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漫画みたいなことは起きない、とは限らない

作者: もち

初投稿です。

直接的な表現はないですが、念のためR指定です。

 どうしたって、逃げたくなる日はある。もう嫌になって嫌になって、逃げ出したい。でもいつも、自分の中で作られた「常識」が、熟成されたそれが、踏ん張れ、もう少しだから、と言う。


 でも今は逃げていいと思う。


 私は愛想笑いをやめ、今にも吐き出しそうに、うっと唸った。


「少し飲み過ぎてしまったみたいで、ちょっとおトイレに・・・」


「大丈夫? 付き添う?」


「大丈夫です」


 優しげに聞こえる言葉の中に「逃げるなよ」の脅しを感じながら、鞄を持ってトイレに向かおうと個室の襖に手をかける。


「鞄はいらないでしょ」


「お化粧も直したいので」


 そう答えれば、納得したように私から視線を外した。個室から出ると、会話が再開された。


「ところで、どうですかね、今日の案件は・・・」


「そうさなあ、気分もいいし少し考えてみるかねえ」


「ありがとうございます! ぜひともよろしくお願いします」


 酔っ払いの声はでかい。逃げるための嘘のはずなのに、本当に吐き気がしてきた。取引先の気分のよさは、私の犠牲の上に成り立ってるものとしか思えない。


「漫画みたいに、キラキラした日常なんかないわ・・・」


 トイレの鏡で疲れ切った自分の顔を見ながら、呟いた。もうアラサーな27歳、数ヶ月で別れを切り出されるため、きちんと付き合った恋人もほぼいない残念社会人。初体験だって、いい思い出とは言えず、自分の中でまだ消化しきれていない。


 はあ、とため息ひとつ。なんとか鞄からファンデーションを取り出し、テカった鼻をカバーする。


「つかれた」


 化粧を直すと、重い足取りで個室に戻る。ただ時間が過ぎるのを、ただ一人で身を守りながら待つだけだ。

―――――

―――

――


 もう一軒の誘いをどうにか断り、やっと自分の家に着いた。ノリが悪いと言われようが知ったことか、自分の平穏が何より大切だ。


「はーあ」


 化粧を落とし、お風呂につかる。体から色々なものが抜けていく気がする。いまにも溶けそうだ。


「もう絶対グチる、絶対だ・・・」


 行きつけの居酒屋でよく会う飲み仲間―幼馴染とその同僚―に、今日の出来事は絶対グチると決めた。話のネタくらいにはなれよ・・・と考えると、明日も起き上がれそうな気持ちになる。


「もう寝よ」


 お風呂から上がると、一杯の水を飲み布団に向かう。髪の毛を乾かすのもだるい。ズボラだから、と言ってしまえばそうなのだが、そのためにもショートカットを維持しているんだから、ズボラでも頑張ってる方だろう。なんて言うと、母に「この子はもう!」と呆れられるところだ。


「おやすみなさい」


 誰もいない部屋に向かい呟くと、目を閉じた。


―――そして朝は一瞬でくる。


 さっき目を瞑ったはずなのに、なぜ?


「ふわーあ」


 伸びをして、布団から起き上がる。さて、今日も行くか。会社へ行く準備をし、あっと言う間に家を出る。毎日のルーティン、気づけばもう会社だ。


「今夜は飲んだる・・・!」


 楽しみを糧に、ドアを開けた。


「おはようございます」


「おはよう、伊藤ちゃん昨日大丈夫だった?」


 早速声をかけてきてくれたのは、同僚の花瀬さん。


「なんとか・・・もうストレスフルだよ、相手社長のセクハラもだけど、1課の川崎さん、たしなめるどころか私のこと押してくるからね、社長にくっつけどばかりに」


「うわ、やば、最低!」


「ほんとそう」


 まあ私がくっついて嬉しいかと言うところもあるが、女は〜なんてご高説を垂れながらバストサイズやら性行為の経験を聞いてくるんだから、あの社長はとんでもないクソジジイであることは確かだ。それを盛り上げるためとたしなめなかった川崎も同罪だ。


「おはよう、伊藤。昨日の接待の報告あげろよ」


「課長、おはようございます。昨日の報告は1課の川崎さんから上げるかと思いますが、」


「川崎? 昨日伊藤を連れて行く前に、報告は伊藤ならと言っていたぞ」


 川崎、クソやろうだ。あいつは今後、なにがあっても絶対助けてやらない。


「わかりました」


 全く納得していない顔で、課長に返事をした。課長は苦笑いしていた。


―――――

―――

――


「ということがあって、もう飲まないとやってらんない!」


 ビールを飲み干し、テーブルにタンっと置く。


「災難だったねー」


 うんうん、と優しく話を聞いてくれる飲み仲間のハルトくん。体は大きいけど、柔和な顔つきで聞き上手、ゴールデンレトリバーのような男性だ。


「いや、断ればいいじゃないか。別によっちゃんが行く必要なかったんだろ? その川崎に行かないって言えば、社内で収まる話だろう」


 痛いところをいつもついてくるのは、幼馴染の夏樹だ。夏樹とハルトくんは同じ会社で働いていて、いつの日だったか、失恋して落ち込みまくっているハルトくんをどうにか励まそうと、夏樹が連れてきたんだ。その時から3人で飲むことがひとつの楽しみになっていた。


「そうなんだけどー、そうなんだけどさ、」


 どうにか言葉を返そうとするが出てこない。だって反論できないんだもん。


「陽子ちゃんは押しに弱いもんねえ」


「うっ」


 味方かと思っていたハルトくんにも追い打ちをかけられ、胸を押さえる。こんなときは、とりあえず酒の追加だ!


「すいません、ハイボール!」


「そんな飲んで大丈夫? 陽子ちゃん」


「大丈夫、こいつザルだから」


「夏樹は激よわだもんね、お酒」


 ウーロン茶を手にする夏樹を見て、ニヤニヤする。


「うるさい、酔っ払い」


「あははっ」


 私たちのやりとりを見て笑うハルトくんの声を聞きながら、そういえばお酒苦手なのになんで毎週のように夏樹は居酒屋に来るんだっけ? と手元にきたハイボールを飲み思う。


 まあいっか、みんなで飲むと楽しいから!


 そんなこんなで楽しく過ごしていたと思ったら――


「なんでこんなことになったんだっけ?」


 呆然としながら、下着姿の私は薄い布団を手繰り寄せた。家じゃない、知らない天井。シャワーの音が頭に響く。というか、頭痛い・・・飲みすぎたのか、二日酔いだ。


「起きたの?」


 隣で横たわり目を擦るのは、ゴールデンレトリバー・・・ではなく、ハルトくん。


「ハイ・・・」


「なんで敬語」


穏やかに笑いながら、布団を握った手に重なる大きな手。


「陽子ちゃん、あのさ・・・」


 痛む全身、まさかこれって・・・ゴクリと息を飲む。シャワーの音が止まる。


「お、やっと起きたか」


 湯上がりほかほかの夏樹の姿、久しぶりに見るスーツ以外の姿。


―――昨夜なにがあった! 記憶がないー


 不安と後悔、少しの興奮に心臓がうるさくなり、いまにも口から出そうだ。


「ハルト、なんで手、ていうか隣に」


「あ、夏樹ー、じゃあ次オレ入っていい?」


「あ、おい」


 手が離れ、ハルトくんが起き上がってお風呂に向かう。


「夏樹、どうしてこうなったのか教えて」


 痛む頭を抑え、夏樹を見る。


「何がって」


 夏樹は首にかけたタオルで頭を拭きながら、ベッドサイドを指差した。そこには水とボウルが用意されている。


「とりあえず、水を飲め」


 そうして一息ついて、昨日の様子を話し始めた。


「よっちゃん、ベロベロに酔っ払ってて、じゃあ解散しようかと店を出たところですっ転んだあと、盛大に吐いた。着替えもないからとりあえずハルトとウチに運んだ。洋服もとんでもないことになっていたから、どうにか脱がせたが、何も覚えていないか?」


―――この痛む全身は転んだせいか!


 カアッと恥ずかしくなり、全身が赤くなる。


「申し訳ありません・・・」


 土下座する勢いで頭を下げる。


「ほんとに大変でした」


 夏樹は改めて昨夜の出来事を思い出したのか、長いため息をついた。


「で・・・昨日のことは本当に覚えてない?」


 少し目線を逸らしながら、夏樹が言う。


「はい、これっぽっちも・・・」


「あの、さ、もしよければ俺が・・・」


 ん? なんの話?


「俺がよっちゃんの、」


 と夏樹が言いかけたところで、お風呂からハルトくんが上がってくる。腰にタオルを巻いただけの、セクシースタイルだ。パンツくらい履けと思う。


「さっぱりしたー、夏樹、ありがとう」


「あ、ああ、うん」


 夏樹はハルトを見ると、口を閉ざしてしまう。いや、格好にツッコミを入れて欲しい、と思いつつも様子が変だ。


「夏樹?」


「あれ、もしかして何か大事な話してた?」


 ハルトくんがんー? と首を傾げながら夏樹を見る。夏樹はあの、えっとと歯切れが悪い。そんな夏樹の様子にハルトくんは合点がいったのか、ああと人差し指を上に向けた。


「陽子ちゃんが話してた、初体験の話?」


 そして、とんでもない爆弾を落とした。


「へ?」


 間の抜けた声が出た。


「大学生のとき? に付き合った彼氏とヤろうとしたけど、痛すぎて痛すぎていい思い出がないとか、

漫画みたいに簡単に気持ちよくなれるもんじゃないのよ女は、とか、男はヤレない女とはすぐ別れるんでしょ、みたいな話」


 ハルトくんの口を今すぐ縫い付けてやりたいと、布団から手を離し立ちあがろうとする。しかし、足元がおぼつかずベットに倒れ込む。下着姿で無様な姿を晒す。


「あはは、陽子ちゃんはほんと面白いね」


―――まさかここでおもしれー女認定されるとは


 恥ずかしすぎてもう顔も上げられないまま、震える。夏樹が近づいてきて、そっと体に布団を巻いてくれた。かけ布団はほぼ私の体の下にあるから、さながら海苔巻きのような巻き方だったけど。


「ハルト、その話はとりあえず」


 夏樹がハルトくんの話を遮ろうとするが、ハルトくんは続ける。


「オレとヤってみる? 陽子ちゃん」


「「は?」」


 思わず顔を上げると、夏樹と声がかぶった。


「ハルト、よっちゃんは俺が」


「えー、オレ結構陽子ちゃん気に入ってるしよくない? セフレっていうのもありかなって」


「せふれ・・・巷に聞くセックスフレンドの略・・・」


 ハルトくんを見ると、いつも通りのニコニコ顔。この顔とキスやらあれやこれやすると?


 風呂上がりの半裸をしげしげと見てしまう。まあまあ筋肉がついた、いい体。大きな体で抱きしめられたら、安心するかもしれない? いや、でもセックスはちょっと・・・


 考え始めた私に、夏樹がいやいやいや、と大きな声を出した。


「よっちゃん、そこは即答で断るところだろ!」


「いや、まあ、この歳になるとそういうこともあるのかなって」


「なんでだよ、なら俺でいいだろう!」


「へ?」


 また爆弾発言だ。夏樹はハッとして一度目線をそらしたが、何かを決意したかのように私を真っ直ぐに見た。ハルトくんは腹を抱えて大爆笑している。カオスだ。とりあえず、二日酔いに効く薬くれませんか、たぶんこれ二日酔い幻覚、そんな症状聞いたことはないけど、たぶんそう。じゃなければ、この展開信じられない。


「俺はよっちゃんの嫌がることはしない、大切にする。だから、俺と付き合おう」


「それはセックスなしってこと?」


 笑いすぎてひーひーなっているハルトくんが言う。


「よっちゃんが嫌ならそれでもいい」


 夏樹は即答する。


「えー、そうなの? じゃあやっぱりオレとセフレになろう陽子ちゃん」


「セフレ・・・」


「よっちゃん、セフレはだめだ! それなら俺としよう、大切にする」


 いや、何かの状況。私、漫画のヒロインだったっけ? いや、しがないアラサーや。


「まず、面倒くさそうなので、セフレはいらないです。私は酒を飲む方が好きです」


 キッパリ断ると、ハルトくんはまた笑った。


「陽子ちゃんが思った通りの返答でウケる」


 この人、ただの笑上戸かもしれない。

 

「で、夏樹のことは幼馴染としか思っていないから、どうしても想像ができない」


 と言うと、夏樹は目に見えてしょぼくれる。その姿が、幼い頃どんぐりを家の引き出しに入れたまま忘れて、虫が出てきて親にこってりしぼられたあとのようで、少し笑えてしまう。


「だけど、夏樹のことは信頼しているので、不束者ですがよろしくお願いします」


 海苔巻きのまま答えるのは、ムードもへったくれもないなと思うが、夏樹のことは人として好きだ。その好きが愛に変わる日がくるのかもしれないと思えば、その手を取ることに戸惑いはなかった。


「よっちゃん・・・」


 夏樹はホッとしたのか、にへらっと笑った。変わらない、うれしいときの表情だ。


「よかったよかった、これでオレも安心」


 ハルトくんは、パチパチと手を叩く。


「もうさー、夏樹ずっと陽子ちゃんに片思いしてて面倒臭かったんだよー、なんか20年近く片思いとか、怖いよねえ。いい加減告れよと。言葉にしないと伝わらないよねえ」


 まだ半裸のハルトくんは、またまた爆弾を落としていく。夏樹はビクッと肩を震わせ、知らぬふりをした。


「まあ、夏樹に満足できなそうなら声かけて」


「おい!」


 茶目っ気にウインクするハルトくんに、夏樹はツッコミを入れる。


「ジョーダンジョーダン、キツイとき二人に助けてもらったから、なんか恩返しできたみたいで嬉しい」


 そうハルトくんが言えば、私たちはなにも言えなくなる。


「ありがとな」


 夏樹とハルトくんは視線で会話してる。ほのぼのーとしてきた雰囲気だけど、私はそろそろ言いたいことがある。


「ハルトくんはいつ服着るの?」


「陽子ちゃんのゲロついちゃってさー、いま洗って乾かしてるから、それが乾いてからかな?」


「本当にすみません」


 食い気味で謝った。


「夏樹の服はオレには小さいしね」


「ハルトがでかすぎるだけだ」


 そんなこんなで夏樹と付き合うことになり、また日常が始まる。でも、少しだけ変わったことがある。私のアパートを解約したこと。私の左手薬指にきらりと光る指輪がハマったこと。私が・・・セックスを苦手じゃなくなったこと。

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