第41話 ダナンの回想ー4
もうそろそろダナンが領地に帰ってくる。今日か、明日か、テロメアは待っていた。
ここ最近、なんだか使用人たちの様子がおかしい。屋敷に出入りする村人たちも。農作物の見分に、ダナンの名代で出ることの多いテロメアだが、以前は芋の生育の話や料理の話などしてくれていた彼等だったのに、最近は妙に寡黙だ。そのくせ、こちらをジッと見つけてくる。「なにか?」と問いかけると、「いえ…何も。」としらっと答える。
なんだろう。心がざわざわする。
心を落ち着かせるために、いつものようにダナンからの手紙を読み返しながら、毛布をかぶった。
そのとき、突然、荒々しく扉が開かれた。
何事かと驚いた顔をしたテロメアの目に映ったのは、息を切らしたアンナだった。彼女は週に一度庭園を整える庭師の手伝いをしており、作業用のエプロンのまま飛び込んできた。
「奥様!!!」
「アンナ、一体どうしたの。」
と、いぶかしげに問うテロメアの言葉に、ほとんどかぶせるように、重い塊を壁にたたきつけるような音が屋敷に響いた。
「奥様っ!逃げてっ!逃げてくださいっ!」
切れ切れの声でアンナが言う。
「村のやつらが…!お前を探してっ!」
後に続いて入ってきたのはテロメアと同じく難破船を生き延び、兄弟のように育ってきた少年、ラビダだった。
「ラビダ?!どういうこと?」
「わからない!やつら、急に俺たちの畑に踏み込んできやがって。わけわかんないこと言い始めて、ムーも切られて…!やつら…!お前を出せって…!!!」
彼も混乱しているのか、要領を得ないが切れ切れに発する言葉をつなぎ合わせると…。
村の幾人かが、魔の民の作っていた畑に踏み込み、
「彼等、食料と…奥様を出せって…!!今みんなで押さえているのです!今のうちにこちらへ…!!」
屋敷の中を右へ左へと彼等に連れられて逃げ回った。しかし、彼女は身重の妊婦である。その足は鈍い。二階へあがってバルコニーから逃げようとする。しかし、どうやったものか、柱を伝ってよじ登って2階に侵入した村人に阻まれ屋敷中あちこちへ逃げる3人。
しかしついに、外へ逃げるのは難しいことを悟り、ラビダはアンナにテロメアを託し、金属の鈍い音がぶつかり合うロビーに走った。
やっと幸せを掴んだテロメアを、守らなければ。
アンナは1階の扉から入る小さな礼拝堂の、教書をしまう棚にテロメアを押し込め、自分もその身をねじりこんで息を殺す。
彼女らにとって永遠にも思える時間が過ぎた。
喧騒が、止む。
テロメアとアンナは顔を見合わせて、目で会話した。落ち着いたのだろうか、どうだろう。
彼女らがふぅ、と一息ついたと同時であった。
屋敷が傾ぐような大音量をたてて、扉が破壊された。
大勢の荒々しい足音が、壊れた扉の残骸を踏み荒らし、教書棚に近づいてくる。
テロメアとアンナは息を殺して震えている。
「どこだ?悪魔の民め。おい、こっちに女ものの髪留めが落ちてるぞ。」
男達の声が狭い室内に響く。
「調べはついてるんだ。何が西の豪商の娘だ。我らの領主さまを誑かした魔の民め。」
テロメアの唇がわななく。髪留めを失った髪が広がり、うねり頬に落ちている。
「おお?おいおい。見てみろ。真っ黒の髪の毛がはみ出てるぞ。」
扉を乱暴に開けられ、中身を引きずり出す男たち。
「この、悪魔を殺せば、俺たちの大地にも平和が戻るはずだ!」
そう言って、錆びた剣を持った男がテロメアの髪の毛をつかみ上げ、剣を振りかざす。
振りかざした剣が振り下ろされることはなかった。
ダナンの放ったボーガンの矢が男の心臓を正確に貫いていた。
「旦那様!!!」
アンナの声が響く。
テロメアは、倒れ込んできた男の返り血にまみれ、放心したような顔で遠くを見ていた。
太ももを、男のものではない血が伝っていた。
恐ろしい惨劇が唐突に始まり、静かに幕を閉じたこの日、彼女は一人の女児を出産した。
※※
悠にはいまだ朝がやってこない。絵巻物のようにするすると変わっていく色のない世界。
剣のぶつかり合う音も、血の匂いもどこか遠く、まるで白黒映画を見ているような現実味のなさ。
※※
テロメアは出産が始まると、高熱を出し意識を混濁させた。時折出てくる言葉は故郷の言葉のようだった。空中をつかむように腕が揺れ、溺れる人が水面に顔を出そうとするような苦し気な顔で体を起こそうする。
それでも、彼女は2日間にも及ぶ出産をやり切った。
しかし、産婆から取り上げられた赤子を見せられた彼女は悲鳴を上げた。ふらふらの体でダナンの静止も聞かず、包帯を切った後のハサミで赤子のふっさりと生えた髪の毛をそぎ切ろうとしたのだ。
赤ん坊はつやつやとした黒い髪の毛、そしてうっすらと赤い瞳のかわいらしい容貌だ。
しかし、テロメアは疲れ切った高熱の体をおして、狂ったようにハサミで赤ん坊の髪の毛を切ろうとする。ブルブルと震える手で、使用人たちの制止を振り切るように腕を振り不思議な言葉を繰り返し口にする。
困り果てた使用人たちから泣きつかれ、本来は男が入ってはならない産室にやってきたダナンには、魔の大陸の言葉の素養がある彼には意味が取れた。
「私のジャイルナ、今助けてあげる。お母さんが。助けてあげる。」
ジャイルナ、まだ幸せを信じていた過去の日、2人で決めた名だ。ダナンは言葉を失う。
あの日の恐怖が、彼女の母性を狂わせ、感情という名の羅津盤の針を振り切らせてしまったのだ。
疲れ切った妻に呼びかけるが、返事がない。
彼女の疲労をおしてもなお赤い、輝く瞳には赤ん坊しか映っていない。
このあたりから、悠には彼らの、鮮やかに輝くような心の内が読めなくなっていた。景色はますます灰色になり、視認に苦労するような不鮮明さになっていく。
彼女の目覚めが近いのだろうか。
次の場面が視認できる最後であろうと、悠は直観的に理解する。瞳の中に映る景色が少しずつ薄れていく。
憔悴しきったような表情のダナン。そして、手には真っ黒な本が開かれていた。分厚い表紙には、金の装飾で真っ二つに割れた太陽のような図柄が刺繍されている。
「ジャイルナ。愛しの娘。必ずや父が助けてやる。日の光のもとを何の憂いもなく堂々と歩けるよう。髪の毛は夕焼けのようなオレンジに、瞳の色は湖の底の英知を湛えた藻のような深い緑に。」
彼の一人事だろうか。彼のほか、部屋には誰もいない。時々、古いフィルムが傷ついている映画のようにがさ、がさと不快なノイズが入る。
「すまない。肌の色だけはこの魔術でも変えてやれない。」
魔術。悠の心にざらりと不快な感情が沸き起こる。
ダナンの手の中の本、その薄い紙のページが、触れてもいないのにパラパラ…と重力に逆らって震えている。
なぜだろう。なんだかよくないもののように、悠には感じられる。
同時に、彼女の左目の視野が、ものをみる機能をなくしたように狭まっていく。
「イリグリの根、オー…鶏の眼球…、そして魔の民の心臓一つ…あと…」
だんだんと遠のいていく声。
ああ、最後まで、最後まで聞かせてほしい。あと一つ、とは?
ついに、彼女の意識はふつりと暗転した。




