴンさん。朝ごはんにしましょうか」
「ああ。昨日の猪肉がまだ残っているが」
「朝からステーキは重いわ。もっと優しい……そう、スープが飲みたいの」
私は贅沢な悩みをつぶやいた。
肉はある。水も魔法で出せる。
足りないのは、味に深みを出す「出汁」と、彩りの「野菜」だ。
「この奥、少し湿気があったからキノコが生えていると思うの。探しに行きませんこと?」
私が提案すると、レイヴンは剣を背負い、真剣な表情で頷いた。
「……いいだろう。だが、俺の後ろを歩け。この魔力濃度だ、何が起きるかわからない」
◇
私たちは地下へと続く階段を降りた。
奇妙なことが起きたのは、地下二階へ足を踏み入れた瞬間だった。
グニャリ。
空間が歪む感覚。
階段が勝手に動き、通路が組み変わり、私たちを「奥へ、奥へ」と吸い込んでいく。
「なっ、空間転移の罠か!?」
レイヴンが私を抱き寄せようとするが、景色は一瞬で変わった。
冷たい石の通路ではない。
そこは、灼熱の空間だった。
壁面をマグマが流れ、熱気が肌を刺す。
本来なら地下50階層以下にあるはずの「深層」へ、私たちは招かれたのだ。
「熱い……! シェリル、下がれ!」
レイヴンが汗を拭いながら警告する。
でも、私の目は輝いていた。
「見て、レイヴンさん! あれ!」
私が指差したのは、岩陰に群生している赤いキノコ。
【名前:マグマタケ】
【味覚:激辛だが、加熱すると極上の海老の風味がする】
【用途:スープの出汁に最適】
「海老の味……!」
海のないこの国では、海老は宝石より高価な食材だ。
それがこんなに取り放題なんて。
私は夢中でキノコを採取しようと駆け出した。
「待てシェリル! 前方から来るぞ!」
レイヴンの切迫した声。
直後、ドンッ、と大地が揺れた。
前方の溶岩湖が割れ、巨大な影が姿を現す。
全長二十メートルはあるだろうか。
燃え盛る紅蓮の鱗。剣山のような背びれ。
そして、王冠のようにねじれた黄金の角。
「グルルルルォオオオオオッ!!」
咆哮だけで、鼓膜が破れそうになる。
古代竜。
絵本の中でしか見たことがない、伝説の怪物だ。
「古代竜……だと!? なぜこんな場所に!」
レイヴンが瞬時に踏み込み、漆黒の剣を一閃させる。
並の魔物なら両断するはずの鋭い斬撃。
しかし、ドラゴンの鱗に当たった瞬間、「ガギィン!」と高い音がして弾かれた。
「硬い……! 魔法障壁か!」
「グルァッ!」
ドラゴンが煩わしそうにレイヴンを一瞥し、大きく息を吸い込んだ。
喉の奥が赤熱し、圧倒的な熱量が凝縮されていく。
ブレスだ。
これを浴びれば、Sランク冒険者のレイヴンといえど骨も残らない。
「伏せろシェリルッ!!」
彼は叫びながら、私を庇うように前に立った。
けれど、私はその横をすり抜け、一歩前に出た。
「火加減が強すぎますわ」
私は右手をかざす。
発動するのは、お風呂の温度を調節するための生活魔法。
「『適温調整』」
ゴォオオオオオオオッ!
放たれた灼熱のブレスが、私に届く直前で――シュン、と勢いを失った。
数千度の炎が、心地よい42度のお湯程度の温風に変わり、私たちを優しく撫でる。
「な……ッ!?」
レイヴンとドラゴン、一人と一匹が同時に目を見開いた。
本来、ドラゴンの魔法抵抗を破るなんて不可能だ。
けれど、私には「食材を美味しく調理する」という明確なイメージがある。
強すぎる火は、料理を焦がす。だから調整する。
その理屈の前では、伝説の竜の魔力障壁など、焦げ付き防止の油膜ほどの意味もなさない。
「その立派な尻尾、頂きますね」
私は呆然としているドラゴンの側面に回り込む。
狙うは、コラーゲンたっぷりの尻尾の付け根。
硬い鱗の隙間にある、わずかな関節の継ぎ目。鑑定スキルがそこを赤く光らせている。
「『解体』」
スパァンッ!
乾いた音が響いた。
普段、魚を三枚におろす時に使う魔法。
レイヴンの剣を弾いた鱗の隙間を、魔力の刃が滑るように通り抜け、関節を切断した。
「ギャオオオオオッ!?」
ドラゴンが悲鳴を上げ、バランスを崩して溶岩の中に沈んでいく。
私は切り落とした巨大な尻尾(数トンはある)を、魔法でふわりと受け止めた。
「よし、確保」
メイン食材ゲットだ。
本体の方は……まあ、溶岩に落ちてしまったし、回収が大変そうだから今回は見逃してあげよう。尻尾だけで十分すぎる量だ。
「シェリル……君は、一体……」
レイヴンが腰を抜かしそうな顔で私を見ている。
あら、はしたなかったかしら。
その時だった。
溶岩の中から、キラキラと輝く虹色の水晶が浮き上がってきた。
それは私の目の前まで飛んでくると、プルプルと震えながらホバリングした。
「あら、綺麗な石」
甘い匂いがする。
私はそれを手に取り、まじまじと観察した。
「これ、ドロップアイテムの飴玉かしら? 食後のデザートにいいかも」
「ま、待てシェリル! それはダンジョンコ――」
私が口を開け、「あーん」と水晶を噛み砕こうとした、その瞬間。
《た、食べないでくださぁぁぁい!!》
頭の中に、必死な声が響いた。
水晶が激しく点滅している。
《降参! 降参です! 貴女様をマスターとして認めます! だから食べないで!》
《管理者権限を譲渡します! 何でもしますからぁ!》
どうやら飴玉ではないらしい。
残念だが、意思があるものを食べる趣味はない。
「……食べられないの?」
《食べられません! その代わり、このダンジョンの全機能をお使いいただけます!》
次の瞬間、私の脳内にメニュー画面のようなものが浮かんだ。
『照明設定』『気温管理』『防衛システム』『お掃除ロボット(ゴーレム)起動』……。
(まあ。これは……)
「古代の魔導具かしら? お屋敷にあった魔導コンロの操作パネルに似ているわ」
試しに『気温管理:快適』を念じてみる。
すると、あれほど暑かったマグマの熱気がすっと引き、高原のような涼しさに変わった。
さらに『照明:朝モード』を選ぶと、天井が青空のように明るく輝き出す。
「すごーい! 全自動のスマートホーム機能付きなのね!」
私は手を叩いて喜んだ。
さすが古代遺跡。生活水準が高い。
これなら、夏場でも食材が腐らないし、冬も暖かく過ごせる。
「レイヴンさん、見て! ここ、すごく便利な機能がついてますわ! リモコン拾っちゃいました!」
「……リモコン?」
レイヴンは虹色の水晶――国家予算数百年分の価値がある『ダンジョンコア』と、それを飴玉扱いした私の笑顔を交互に見て、深く深いため息をついた。
「……そうか。ダンジョン自体が、君に食われるのを恐れて屈服したのか」
「? よくわかりませんが、快適な住環境が整ったのは事実ですわ」
◇
一時間後。
快適な室温になったダンジョンの入り口で、私たちは朝食を囲んでいた。
巨大な鍋の中では、ドラゴンのテールスープが黄金色に輝いている。
普通なら数日煮込まないと柔らかくならない竜の肉だが、生活魔法『加圧』――いわゆる圧力鍋効果で、短時間でトロトロに仕上げてある。
「……美味い」
レイヴンが一口飲み、天を仰いだ。
マグマタケから出た濃厚な海老の風味と、箸で崩れるほど柔らかいテールの脂が溶け合っている。
ピリッとした辛さが、眠った体を覚醒させる。
「お肌にも良さそうですわ」
私もスープを口に運び、ほぅ、と息を吐く。
コラーゲンが染み渡る。
昨日までの、冷めたスープとは違う。
心も体も満たされる、最高の朝食。
「シェリル」
食べ終えたレイヴンが、真剣な眼差しで私を見た。
「君は、気づいていないかもしれないが……君が手に入れた力は、国一つを揺るがすものだ」
「あら、大げさですわ。ただの家事魔法と、便利な家電よ」
「……まあいい。君がそのつもりなら、俺が守る」
彼は何かを決意したように、私の手を取った。
「君の作る飯を、ずっと食わせてくれ。その代わり、俺の剣と命を君に捧げる」
それはまるで、騎士の誓い。あるいはプロポーズのようにも聞こえた。
けれど、食後の幸福感でぼんやりしていた私は、笑顔でこう返した。
「ええ、もちろん。食材調達係として期待していますわ、レイヴンさん」
彼は少しだけガクッとなったが、すぐに優しく微笑んだ。
こうして私は、美味しいご飯と、便利なスマートホーム(ダンジョン)、そして頼れる同居人(皇帝)を手に入れた。
もう王都に未練なんてこれっぽっちもない。
――はずだったのだが。
(くそっ、なんだこの森は! 魔物が強すぎるぞ!)
(アリステア様ぁ、もう歩けませぇん……)
私の知らないところで、元婚約者たちが「魔王討伐」を掲げ、この森で遭難しかけていることなど、知るよしもなかった。
「さて、お昼は何にしましょうか」
私は平和に、今日のランチのことだけを考えていた。




