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追放令嬢は美味しいものを食べて静かに暮らしたかった  作者: 秋月 もみじ


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第2話 ダンジョンリフォームと隣人


満腹になった幸福感と共に森を歩くこと、数十分。

木々のトンネルを抜けた先に、石造りの建造物が見えてきた。


「……廃墟、かしら?」


古代遺跡のような入口が、ぽっかりと口を開けている。

入り口のレリーフは風化して判読できないが、屋根はある。少なくとも野宿よりはマシだ。

私は迷わず中へと足を踏み入れた。


中は広々とした石のホールになっていた。

壁には発光する苔が生えており、松明なしでも薄明るい。

広さは王宮のダンスホールほどだろうか。


ただ、問題が一つ。


「汚いわね」


長年放置されていただけあって、床は泥と埃まみれ。壁には蜘蛛の巣。

獣の糞の臭いもする。

公爵家で叩き込まれた私の潔癖な美意識が、この不衛生さを拒絶した。


「掃除しましょう」


私は袖をまくり(といっても袖は破り捨ててしまったけれど)、両手を広げた。

生活魔法の真骨頂を見せる時だ。


「『一斉浄化(オール・クリーン)』」


部屋全体に魔力の波を放つ。

本来は屋敷の大広間を一瞬で掃除するための、メイド長しか使えない高難易度魔法。

だが、今の私には魔物肉で摂取した溢れんばかりの魔力がある。


シュウウウッ……。


音もなく、床の泥が分解され、蜘蛛の巣が消滅し、空気中の悪臭さえも浄化される。

数秒後。

そこには、新築のようにピカピカに輝く石造りのホールが現れた。


「完璧だわ」


満足して頷く。

これで衛生面はクリア。

次は寝具の確保だ。

石の床に直寝は、腰を痛めるし冷える。


すると、奥の通路から「ぴちゃ、ぴちゃ」という水音が聞こえてきた。

現れたのは、半透明の青いゲル状の物体。

スライムだ。

それも一匹ではない。十匹、二十匹……群れをなして這い寄ってくる。


一般的には、物理攻撃が効かない厄介な魔物とされる。

けれど、私の「食材鑑定」にはこう表示されていた。


【名前:アクアスライム】

【素材特性:高弾力、衝撃吸収、保冷効果】

【可食部:核以外(ゼリーとして加工可だが、味は薄い)】


(味は薄い、か……)


食べるのは後回し。

それよりも、この「高弾力」と「保冷」という特性に目がいく。

私はニヤリと口角を上げた。


「『吸引(バキューム)』」


掃除魔法の一種を発動する。

手元に発生させた小さな竜巻が、スライムたちを次々と吸い寄せる。

彼らは抵抗しようと体を伸ばすが、私の魔力制御からは逃れられない。


「ぴぎぃっ!?」


私は集めたスライムたちを一箇所に固めると、先ほど切り落としたドレスの長い裾布を広げた。

そこにスライムを詰め込むのではない。それでは漏れてしまう。

使うのは、食品保存用の魔法だ。


「『真空包装(パック)』」


布ごとスライムを包み込み、魔力の膜で完全に密閉する。

空気を抜き、形を整えれば――。


ぼよん、ぼよん。


押し返すような素晴らしい弾力。ひんやりとした冷感。

魔力膜でコーティングされているので、水漏れの心配もない。


「最高級のウォーターベッドの完成ね」


私はスライム・マットレスを部屋の隅に設置した。

これなら安眠間違いなしだ。

中のスライムたちも、私の濃厚な魔力に包まれて、なんだか嬉しそうに震えている(気がする)。


寝床の準備が整い、ようやく靴を脱いで上がろうとした時だった。


「グルルルルッ……」


入り口から、低く重い唸り声が響いた。

空気がビリビリと震える。

振り返ると、闇の中に二つの赤い瞳が浮かんでいた。


巨大な狼だ。

先ほどのイノシシよりもさらに大きく、馬車ほどの体躯がある。

漆黒の毛並みは闇に溶け、牙は鋭い。

その身から溢れ出るプレッシャーは、あのアリステア様より遥かに上だ。


鑑定スキルが警告を告げる。


【名前:シャドウ・フェンリル】

【危険度:S(災害級・国家転覆レベル)】

【素材:毛皮(極上・保温性SS)、肉(筋が多いが煮込みに最適)】


(まあ……!)


私の目は釘付けになった。

肉ではない。「毛皮」の方にだ。


「なんて艶やかな黒……! あの毛並み、絶対に肌触りがいいわ」


スライムベッドは快適だが、少し冷えるのが難点だった。

そこに現れた、生きた暖房器具兼、最高級の毛布。

これは運命としか言いようがない。


フェンリルは私の熱烈な視線に殺気を感じたのか、床を蹴って飛びかかってきた。

速い。

黒い疾風となって喉元に迫る。


だが、私は慌てない。

家事魔法の中には、頑固な衣服のシワを強制的に伸ばす魔法がある。


「『加圧(プレス)』!」


本来はアイロン掛けに使う魔法。

それを対象の上空から、重力魔法のように叩きつける。


ズドンッ!!


見えない巨大なアイロンに押し潰されたように、フェンリルが床に張り付いた。

「ギャウンッ!?」

四肢が伸び、床のラグのようにペラリと平伏する伝説の魔獣。


私はその横にしゃがみ込み、艶やかな背中の毛を撫でた。

想像以上の手触り。シルクのように滑らかで、じんわりと温かい。


「いい毛並み。今日からあなたは私の布団よ」

「クゥ……ン……」


フェンリルは涙目で見上げてきて、小さく鳴いた。

どうやら合意(降伏)してくれたようだ。


「よしよし」


私がスライムベッドに腰掛け、フェンリルの背中をクッション代わりにしようとした時。

入り口の影から、パチパチパチ……と乾いた拍手の音が聞こえた。


「……見事だ」


低く、響きの良い男の声。

私は飛び起きてナイフを構えた。

フェンリルも「ビクッ」と震えて私の背後に隠れる(情けない)。


そこに立っていたのは、一人の男性だった。

長身に、上質な素材を使った黒い革鎧。

無造作な黒髪の間から覗く瞳は、猛禽類のように鋭い金色。

整った顔立ちだが、ただならぬ覇気を纏っている。


(盗賊? それとも、この廃墟の先客?)


「その黒狼フェンリルを一撃で制圧するとは。……君は、何者だ?」


男の視線は鋭く、私の動きを値踏みしている。

だが同時に、その視線は私の手についた「肉の脂の匂い」にも注がれている気がした。


「通りすがりの、ただの食事好きな女です」

「食事好き、か」


男は少し呆気にとられたようだったが、すぐにお腹の虫を盛大に鳴らした。


グゥゥゥゥゥ……。


私のお腹の音に負けないくらいの、立派な重低音。

張り詰めた空気が一気に緩む。


「……失礼した。三日ほどまともな食事がとれていなくてな」

「あら」


三日。それは辛い。

私なら半日で暴動を起こしている。

空腹の辛さを知る者として、見捨ててはおけない。


「残り物でよければ、食べる?」


私は『収納』から、先ほど焼いたイノシシ肉の残りを取り出した。

まだ温かい。

包みを開いた瞬間、香ばしい肉の匂いがホールに充満する。


男の喉がゴクリと鳴った。

だが、彼はすぐには手を出さなかった。金色の瞳が細められ、肉をじっと観察している。

警戒しているのだ。当然だろう。


「……毒は?」

「入れたくても、毒なんて持っていませんわ。私の毒見役になってくれるなら歓迎しますけど」


男は私の目を見て、それから肉へと視線を戻した。

何かを確認するように鼻を動かす。


(……この肉、ただの焼肉ではないな。凄まじい純度のマナを感じる。毒反応はない。むしろ、回復薬(ポーション)以上の波動だ)


男は小さく呟くと、意を決したように肉を受け取った。


「頂こう」


そして、豪快にかぶりつく。


「――ッ!?」


男の目が大きく見開かれた。

咀嚼するたびに、険しい表情が驚きへと変わり、最後には陶然としたものへ緩んでいく。


「美味い……。なんだこれは。ただ焼いただけのはずなのに、力が湧いてくる」

「素材が良いんですの。アイアンボアのお肉ですから」

「アイアンボアだと? あの硬い肉が、こんなに柔らかくなるのか」


男は信じられないものを見る目で私を見た。

けれど、手は止まらない。

Sランク冒険者ですら警戒するはずの彼が、夢中で肉を平らげてしまった。


「……礼を言う。生き返った」


男は丁寧に口元を拭うと、先ほどよりずっと穏やかな瞳で私を見た。


「俺はレイヴン。……訳あって、食えるものを探してここへ来た」

「私はシェリル。訳あって、ここを仮宿にしました」


お互いに「訳あり」なのは明白だ。

これ以上詮索するのは野暮というものだろう。

それに、美味しそうにご飯を食べる人に悪い人はいないというのが私の持論だ。


「レイヴンさん。もし宿をお探しなら、ここを使っていいわよ。広いですし」

「……いいのか? 俺は怪しい男だぞ」

「私に勝てるなら、襲ってみればいいわ」


私がフェンリルの頭をポンと叩くと、巨大な狼は「ヒィッ」と声を上げて縮こまった。

それを見たレイヴンは、肩を震わせて笑った。


「違いない。S級魔物を愛玩動物にする君を襲うほど、俺は命知らずじゃない」


こうして。

私のダンジョン生活初日は、極上のベッド(スライム)と、温かい毛布フェンリル、そしてやたらと食べっぷりのいい美形の同居人を得て、幕を開けたのだった。


(明日の朝食は、レイヴンさんに手伝ってもらってキノコ狩りね)


満ち足りた気分で、私は泥のように眠りに落ちていった。

隣でレイヴンが、私が作ったスライムベッドの寝心地に驚愕している気配を感じながら。

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