第49話 訓練
「まず、今までの見えてしまったものと、その時悠がどう思ったのかをなるべく詳しく教えてほしい。もし、話したくない内容なら、そのときの気持ちだけでもいい」
悠は1つずつ思い出しながら答えた。
雨の難破船のこと、流れ着いた少女のこと。
話していくうちにだんだんエルフィールの顔が険しくなっていく。
「思った通りだ。でも、今は時間をかけて講義もできないな。大事なことだけ言うね」
本当は、こんな風に断片的だけ伝えるようなことは好ましくない。
しかし、自分に差し出せる手があるのに、何もしないなんて無理だ。
溺れそうになっている人に……もしくは、溺れそうになっていることに気づいてない人に手を差し伸べたい。
彼のその思いが、根源的に「何」であるのかについて考える間もなく現実は進行していく。
「悠は夢の中の住人に感情を乗せすぎている」
エルフィールはポケットから小さな水晶を取り出す。リィンザエルに言って自宅から持ってこさせたものだ。
「これは占い師の水晶だ。悠は占い師がなぜ水晶を使うか、知っている?」
そう言われてみれば、なんかいろいろ映しそうだし、便利だからでは?
「いいや。答えは簡単。未熟だからだよ」
???
と疑問符だらけの悠に、苦笑して、ころん、と水晶を机に転がす。
「僕もそうだけど。自分の目や頭の中でなく、水晶を通して見ることで、自分と出来事を分離することができるんだ」
だから占い師は水晶やカードなど、なんらかの道具を使う。珍しいものでは鏡などを使う者もある。エルフィールは最初は水晶をひたすら使っていたので今でも水晶を使った占いが1番好きだし、安定する。
「自分と出来事の分離、それができないとどうなる?自分が物語の中心になって体験しているような錯覚に陥ってしまうんだよ。ちょうど今の君の状態だ。悠」
「私の状態……。なるほど。……じゃあ、水晶とかを使えばいいってこと?」
自分が没頭しすぎていることは自分でもよくわかる。
「そう。ただ、媒介する媒体を使うなら、自分にふさわしい媒体を選び、修行もそれなりに行う必要がある。相性のいい師匠も必要になるだろうね」
「師匠……」
悠はエルフィールを指さすのだが、彼は一瞬嫌な顔をしただけで首を振った。
「系統がまるで違うので無理だと思う。だから、今から僕が教えることは、ほんのちょっとしたコツ程度のことと思ってもらいたい」
それでも効果はあるはずだ。
エルフィールは先ほどレヴィルから取り上げた羽ペンを手でくるくると器用に回した。
「これで実地してみよう」
※※
羽ペンを両手のひらでしっかり包みこむと、羽の部分が手のひらにあたってくすぐったい。じっと見つめていると羽がゆら……と揺らめいたように見える。
揺らめくのは「もっと自分に注目して」という合図のようだ。引き込まれるようにじっと見てしまう。
そのうちに映像がぶれて、現実の羽ペンが目の前から少しずつ消える。
「君は今どこにいる?」
ゆっくりとしたエルフィールの問いに、悠は答える。
「分からない。暗いところ……。いや、待って……これさっきの地下室だ。男の人の後ろ姿……。サナニエル様?間違いない。何かを書いて……」
エルフィールは机に座って目を開いている悠の右手がかすかに動いているのを見逃さなかった。
しかしそれには触れない。
「いいかんじ」
エルフィールは微笑む。
悠の手にそっと自分の手を重ねてその動きを封じるように握り込んだ。
手が、小さい。
あっちこっち駆け回ってバタバタしている悠を見ているととても大きく見えるのだが……。
こうして握ってみると小さい手。華奢な肩……。
どうしてこんなに重いものを背負わせられるのだろう。
はっ、としてエルフィールは首を振る。今は訓練だ。
……でも、今はこの手を放したくない。
「ちょっと待って。いい?よく聞いてね」
その調子でいい。上手くいってる。そう追加してエルフィールは続ける。
「君は誰だ?サナニエルではない。君は……そうもっと尊いものだ。君は神。何もかも見通す全能の神」
「ちょ……ちょっと待って!!」
聞き流せない言葉に、悠は慌てて手を振る。動揺したせいなのか、目の前の景色は暗転して消えた。
ぱちぱち、静電気が通ったように耳の奥で音が鳴る。
ちょうど、飛行機に乗って急激な気圧差に耳の奥がきん、とする感覚のようだ。悠は自分の身体を掻き抱く。
少し寒い気もする。
気持ちが落ち着いて声を発せられるようになったころには、それらの感覚は綺麗に消えていた。
エルフィールが残念そうに呟く。
「……解けちゃった。なぜ……」
「何もなにも。神ってなに?」
「何って……神だよ。これが一番大切なコツなんだ。いいかい、絶対にその場にいる人物になろうとしてはいけない……」
「……それは分かるけど。神って言われても……」
「?自分の信仰する神でいい。神が恐れ多くて難しい?なら神官や司祭でもいい」
神……どれだけ考えても「神」は悠にはイメージ出来ない。とっかかりすらない状態なのだ。
とは言え、神官や司祭はもっと分からない。
日本のイメージだと巫女さんとかそういうやつかな……。
「つまり、その物語を観察する人、でいられればいいのね?」
「ま……まぁ?そうだね」
「そしたら、従者や侍女でもいいね?」
「え?」
「サナニエル様にお茶を持ってきた侍女、名前はユーリ」
「……う、うん」
神も神官も司祭も馴染みのない世界からやってきた自分なのだ。仕方ないのだろう。
「そ……それでいいから。続きをやろう」
気を取り直して、悠は羽ペンに集中する。
2人は自分たちのやるべきことに心を砕いていた。
気づく由もなかった。
バリュバルが、見えなくなってしまった自分の従者を朝から探し回っていたことなど。




