9 川沿いの遊歩道
ジーナたち研修者が帰国し、まだドローン事件は片付いていないながらも、支局内は妙に和やかな空気に満たされていた。ジーナとは仲良くなったものの、やはり色々と気を遣っていたらしいビートも、リビングスペースでのんびりと羽繕いをしながら時折メンバーとおしゃべりを楽しんでいる。
当然、捜査官たちは『シラヌイ』に関する捜査を進めてはいるが、それ以外は今のところ、本部からの仕事も警視庁からの協力要請も無く、自己管理でスケジュール調整が出来る仕事内容だ。
そんなある日、ビートを連れて散歩に出ようとする空に、博は自分も行くと言い出した。
2人でのんびり、連れ立って歩くのさえ久しぶりで、そんな当たり前の恋人同士の時間を過ごしたいと思う博なのだ。幸い今日は真夏にしては涼しい日で、そろそろ日も落ちる時間だから夕風も涼しいだろう。
空はにっこりと、自然な笑顔で彼の申し出を受け入れた。
都会の川沿い、その遊歩道は空とビートの散歩コースだ。
川はゆったりと流れ、その流れのすぐ横に舗装された小道が伸びている。遊歩道の傍には都会に少しでも緑をという意図なのか、何本もの若い街路樹が植えられている。その下には、様々な種類の低木も植えられていて、花が咲くころは綺麗な姿を見せるのだろう。
真夏の夕方、そんな緑の中に咲いているのは、萎みかけたヒルガオの花くらいだ。けれど、川を渡る風は涼しく、定時で仕事を終えて帰宅する人々の頬を、癒すように撫でてゆく。
そんな遊歩道の途中に小さな広場があって、空はいつもそこまで来ては少しの時間ビートを空に放つ。普段は殆ど人影の無いその場所は、1人と1羽の憩いの場所だった。
広場に着くまで、博と空は他愛のない話をしながら、肩を寄せ合って穏やかな時間を愛おしむように歩いた。そんな2人に、ビートは遠慮するように先へ飛んで行っては、そこで彼らが来るのを待ったりしている。そんな微笑ましい光景を続け、やがて2人と1羽は広場に着いた。
「あ、今日は人がいますね」
空が呟くと、博はアイカメラを確認する。広場の片隅に、若い娘1人がベンチに腰掛け、その周囲に数人の若い男たちがいた。男たちの殆どは地べたに直に座っていたが、学生服を羽織っている者もいるので一応高校生なのかもしれない。
そんな男たちの1人が、広場に入って来たソラ達に気づくと、座っている娘に何かを耳打ちした。彼女は立ち上がり、それに続いて立とうとした周りの男たちを片手で制すると、真っすぐ空に近づいてくる。
まだ10代半ばくらいに見える女の子は、大層可愛らしい顔をしていた。
色白で目が大きく、ツインテールに結っている髪はクルクルとカールして肩まで届いている。
「・・・ふぅん、アナタが一昨日アイツらを叩きのめしたっていう女性?」
女の子とも娘とも言い難い不思議な魅力の持ち主は、空を上から下まで眺めてから問いかけた。
「・・・ああ、あの時の」
空はそこで漸く、地べたに座っている男たちの中に見覚えのある顔があることに気づいた。
一昨日の夕方、まだ暑さが残る遊歩道を、空はビートを連れて散歩していた。広場の少し手前、やや細くなった遊歩道の辺りに若い男たちが3人、あまり行儀が良いとは言えない格好で座り込んでいる。
空はそんな彼らと出来るだけ距離を取るように、遊歩道の柵に身を寄せながら通り過ぎようとした。けれどそんな様子が、彼らの癇に障ったのだろう。3人の若い男は、揶揄うように空の前に立つ。
「ンな汚いものを避けるみたいなマネすんなよ」
「そーそー、あからさま、っつうんだぜ、それ」
そこまで露骨に避けたわけでも、表情に出していたわけでもない空は、困惑して立ち止まる。そこで、肩に乗ったビートが、ここは自分の出番だとばかりに大声を上げた。
《 キャー タスケテ オマワリサーン! 》
「ウワッ! 何だ、コイツ!」
慌てた男の1人が、思わずビートに手を伸ばす。空は咄嗟に男の手首を掴んで捩じり上げ、そのまま突き飛ばしてしまった。
「ーーーーイッテェッ!」
男が地面に転がっている間に、空はビートを逃がし静かに男たちに向き直る。
「失礼しました。お怪我は有りませんか?・・・避けてすみません。お気に障ったらお許しください」
一般人に対して、問答無用で叩きのめすような事はできないFOI捜査官の空だ。一応、丁寧にお詫びの言葉を述べ頭を下げる彼女だが、寧ろそれで余計に男たちの頭に血が上ったらしい。
「お詫びをスんなら、付き合ってヨ、美人のおねぇさん」
立ち上がった男を含めて3人、ジーナに叩き込まれた怖さも手伝って、空が彼らをその場で行動不能にしたのは仕方がないことだっただろう。
「やっぱりね。私は薔子、彼らはロージーって呼んでるわ。アナタは?」
薔子と名乗った女の子は、怒っているような様子もなく、どこか人懐こそうな眼で問いかけた。
「空、と言います」
「ふぅん、あの空?」
人差し指を上に向け、薔子は軽く小首を傾げる。
「はい、そうです」
「素敵な名前ね。いいなぁ、私は自分の名前、嫌いだから」
そんな話に、空は少し訝し気に問い返した。
「・・・それで、何か御用ですか?」
博はビートを肩に乗せ、黙って傍に立っている。
「ううん、アイツらが『凄く強くて腕っぷしが美人』だって言ってたから、どんなかなと思って見に来ただけ。アナタを美人だって言ってた奴らは、他の仲間にド突かれてたけどね」
「彼らは、ご友人ですか?ド突かれたというのは何故?」
薔子の言葉に、空はつい話を続けてしまう。
「友人かなぁ、どうだろ?何か知らないけど、いつもくっ付いてくるのよね。アイツら、いわゆる社会のルールに馴染めないっていう若者らしいわ。自分たちで、そう言ってる。私は、よく解らないけどね。気が付いたらいつの間にか、アイツらの真ん中にいて一緒に行動してるって感じ。アイドル的存在、って言うのかな。だから誰も私に変な事はしてこないのね、きっと。ド突かれたのは、多分・・・」
グループのアイドル的象徴に対する、浮気とか余所見とか、そう言う感じなのだろう。ド突かれるくらいで済んでいるのは、彼らがそれほど悪ではないと言うことだろうか。
「うん、やっぱ綺麗だわ。どこかで会ったら、声かけるかも。・・・それじゃ、バイバイ」
薔子はそう言って、くるりと踵を返し、1人でサッサと広場から出て行こうとする。彼女の周りに群がっていた若者たちは、慌ててその後を追って行った。
ただ見に来られただけの空は、薔子の長い話の意図も解らず、小首を傾げている。そんな彼女に気づき、博はクスクスと笑いながら肩のビートを彼女に返した。
「何だか、気に入られちゃったみたいですね。薔子さんに」
「・・・・・?」
益々訳が解らなくなった空は、博の顔を見ながら説明して欲しそうな視線を寄こしながら、誰もいなくなった広場にビートを放つ。ふわりと右腕を上にあげると、バサバサッと音を立てて灰色の鳥が飛び立った。すらりと立つその姿を、博は綺麗だと思いながら優しい笑みを湛えていた。
そんな事があった数日後、支局からほど近い古いビルの倒壊事件が起きた。
少し大きめの地震があった直後、解体予定が延び延びになっていた3階建てのビルが崩れ落ち、隣接する家屋にも被害が出て、そこから出火して火災が起きていた。
丁度出先から戻り、支局の駐車場に車を停めたところでその様子に気づいた博と空は、依頼は受けていないが近所だということで、再び車を出して現場近くに向かった。
まだ非常線は張られていないようで、火の手が上がる場所の風上に車を停めて2人は外に出る。こちらに延焼する可能性は低いが、そう簡単には鎮火しそうにない勢いを知ると、博は支局に連絡を入れた。火災の状況を逐一こちらに連絡を入れてもらうよう頼み、手が空いていたら応援に来るよう伝える。
そんな時、背後から声が掛かった。
「空さん!・・・あ~やっぱり空さんだっ」
精一杯の速さで駆けてきたのだろう。肩で息をしながらスマホを握りしめて、空に駆け寄ったのは先日広場で会った薔子だった。
「な、何でこんなトコにいるの?・・・って言うか、お願い、助けて!」
かなり慌てているようで、疑問とお願いが繋がる台詞が、口早に出てくる。
「僕たちは、FOI捜査官なんですよ。消防や警察が来たら、協力しようと思って来ています」
取り敢えず博が、彼女の疑問に対する答えを告げる。
「あ、だから空は強かったのね・・・って、感心してる場合じゃないわ。仲間って言うか、あの時もいたけど、グループの奴らが中にいるのっ!」
ついさっき、薔子のスマホに連絡が入った。グループのメンバー3人、ゲン・タツト・ヒロヤと仲間内で呼ばれている若者たちが、崩落したビルの近くにいるという。解体予定のまま放置されていた古いビルは、彼らの恰好の隠れ家だったのだ。
3人の若者は、何とか大きな怪我もなく倒壊現場から脱出できたものの、既に火が回って孤立してしまったらしい。今のところ、まだ連絡は付いているので、何とかできないかと1人でここまで走って来た薔子だ。
それを聞いた博は、傍らで上着を脱ぎ装備を着け始めた空を見ると、支局に連絡を入れ最新情報を入手する。そして、薔子に彼らの現在地を確かめるように言うと、空に向かって行動の許可を与えた。
「空、風向きは変わらないようです。東側の道路はまだかろうじて通行可能なので、そちらから入ってください。状況は、その都度伝えます・・・」
充分気を付けて、と苦し気な表情で命令を下す博は、大切な人を危険な場所へ送り込まなければならないという葛藤に苛まれているようだ。
「了解」
けれど空は、既に任務モードになり無表情で短く返答する。そして直ぐに車に乗り、ハンドルを握ると、彼が示した道路に向かって走り去った。
「あ、あの・・・」
空が走り去った後、薔子は戸惑うように博に声を掛けた。
「後は、彼女に任せましょう。大丈夫、彼女は腕利きの捜査官ですから」
内心の不安を押し殺し、博はニッコリと笑って薔子に答える。
「・・はい・・・あの、アナタは?」
「ああ、まだ名乗って無かったですね。高木博之と言います。FOI日本支局の局長をしています。ただ、僕は視覚障碍者なので、こういう状況では彼女と一緒に行くことは出来ないんです。ツラいところなんですけどね」
薔子は驚いて目を丸くする。以前会った時も、今も、目の前の長身の男性の目が見えないとは思いもしなかったのだ。そのくらい自然な動作で、博は彼女を促してもう少し安全な場所へ移動する。そこで、支局からの応援を待つつもりだった。
空の運転する車は、東側から何とかビル倒壊現場の近くまで走り込んだが、その直後、道路の両脇の家屋から炎が噴き出し退路を断たれた。
空はスマホを取り出し、博からの連絡を確認する。最新の状況と救出するべき3人の現在地を見て、迷わずハンドルを握り車を再び走らせた。道路には焼け落ちた家屋の残骸が転がり、切れた電線から火花が散っている。まだ焼け落ちてはいない家屋もあちこちから火を噴いていて、瓦は落ち始め、屋根に取りつけてある貯水タンクも傾いていた。
薔子から伝えられたのだろう、若者たちは空の車を見つけると大急ぎで走り寄り即座に乗り込んだ。後は、何とかここから脱出するだけだ。
空は来る途中で見かけた、屋根の上の傾いた貯水タンクの傍まで車を近づけ一旦車外に出る。そして、ヒップホルダーの小型拳銃を引き抜くと迷うことなくタンクに全ての弾を打ち込み、直ぐに運転席に戻った。
穴が開いた貯水タンクから大量の水が噴き出し、車全体が洗われるように濡れる。ある程度車体が冷えると、空はもう一度スマホを確認し、運転席側の窓だけを全開にした。熱気は入るが、外の状況を正確に肌で感じたかった。何しろ補聴器から入る音は災害現場の破壊音ばかりで、細かい状況は掴みにくいのだ。そして脱出ルートを決めると、空は再び車をスタートさせる。
「熱いかもしれませんが我慢して、しっかり掴まっていてください」
彼女は落ち着いた声で、半ば呆然自失になっている若者たちに告げると、炎の中に車を飛び込ませた。
火災現場から少し離れて待っていた博の近くには、薔子から連絡を受け取って駆け付けた仲間の若者たちがいた。そんな彼らの前に、煤まみれであちこち凹んだ車が、火災から抜け出して到着した。
焼け焦げたような有様のドアから、這い出るように降りた3人の若者は、薔子の前に座り込み半泣きになりながら次々と話し出す。
「こ、怖かったよぉ~~、アリガトなぁ~ロージィ~~」
「死ぬかと思ったぁ~~。車の外は地獄みたいだし、何か色々ガンガンぶつかるし熱いし・・・」
「イヤ、もう死んだ!何回も死んだ!・・・つぅか、今、生き返った?」
彼らは、年相応の素直な青少年のようになっていた。そんな彼らに、薔子はこちらもべそを掻くような表情でしゃがみこんで答える。
「ゲン、タツト、ヒロヤ~~無事で良かったぁ~~、でも実際助けたのは、私じゃないからね」
「いや、でも駆けつけて、頼んでくれたんだろ?・・・あの人達にサ」
そう言って、ヒロヤと呼ばれた若者が、博と空に視線を向ける。集まっていた仲間たちと薔子も、つられて様に2人の姿を見た。
「腕・・・赤くなっていますね。火傷しましたか?」
「窓を開けていたので・・・熱風で少し。でもヒリヒリする程度なので・・・」
博は空の近くに立っていたが、彼女の腕に気づくと車内から水の入ったペットボトルを出し、それでハンカチを濡らす。
「少しでも冷やしておきましょう。もう直ぐ、真と小夜子が来ますから、それまでこれで・・・」
博は彼女の細い腕に、そっと濡れたハンカチをあてがう。そして、少し焦げてしまった彼女の右側の髪に触れ、気の毒そうに、けれどこの上なく優しく微笑んだ。
空の腕の濡れたハンカチを、博はただずっと抑えている。そんな、寄り添うような2人の姿に、薔子は見とれてしまった。
(素敵な大人の恋人たち・・・よね?)
大人なんてみんな嫌いで、大人になんてなりたくないと思っていた薔子だった。
けれど、あんな素敵な大人になれたらそれもイイかも、とつい憧れてしまう。
薔子は足を進め2人の近くに来ると、礼儀正しく頭を下げた。
「仲間たちを助けてくれて、ありがとうございました。あんな連中だけど、やっぱり私には大事な仲間だったみたい。今、すっごく感謝してる」
そして提げていたポシェットから小さなカードを取り出し、博と空に差し出す。
「これ、私の連絡先。私たちで出来ることがあったら、ここに連絡して。恩返し、したいし・・・それに、何だか2人の役に立ちたいって思ったから」
薔子は、それはそれは綺麗な笑顔で、少しだけ恥ずかしそうに言った。
おそらくそれは、彼女が仲間たちからアイドルのように思われる理由の1つなのだろう。魅力的で、自分の気持ちに素直で、素っ気ないくせに、実は仲間を大切に思っている薔子。だから、仲間たちは彼女の周りに集まるのだ。
そして薔子は、真と小夜子の車が見えると、それじゃまたねと言い残し、仲間たちと帰って行った。
「何だか、若い知り合いが凄く増えましたね」
博はそんな言葉を呟きながら、空の肩をそっと優しく抱き寄せた。