第10話 おいしい生活は続く
平和だ。
本当に、驚くほど平和な朝だった。
「ポチ、お手」
「ワン(野太い重低音)」
リビングで、私はフェンリルに芸を仕込んでいた。
かつてSランク魔物として国を震え上がらせた黒狼も、今ではすっかり我が家の愛犬だ。
ご褒美に、余っていたドラゴン肉のジャーキーをあげると、尻尾で床をバンバン叩いて喜ぶ。
「……平和だな」
コーヒーを飲みながら、レイヴンさんが目を細めている。
勇者一行が回収されてから数日。
森には静寂が戻り、私のダンジョン生活は「快適」の極みに達していた。
室温は常に24度。湿度は50%。
最高の住環境だ。
けれど、私は気づいていた。
レイヴンさんが時折、北の方角(帝国の方向)を見て、難しい顔をしていることに。
「レイヴンさん」
「……ん?」
「そろそろ、お帰りになるんですの?」
私が尋ねると、彼はカップを置く手がピタリと止まった。
そして、苦笑して頭を掻いた。
「……バレていたか」
「ええ。昨日の夜、窓の外に黒い鳥(使い魔)が来ていましたもの」
おそらく、彼の実家か組織からの連絡だろう。
彼は「皇帝設定」を貫くような高位の貴族様だ。いつまでもこんな辺境で、冒険者ごっこを続けてはいられないはずだ。
きっと、領地経営や書類仕事が溜まっているに違いない。
「……ああ。国の宰相がうるさくてな。『これ以上不在が続けば、書類の山で執務室が埋没する』と泣きついてきた」
「まあ、それは大変。地滑り災害ですわね」
私は冗談めかして言ったけれど、胸の奥が少しチクリとした。
彼がいなくなったら。
この広いリビングは、私とポチとスライムだけになる。
それは、とても静かで――少しだけ、味気ないかもしれない。
「シェリル」
レイヴンさんが立ち上がり、私の前に来た。
その黄金の瞳が、真剣な光を宿している。
「単刀直入に言う。……一緒に来てくれないか」
ドキン、と心臓が跳ねた。
「帝国へ戻れば、俺には相応の地位と権力がある。最高の食材も、最新の魔導厨房も用意させよう。君の手を煩わせる掃除や雑事は、全て部下にやらせる」
「……」
「俺の国へ来て、俺の傍にいてほしい。……君がいない食事なんて、もう考えられないんだ」
それは、熱烈なヘッドハンティングだった。
あるいは、プロポーズとも取れる言葉。
正直、心が揺れた。
帝国に行けば、まだ見ぬ北方系の食材があるかもしれない。カニとか、鮭とか、ウニとか。
それに、何より彼と一緒にいられる。
でも。
私は視線を巡らせた。
ピカピカに磨き上げたキッチン。
フェンリルの毛で作った愛着あるラグ。
全自動空調システム完備のリビング。
そして、裏庭で育っているマンドラゴラたち。
ここは、私が初めて「自分の意志」で手に入れた、私だけの城だ。
誰にも指図されず、好きな時に起きて、好きなものを食べる。
その自由を手放して、また窮屈な貴族社会(帝国)に戻るの?
「……嬉しいお誘いですわ、レイヴンさん」
私は正直に答えた。
「でも、私はここが気に入っているの。このダンジョンは、私の『家』なんです」
レイヴンさんの顔が曇る。
拒絶されたと思ったのだろうか。
「……そうか。やはり、君を籠の中に閉じ込めるのは間違いか」
「いいえ、そうじゃなくて」
私は人差し指を立てて、イタズラっぽく微笑んだ。
「妥協案(プランB)を提案しますわ」
「妥協案?」
「ええ。私、気づいてしまいましたの。このダンジョンの構造を」
私は空中に浮かぶダンジョンコア(ポチ2号)を操作し、地図を表示させた。
「このダンジョン、地下深くを通って、北の山脈の下まで繋がっていますの。つまり――」
私が地図上の「北側の壁」を指差すと、コアが『開通可能』と表示を出した。
「ここに裏口(勝手口)を作れば、帝国領の城下町まですぐですわ」
「……なっ!?」
レイヴンさんが目を見開いた。
王国と帝国を隔てる「魔境の山脈」は、越えるのに一ヶ月はかかる難所だ。
それを、ダンジョンの転移機能でショートカットするというのか。
「ここを、王国と帝国の『中間地点』にすればいいんです。レイヴンさんはお仕事の日は帝国へ。そしてお休みの日や、お夕飯の時間はここへ帰ってくる」
「通い……婚、ということか?」
「『通い飯』ですわね」
私はニッコリと笑った。
「それに、私考えたんです。私の料理を『薬』だとか『毒』だとか騒ぐ人たちがいるなら、いっそお店にしてしまおうかって」
「店?」
「ええ。『ダンジョン食堂』です。美味しいご飯を食べて、元気になりたい人だけを受け入れる。国境も身分も関係なし。代金は食材の現物支給」
私の壮大な計画に、レイヴンさんはポカンとした後――腹を抱えて笑い出した。
「くっ、はははは! 国境に魔王のレストランか! それはいい! 宰相が聞いたら胃薬が必要になりそうだが、最高に痛快だ!」
彼はひとしきり笑うと、懐から小さな箱を取り出した。
「わかった。君のプランBに乗ろう。……その代わり、これを」
箱が開かれると、中には大粒の赤い宝石がついた指輪が入っていた。
深紅の輝き。どう見ても国宝級だ。
「これは?」
「『誓いの指輪』だ。……まあ、君風に言えば『予約席の札』かな」
彼は私の左手を取り、薬指にその指輪を嵌めた。
サイズは驚くほどぴったりだった。
【名前:皇妃の指輪】
【効果:全属性耐性、状態異常無効、自動修復、家事効率アップ】
【備考:グレンデル帝国皇帝の伴侶の証】
私の鑑定眼にはとんでもない情報が見えた。
「皇帝の伴侶の証」……?
まあ、また凝った設定ですこと。
彼ったら、最後まで「皇帝ごっこ」を徹底するつもりなのね。
でも、効果にある「家事効率アップ」は魅力的だわ。
「……素敵な小道具ですわね。予約、承りましたわ、レイヴン様」
私がウィンクすると、彼は力が抜けたように笑った。
「ああ。……一生、君の飯を食わせてくれ」
私たちは、朝日が差し込むリビングで、契約の握手――ではなく、ハグを交わした。
ポチが「ワン!」と祝福の声を上げ、スライムたちがプルプルと拍手のように震えた。
◇
それから数ヶ月後。
「帰らずの魔境」の入り口に、奇妙な看板が立てられた。
『魔王の隠れ家レストラン ~一見さんお断り、空腹の方のみ歓迎~』
そこは、世界で一番予約の取れない店となった。
メニューは日替わり。
メインシェフは、元悪役令嬢にして「生姜焼きの聖女」。
そして、給仕兼・用心棒として、なぜか隣国の皇帝陛下がエプロン姿で立っているという、世にも恐ろしい(そして美味しい)店だ。
「いらっしゃいませ。今日のメインは『クラーケンの特製たこ焼き』ですわ」
鉄板の上で、巨大なタコの足が入った丸い生地が踊る。
ダンジョン産の香草と果実を煮詰めた、特製の黒ソースが焦げる香ばしい匂い。
仕上げに、乾燥させた海藻(青のり風)を散らす。
「暴れると摘み出すぞ。……さあ、熱いうちに食え」
エプロン姿のレイヴンさんが、不慣れな手つきで客席――王国の宰相様や、帝国の将軍様たちが仲良く並んでいる――に皿を運んでいる。
香ばしい匂いと、客たちの笑顔。
そして、隣には愛しい人。
私はたこ焼きをひっくり返しながら、心の中で呟いた。
「婚約破棄してくれてありがとう、アリステア様」
貴方は今頃、寒い鉱山で泥にまみれているでしょうけれど、私は今――世界で一番、美味しくて幸せな人生を送っています。
(完)




