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恋人役はライバルの君

作者: 吉野みか

※この作品はNolaノベル様でも投稿しております。


「アランと恋人の振りをしなさい、ですって!?」


 シヴァ公爵家の屋敷に、私の絶叫が響く。


「嫌よ、お父様!」

「そうは言っても、フェルミナ。お前を王太子妃にするには、そうするしかない。お前も王太子殿下の悪癖についてはよく知っているだろう」


 ヘルダ王国王太子、ルーク・フォン・ヘルダは、非常に優秀な王子だ。学園では実技も座学もトップクラスで、外交の場でも何度も成功を収めている。

 それだけ見れば非の打ち所のない完璧な王子なのだが、そんなルークには、とある悪癖があった。


 それが、女性関係である。

 ただの恋多き人であるというのなら、器の広い正妻を迎え、側室を設けることでどうにかなったのだろうが、彼の場合はそう簡単な話ではない。

 『既に恋人がいる女性』しか好きになれないのだ。

 初恋の人は結婚が決まって退職する予定だった王宮侍女だし、学園に入ってからは婚約者のいる令嬢に惚れ込んで、何度も婚約破棄まで持ち込ませた。

 それなのに、いざ女の方がルークに本気になって相手の男を捨てれば、興味が無くなったとでも言うようにポイっと捨ててお終いだ。あんまりな男である。


 そんな悪癖のせいか、彼は今年で18歳になるというのに正式な婚約者が居ない。

 野心のある令嬢たちはルークに秋波を送っているようだが、そういうお嬢様たちはルークの守備範囲からは外れてしまうというのが現実であった。


 そこで、王家の忠実なる家臣は一計を案じた。ルークの婚約者候補に別の男を宛てがい、幸せなカップルに見せ掛けることでルークの関心をその令嬢に向けさせよう、という策だ。


 まぁ、理にかなってはいるのだろう。

 自分の身の回りで幸せそうにしているカップルを見て、あのルークが放っておくとも思えないし、この作戦が上手く行けば、ルークの婚約者……つまり未来の王妃を誰にするかコントロールできる。その意見に関しては、私も賛成だ。


 その婚約者候補が自分で、あまつさえ宛てがわれる間男が、昔から犬猿の仲であるアラン・オーギュストでさえなければの話ではあるが。


「お父様はそれでいいの?自分の娘が、政敵オーギュスト公爵家の息子と恋人ごっこなんて!」

「もしフェルミナが王太子殿下に選ばれれば、我が家は王家の外戚に、オーギュスト家は次期宰相に、ということで話は済んでいる。政治におけるパワーバランスに偏りは出まい」

「汚いわ!」


 つまり、家の繁栄のためなら娘のことなんてどうでもいいというわけだ。なんて非情な親だろうか。


「とにかく、これは既に決まったことだ。明日から学園への迎えはオーギュスト家の倅が来ることだろう。仲睦まじく見えるように気をつけなさい」


 私はいつもの倍足音を立てて、自室に戻ってふて寝するのであった。



 ***



「フェルミナ嬢、ご機嫌いかがですか」


 腹立たしいことに、翌朝、アランは時間通りに我が家のドアをノックした。

 センターパートの赤髪に、エメラルドのような深い緑の瞳。目鼻立ちもはっきりしていて、黙っていればどこぞの貴公子のようだ。女子生徒からの人気も高い。


「朝からあなたの顔を見ることになるなんて、最悪の気分ですわ」


 私が思った通りの感想を口にすれば、アランがかろうじて取り繕っていた紳士の仮面がメキメキと音を立てて崩れる。


「そりゃこっちのセリフだ。お前相手にわざわざ馬車回してやっただけ、有難いと思いやがれ」

「まぁ!この私に徒歩で通学しろと仰るのかしら!迎えに来ると言ったなら、4頭馬車くらい当たり前でしょ」

「自分をどれだけ派手に見せるかしか考えないなんて、これだから新興貴族の女は……」

「なんて言い草。歴史だけの家とは見ているものが違うんですのよ」


 睨み合ってバチバチと火花を散らせば、御者の男が申し訳なさそうに「坊ちゃん、お時間が……」と声をかけてくる。


「チッ、仕方ない。乗れ、ちゃんと靴の泥落とせよ」

「泥なんて付いてませんわ!」


 これから毎朝この調子なのかと思うと心底うんざりだが、大人の事情が絡んでいるため、私の一存では投げ出すことも出来ない。雑なエスコートで馬車に乗り込んで、窓の外を眺めていると、彼に話しかけられた。


「お前、今回の話についてどう思ってる?」

「この馬鹿げた茶番のこと?最低だと思いますわ。私とあなたで恋人の振りをしろなんてところは特に」


 初対面の時のアランの印象は、決して悪いものではなかった。彼は社交的で、少し高飛車なところがあると自覚している私にも、態度を変えずに話しかけてきた。親の爵位も同じだったし、初めてできた対等な友達はアランだ。


 しかし、成長するにつれて、お互いが自分の親にとって一番の政敵の子供だと理解するようになると、私たちは勉強に政治、交友関係なんかで張り合うようになった。

 アランが学園の実技の授業で1位を取れば私が座学で1位を取ったし、彼が隣国の王子と仲良くなったと知れば私は別の隣国の姫君の友達になった。

 互いの両親は、これで向こうの家の鼻を明かしてやれると喜んでいたものだ。


 私たちにライバル意識を植え付けたのは他でもない大人たちなのに、今更仲良くしろだなんて無理がある。

 それも恋人のふりなど、絶対にどこかでボロが出る。


「最終的にルーク殿下の婚約者になるってのは、いいのかよ。あの人に関わって幸せになった女なんていねぇぞ」

「構いませんわ。彼のことなら多少なりとも知っていますし、私を将来の王妃として下にも置かぬ扱いを続けてくれるのであれば、他にどんな女の尻を追いかけようとも勝手にしていただいて結構よ。それに、私以上に王妃に相応しい令嬢なんておりませんもの」


 私がそう言うと、アランはため息をついて「すげー自信」と呟いた。


「そんなことより、あなたはちゃんと学園で私のことを自慢しなくちゃ駄目よ。この設定資料によると、告白はあなたからしてきたことになってるんだから」


 私たちに任せていては学園で顔を合わせることもしないだろうと思われたのか、事前に学園での生活ルーティンとお互いのことについて書かれた設定資料集が渡されている。ちなみにお父様とオーギュスト公爵の合作だ。

 なんでそんなところで派閥トップの公爵同士が馴れ合ってるの?と疑問を呈したいところだが、実際私たちはお互いのことをあまりよく知らない。恋人っぽく見せかけるための資料は必要だった。


 それによると、私たちの馴れ初めは5歳の時の建国記念祭のパーティーで、それから徐々に惹かれ合い、先週ようやくアランが私に交際を申し入れたことになっている。


「分かってるよ。朝イチに悪態をつくかわいい恋人だって言いふらしてやる」

「悪意を感じますわ!」


 私が声を荒らげると、外から「学園に到着しました」と声がかけられる。


「いいか、お前は俺のことが大好きって設定なんだ。絶対外でボロ出すなよ」

「そっちこそ、私に惚れ込んで交際を申し入れたってこと、お忘れなく」


 しばし睨み合って、馬車のドアが開けられる。

 すると、アランは余所行きの貴公子スマイルを貼り付けて私に手を差し伸べた。


「お手をどうぞ、フェルミナ嬢」

「あら、ありがとう」


 私が微笑んでその手を取ると、彼は少しだけ瞠目した後、柔らかく微笑んだ。




 ***




 それから数日が経った。

 私とアランが交際を始めたというのは、既に学園中で噂になっている。

 

 建国当時から続く由緒正しき古豪貴族の筆頭、オーギュスト公爵家の嫡男アランと、200年前の大戦争で武勲を挙げ取り立てられた、新興貴族の筆頭であるシヴァ公爵家の令嬢である私。

 個人的にも、家柄的にも、お互いを敵視していた私たちが急に距離を縮めたことにより、それぞれの派閥の貴族子女たちは大きく動揺した。


「それで、フェルミナ様。アラン様とはどこまで進みましたか?もうお手は繋がれました?」


 放課後の人が居なくなった教室の片隅。大真面目な顔をして、私の取り巻きであるミリーが話しかけてきた。

彼女の家は大きな商会を経営する伯爵家で、彼女本人も流行に敏感でミーハーな気質だ。私とアランの恋の進展にも興味津々で尋ねてくる。


「馬鹿ね、ミリーったら。フェルミナ様のことだもの、手を繋ぐだなんて幼稚なステップ、アラン様が告白してきたその日の内に達成してるに決まってるわ」


 したり顔でそう言ったのは、同じく取り巻きのヘレン。彼女の家は軍部の重鎮で、令嬢にしては珍しく乗馬や剣術の授業で優秀な成績を修めている。


「えぇっ!?じゃあ、おふたりは一体どこまで……」

「そりゃもちろん、あーんなことやこーんなことまで……」

「はわわ、さすがフェルミナ様、大人ですわ!」

「ちょっと、本人のいる前で不埒な妄想を働くのはやめてくださる!?」


 顔を真っ赤にして両手で覆ったミリーの頭を扇でペチンと叩くと、彼女は「あいた!」と肩を竦める。


「アランとは、その……健全なお付き合いですわ。婚前ですもの。淑女たるもの、はしたない真似はいたしません」


 健全なお付き合いどころか偽装恋愛なので、エスコート以外で手を重ねることはなく、休日デートなんて以ての外なのだが、そうとは知らないふたりは目を輝かせた。


「正式に婚約するまでは貞淑なお付き合い、ということですね!素晴らしいですわ、フェルミナ様!この爛れた貴族社会において、貴重なまでの純真さ!」

「ちょっと馬鹿にしてませんこと!?」

「まさか、そんな!」


 ヘレンが慌てて首を横に振るので、私は小さくため息をついて見逃してやることにする。


「それにしても、意外でしたわ。私はてっきり、フェルミナ様が婚約なさらないのは、王太子殿下の婚約者候補としてお名前が上がっているからだと思っておりました」

「私もです。この国で最も次代の王妃に相応しい令嬢は、他でもないフェルミナ様ですもの」


 ふたりの予想はあながち間違ってはいない。

 王太子妃になるためにアランと恋人の振りをするなんて突飛な考えは、おそらく疲れきって頭のネジが飛んだお父様たちだからこそ考えついたものだ。


「そうね。その事についてはお父様たちに考えがあるようだから、お任せしているわ」


 その時、教室のドアが音を立てて開いた。


「良かった、フェルミナ。まだ残っていたんだね」


 声をかけてきたのは、件の王太子ルークだ。

 金髪碧眼の美しい人形のような顔立ちに、王太子として不足のない立ち振る舞い。いつもより声は弾んでいたが、それさえ爽やかに見えた。


「ルーク殿下。私に何か御用で?」

「あぁ、人前では少し話しづらいから……出来れば君たちには席を外して欲しいんだけど」


 ルークが後ろのふたりに視線を向けると、彼女たちは頭を下げて退室する。ふたりきりになった教室で、私はルークに向き直った。


「それで、どういったお話でしょう。殿下が私になんて、珍しいですわね」

「あぁ、僕もまだ整理しきれていないんだけど……聞いてくれるかい?」


 ルークは私の席の隣の椅子を引いて、静かに腰かける。


「最近、君とアランが交際を始めたって聞いたよ」

「えぇ、そうですわね」

「君たちは昔から喧嘩ばっかりだったから、正直驚いたよ……いつから好きだったの?」


 ルークは、私とアランの共通の幼なじみでもある。

 昔から顔を合わせれば喧嘩ばかりだった私たちがくっついたとあっては、興味もそそられることだろう。


「明確にいつから、なんて覚えていませんけど……あの人に告白された時、悪い気はしませんでしたわ」


 お父様作の設定資料集には、10歳の時のガーデンパーティーでドレスの色を褒められた時からうんぬんかんぬん、みたいな設定が記されていた気もするが、ここで私が明確な時期を証言してしまうと、何年もずっとアランのことを意識していたみたいで恥ずかしい。

 例え演技だと頭では理解していても、あの男に負けた気がしてなんだか癪だ。ここはアランから強く請われた、というニュアンスを滲ませたい。


「なんだ、良かった。じゃあ、君から彼に交際を申し込んだわけじゃないんだね」


 ルークは安堵したようにそう言うと、私の手を取って熱っぽく微笑む。


「君がアランのものになったって聞いて、胸が締め付けられる心地だった。ずっと気づかなかったけど、僕、君のことが好きだったみたいだ」

「まぁ……」


 内心、「釣れた!」と思った。

 ここまでお父様の目論見通りになるなんて最早怖いくらいだが、これで少なくともアランと恋人の振りをするなんて馬鹿げたことをしただけの価値はあっただろう。

 しかし、ここでホイホイ頷いてしまっては、ルークの関心はまた別の恋人持ち令嬢に移っていってしまう。私はガードの固い、一途な女を演じなくてはならない。


「お気持ちは嬉しいですが……私はアランのことがその……ちょっとはいいなと思ってると言うか、まぁ、付き合ってもいいとは思ってるので……」


 ストレートに好きだと言うのは憚られ、なんとも歯切れの悪い言い方になってしまった。

 目を泳がせる私の頬に手を添え、ルークが目を合わせてくる。

 

「ねぇ、その言い方じゃ、僕に付け入る隙を与えてるみたい。意地悪だね、フェルミナ。僕を試してる?」

「そ、そういうわけでは……!」

「ほんとに?……ふふっ、そんなに顔を赤くしないで。僕が君を虐めてるみたいで、悪いことしてる気になる」


 ルークは余裕そうな表情に、少しだけ困ったような雰囲気を滲ませて再び口を開く。


「これは言おうか迷ったんだけど……もしかして、君がアランと付き合ったのは、僕の気を引くための作戦だったりしない?僕の好みなんて、長く付き合いのある君にはお見通しでしょ」


 彼の言葉に、私はギクリと肩を震わせる。


「僕のために、他の誰かと恋に落ちた振りをしてるんじゃないかって……思い上がりすぎかな。でも、そうだったら凄く嬉しい。君が僕のことを一番に考えてくれてるって証拠だから」


 ルークは私の頬をするりと撫でて目を細めた。

 この男は、好きな女にはこんなに砂糖を煮詰めたような甘い顔をするのか。今まで見てきたのは、誰にでも平等に、爽やかに接する完璧な王子としてのルークだ。こんな、愛しくて堪らないといった様子の、恋に耽溺するような男の顔は見たことがない。


「殿下、何か思い違いを……」

「駄目、それ以上言わないで。……嫌だったら、僕のこと殴っていいから」


 そう言うや否や、ルークは私を教室の机の上に押し倒した。

 嫌なら殴れと言う割に、両手は彼の手で机の上に縫いとめられてしまってビクともしない。見た目では分かりづらいが、彼は剣術も一流の男の人なのだ。カトラリーより重いものなんて持つ必要のなかった私の力では、何をやっても無駄だろう。


「待ってください、殿下……ルーク!」

「かわいい、やっと名前を呼んでくれた」


 彼は嬉しそうに笑みを浮かべ、その瞳は嗜虐的にギラついている。

 これはまずい、なんとかして抜け出さないと、と考えるが、体は緊張と恐怖で力が入らない。


「駄目、やめて……」


 自分でもびっくりするくらいか細い声が、喉から漏れる。視界がぼやけて、ようやく自分が涙を流していることに気づいた。


「駄目じゃないでしょ」


 ルークはふふっと笑うと、顔を近づけてくる。

 

 あぁ、キスされるんだ。

 私は怖くなって、反射的に目を瞑る。


 その時だった。


「何してるんですか、殿下」


 教室のドアが開いて、聞き馴染みのある声がした。


「おや、アラン。どうしたの、そんなに慌てて」


 私に覆い被さっていたルークが上体を起こして、ようやく私の視界にもアランが映った。彼は額に汗を浮かべ、肩で息をしている。


「どうしたもこうしたも、あんたがフェルミナとふたりっきりで話をしてるって、そいつの取り巻きから教わったもので。悪い予感がして走ってきたら……趣味悪いですよ、殿下」

「すまない。フェルミナがかわいかったから、つい」


 そう言うと、ルークは私から手を離した。


「ごめんね、フェルミナ。君の騎士様がお迎えに来ちゃったから、続きはまた今度」


 こんなの二度とごめんだわ、と言ってやりたかったのに、力が抜けて何も言えなかった。


「じゃあ、僕は帰るね。また明日」


 ルークは何事も無かったかのように、私たちにひらひらと手を振って教室を後にする。

 残された私は、へなへなと床にしゃがみ込んだ。


「お、おい!平気かよ」


 アランが慌てたように駆け寄って来て、目の前に手が差し伸べられる。

 私はそれを取って「平気ですわ」と立ち上がった。


 本当は、全然平気じゃない。

 子供の頃から知っているルークに、異性を感じて怖かった。あぁやって強引に迫られたら私じゃ太刀打ちできないんだと思うと、これからルークの求愛をひらひらと躱し続けるのは難しいだろう。

 教室に飛び込んできたアランの声を聞いて、安堵してしまった自分も情けなかった。


「平気って顔じゃねぇだろ。……泣いてたのかよ、お前」


 顔を覗き込まれて、思わずそっぽを向く。

 怖がっていたのだと、アランにバレるのは嫌だった。

 私は彼のライバルで、今は同じ作戦を遂行する協力者だ。そんな奴に弱みを握られたくなくて、強がる。


「別に、なんてことありませんわ。今回は、初めてだったから驚いてしまっただけで……慣れれば、私だってもっと上手くやれます」


 私の言葉に、アランは「ふーん」といつもより幾ばくか低いトーンで返事をした。


「じゃあ、慣れるまで俺で練習したら?」

「えっ」


 途端に、アランに腕を引かれ、壁際に追い込まれる。

 両腕は頭の上で交差させられ、彼の片手がそれを強く掴んだ。


「な、何するのっ、アラン!」

「何って、練習だよ。お前、こういうの慣れてないんだろ?恋人役の俺が練習に付き合ってやるって言ってんの」


 空いた方の手で、グイッと顎を掴まれる。

 視線を逸らすことも出来ず、私は彼の真っ直ぐな緑の瞳に見つめられて浅い呼吸を繰り返した。


「い、嫌。こんなこと、練習なんかするものじゃないわ」

「じゃあ、また今日みたいにルークに良いようにされてもいいんだな。というか、端からそれを望んでたのか?はしたない奴」

「違うっ!」


 私は必死で首を横に振った。


「……私、怖かったの。昔から知ってるルークが、あんな風になるなんて思ってなかった。私の抵抗なんて抵抗にもならなくて、逃げられないって分かった時、足が竦んだわ。……認めたくないけど、あなたが来てくれた時、本当に安心したのよ」

「フェルミナ……」

「それなのに……あなたも、こんなことするのね」


 私がアランの両目を見てそう告げると、彼は辛そうに顔を顰めて、それからゆっくりと手を離した。


「悪い、俺……」

「構いませんわ。けれど、この作戦を続けるのはもう不可能ね。殿下にも、薄々私たちが偽装恋愛だと気づかれているみたい。初めから無理だったのよね、私たちが恋人だなんて」


 私は荷物を纏めて鞄を背負う。そろそろ迎えの馬車が来る時間だった。


「明日からはもう、迎えに来なくて良くってよ。それではご機嫌よう」

「……待ってくれ」


 重い空気に耐えきれず、足早に教室を去ろうとする私の腕を、アランの手が掴んだ。


「お前は、これからどうするんだよ。俺と別れたってことにして、ルークの妃の座も諦めて……」

「さぁ。ほとぼりが冷めるまで、隣国へ留学へ行くのもいいかもしれませんわね。南の国の姫君から、是非遊びに来て欲しいと常々言われていますから。いい話があれば、そちらで縁談を組むのも悪くないですわ」


 どうするにしたってお父様の許可が必要だが、私を必要としてくれる国は何も生まれ育ったこの国だけではない。アランと競う中で高めた能力は、他国にも知れ渡っている。

 今の私なら外国の高位貴族だって妻にと望んでくれるだろうし、いい話がなければ隣国の姫君の女官として務めたっていい。

 どちらにせよ、私がこの国にこだわる理由はないのだ。


「そんなの……そんなの駄目だ!」

「駄目って、何が駄目なんですの?あなたにそんなこと言われる筋合いは無いわ」


 私が言い返すと、アランは突然自分の頭を掻きむしった。


「あぁ、もう!言わなきゃわかんねーかよ、俺はお前が好きなんだよ!」

「はぁっ!?」


 ムードも何も無い、怒鳴りつけるような告白に思わず瞠目する。


「今回の話だって、お前と形だけでも恋人になれるって聞いて了承したんだ。現実じゃ、どれだけお前を想ったって、絶対叶わないって分かってたから」


 初めて触れたアランの本心を、私は未だ信じきれずにいる。

 だって、今までずっと競い合ってきた男だ。恋人とは最も遠い位置にいて、だからこそ、ある種の信頼があったアランに、まさかそんな風に想われていただなんて思わなかった。


「お前がルークの妃になりたいって望むなら、それでもいいと思った。それまでの繋ぎとして、一瞬でもお前の特別になれればそれで満足だった。それなのに!」


 アランは俯いていた顔を上げて、私を見つめる。

 その表情は怒っているような、泣いているような、ぐちゃぐちゃなもので。しかし、どこか引き込まれてしまう必死なものだった。


「お前は泣いてた!ルークのことが好きだったんじゃねぇのかよ。好きじゃないならなんで、お前がルークに嫁ぐことになってんだよ!」


 そこまで言うと、アランは深く息を吐いた。


「……悪い、お前に八つ当たりしたかったわけじゃねぇんだ。本当はもっと、お前に優しくしたかった。家柄とかプライドとか、捨てられたら楽だったのに」

「アラン……」


 彼の独白のようなそれに、かける言葉が見当たらなかった。 

 私がどうすべきか迷っている間、彼は深呼吸をいくつかして、穏やかな面持ちになってこちらを見つめる。


「なぁ、最後にちゃんと、諦めさせてくれ」

「え……?」


 アランは恭しく私の手を取ると、その場に跪く。

 

「フェルミナ、好きだ。外国での未来より、王妃になる未来より……俺との将来を考えて欲しい」


 真剣な眼差しが、私を射抜く。

 ここ数年は、睨むか悪態をつくかしかしなかった彼が、こんなにも縋るように私を見ている事実が頭をおかしくさせそうだ。


 気づけば、私は深く頷いていた。


「今更、撤回なんてさせませんわよ」

「は……?」

「……だから、あなたとの将来を真剣に考えて差し上げますって言っているの!こんなこと、淑女に言わせないでくださる!?」


 思わず大きな声を上げれば、彼は少し驚いたように目を見開いたあと、ゆっくりと幸せを噛み締めるように笑った。


「本当に、素直じゃない奴……」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。こんな状況になるまで告白のひとつもしてこないなんて意気地無し!私が殿下と結婚することになったらどうしていたのよ!」

「そしたら、多分一生結婚できなかっただろうな、俺は。多分お前以上の女なんて、探しても見つからねぇし」


 さも当たり前のようにそう言ってのけるアランに、頬が熱くなる。


「本当に馬鹿な人!これから大変なのよ、両家の当主から婚約の了承を得なくちゃだし、殿下の誤解も解かなくちゃ」

「うん、それでも、お前と一緒なら俺は頑張れる」

「……っ、なんなのあなた!さっきから、いつもと態度が違いすぎますわ!」


 耐えきれなくなってそう叫ぶと、アランは心底愛しいものを見るような目で私を見つめ、柔らかく微笑んだ。


「さっきも言ったろ。ずっとこうしたかった。……なぁ、キスしていい?」


 蜂蜜を溶かしたみたいな甘い眼差しに、もう反抗しようという気力も湧いてこない。


「好きにしたらいいじゃない……私たち、その、恋人……なんだし」

「ん、そうする」


 返事もそこそこに、アランが私の体をそっと抱き締めた。

 それから、1秒にも、永遠にも感じられる時間を見つめあって、そっと唇を重ねる。


 幸せかも、なんて一瞬でも考えたことは、調子に乗るから絶対アランには教えてやらない。

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