第48話 何者かになる覚悟
女性用の階の応接室。
悠が水差し瓶を持って階段を下りていくのを見かけてこっそり追いかけてきたのはエルフィールだった。ずっと、何かにかこつけてここに来ることができないかと考えていたエルフィールの手には、ちょうどよく棗の甘い実が乗った盆がある。
お行儀よく扉をノックして室内に入る。
「悠、倒れたって、大丈夫?この棗、甘い……」
と言いかけて、言葉半ばでエルフィールは「むっ」とする。
先客がいる。
「レヴィル……でしたっけ。ここ女性棟の部屋ですよ。なんでいるんだ」
悠とレヴィルは地下室から盗み出した羽ペンを前にああでもないこうでもないと談義していたのだ。
地下室での一件を無理やり聞き出したエルフィールは棗の盆を音を立てて机に置くと、レヴィルに冷たく言った。
「出ていけ」
レヴィルは肩をすくめる。
「まだ悠さんとお話中なのですが……」
「お前がこそこそ調べている内容なんて容易に想像がつく。ただし悠には何の関係も無い話だよな。そもそも私が出て行けと言ったら出ていくんだ」
戸口を顎で指して指図するエルフィールの冷たい表情に、レヴィルは唇を突き出して不満そうな顔をし「ちゃんと守ったからいいじゃないですか」と未練がましそうに言っていたが、やがて戸口へ移動する。
「待て、それは置いていけ」
指示のままに羽ペンをエルフィールに渡すと、音もなく扉を開けて「では」とあいさつする。
そのまま部屋を出かけて、一度レヴィルは振り向いた。
「でもね。悠さんは自分で選びたいと思ったものを選んだだけですよ。私は何も強制していません」
そこのところよろしくお願いしますね、と細い目がにんまりと、黒い三日月のように細められる。
「ではまた」と言い捨ててレヴィルは去った。
「悠、窓を開けよう。空気が淀んでる」
格子窓を音を立てて開けるエルフィールに悠は首を傾げた。
「いいよ。でも少しにしてね。寒いもん……。というかあなたは何をそんなに怒ってるの?レヴィルさんは別に悪い人じゃなかったよ。」
「は……。いやいや、完璧に利用されて……」
言いかけてエルフィールは言葉を止める。
落ち着け。口論をしに来たわけじゃない。のに、どうして……。
「目……が、ちょっと隈ができている。痛いとか、疲れたとか、ある?」
痛まし気に目を細めてエルフィールが聞く。
「え?うぅん……。どうかな……」
「力を使うと体力とか、あらゆるところが消耗するんだけど、特に自分の力の起点になる箇所の消耗はパンパじゃないんだ」
少し自嘲気味につぶやく。
「そして、それは初めのころは気づかない。徐々に徐々に、気づいたときにはもう手遅れ。力に支配される。だから……」
悠は目を見張る。そう言われると心なしか疲労しているような気もしないでも、ない。
力に支配……そうかもしれない。
悠はエルフィールの顔を見てふっと目元を緩める。
心配されている。
それだけで心地いいものだ。
「心配してくれてありがとう」
どうして自分はこんなに必死になるんだろう。遠い世界のことだ。自分には関係ない、そう思ってしまった方が楽。
まるでそう思いたい自分を罰するように、とてつもない力でこの世界に引きずり込んでくるこの目。
「この目が見せてくるものね。あんまりリアルで、厳しいものばっかり。だけど。」
ここに来てからのこと、エギドやニンフの事件、ジャイルーンのこと。
「……何かを、必死に訴えてきてるような気もするの。とても重いこと。何なのかが分からないのが、もどかしい」
この世界には、自分がもといた日本にはない「必死さ」がある。
必死に生き延びようとするニンフたち、愛することをあきらめないニンフたち。
誰もが必死に生きている。
レヴィルの言うように、もし、自分に何か役目があるのならば……。
願わくは、この世界を少しだけでも理解できる役目だといい。
「僕なら……」
――その重さを一緒に……。
風に揺れる髪の毛をゆっくり整えようとする悠の横顔を見て、何となく次の言葉を言えなくてエルフィールは口ごもる。思いを邪魔する風を運ぶ窓をそっと閉めた。
その代わりの言葉は、実にさらりと出てくる。
「……じゃあ、僕が教える。振り回されないやりかたを」
そうじゃないのに、言いたいのはそれではないのに。言いたいのはもっと大切なことで……。
どう頑張っても口から出てこなさそうで、彼はあきらめて少し笑った。




